So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

【 朋あり遠方より来る 】 [広島]

【 朋あり遠方より来る 】

 

作家、阿川弘之は、戦前の教養人について、どれだけ論語を暗唱できるかで、その教育の深さを測ることができた・・と言っています。納得できるのは、彼は学歴には拘泥していないことです。明治期、大正期から現代に至るまで、上級学校に進学するか否か、あるいは卒業するか否かは、家庭の事情や、その他のもろもろの個人的事情が絡み、学歴は必ずしもその人の知性や能力と対応するものではありません。心豊かな人の知性と教養は、大学を出たか否か、或いはどの大学を出たか・・・とはあまり関係ありません。

・・・・・・

教育システムが今ほど充実していなかった戦前の時期、学校教育に比べて家庭教育や社会教育(職場教育)の比重が高かったそうです。戦前には、学校に入る前に父親や祖父から漢文の素読を習い、論語を憶えた子供も多かったとか。自身は東大卒の阿川弘之が、敢えて学校教育とは関係が薄い、論語の暗唱にこだわったのは、そういう背景からでしょう。

・・・・・・

しかし、敢えて私はそれに異を唱えます。論語を読むだけなら、初音ミクのようなコンピューターソフトにもできます。文言を覚えても、その意味を理解しなければ「論語読みの論語知らず」となってしまい無意味です。そして論語を本当に理解することは、少年には無理です(多分)。だから幼年期や少年期の論語の素読にどこまでの意味があるかは疑問です。実際、世の中には「論語読みの論語知らず」が溢れています。

・・・・・・

かく言う私は、無教養で、論語をマスターしている訳ではありません。しかし、論語を知らない私でも、幾つかの文は、ふと頭に浮かぶことがあります。

「朋あり、遠方より来る また楽しからずや」

川崎のご隠居が呉に来ると聞いて、すぐに頭に浮かんだのは、やはり論語の中でも最も有名なこの言葉です。

・・・・・・

しかし、そこでまた悩みます。「待てよ。どうして友ではなく朋なのか?」

日本では朋友という表現で、「友」と「朋」は同じ意味で使われます。教育勅語にある「朋友あい信じ」にも登場します。一方、中国では朋友(ポンヨウ)は単純に友達の意味で使われます。漫画「北斗の拳」ではポンヨウについて奇妙な説明がされますが、私の知る限り、友人と同じ意味です。

・・・・・・

しかし「そこに注意が必要です」と指摘したのは、昔の私の中国語家庭教師です。彼女に言わせれば、朋と友では微妙に意味が違うということです。

「朋」の場合、幼い頃からの友達や、机を並べて一緒に学んだ同級生の意味となり、日本風に言えば、竹馬の友、或いは筒井筒の幼馴染、或いは学園の同期の桜・・といった友達を意味するようです。

・・・・・・

一方、「友」の方は大人になってからでもよく、お互いに理解しあい、共鳴する思想を持ち、堅い友情と信頼関係で結ばれた存在ということになります。 中国の古典の水滸伝などには、熱血漢同士が意気投合して義兄弟の契りを結ぶ場面が多く登場しますが、これなどは「友」の方でしょう。

・・・・・・

どちらも人生を豊かにし、貴重でありがたい存在ですから、遠方から来てくれて嬉しいのは、「朋」も「友」も同じです。それなら、なぜ孔子は「朋」としたのか?

それは恐らく、少年時代からの友達である「朋」の方が、長い時間が経過した「老朋友(ラオポンヨウ)」だからでしょう。 <余談ですが、中国語の発音をカタカナで記すことに、いつも後ろめたさを感じます>。

・・・・・・

友情も、上等なお酒と同じように、長い時間の経過で熟成されて深みが増すということでしょう。或いは、古い友達は滅多に来ませんから、珍しい来客は特にありがたい・・ということかもしれません。 そこで逆説で考えるオヒョウは英国の諺を思い出します。「いつも来る客は歓迎されない」・・・両者は、裏返しの表現というだけで同じ意味なのかも知れません。

・・・・・・

話は変わりますが、50代後半から還暦ぐらいになると、やたら同窓会の案内が増えてきます。それはなぜか?

若い頃、つまり壮年期の頃は忙しく昔を振り返る余裕はありませんでした。そして壮年期までは一種の競争社会を生きることになります。ヨーイドン!で一緒に学校を卒業し、早く出世し、早く幸せな家庭を築き、早くお金持ちになり、さらには社会に対して何らかの影響を与えたい・・と言う競争原理の中で生活します。その時期「朋」は競争相手でもありました。だから同窓会はできなかったのです。

・・・・・・

それが、定年を迎え、「ノーサイド」の笛が吹かれたあとは、生き甲斐が変わります。そして今までの人生はこれで良かったのか?という不安も感じます。その不安を確かめるために同じ時代を生きた、同世代の友達と会いたくなります。同窓会とは、古い友達を介して自分の人生を再確認するためのものだと私は思います。

・・・・・・

孔子先生にお尋ねしたい。なぜ古い朋と会うと心が弾むのですか?なぜ古い朋と語り合うことが楽しいのですか?

・・・・・・

そこで、思い出します。「『朋』とは、そんなに簡単なものではありません」と語ったのは、件の中国語の家庭教師です。

彼女によれば、「朋」は年齢も近く、上下関係を意識しなかった子供の頃に培われた対等の人間関係です。 しかし一方、大人の社会には、上下関係が常に存在し、対等な関係は、あまりありません。 対等な友情を感じにくい社会なのです。これは、とりわけ儒教文化の影響を受けた中国や朝鮮・韓国で明確です。

・・・・・・

儒教の世界には、秩序を重んじ、それを維持するためには、必ず序列をつけて上下関係を明確にしようという発想があります。(論語を読むと、必ずしもそうとは思えないのですが、儒教文化の影響を受けた社会は概ね、そのように思えます)。中国に行くと、国家一級認定とか、AAAだとか格付けや箔付けにとても拘る人や会社がありますが、その背後にもこの思想がありそうです。

・・・・・・

兄弟姉妹についても、中国と韓国、朝鮮では長幼の序が大事です。兄なのか弟なのか、姉なのか妹なのかが重要な意味を持ちます。一方、英国では、どちらもBrother、どちらもSisterです。

・・・・・・

国家間の外交においても、中国の場合、常に序列を意識して、本当の意味で対等なパートナーシップというのは、理解されません。そして冊封体制を今でも信奉し、自国を最上位に置く中華思想を隠さない中国の場合、習近平国家主席は、外国の要人と会う時、絶対に自分から歩み寄る様子を撮影させません。必ず、相手が近寄ってきて握手を求めるのに応じる形をとります。朝貢に訪れるアフリカの国家元首の方が、背が高い場合、中国の国家主席はしばしば台に乗って、目の高さが客人より高くなるようにします・・・なんだか子供じみていますが。

・・・・・・

西欧では当たり前の、対等な友人としての付き合い方が、儒教国家には苦手なのかも知れません。 自分より上と認めた相手には、やたらと卑屈になったり事大し、一方で自分が上だと判断したら、やたらと尊大になり、傍若無人に振舞ったりします。

・・・・・・

それが中国や朝鮮・韓国の世界の中での孤立をもたらしているのではないか?そんな風に思えます。「友邦」はあっても、対等な「朋邦」は難しいのかな?そうだとすれば孔子先生の呪縛は今も続いていると言うべきかも知れません。

・・・・・・

古い朋が来て帰った日、とりわけ大きな月を見ながら、そんなことを考えました。

朋来る 夕べの月の大きさよ


【 リニア中央新幹線のトンネル工事について考える 】 [鉄道]

【 リニア中央新幹線のトンネル工事について考える 】

 

リニア新幹線の建設工事の内、最も難工事が予想される南アルプストンネルの掘削工事が始まりました。

http://www.yomiuri.co.jp/local/nagano/news/20161101-OYTNT50086.html

http://response.jp/article/2016/11/01/284649.html

http://www.asahi.com/articles/ASJBX4JLDJBXUOOB00Q.html

http://www.asahi.com/articles/ASJB05JQPJB0UOOB00W.html

 

