So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

【 貪吏を疾む(にくむ)也 その2 百年河清を待つ 】 [中国]

【 貪吏を疾む(にくむ)也 その2 百年河清を待つ 】

 

日本の場合、公務員に求められるのは公僕の精神つまり全体への奉仕者という姿勢です。そして民間企業のサラリーマンが利潤の追求を命題とするのに対して、公務員は全体の公平の実現を目指します。その理想のためなら、民間より少ない俸給でも頑張る・・・かどうかは分かりませんが、その志はOKです。

・・・・・・

一方、中国の公務員は全く違います。民主主義国家ではないこの国では、表向きはともかく、公務員は人民・庶民への奉仕者ではないのです。では何に忠誠を尽くすのか?それは共産党に対してです。4000年の昔、皇帝に対して忠誠を尽くした役人と何ら違いはありません。常に上の存在に気を遣い、礼を尽くして、敬えというのは儒教の思想です。儒教は、民主主義や法の下の平等や公平さとは無縁の思想です。階級と序列を明確にし、上に対してはへりくだり、下に対しては尊大にふるまってよいのです。

・・・・・・

そして中国の公務員は、自分と身内のために仕事をします。それが当然であり、何が悪いのか?となります。その昔、難しい科挙の試験に合格し、晴れて進士になった官僚は、立身出世、つまり今風に言えば自己実現を目指しました。その自己実現とは、より大きな権力を持ち、私腹を肥やし、自分の家族・親戚にも富と権力を与え、さらには自分を育ててくれた故郷の一族郎党にも物理的に恩返しすることです。

・・・・・・

日本では、身内の公務員試験に便宜を図った市長が逮捕されましたが、中国の人が聞いても理解できないでしょう。なぜなら中国ではそれが当たり前だからです。

・・・・・・

司馬遷の史記に項羽の言葉として「富貴にして故郷に帰らざるは、繍を衣て(着て)夜行くがごとし」が登場します。

有名な言葉でご存知の方も多いでしょうが、おおまかな意味を申せば、「せっかく出世したのなら、里帰りして故郷の皆に自慢しなければつまらない。せっかく(自慢できる)きれいな絹の服を着たのに、夜に出歩いたのでは誰も見てくれないのと同じでもったいない」

ということで「自慢できることがあるなら見せびらかして自慢しなきゃ」という発想です。

・・・・・・

中国の古典に登場する言葉の中で、最も下品で私の嫌いな言葉ですが、敢えて項羽にそう言わせたということは、司馬遷は項羽を相当軽蔑していたのだな・・と思わせます。

見せびらかして何が悪いとか、自慢しなきゃ詰まらないというのは、司馬遷の時代でも、尊敬される考え方ではなかったはずです。

・・・・・・

しかし、中国で出世した役人が故郷に帰るのには、自慢以外にも理由があります。地元への利益誘導は当然であると同時にエリート官僚の義務でもあったからです。

以前のブログでもご紹介しましたが、破天荒という言葉は、地元出身のエリートが故郷に恩恵をもたらすという意味です。

・・・・・・

昔の中国では郷党の期待を担った秀才が見事科挙に合格してエリート官僚になれば、地元に莫大な恩恵がもたらされます。逆に秀才が長く輩出しなければ、その地方はひどくさびれます。中国ではその状態を「天荒」と呼びました。だから久々に秀才が現れ、科挙に合格して進士になれば、地元は大喜びしたのです。そして莫大な恩恵がもたらされました。その有様を「破天荒」と呼んだのです。

・・・・・・

だから、単純に型破りなとか常識を超えた・・という意味で「破天荒」というのは違います。

・・・・・・

話は脱線しましたが、今の中国の政治家にも地方による閥があるようです。有名なところでは江沢民一派が率いる上海閥で国政にも大きな影響を及ぼしています。あれだけ大きな国だから地方閥があっても仕方ない・・とも思いますが、実際には中国よりはるかに小さな現代の韓国でも、地方による派閥があります。大統領を輩出した地方は恵まれ、大統領を出さない地方は冷遇されます。民主化以前は、地方間の争いで虐殺事件があったりしました。