例によって、マスコミは残土処理に絡んだ環境の問題や地元の反対派をクローズアップして批判的な姿勢ですが、とにかく、これは日本の鉄道トンネル史に於いて、記念すべき日です。

・・・・・・

石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」には、印象に残る場面があります。黒四(クロヨン)ダムに通じるトンネルの掘削を持ちかけられた主人公の石原裕次郎が「無理だね」と一言言って、割り箸をポキリと折ります。

「日本列島のフォッサマグナの地域は、折れた割り箸のささくれだった折れ部と同じだ。こんなところにトンネルは掘れない」。

それに加えて、世紀の難工事で夥しい数の犠牲者を出した黒三(クロサン)ダムのトンネル工事の悪夢が頭をよぎります。この難工事については吉村昭の「高熱隧道」に詳しいので詳しくは説明しません。

結局、数々の断層や破砕帯、湧水を克服してトンネルは掘られ、工事は完成しました。

・・・・・・

そして、その後に作られたトンネル映画は、高倉健の「海峡」で、こちらは青函トンネルの掘削工事が舞台です。映画では、技術者達は「頚城トンネル」の工事現場から呼ばれます。北陸本線の頚城トンネルも、フォッサマグナ地域を抜ける難工事として有名です。

・・・・・・

考えてみれば日本の幹線鉄道の建設の歴史とは、長大トンネルの歴史です。

東海道本線の丹那トンネル、山陽本線の関門トンネル、上越本線の清水トンネル、北陸本線の北陸トンネル等、幹線には全て名物トンネルがあります。

中央リニア新幹線では、フォッサマグナ地帯を貫通する25kmの南アルプストンネルが名物トンネルになるのでしょうか?

・・・・・・

しかし、今回のトンネル工事で重要なのは、実はそんなことではありません。その掘削工法がNATM工法だという点が重要なのです。

普通、トンネル工事は、ごく浅い場合はケーソン工法、深い場合はシールド工法を用います。海底トンネルや長大トンネルは、シールド工法の一種であるTBM工法が普通です。

・・・・・・

TBMTunnel Boring Machines工法は、トンネルの断面直径と同じ円形の巨大な掘削機を切羽に置いて、岩石を削りながら前に進む方法で、青函トンネルも英仏海峡トンネルもこの巨大掘削機を用いたこの工法で作られました。英仏海峡のドーバー側の入り口に使用された巨大な掘削機TBMがモニュメントとして置かれているのを見られた方もいるかと思います。

・・・・・・

それに対して、新しい工法として、火薬で岩盤を砕き、ただちに支保工とコンクリートで周囲を固め、さらにハリネズミのように周辺にボルトを打って強度を確保する方法があります。場合によってはセメントミルクなどを注入する場合もあります。これがオーストリアで開発されたNATM工法(New Austrian Tunneling Method)です。高い地圧を利用して岩盤の強度を高めて崩落を防ぐ方法です。数値解析の教科書には、有限要素法の土木工学への適用事例として紹介されています。

(こんな風に言葉で説明しても、ご専門でない方にはさっぱり分からないかも知れません。専門用語については、どうかWikipediaなどでご確認を願います)。

・・・・・・

日本が得意なTBM工法は海底トンネルや地下深いトンネルに用いられるのに対して、このNATM工法は山岳地帯の岩盤掘削に用いられ、欧州のアルプスのトンネル掘削に用いられるのです。

私が最初にこの種類のトンネルを見たのは、スイスの大規模揚水発電所です。発電所に用いるペンストック用鋼管に勤務先の会社の鋼材が用いられたので見学に行ったのですが、既にトンネルは完成しており、工事中の風景を収録したビデオを見ました。 日本ではこの種類のトンネルを見ることはあるまい・・と思っていたのですが、実は日本にも有名なトンネルがあります。

・・・・・・

私が上越市の工場に勤務していた頃、ほくほく線の各駅停車の電車に乗ることがありました。 単線のほくほく線にも長大トンネルがあり、トンネルの中の待避線で対向電車とすれ違う事があります。トンネルの中で相手の電車を待って停車しているのを見て面白いと思いましたが、これが鍋立山トンネルだと知り驚きました。

・・・・・・

ほくほく線は単なるローカル線ではありません。旧国鉄が先進鉄道技術の実験に用いた線路です。広軌論者と狭軌論者が論争を続けていた旧国鉄では、ほくほく線を利用して、狭軌でどこまで高速化が可能かを調べようとしました。また新幹線が北日本へ延びること予定される中で、豪雪地帯を通る高速鉄道の研究にも使われました。 

・・・・・・

トンネル掘削技術や架橋技術についても、新しい取り組みがなされ、長さ10Km弱の鍋立山トンネルではNATM工法が採用されたのです。しかしこれはトンネル史に残る難工事で工期も非常に長くなりました。 旧国鉄時代に工事が始まり、できた時にはJRになっており、しかも、結局ほくほく線はJRではなく第三セクターになったのです。鉄道会社もトンネルも数奇な運命を辿った訳です。

・・・・・・

しかし、大半の乗客は鍋立山トンネルの事を知りません。金沢と越後湯沢間を走った特急「はくたか」は在来線最高の160Km/h165Km/hの速度で、このトンネルをあっという間に通過してしまったからです。それどころか、北陸新幹線ができて、特急「はくたか」がなくなると、誰もほくほく線の事を思い出さなくなってしまいました。まして鍋立山トンネルのことなど、忘れ去られてしまいます。

・・・・・・

鉄道の高速化は歓迎すべきことですが、あまりに速く、短時間で長大トンネルを通過してしまうと、トンネルの長さが実感できません。それを掘ったトンネル屋の苦労も偲ぶことができません。 そしてやがて忘れられます。仕方ないことですが、ちょっと詰まりません。

・・・・・・

中央リニア新幹線のトンネル掘削にあたって、最難関のフォッサマグナ地帯でNATM工法を採用した技術者達の意欲には敬意を表しますが、これも大変な難工事になるでしょう。 

・・・・・・

工事が完成したら、記念のために、「黒部の太陽」、「海峡」に続く、本邦3本目のトンネル映画を作ってもいいかも知れません。しかし、主役の土木技師を演じる俳優を誰にするかで悩むことになるでしょう。

なぜなら、昭和の時代、最もカッコいい男だった、石原裕次郎も、高倉健も、もはやこの世にはおらず、それを継ぐ平成のヒーローもいまだ登場していないからです。


【 もの喰らう人々 車内での飲食について考える 】 [鉄道]

【 もの喰らう人々 車内での飲食について考える 】

東急電鉄の広告の中に、女性の電車内でのお化粧をたしなめる内容があったことから、電車内、あるいは公共の場所でのお化粧の是非について、いろいろと議論されています。そのトバッチリと言うべきか、車内での飲食についても、その是非が問われています。

・・・・・・

通勤電車の車内で、パンを食べたり牛乳を飲むことは、慎むべきか、あるいは許容されるべきか・・・、難しいところです。個人的には、朝ごはんやお昼ごはんを食べる時間がなかった人が、急いで食事するくらいいいではないか?と思いますが、公共の場所で「生きるための所作」をするのははしたないという意見もあるようです。

・・・・・・

では通勤電車はダメとしても、長距離電車はどうなのか?ということになります。これをダメと言われても困ります。通勤電車と長距離電車の線引きも難しいところです。近年は新幹線通勤も含め、長距離通勤も当たり前だからです。湘南電車のような中距離・郊外型電車はどちらにいれるべきか・・。つまらぬことで悩みます。

・・・・・・

ボックスシートやロマンスシートの横掛けの座席ならOKで、通勤電車のロングシートではダメという考え方もあるでしょうが、それについても、どうして?と訊きたくなります。

・・・・・・

そもそも、人前で食べ物を口にするのは、「はしたない」行為なのか? そこが微妙です。

TVCMを観れば、観光地への旅行を誘う案内が溢れています。しかし家族連れやカップルが車内で飲食をする場面は無く、車中ではもっぱら窓の外の景色を眺め、食事風景はレストランで・・というパターンばかりです。実際には車内で駅弁を食べるということも・・当然ある訳ですが。

・・・・・・

他人が美味しそうに食べているシーンは、何となく見ている人に安心感を与え、心をなごませる・・という意見があります。最近は減りましたが、ホームドラマで食事のシーンが多いのはそのためだと聞きます。一方、多くの人が空腹に堪えている状況下で、おいしそうな食事を他人に見せつけるということは、周囲を苛立たせる・・という意見もあります。公の場で、公衆の面前での食事を慎めというマナーは、それに基づくものかも知れません。

・・・・・・

しかし、敢えて私は申し上げたい。電車の中で食べ物を口にするぐらいはいいではないか・・と。 そして、昔見た光景を思い出します。

・・・・・・

もう何年も前になります。私は午後の南海電車に乗って、和歌山に向かっていました。午前中の尼崎での用事を終え、夕刻までに和歌山に行く必要があったのですが、当時、私は一つの屈託を抱え、気分は非常に憂鬱だったのです。

・・・・・・

途中のある駅で、空いた電車に一人の少女が乗り込んできたのです。私と向かい合う形で、彼女はロングシートに腰をおろしました。風貌から、それと気づいたのですが、おかっぱ頭の彼女はダウン症の子のようです。(私は医師ではないので確実なことは分かりませんが)。

・・・・・・

やがて、彼女は肩から斜めに掛けたカバンの中から、実に大きなお煎餅を一枚取り出しました。丸いそのお煎餅は彼女の顔くらいの大きさがあります。それをポリンポリンと口で割って食べ始めました。 どうやら、それが彼女の昼食のようです。 それを食べる少女は実に幸せそうで、穏やかな表情でした。 お煎餅がそんなにおいしいのか、それとも、よほどおなかがすいていたのかそれは分かりませんが、あんなに嬉しそうに食べ物を頬張る様子を見たことがありません。

・・・・・・

ダウン症の人は、もともと性格が温和で優しい人が多いと聞いていましたが、お煎餅を頬張るその表情からだけでも、それが伺えたような気がしました。 実に幸せそうに食事を終えた彼女はみさき公園駅で、電車を下りました。

見送った私はなんだか心がなごみ、憂鬱から解放されたような気がしました。自分もお煎餅が食べたい・・・とは思いませんでしたが。

・・・・・・

映画やお芝居では、食事の場面は多くありますが、観客を幸せな気分にするような演技をする役者はあまりいません。TVにはグルメ番組があふれ、ごちそうや珍しい食べ物に大袈裟に喜び、味を褒め称えるタレントはたくさんいますが、視聴者を幸福な気持ちにさせるタレントはいません。

あのダウン症の少女がうれしそうに大きなお煎餅を食べた、あの表情には敵わないのです。

・・・・・・

どうか、電車の中での軽い喫食にまで、目くじらをたてないでいただきたい。私は他人が食べる様子を電車の中で観て、心が和んだのだから・・・。

そして言うなら、夕刻以降の電車では、ワンカップ酒とチクワやソーセージを持ち込んだサラリーマンも大目に見てください・・・と申し上げたい。 こちらは観ていても、見苦しいだけで、心がなごむものではありませんが。


【 軽巡洋艦 那珂の語り部 】 [茨城県]

【 軽巡洋艦 那珂の語り部 】

 

30年ほど前、まだ母が元気だった頃です。母を案内して大洗の磯前神社を訪れたことがあります。松林の中のちょっとした坂を上ったところに、巡洋艦「那珂」の記念碑がありました。恥ずかしながら、この艦について、何も知らず、ぼんやりと碑文を眺めていたところ、近くで清掃をしていた年配の男性が、すうっと近づいてきました。年齢は私の母と同じくらいです。そして彼は私に話しかけるでもなく、母に語りかけるでもなく、独り言のように、静かに話し始めました。

・・・・・・

「巡洋艦『那珂』は昭和19年にトラック島泊地の近くで、米軍の空襲を受けて沈没したのです。200人以上の多くの戦友がその時に亡くなりました。私は『那珂』乗り組みの水兵で、ずっと乗艦していたのですが、ちょうどその少し前に熱病に罹り、トラック島泊地から病院船「氷川丸」に乗って、内地に帰されたのです。 仲間と手を振って別れたのが最後になりました。私だけ無事だったのです。戦友のことを思い、退職したあと、こうして墓守の真似事をしています。」 そう語り、巡洋艦「那珂」とそれに乗っていた人たちについて少し説明し、それが終わると、箒を手に、またすうっと去っていきました。

・・・・・・

母は「多分、あの人は、この石碑を訪れる多くの人に『那珂』の最後を伝えることが、自分の役目だと思い、そしてそれがあの人の生き甲斐なのかも知れない」と話します。

私は「すると赤穂浪士で生き残り、泉岳寺の墓守を続けた寺坂吉右衛門みたいなものかな?」と問いましたが、母は答えません。

・・・・・・

前述の通り、私は地味な軍艦であった「那珂」のことをそれまで知りませんでした。「病院船『氷川丸』のことなら、横浜港に繋留されているし、よく知っているのだけれど・・・」。実はその時、うかつにも錯覚しました。「那珂」が重巡洋艦だと思ったのです。

その30年後に、Tさんにその誤りを正された訳ですが・・・。

・・・・・・

その後、年月が過ぎ、時代はアニメブームです。「艦コレ」こと艦隊コレクションが話題になり、その「聖地巡礼」で、多くの若者が大洗の磯前神社を訪問しています。 結構なことですが、戦争の悲惨さに目を向けず、多くの犠牲者に対する厳粛な思いも持たず、朗らかなアニメに旧海軍を利用することの是非はどうなのか?

・・・・・・

これについて多くの人が語っています。賛否両論ありますが、実はかなり昔に一つの見解がでています。

・・・・・・

アニメ「宇宙戦艦ヤマト」が作られた時、生き残った大和の乗組員達は、荒唐無稽なアニメ映画に戦艦大和が使われることをどう思うだろうか?という問いに対して、生還した乗組員で、名著「戦艦大和ノ最後」を著した吉田満が答えています。彼は「新潮45」だったか「諸君!」への寄稿で、「忘れ去られていく『戦艦大和』が若い人に知られ、記憶されるのはいいことだ」と賛成の意を表しています。その流れで考えれば、「艦コレ」も肯定すべきでしょう。

・・・・・・

アニメの『聖地巡礼』を、若い世代の一つの社会現象としてとらえ、研究している研究者がいます。我が畏友Y教授です。彼の専門はもともと山岳宗教や修験道だったはずですが、いつの間にか、サブカルの世界まで間口を広げていたのです。

sub-cul small.png

・・・・・・

彼は今月のドイツのミュンヘン大学での学会で、日本のアニメの「聖地巡礼」を一つの社会現象として発表する予定です。 そのハンドアウトの文を送って貰いました。

下記のURLです。

http://www2.komatsu-c.ac.jp/~yositani/2016%20Pilgrims%20in%20German.pdf

一読して、日本社会でのサブカルの実態が的確に分かりやすく説明されているのに感心します。 もはや、アニメ文化については、Animation Movieではなく、日本のアニメ(ANIME)が英語でも通用するようです。(ドイツ語ではどうか分かりませんが)。

一方、一抹の不安もあります。

「日本でミリタリーものを舞台にしたアニメが流行るということを、欧州の人、特にドイツ人はどう思うだろうか?」

・・・・・・

忠魂碑や忠霊塔が改めて注目されていることや、評判のアニメ映画である、戦車学校が舞台の「ガールズ&パンツァー 略してガルパン=これも大洗が舞台」や、艦コレには思想的な背景は全くありませんが、政治好きなドイツ人にはどう映るでしょうか? 彼らは、日本の若い世代に右翼的思想や好戦的な軍国主義が台頭しつつある・・と錯覚するかも知れません。 論文の中でも解説されていますし、Y教授だからその点の説明に手抜かりは無いと思いますが・・。