・・・・・・

地方による派閥、地元への利益誘導、我田引水あるいは我田引鉄(鉄道誘致)も一種の腐敗であり、習近平としては排除したいに違いありません。しかし、彼がそれを言うと、「単に目の上のタンコブである上海閥と重慶閥を排除したいだけさ」と勘繰られるのがつらいところです。

・・・・・・

それにしても、中国4000年の歴史において、権力者の横暴と官吏の不正・腐敗は宿阿のごとき存在で、一度も正されたことがありません。まさに「百年河清を待つ」です。

そして、貪官汚吏を憎む漢詩は大昔からあります。有名なところでは白居易が書いた白氏文集にある詩です。「黒潭の龍」には、無責任な役人が龍を神様としてあがめることを庶民に強要する話が登場します。その結果、庶民は苦しめられ、お供え物になる豚はとんだ災難であり、お供え物をちょろまかすことができるキツネは、いい思いをする・・というもので、役人の勝手で無責任な命令が、多くの人を理不尽な目に合わせるという政治風刺です。無論、お供え物をちょろまかすキツネと役人はグルです。

http://home.att.ne.jp/wave/ayumi/etcetc/Et_hak02.htm

白氏文集には、政治批判や社会風刺の詩がこれ以外にもありますが、唐の時代でよかった。 今の中国は、子供が「くまのプーさん」の絵本を持っていただけで、牢屋に入れられる言論弾圧国家ですから、白居易などたちまち逮捕されたに違いありません。

・・・・・・

習近平が本当に腐敗を撲滅したいと考えているかどうかは不明ですが、今の中国で公務員の腐敗をなくすことは重要です。今後も経済発展を続け、信用される国家にするためには不可欠です。

・・・・・・

これも、昔のブログに書いたことですが、メキシコの例が参考になります。

かつてメキシコはその経済規模(当時は国民総生産つまりGNPと言いました)が日本に近い存在でした。1964年の東京オリンピックの後は、1968年のメキシコオリンピックでしたが、その頃は肩を並べていました。しかし、日本はその後も高度成長がしばらく続き、経済大国に発展しましたがメキシコはそうではありませんでした。産油国として地下資源に恵まれたにも関わらず・・です。どうしてそうなったか?その違いの理由は何か?

・・・・・・

M井物産のSさんは、少し考えて、「それは汚職の少ない国と汚職の多い国の違いでしょう。諸悪の根源はあれですよ」と遠くに見えるPEMEX本社の巨大なビルを指差しました。 当時(たぶん今も)メキシコは腐敗の国であり、それが経済成長にもブレーキをかけているのです。腐敗した国は中進国(または先進国の手前)までは行けても、先進国にはなれません。

・・・・・・

もし、習近平が、経済成長が鈍化しつつある中国で、さらに成長を続けて先進国になるためには、腐敗の撲滅が必要と考えているなら、それは慧眼と言うべきでしょう。

しかし、現実にはそれは難しい。

 

ではどうすべきか? それについては次号で私の提案を申し上げます。


nice!(1)  コメント(0) 

【 貪吏を疾む(にくむ)也 その1 】 [中国]

【 貪吏を疾む(にくむ)也 その1 】

 

「中国共産党の核心」いう名前の皇帝に就いた習近平国家主席をTVで見ていて思います。彼は自分を毛沢東と同格のカリスマにしたいようですが、これまでの彼の実績とは何か?あるいは、彼は何をしたがっているのか? 今回はそこを考えてみます。

・・・・・・

マスコミ報道によれば、彼が特に拘っているのは、人民解放軍の近代化と強化、そして官僚の腐敗の撲滅つまり綱紀粛正です。今回はその内の後者について考えます。

彼の「官僚の腐敗を撲滅する」というキャンペーンに反対する人はいません。反対の余地が無い正論です。しかし、その実現を危ぶむ人と、習近平のキャンペーンは単に政敵を潰すための口実に過ぎない・・と考える人は沢山います。

・・・・・・

なぜなら、中国の高級官僚で腐敗していない人はいないと思われるからです。前の首相だった温家宝は一家で8,000億円もの蓄財をして、それを海外に置いています。それは米国のマスコミによって暴露されましたが、もちろん中国では報道されません。あのパナマ文書で明らかになったタックスヘイブンに財産を置いている資産家の中には習近平その人もいます。

・・・・・・

どうでもいいけれど、このスキャンダルが中国で報道されないのは仕方ないとして、日本でもほとんど報道されませんね。

重慶市のトップだった薄熙来も、腐敗が理由で失脚しましたが、重慶市の共産党の書記だった頃は、黒社会のヤクザと戦い彼らを懲らしめた英雄だったそうです。ちょうど遠山の金さんか、鬼平犯科帳の長谷川平蔵のような正義の味方だったのに、叩けば埃がでました。彼を失脚させた方も腐敗しているのは同じですが、権力闘争となれば、相手の腐敗だけをヤリ玉に上げます。それはともかく彼の逮捕でがっかりした重慶市民がたくさんいることを私は知っています。

・・・・・・

そして高級官僚だけではありません。下位の公務員も立派に腐敗しています。

私が昆山で暮らしていた頃、外国人が住めるマンションは、1,2軒しかありませんでした。市の公安当局によって、日本人が居住していいマンションが指定されていたのです。それほど高級という訳ではありませんが、洋式のトイレ、エレベーター、インターネット、完全冷暖房で、衛星放送で海外のTVが見られる高層マンションは限られていたのも事実です。そのマンションで暮らしたのですが、私の部屋の家主は、一介の巡査でした。彼は私の部屋以外にも複数の部屋を持っていて外国人に貸していました。その家賃収入は警察官の俸給をはるかに上回っていたはずです。

・・・・・・

どうして彼がそんな不動産を所有できたか? それは警察官の役得があったからです。

露天商などの営業許可の発行、交通違反のもみ消し、黒社会への情報提供等、賄賂の材料はどこにでもあります。ひどい話ですが飲酒運転で死亡事故を起こしても、賄賂を警察に納めれば、翌日からまた車を運転できる社会です。

・・・・・・

話は脱線しますが、警官が腐敗しているのは中国だけではありません。米国ではパトロール中の警官がレストランで飲食してもお金を払わないことも多いのです。メキシコでは警官だけには道を訊いてはいけない・・と言われました。ベトナムの警官も賄賂を貰います。

英国の警官は潔癖で有名なので、ロンドンにいた頃、秘書嬢にそれを言うと、顔をしかめて、「ロンドンの警察が潔癖ですって? とんでもない!」と否定されました。

・・・・・・

警察が本当に信用できるのは、日本とシンガポールぐらいかな? いや日本も微妙だ。

・・・・・・

警察官だけではありません。電力会社の人も同じでした。今はかなり改善されましたが、華中地域で電力不足が深刻だったころ、供電局の配電係の人は接待漬けになっていました。電力不足のために突然停電になったりすると工場が止まってしまいます。なんとか我が社の工場だけは、停電対象から外してください・・・と接待と賄賂攻勢です。ロレックスを腕にはめた供電局の担当者は昆山の高級レストラン全てで接待を受け、ある高級店に案内すると、「ああ、またここですか」と言い、高級ワインを飲んでは、「やはり国産よりもフランス製ですね」とつぶやきました。