・・・・・・

話は戻りますが、戦争の災禍を語り継ぐ必要性を痛感している人は多くいます。 

特に広島にいると分かるのですが、原爆の悲惨さを自ら体験した語り部は、減りつつあり、その後の世代がバトンを引き継いでいます。広島、長崎の原爆だけでなく、東京大空襲でもそうです。外国では、ドイツのデュッセルドルフのアルトシュタットが空襲で破壊された時の事を語る語り部がいました。

・・・・・・

でも沈没した軍艦の乗組員の語り部はあまりいません。 戦争の悲惨さを語る資格はどちらにもあると思うのですが、何が違うのでしょうか? 空襲による市井の非戦闘員の被害者と、戦闘の行為者として加害者の側面もある軍艦の乗組員では違うという声もあるでしょうが、私はそうは思いません。

・・・・・・

戦争を始める決定に参加した一部の為政者を除き、戦争に関わった全ての人々は等しく犠牲者であり、その被害と悲惨さを語る資格と義務があると私は思うのです。

・・・・・・

原爆や空襲の被害者と違い、軍艦の乗組員の語り部の場合、バトンを引き継ぐ人はおらず、やがて消え去り、忘れ去られる運命です。 母と訪れた20年後に大洗の磯前神社に行った時、すでにくだんの老人の姿はありませんでした。

話を聞いた母も、既にこの世におりません。

そして勿論、巡洋艦「那珂」もありません。「那珂」は朽ちながら、南溟に沈んでいます。

やがて忘れられるでしょう。 それはそれでいいのかも知れません。

 

水底に、艦(ふね)は朽ちつつ 眠りおり


【 二松學舍への道 】 [中国]

【 二松學舍への道 】

先日、東京Sさん、Tさん、Oさんの3人と会食する機会がありました。イニシャルばかりでは、何もわかりませんが、SさんとTさんは先日呉に来られて、朝鮮通信使の記念館を観た後、一緒に痛飲した、あの中国語の達人です。

・・・・・・

この日は、彼らの後輩である、女性のOさんも同席しています。そしてまだ酔わない内から、Sさんが、漢詩を詠んで、紙に書き始めました。ブログに掲載せよとのお達しでもあり、以下にしたためます。

身在石庫門 身体は石庫門に在り

心思呉広坂 心は思う、呉、広、坂

回頭来千里 こうべを回らせれば千里を来たり

何日上西天 いつの日か、西天に上らん

その場にいなかった人には、なにやらわからない漢詩なので、無粋を承知で以下に解説します。

・・・・・・

身は××に在り・・というのはSさんの漢詩の常套句らしく、大抵はそこから始まって、心は別のところにある・・という形をとるそうです。

ちなみに、石庫門とは4人が集った神田のお店です。辛い中華料理を4人とも好きなのです。

心は思う呉、広、坂とは、中国の呉の国ではなく、広島県の呉線の沿線の街です。なぜか、一文字の街が多いのです。つまり先日の広島旅行を懐かしんでいるのです。思い返せば、長い旅をしたもので、数千里に及ぶ。いつの日かあの世に旅立つことになるだろう。という意味です。

・・・・・・

無粋を承知で言えば、仏教では西方浄土と言いますから、西天に上るとは天国に行くことを意味するようです。

・・・・・・

その詩を眺めたTさんは、なにやらブツブツとつぶやき、「ちゃんと韻を踏んでいる。大したものだ」「しかし平仄の方は分からない」と語ります。

現代中国語(普通語)の発音で読んで、ちゃんと韻を踏んでいるし、文脈も対になっているということで、漢詩としては上出来なのだそうです。

・・・・・・

Tさんは現代中国語を学ばれた訳だけれども、古典にもお詳しいようです。その点を疑問に思って尋ねると「いい漢詩は現代語の発音でも美しく響くのですよ」との説明です。 実はその点がひっかかるのです。

・・・・・・

中国語を知らない日本人が漢詩を作ろうとすると、押韻だの平仄だのという決まり事を逐一確認せねばなりません。本来の抒情叙景から離れて、一種の知的パズルをするようなものです。ちなみに私オヒョウは、林古渓先生の平仄辞典を使います。これは漢詩に登場する漢字を列挙し、それぞれについて、意味、発音、それに平音か仄音かを示した辞書です。

IMG_0882.JPG

・・・・・・

つまり、最初に出鱈目に・・というより日本語の書き下し文の感覚で漢字を並べてから、それぞれの漢字が、許される位置にあるかを確認して、規則から外れるなら、別の漢字を探す・・という手順を踏むのです。これにはパズルを解くような知的な面白さはありますが、本来の詩作とは遠い活動です。

・・・・・・

しかし、平仄の平音とはイントネーションが平な音であり、仄音とは起伏がある音です。それなら現代中国語の四声を知っている人には、ほとんど抵抗なく詩作できることになります。

「そうか、現代中国語を理解していれば漢詩も作れるのか!」

SさんもTさんも、敢えて現代中国語と古典(つまり漢文)を分けて考えるのはナンセンスと思っておられるようです。

「石川忠久先生が、現代中国語の発音で漢詩を読まれたCDがあるのですが、それは美しい発音でしたよ」・・とTさん。

・・・・・・

私は平仄辞典の他に、唐詩選や宋詩選から、名句を選んで収蔵した漢詩名句辞典も参考にします。鎌田正先生と米山寅太郎先生の辞書です。しかし、先人の作品から文句を流用するのでは、文法的には正しくても、オリジナリティに欠ける、継ぎはぎ作品になってしまいます。

 IMG_0883.JPG

だから漢詩を作るのは、私にはかなり敷居の高い作業になりますが、仕方ありません。

・・・・・・

Tさんの話は続きます。「人口に膾炙した『春眠暁を覚えず・・』だって、解釈の仕方で意味は変化します。日本人の解釈と中国人の解釈は違って当然です。日本人の新しい解釈では『春眠暁を覚えず』を、もう宮仕えを辞めて、自由人になった人の心境と理解します。『花落つること多少(いくばく)ぞ』だって、(多少)に疑問文の意味があるのを知ると知らないとでは解釈が異なります。現代中国語を知る中国人は、『多少』の意味を知っており、それに則って理解します」

・・・・・・

「うーむ、さすが東京外大の中国語科だ。中国の古典への理解も深くてらっしゃる」と感心すると、「いやー、僕らの時代は全く勉強しなかった。ストライキとピケとロックアウトだからね。大学では勉強できなかった。今言った知識は、今通っている二松學舍大学の社会人講座で習ったことさ」

そう言えば、TさんもSさんも現役を引退して悠悠自適の立場です。

・・・・・・

「二松學舍というと、九段下ですよね?」「いや、僕の場合は柏キャンパスだ」

唐突に私は、名脇役だった米倉斉加年を思い出しました。 コミカルな役からシリアスな役まで幅広くこなし、かつ画家としても一流だった米倉は、どの学校を卒業したのかな?と考えたことがあります。 彼は二松學舍大学の卒業でした。役者で絵描きで漢文の素養があったとは、まさにマルチタレントです。

・・・・・・

マルチタレントと言えば、和、英、漢の文化・文学に通暁していた夏目漱石こそ、マルチタレントの元祖ですが、漢学については大学予備門に入る前に二松學舍で学んでいます。 彼の教養の基礎はこの学校で身に着けていたのです。

・・・・・・

私はボンヤリと、「僕も本当に仕事をリタイヤしたら、二松學舍の社会人講座で漢詩を勉強したいな・・」と考えました。Tさんが実に羨ましく思えます。

若い頃から、仕事で行き詰ったり、嫌な思いをした時、一種の逃避として大学に帰りたい・・と思ったことがあります。今でもその思いに駆られることはありますし、改めて勉強しなおしたい事柄もあります。 でも、もはや私の知能では大学入試をパスするのは無理でしょう。 しかしリタイヤした後の社会人向けの講座ならなんとかなるかも知れません。 鹿島から通えるか・・どうかが問題ですが。