電力不足の夏が終わり、少し涼しくなると、今度は月餅を配ります。もちろん、月餅の菓子折りの下には別のものが入っていて、「来年の夏もよろしく」となります。

・・・・・・

一つ間違うと、贈賄で捕まるかも知れない、この仕事は中国人幹部に任されていました。もし問題が露見しても日本人に罪が及ばないようにということと、機微にふれるデリケートなやり取りは日本人には無理だったからです。

・・・・・・

これらが悪いことであるのは論を待ちません。しかし、ある種の汚職や賄賂で社会が円滑に回っていたのも事実です。今、綱紀粛正を求める中国社会では贈答用の高級品が全く売れなくなり、景気は悪化し、官僚は李下に冠を正すまいと何も決定しなくなったために、公共事業の停滞が問題化しているそうです。

・・・・・・

話をもとに戻します。中国では、腐敗した役人を貪吏と言いますが、詳しく言えば「貪官汚吏」です。貪官は、強欲でさもしい高級官僚、汚吏は腐敗し賄賂を受け取る小役人です。マンション経営に余念のない巡査などは後者かも知れません。

この上から下までの腐敗の原因は何なのか?

・・・・・・

直接の理由は官僚の志の低さですが、その根底には儒教文化があるのではないか?と私は考えます。 それについては次号で申し上げます。


nice!(2)  コメント(0) 

【 ああ前方後円墳 その2 】 [雑学]

【 ああ前方後円墳 その2 】

 

日本が巨大な前方後円墳群を世界遺産に登録しようとすれば、韓国は前方後円墳韓国起源説を唱えて、反対・妨害を始めるでしょう。現時点で彼らの唯一の論拠は、朝鮮半島にも前方後円墳に類似した墳墓があるという事実です。

・・・・・・

韓国でもまだ文字が登場する前の古墳時代の遺跡ですから、現時点で情報は少ないのですが、前方後円墳の韓国起源説を裏付ける資料が、今後たくさん発見されるでしょう。その中には、古墳時代の資料として、西洋紙にボールペンでハングル文字を書いたものもあるかも知れません。

・・・・・・

韓国の人達は全ての文化、全ての文明が朝鮮半島発祥だと主張します。私は、それはパロディだと思っていました。なにせ孔子やキリストが韓国出身で、日本の剣道、日本刀、お寿司の海苔巻き、桜のソメイヨシノ、果てはスタジオジブリの「となりのトトロ」まで韓国起源だと主張するのですから。しかしそれらは冗談やパロディではなく、その荒唐無稽な主張は大学教授レベルの真面目な人が唱えているのです。そしてこじつけとしか思えない無茶苦茶な証拠を根拠にしています。

・・・・・・

韓国の捏造の典型が今韓国で上映されている「軍艦島」という映画です。日本の軍艦島が世界遺産に指定されたことに刺激されて製作されたものですが、その中身は荒唐無稽です。朝鮮半島からの徴用工が奴隷のように働かされていた端島の海底炭鉱で、敗戦濃厚な日本が非人道的な扱いが米国にばれるのを恐れて、徴用工を爆殺しようと計画します。それをいち早く察知して、徴用工たちが爆破を逃れて辛くも脱出するというバカげた話です。

・・・・・・

少しでも炭鉱の事を知っている人なら、例え内部の人を抹殺しようと考えても、爆破することはありえません。恐ろしいことですが、水封つまり坑道を水没させるのが一般的です。炭鉱そのものを破壊する愚挙は考えられませんし、爆破すれば地上にも被害が及びます。そして勿論、端島(軍艦島)の炭鉱で爆発は起きていません。

・・・・・・

この映画を観た人の中にはそれがフィクションだと認識する人もいるでしょうが、歴史的事実だと錯覚する人もいるでしょう。そして後世、この映画の内容が真実になって独り歩きするのです。映画の制作者は明らかにそれを期待し狙っています。