・・・・・・

一方、女性のOさんは漢詩に興味がないのか、会話に参加しません。彼女は大好きな台湾を旅行することを考えているみたいです。無論、SさんもTさんも台湾通です。

みんなで呉と瀬戸内海を旅行するという提案は、私が呉にいる間には実現しないようですが、台湾旅行の方は実現するかも知れません。

・・・・・・

LCCもありますから、台湾旅行も簡単で便利になりましたね。 次回はオヒョウさんも台湾に行かれてはどうですか?」

うーむ、台湾に行きたいのは、やまやまだけど、今度、私は勤務先と仕事の内容が変わりそうです。 新しい仕事に就けば、当面は死に物狂いで仕事に集中して覚えなければなりません。 とても、海外旅行に行く時間的・精神的な余裕はなさそうです。(金銭的な余裕もあまり自信がありません)。

・・・・・・

そして考えてみれば、私のリタイヤも相当先になりそうです。台湾も、二松學舍大学もかなり先の夢・・のようです。だから当分、私の漢詩は、下手くそなままになりそうです。


【 お前の家は俺の城 その1 】 [政治]

【 お前の家は俺の城 その1 】

 

読者諸兄は、岩国錦帯橋空港を利用されたことはあるでしょうか? 私は一度だけあります。海沿いの滑走路に降りると、駐機場のど真ん中の広い面積を、アメリカの海兵隊が使っていることに気付きます。話題V-22オスプレイも停まっています。

・・・・・・

そこを少し進むとかなり狭くなりますが、今度は海上自衛隊の領域です。こちらには最近有名になったUS-2大型飛行艇やP-3Cが停まっています。そして飛行場の隅っこまで行くと、そこに2階建ての小さなビルがあり、それが民間航空機用のターミナルビルだと分かります。普通、飛行場のターミナルビルというのは、広い幅があり、多くの旅客機が並んで停まり、ボーディングブリッジが架けられるようになっています。しかし、岩国の場合は実にこじんまりとしていて、町の郵便局かと思います(ちょっとオーバーかな?)。

・・・・・・

言うまでもなく、この空港の主役は米軍であり、民間航空は隅っこに間借りしている状態です。私は行った事が無いので分かりませんが、察するに三沢も似たような状況でしょう。

同じ軍民共用でも、自衛隊と民間航空の場合は、滑走路を挟んで両側に自衛隊と民間航空が対峙する形で、双方互角、民間航空も広い面積が使えます。小松空港や茨城空港(百里基地)がその例です。もっと言えば、民間航空が母屋を占領し、自衛隊が隅っこにある場合もあります。例えば福岡空港(板付)や、那覇空港がそれに該当します。しかし米軍がいる場合は、米軍が母屋を占領して、自衛隊も民間航空も、隅に追いやれています。 

・・・・・・

民間航空がいない神奈川県厚木基地の場合も、多くの面積を占領しているのは米軍で、海上自衛隊はごく狭い場所に押し込められています。 航空基地だけでなく、軍港も同じです。横須賀基地はアジア最大級の海軍基地ですが、その中心にデンと居座るのは米軍です。海上自衛隊は隅っこの狭い空間を与えられているのです。

佐世保基地も同様です。

・・・・・・

まるで、米軍が主人で、日本の自衛隊が居候か下僕か露払いの関係に見えてきます。

「こりゃ全くひどいではないか」 そこで思い出した漫画が一つあります。

ソ連の風刺漫画家アブラモフが60年ほど前に描いたカリカチュアで、題名は「お前の家は私の城」。当時のソ連では、政治体制を批判したり揶揄するカリカチュアは許されなかったのですが、西側世界を批判することは許されたのです。

 お前の家は私の城.png

 

描かれてから50年以上経つので、著作権は消滅しているので、その絵を載せます。

・・・・・・

ご承知かも知れませんが、英国には、「私の家は私の城」という諺があります。これは封建制度や身分社会であっても、各個人は侵すべからざる空間として自分の家と家族を持ち、それを守る権利を尊重しなければいけないという思想を表したものです。

・・・・・・

しかし、第二次大戦中から、英国は軍事基地を米国に貸し出し、守るべき母屋を取られているではないか?という皮肉をこの漫画家は言ったのです。実は英国内には今も米軍基地が存在しますが、あまり話題にはされません。 英国民にとって、これは必ずしも愉快な事ではないからでしょう。 TVドラマ「刑事フォイル」では、第二次大戦中に、英国に駐留する米軍基地を不愉快な存在として描いています。

・・・・・・

海外でも英領であるインド洋のディエゴガルシア島は、全面的に米軍が租借しており、B-52戦略爆撃機などが配置され、中東に睨みをきかせる形になっています。太平洋で言えば、ちょうどグアム島のような存在ですが、でも本来、ディエゴガルシアは英国領土なのです。

・・・・・・

アブラモフの風刺漫画は英国民にとっては痛いところを衝かれた内容なのですが、ロシア語で書かれて、ソ連のメディアに掲載されたので、英国では知らない人が多いようです。

・・・・・・

話が脱線しましたが、今アブラモフが、日本の岩国飛行場や横須賀海軍基地を見たら、どういうでしょう?

カリアチュアの題名を「お前の飛行場は、私の基地」とするか、「お前の港は俺の基地」とするか・・いずれにしても、愉快な表現にはなりません。

・・・・・・

現在の状況が、本当にあるべき状態か?と問われれば否と答えるしかありません。

でも、それでは、どうするべきか?と問われても妙案がありません。

外国の軍隊に我が物顔で居座られるのが愉快なはずはありませんが、でも米軍が撤退したら、いったい誰が喜ぶのか?と考えると、日本人以上に喜ぶ人達が隣の大陸にいます。

・・・・・・

米軍の撤退を日本人以上に期待する人々は、段階的に米軍の存在の希薄化を狙います。 まずは沖縄・南西諸島から米軍の撤退、そして最終的には日本本土からの米軍の撤退、日米安保条約の破棄・・という順番です。

 

その辺りについては、次号で管見を申し上げます。


【 灰とダイヤモンド アンジェイワイダの死 】 [映画]

【 灰とダイヤモンド アンジェイワイダの死 】

 

ポーランドを代表する・・というより戦後のヨーロッパの映画監督を代表する一人であるアンジェイワイダが亡くなりました。

・・・・・・

私はポーランドに行ったことがなく、戦後の東西対立のもとで東欧がどういう世界だったかを知りません。それを知らなければ、彼の作品を本当に理解することはできないのかも知れません。 それでも私は彼の作品には毎回心を打たれました。「地下水道」、「大理石の男」、「灰とダイヤモンド」。

・・・・・・

全部に触れると、ブログの論旨が発散してしまいますので、ここでは「灰とダイヤモンド」に絞って、彼の作品を考えたいと思います。

・・・・・・

第一番にこの作品が印象的だったのは、主人公が撃たれて、廃墟のガレキの中で、ボロギレのように惨めな最後を迎えることです。今でこそ、ヒーローがあまり格好良くない死に様をさらすドラマは珍しくありませんが、映画では多分これが初めてではないか?と思います。

・・・・・・

話は飛躍しますが、石原プロが昭和の時代に手がけていた刑事物のアクションドラマ「太陽に吠えろ」では、準主役とも言うべきヒーローが、犬死にみたいな死に方をして、交代するのがお約束でした。萩原健一、松田優作らがそうで、その死に方も話題になり、ドラマの人気は上がりました。 カッコいいヒーローはみっともない死に方をしても様になる・・というのを証明した訳ですが、その原型は「灰とダイヤモンド」にあったのではないか?と私は考えます。

・・・・・・

そして、最初に迷うのは、主人公は善玉なのか、悪玉なのか?という点です。ドラマをついつい単純化して見てしまう私は、登場人物が現れるたびに、善玉か悪玉かを推理します。 複雑なドラマほど善玉と悪玉の識別は難しいのですが、「灰とダイヤモンド」も難しい作品でした。

・・・・・・

映画はソ連から派遣された共産党の幹部を暗殺する場面から始まる訳で、暗殺者マーチェクは犯罪者でありテロリストなわけですから善玉の筈がありません。しかし、途中でこの青年は善玉に違いないと確信します。そして彼が死んだ後に、それを慰めるような詩が流れるのです。 このテロリストは善玉なのか悪玉なのか? これについて生前のワイダ監督はニヤリと笑ってポーランド人ならではの苦しい胸の内を明かします。

「共産党の検閲を通すには、共産党の幹部を殺すようなテロリストは、無残で惨めな死に方をする・・という表現で、共産党を支持・肯定する必要があった。しかし、自由主義の世界の人が見れば、反体制の暗殺者こそが、善玉だと分かるようにしている」

彼は、タマムシ色に解釈できるように工夫することで、東側世界での表現の自由を守ったのです。

・・・・・・

テロリストとは本質的にタマムシ色の存在です。法治国家では、いかなる場合も暴力的に生命を奪うことは犯罪なのですが、そこに政治的背景があれば、その行為を否定しない見方も可能です。

・・・・・・

一つの例を挙げれば、伊藤博文を暗殺したテロリスト安重根です。伊藤博文は朝鮮の併合に必ずしも賛成ではなかったし、併合後の朝鮮の統治にも心を砕いていた訳で、朝鮮の人々から恨まれるべき人物ではなかったのです。 しかし幼稚で過激な愛国主義(というより民族主義か)の安重根は彼を殺害した訳で、やはり非を唱えねばなりません。

・・・・・・

しかし、今の韓国で彼を英雄視する人が多いのは事実ですし、当時の日本人にも彼にシンパシーを感じる人はいたようです。

石川啄木は『ココアのひと匙』(啄木詩集)に、
「われは知る、テロリストの かなしき心を 言葉とおこなひとを分ちがたき ただひとつの心を・・」で始まる詩を載せ、安重根を悼んでいます。

・・・・・・

もう一人の有名な暗殺者というか刺客は、中国史に登場する荊軻です。義憤を感じた荊軻は易水で太子丹と別れ、始皇帝の暗殺に向かいますが、結局失敗します。そして中国国内での彼の評価は、時代と体制によって異なるようです。

中国建国間もない頃や文化大革命の頃は、命を賭して体制に反逆する英雄として讃えられました。 それが、共産党自体が権力となり政権が安定してくると、「暴力では何も変えられない。荊軻は無思慮で短絡的だ・・」と否定的な見方になります。

ある意味で当然です。今の時代に荊軻がいれば、まず共産党幹部を狙うでしょうから。

・・・・・・

ことほど左様に、テロリスト、暗殺者、刺客に対する評価は変化しますが、逆に反体制の人をどう扱うかで、その国・政権の姿勢が伺えると思います。

誰かの句に「面白うてやがて悲しきテロリスト」とあります。この句のモチーフには安重根も荊軻も含まれますが、何と言っても、この映画の主人公マーチェクの為の句のように感じられます。

・・・・・・

そしてこの映画で大事なのは、最後に登場する詩です。

詩の最後は

永遠の勝利の暁に、灰の底深く 燦然たるダイヤモンドの残らんことを」と結んでいます。

これが映画の題名ですが、全てが破壊しつくされ、全てを失った後でも絶望する必要はない。希望だけは残っている・・と主張する訳です。

・・・・・・

これは不幸にして、第二次大戦で戦場になり、両隣の大国にいいように蹂躙され、戦後も衛星国の扱いを受けて、主権と自由を奪われたポーランド人の為にあるような詩です。

・・・・・・

多分、彼らの本当の気持ちは日本人には分からないかも知れませんが、私は、最後に希望だけが残っているという表現を、「パンドラの箱的表現」と呼びます。パンドラが迂闊にも、災いを封じ込めていた箱を開いてしまい、災いが全世界に飛び散ってしまったことを人々は嘆くのですが、よく見ると、箱の底には、希望だけが残り、光っていた・・という寓話です。

・・・・・・

お説教めいた話ですが、我々は苦境にあっても希望を見失ってはいけないということでしょう。ポーランド人だけでなく、欧州の人だけでなく、日本に暮らす我々も、灰の中のダイヤモンドを探す努力を惜しんではいけないのだろうと思います。

 

もっとも、実際にはダイヤモンドも石炭と同じ炭素ですから、ある温度以上なら燃えてしまい灰の中には残らないのですが・・。


【 在陋巷酒家 下町の居酒屋にて 】 [中国]

【 在陋巷酒家 】

最近、お酒を飲むと、漢詩のまがい物を作りたくなります。以前は酔っぱらうと、無性に俳句を詠みたくなったのですが、少し趣味が変わりました。思いの丈を、17文字に濃縮する作業の煩わしさに、私の脳みそが堪えられなくなったのかも知れません。

しかし、俳句の場合、季語辞典がなくても、季語は普通に織り込めますが、漢詩の場合はそうはいきません。韻を踏むルールと平仄合わせには、必ず辞典が必要です。都内の古書店で求めたその平仄辞典を鹿島に置いてきた私は、漢詩のまがい物を作るしかありません。

・・・・・・

ところで、少し前の弊ブログ【 秋霖の瀬戸内海半日行 】

http://halibut.blog.so-net.ne.jp/で触れた、Fさんの海外赴任に合わせて、Sさん、Oさん、Tさんに集まってもらい、送別会を開こうと考えたのですが、どうも日程が合わないようです。 無論、責任は多忙な諸氏にある訳ではなく、月に一回しか上京しない私がネックになっている訳で、はなはだ責任を感じる次第です。こうなれば、Fさん抜きで、SさんTさんと、男たちだけで、酒盛りをするしかない・・と思います。

・・・・・・

そうなると、宴席の一興でFさんを送る漢詩を共同で作ることも難しいようです。

仕方ないので、再び酔った自分が挑戦します。あまり壮行の歌になっていませんが。

在陋巷酒家   下町の居酒屋にて

風渡天陋巷秋殺 風、天を渡りて、陋巷を秋殺す

酒家上銀漢無声 酒家の上、銀漢声無し

聞道君去玉山南 聞くならく、君去るや玉山の南

南溟始処北辰斜 南溟始まるところ、北辰斜めなるべし

明年重陽何処在 明年の重陽、いずこに在りや?

勧君登高楼望月 君に勧む、高楼に登りて月を望むことを

更努看寿老人星 更に努めて看るべしカノープスの星

在東都不能看此 東都にありては此れを見ること能わざればなり

くだらない自分の詩を解説するのも愚かですが、説明しないと意味不明な部分があるので以下に蛇足を記します。

・・・・・・

ご記憶の方もおられるかも知れませんが、以前の弊ブログ【布良(めら)星】

http://halibut.blog.so-net.ne.jp/2016-06-09-1

で南の星カノープスについて紹介いたしました。これは日本の本州では南の海岸で夏至の頃にかろうじて見える極度に明るい一等星です。

日本では、夏に水平線の高さにかろうじて見えるのだとしても、台湾の高雄では、もっと高い位置に見えます。ご承知の通り、北回帰線はちょうど台湾の中央付近を通過します。しかし、それは夏至の頃です。通年で見えるとは言え、夏以外は高雄でも低い高度を飛ぶことになります。下記のブログでは1月の高雄でもカノープスが見えたとのことです。 へえ、そうなのか・・。

http://www.nandra.jp/2010/01/post-0565.html

・・・・・・

そこで、台湾に行ったことのない私は、シンガポールのことを考えました。

日本で夏至の頃に水平線に見える星は、赤道直下のシンガポールでは、同じく夏至の頃に、日本の緯度の分の高度で見えるはずです。

私はその夏至の頃、数日間シンガポールに滞在したことがあるのですが、見た記憶がありません。昼間、仕事で忙しく、夜は報告書作成で夜空を見る余裕もなかったのです。

・・・・・・

赤道直下のシンガポールで、カノープスが一年中見えるのは当たり前ですが、北回帰線下の台湾でも1月に見えるのなら、日本でも夏至の頃だけ・・というのは少し腑に落ちません。真夏を外れても、見えておかしくはないのですが・・・、何時か確認したいと思います。 ここであまり不正確なことを書くと、地球物理を学び始めた次男に軽蔑されてしまいます。