・・・・・・

さらにひどいのは、韓国の歴史教科書です。それには太平洋戦争中、朝鮮半島や済州島で奴隷狩りのようにして集めた従軍慰安婦数十万人(20万人)を南方の前線に送って性奴隷としたあと、戦況が不利になるとアメリカに慰安婦の事実が露見しないように彼女たちを殺害したと書かれています。(だから生き残っている証人が少ないというのですが)。

・・・・・・

20万人といえば、20個師団に相当します(例えが古いですね)。戦争中、兵站が絶たれ、食糧も弾薬も医薬品も兵隊も絶対的に不足し、ついには戦病死や餓死者が続出した日本の南方戦線に物資や兵員ではなく、慰安婦を送ったというのですか? 20個師団分も? 輸送手段は輸送船だったのか潜水艦だったのか?でたらめにも程があります。

・・・・・・

被害者は最終的に殺されてしまったため、今は証人が少なく証拠も無いというのは韓国のトンデモ学説の常とう手段のようです。問題はこんなデタラメを教科書に載せて教育している韓国政府にどうして日本政府は抗議しないのか?ということです。日本の教科書には最大限干渉して、難癖をつけるくせに、韓国政府の悪意を持った捏造教科書に抗議することは許されないのか?

・・・・・・

トンデモ学説を放置し甘やかしていると捏造はどんどん進みます。将来、前方後円墳の起源が議論される事態になったら、正々堂々と相手の仮説を否定・論破する必要があります。 だからそのために、前方後円墳については研究を深め、理論武装する必要があるのです。

・・・・・・

でも、前方後円墳韓国起源説が否定されたら韓国の人達はどうするでしょうかね?多分、仁徳天皇陵は朝鮮半島からの徴用工を酷使して作ったものだと主張するでしょう。そしてソウルの日本大使館の前に、もっこを担いだ古墳時代の労働者のブロンズ像を立てるでしょう。こちらは放置するしかないでしょうね。例えウィーン条約違反だとしても。その像によって、名誉が傷つくのは実は日本ではなく韓国であることに彼の地の人々は気づきません。

・・・・・・

ベトナムの人が主張するように、被害者であることを声高に叫ぶことは決して名誉なことではないのですが、それに韓国の人は気付きません。

でも、悪い事ばかりではありません。南北朝鮮の両方とも、銅像造りが得意であることは、世界中が認めることでしょう。


nice!(2)  コメント(0) 

【 ああ前方後円墳 その1 】 [雑学]

【 ああ前方後円墳 その1 】

 

堺市の百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録される可能性がでてきました。

http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/sei/index.html

個人的には大賛成ですが、少しひっかかることと、不安なことがあります。

・・・・・・

最近、私が子供の頃に教わった日本史の常識が次々と覆されています。

例えば有名な源頼朝公の肖像画が別人のそれであったり、鎌倉幕府開闢の年が違ったり、

仁徳天皇陵とされた古墳が実は仁徳天皇の墓ではなかったり・と言う具合です。

果ては歴代の天皇の中でかなり有名な存在である仁徳天皇が実在しなかったという説まであります。古事記と日本書紀の記述に矛盾があることから、一人の天皇を二人に分けたのではないか?という説です。

・・・・・・

歴史は後世の権力者が自分に都合よく書き換えることがあります。だから真実を追究した結果、それまでの常識がひっくり返ることは、しばしばあって当然です。

でも、なんだかしたり顔で、皆が信じていた常識を否定して得意になっている人をみると、それもなんだかなぁ・・という気持ちになります。

世界最大の墳墓とされる古墳が仁徳天皇陵ではなかったとして、では誰のものなのか?