・・・・・・

いずれにしても、重陽の節句の頃のカノープスの高度は低く、台湾でも高楼に上って見ることをお勧めすべきかも知れません。

そしてカノープスは中国では長寿の象徴で、おめでたい星です。一説には寿老人や福禄寿の象徴である星だとのこと。 しかし、それは大陸中国の感覚であり、台湾でどうかは分かりません。

・・・・・・

ああ、それにしても、比較するのも畏れ多いのですが、李白は酒に酔えば酔うほど、詩が心から湧き上がってきたとのことですが、私は酔ってもさっぱり詩作が進みません。妙な天体のことが気になったりします。

もっとも、李白だって水面に映る月を取ろうとして飛び込んで水死したとのことですから、彼も天体に興味を持っていたはずですが。


【 刀狩り 】 [政治]

【 刀狩り 】

 

シリアの内戦の報道をみていて理解できないことが幾つかあります。その一つは、誰が武器弾薬を提供しているのか?ということです。TV報道を見ると、人口よりも市中に出回っている銃の数の方が多いようにさえ見えます。

・・・・・・

ロシアなどが支援するアサド政権の政府軍、米国などが背後にある反政府軍の他に、ISなどのゲリラ勢力が加わり、三巴の状態にある中で、前の2者については、背後の国家が武器弾薬を提供しているものと考えますが、最後のゲリラ勢力に誰が武器弾薬を提供しているのでしょうか?

・・・・・・

ISは一時期、油田を抑え原油を販売していましたから、資金は潤沢なのかも知れません。 お金があるなら、そこに武器を売却する「死の商人」が存在する訳ですが、そこを把握して押さえなければ、泥沼の内戦は終わらないでしょう。

・・・・・・

シリアだけでなく、アフガニスタンやイラク北部といった混沌が支配する世界で、究極的な和平が簡単に成立するとは・・・思えません。正統なイスラム教徒(宗派は幾つかに分かれますが)、ひたすら凶暴なイスラム過激派、キリスト教徒勢力の各勢力が、根本から理解しあえる可能性は低いからです。

・・・・・・

20世紀の後半、インドシナ半島で続いていた戦争も、永久に続くかと思われましたが、

東西の冷戦が終了しイデオロギー対立が解消したとたん、すぐに終わりました。

複雑に思われたインドシナ半島の戦争は一皮剥けば、東西勢力の代理戦争に過ぎなかったのです。

・・・・・・

しかし中東は違います。米国とロシアの代理戦争の面もありますが・・・、それだけではありません。対立を完全に解消することはできません。それなら、平和な世界を確立する為に、好戦的な人々に武器弾薬がわたることを防ぐしかありません。

つまり現代の「刀狩り」です。軍事大国が背後にある、シリア政府軍と反政府軍で刀狩り(つまり武装解除)をすることは非現実的ですが、ISなどの過激派ゲリラに対しては有効です。

・・・・・・

もし三巴が解消して、2勢力だけの争いになれば、話は単純化し、和平の可能性も見えてきます。 もっともウクライナ/ロシアのクリミヤ半島のように、それでも解決できない場合もありますが・・。

・・・・・・

あまり語られないことですが、世界のどこかに巨大な武器弾薬のマーケットがあり、売り買いをしている人々がいるのでしょう。それをすべて把握することは難しいですが、砂漠に近い場所でそれらの輸送・運搬をしている現場を押さえることは可能です。既に米国の無人攻撃機は砂漠を進むコンボイと呼ばれる車列を攻撃していますが、あまり効果的ではないようです。しばしば誤爆があり、無辜の人々が犠牲になっています。

・・・・・・

それならば・・・、他にも方法があります。例えば、制圧した地域でゲリラから取り上げた武器の生産国を突き止め、上流から武器供給源を絶つという方法です。

一般論として、ゲリラが所有する武器・兵器は、旧東側のものが多いとされます。小銃ならカラシニコフ、ポータブルのミサイルとしてはRPG7などが該当します。

それらは旧ソ連で作られますし、そのコピーは中国でも製造されます。今なら、それ以外の国でも製造されているかも知れません。

・・・・・・

とにかく、世界中でテロリストや反社会的な集団が用いる武器の生産国を明らかにして、国連の安保理で、その生産国に圧力をかけるべきです。これには世界の紛争をかなり沈静化する効果があると思います。

・・・・・・

現実にそれができない理由も幾つかあります。

武器の製造や輸出で現実に儲けている国は、その対応を好ましく思わないでしょう。

「刀狩り」の決議案に対して反対する可能性があります。

また自分自身はテロ支援国家と認定されていなくても、テロ支援国家を支援している国はあります。それらの国は、表向きは反対しなくても、「刀狩り」をサボタージュするでしょう。

・・・・・・

そして最大の問題は、憲法(正確にはその修正条項)によって、銃を所持して自分を守る権利を保証している国です。米国が自国民には武器の所持・携帯を認め、外国の人の武器所有を認めない・・という訳にはいきません。

・・・・・・

そうなると、米ロ中の三カ国が、「刀狩り」に反対もしくは消極的になる可能性がでてきます。国連で何らかの決議や行動を期待するのは難しいかも知れません。

・・・・・・

そしてもっと難しいのは、管理されるべきは、小銃やミサイル、バズーカ砲ばかりではない・・ということです。 道路脇の地雷、および自爆テロの犯人(犠牲者とも言える)人が身体に装着する爆弾の管理はさらに難しいと言えます。

・・・・・・

日本でも一時期テロリストが、爆弾テロをした時期がありましたが、一般の人々が手製爆弾を作るのを防止することは、ほとんど不可能です。 それは、その原料が農業肥料や農薬等ありふれたもので、かつ人々の生活に必要なものなので、それらを禁止することは、現実的にできないからです。

・・・・・・

火薬として最も一般的なTNTやコンポジットC4を普通の市民が作ることは無理かも知れません。

でも取り扱いが容易で爆発力が大きいANFO爆薬は簡単です。硝酸アンモニウムに数%の有機物を混合するだけです。ただなかなか爆発しないので、起爆方法が難しいだけです。そして爆発力は弱いのですが、綿花薬または硝化綿と呼ばれる爆薬は、硝酸に漬けた綿を、水洗いして乾燥させただけです。

硝酸アンモニウムは、重要な窒素肥料であり、痩せたステップ気候の土地で農業生産を上げるために必要な存在です。つまりそれを禁止することはできません。

そして原始的で素朴な爆弾は農家の庭先でできるのです。

・・・・・・

実際に自爆テロに使われた爆弾が何なのか、或は道端で爆発して装甲車両を破壊した対戦車地雷みたいな爆弾が何なのかを私は把握していません。 自爆テロをする人は、胴体にダイナマイトを巻いているという説もありますが、詳しくは知りません。

・・・・・・

ではどうするか?

治安当局は、それらの爆発物の種類を特定し、中東地域で安易にそれを作らせないように、そして持ち込ませないようにするしかありません。 アメリカ軍などは、テロリストが使用する爆弾の種類を特定しているはずですが、その取締りを強化しているという報道を一向に聞きません。これは一体どういうことか? アメリカはどうあっても「刀狩」に反対なのか?ダイナマイトやTNT火薬だけでなく、ANFO爆薬や、黒色火薬、窒素肥料も含めて管理することが重要ですが、それがなされていません。

・・・・・・

そして更に難しいのは、「刀狩」の永続性です。

仮に、一旦和平が訪れ、中東地域が平穏になっても、米ロの大国や国連軍が撤退したら、再びテロリストや過激派は跳梁跋扈するでしょう。 その際、誰が硝酸アンモニウムや、ダイナマイトを管理するのか?

・・・・・・

多分、そこで登場するのは日本のPKFかも知れません。紛争地域以外で、紛争を防止・抑止する機能がPKFには求められます。現代の「刀狩」は、銃火器を市民が持たない日本の仕事になる可能性があります。 

・・・・・・

一方で日本のNGOによる農業協力は続く可能性があり、農薬や肥料の管理は、そちらで行うことが可能です。 すなわち、シリアやイラク、アフガニスタンに農協を設立し、農薬と肥料の管理を一元的に行えばいいのです。その管理で農薬がテロリストに流れて爆弾になることを防止できます。日本ではその役割を終えつつある農協が、中東地域で新たな役割を担う可能性があります。

・・・・・・

物騒な社会を平和で安全にするには、日本型システムが有効です。「刀狩」によって中東が平和になれば、欧州へなだれ込んでいる難民も抑制され、世界経済にもいい影響があります。

・・・・・・

400年以上前に「刀狩」を実行した、太閤秀吉の面目躍如です。


【 秋霖の瀬戸内海半日行 】 [広島]

【 秋霖の瀬戸内海半日行 】

東京からかつての勤務先の先輩であるSさんとそのお友達のTさんが、呉に来られました。目的は、一般公開される南極観測船しらせを見学することと、とびしま海道の下蒲刈島にある朝鮮通信使の資料館訪問です。

・・・・・・

ちょっと不安があります。SさんもTさんも東京外大の中国語科の卒業で、中国語はペラペラです。一方、私は中国語の正規の教育を受けたことはなく、酒席で拙い中国語を口にしては、あきれられたり、修正されたりしている有様です。今回も酔えば、へたくそな発音の中国語を口にして、両先輩に軽蔑されるのでは・・という思いがあります。

・・・・・・

交通機関の事情で、お二人が呉駅に着いたのは14:30と、既にお昼をかなり回っています。そこで、ホテルへのチェックインもせずに、そのまま、とびしま海道へつながる安芸灘大橋を渡り、我々は朝鮮通信使の資料館に到着しました。Tさんは既に福山の鞆の浦で同じような資料館をご覧になっており、内容は把握されています。注目されたのは、朝鮮通信使が残した漢詩で、幾つかの詩が、ところどころに碑文として刻まれています。 よく読むと、日本でふるまわれたお酒を蛮酒と紹介したりして、ちょっと日本に対して失礼ではないか?と思うところもありますが、日本の接待を褒めている詩文もあります。 特に日本の忍冬酒が気に入った・・という表記もあるのですが、その忍冬酒なる酒が何を意味するか分かりません。

・・・・・・

実は、Sさんは蒸留酒が好きで、Tさんは醸造酒(発酵酒)もOKということで、お酒の好みも微妙に違います。さて、忍冬酒とは蒸留酒だろうか?醸造酒だろうか?と酒好きの議論になったところで、私は別のことを考えます。

・・・・・・

今はハングル文字しか使わない韓国の人も昔は漢文を読み書きし、漢詩も作ったのだ・・と妙に感心します。多分、発音は日本の書き下し分とは全く違うのだろうな・・。

それなのに、朴正煕大統領の時代に、外国文字で自国の言葉を表記するのは、国辱だ・・ということで、外国語由来の文字を追放し、今はハングル文字ばかりになり、漢詩を詠む文化も廃れたようです。

・・・・・・

しかし、その娘の朴槿恵大統領は、若い頃中国に留学し、習近平国家主席との会談では、自ら中国語で話したとのこと。 事大主義の現れかも知れませんが、泉下の父親が聞いたらどう思うか・・。 それにしても外国語の文字で詩を作ることを、韓国のように恥と思うか、文化の奥行きと考えるかで、文化のありようは変わってきます。 日本では漢詩を作ることに抵抗はなく、漢学の素養は日本の教養人の根底にいまだに存在します。「まあ、そうは言っても、現代人で漢詩を詠む人はほとんどいないけれどね・・・」と思った時、「そんなことはないよ。現代人だって漢詩を作るさ」と言い出したのはSさんです。

・・・・・・

「僕が中国に出張した時、宴席で漢詩の作りっこをしたものさ。お酒を飲みながら、五言絶句を最初の一句から順番に作っていくゲームで、なかなか面白かった」とSさん。

「しかし、そんな知的なゲームを楽しめるのは、Sさんのように中国語と中国文化に造詣のある人だけでしょう?」と私。

Sさんは「いやS友金属のS社長(当時)なんかも漢詩づくりのゲームに参加しましたよ」

「そうですか。私の知る中国人は現代中国語と日本人が好む漢文は全く別物で、漢詩についての知識が無いのは仕方がない・・と言っていましたが」と私。

「そりゃ、その中国人は自分に教養が無いことを、現代中国語と漢文の違いのせいにして言い訳しているだけですよ」

・・・・・・

「なるほど、ところで李白は酒一斗詩百編とか言いましたね。今晩、お酒を飲みながら、詩でも作りましょうか?とても酒豪李白にはかないませんが」

「いや、李白の頃はアルコール度の低いどぶろく状のお酒で、一斗と言ったって大したことはなかったはずです」とTさん。

やっぱり、どうしてもお酒の話になってしまいます。

・・・・・・

呉市に戻る道の途中で、仁方という集落を通ります。「ここでは甘口の『雨後の月』と辛口の『宝剣』という2種類のお酒が有名で、日本酒党にはたまらないのですよ」と私。

しかし、日が暮れてから着いた呉のホテルでチェックインを済ませ、それから急いで出かけたお好み焼き屋は、満席で入れません。

・・・・・・

仕方なく、その隣の居酒屋で、お酒を飲むことになりました。

残念ながら「雨後の月」も「宝剣」もありません。 日本酒党は「亀齢」をぐびぐびと飲みます。

飲みながら、「はて?漢詩を作る話はどうなったかな?」と私はちょっと気になりました。

昔読んだ、「春夜桃花園に宴するの序」では最後の一句に「罰は金谷の酒数によらん」とありました。詩作に手こずれば、しこたま飲まされそうです。

・・・・・・

しかし、なぜか3人の会話に漢詩の話題は全く登場しません。 大学の後輩の美しい女性が今度海外駐在員になるので、ぜひその送別会をしたい・・とか、今は無くなった八重洲のてんぷら屋は良かったとか、そんな話ばかりです。

・・・・・・

罰ゲームはなかったものの、たいそう酔っ払った私は、帰りの運転代行の車の中で、

「そうだ、詩を作らなくては」と思いました。そこで、黒瀬川を渡り、私の自宅に着くまでの30分の間に、即興で一つ作りました。恥を忍んで披露します。

涼秋一日遊野呂山 涼秋の一日、野呂山に遊ぶ

有朋友自東都下  朋友ありて、東都より下り、

白秋一刻遊小島  白秋の一刻を小島に遊ぶ

登野呂山望海欲  野呂山に登りて、海を望まんと欲するも

秋色山頂在雲中  秋色の山頂 雲中にありて

残照一景不能得  残照の一景を得る能わず

問余何意去呉下  余に問う 何の意あってか呉の町を去る?

笑而不答思自明  笑って答えざれども、思いはおのずから明らかなり

誰知余将来霧中  誰か知る 余が将来の霧中なるを

七言律詩のつもりですが、車の中には平仄辞典がありません。あとで時間をかけて、内容を推敲したいと思います。

なぜ、私が呉の街を離れようと思ったかですか?

それについては、時期が来れば、またご報告いたします。

ちなみに、居酒屋の中では、もう一つ詩を作ろうと思っていました。

「在陋巷酒家」と題して、こちらはSさんとTさんにも参加して作ろうと思いましたが、まだ着手していません。 10月に機会があれば、東京で、可能なら近く海外駐在に旅立つFさんにも参加して貰いたいところです。


前の10件 | -
メッセージを送る