文字の記録が無いために知られていない無名の豪族のものだったのか?その辺りを早く研究して結論をだすべきではないか?と思います。

・・・・・・

なぜなら、百舌鳥の仁徳天皇陵と比較される巨大墳墓であるエジプトのクフ王ピラミッドや、中国の始皇帝の陵は、ちゃんと被葬者が確定しています。エジプトの場合、世界中の考古学者が研究して多くの事実を解明しています。それに対して、日本の古墳は被葬者も判らない・・では世界遺産として、ちと情けない話です。

・・・・・・

墳墓ができた時点で、その地に文字があり、正確な記録が残せたエジプトや中国と比較して、日本の古墳時代には文字が無くハンディキャップとなるのは仕方ないことですが、ただ「大きいから」とか、ただ「古いから」というだけでは世界資産として不適切です。

・・・・・・

もう一つの懸念は朝鮮半島の存在です。

以前、川崎のご隠居と山口県柳井市の茶臼山古墳を訪れた時に議論したのです。

茶臼山古墳1.png    茶臼山古墳2.png

私が学校で教えてもらったところでは、前方後円墳は日本独自の様式で我が国固有の文化を示すものだという解釈でした。しかし、その後朝鮮半島にも類似した墳墓が確認され、我が国固有・・ではなくなったのですが、一般的には前方後円墳は日本で確立した古墳の様式とされています。朝鮮半島に存在するのは、日本の影響を強く受けていた地域で日本の様式を取り入れたものだ・・という説が主流のようです。

・・・・・・

しかし、朝鮮半島で前方後円墳に類似した土塁が見つかるのは、全羅南道と全羅北道、つまり朝鮮半島の南西端です。必ずしも日本の勢力が及んだり日本人が居留したりした場所ではないようです。日本で確立した様式が韓国に及んだという説の根拠がどの程度あるのか微妙です。韓国側にはそれらの墳墓に関する記録や資料がほとんど無いようで、どの仮説についても根拠が薄弱にならざるをえないようです。

川崎のご隠居との話でも結論はでませんでした。

・・・・・・

しかし、日本が前方後円墳の典型である百舌鳥・古市古墳群を世界遺産に申請すれば、朝鮮半島の人達が黙っているはずはありません。誇り高い彼の地の人々には、日本の文化を受け入れた遺跡が朝鮮半島にあることには堪えられないはずです。必ず、前方後円墳は韓国発祥であり、日本のそれは、韓国の文化を模倣しただけで、世界遺産の価値は無いと主張するでしょう。

 

それについては次号で考えたいと思います。


nice!(0)  コメント(0) 

【 フリーゲージトレインの挫折 その2 】 [鉄道]

【 フリーゲージトレインの挫折 その2 】

 

フリーゲージトレイン(FGT)の問題には、今の日本の鉄道行政全体の問題が凝縮されています。

1. ひとつは、永久に統一されない、日本のゲージ(線路幅)の問題です。

誰が考えても、日本の鉄道は最初から標準軌で統一されるべきだったのです。

しかし、150年前、英国から鉄道システムを購入しようとした時、英国ではインドから受注していた狭軌の鉄道一式がキャンセルされ、余っていました。そこで狭軌なら格安の価格で、短納期で納入できる・・・・とそそのかされ、大隈重信と井上勝はそれにのってしまいました。

1067mm幅の狭軌は、もともと、植民地用のゲージだったと言われますが、全ての植民地がそうだった訳ではありません。インドには複数のゲージがあり、たしか世界最大のゲージの鉄道もインドにあります。ゲージが統一されず、バラバラだったのはオーストラリアもそうです。以前は、海岸の各港から内陸に向かってテンデンバラバラのゲージの鉄道が敷かれていました。

狭軌で統一されていたのはアジアの植民地に宗主国がイニシアチブを取って敷設した鉄道だけです。

・・・・・・

日本の場合、鉄道省から国鉄、JRの時代まで広軌(標準軌)派と狭軌派の対立としこりを生む原因になりました。

いずれ、日本の幹線鉄道が標準機に改軌されていくにしても時間がかかります。ミニ新幹線方式を採用するとしても、段階的に進める必要があり、その間、長距離列車は変則的なリレー方式を強いられます。リレー方式は全通する前の九州新幹線で採用されましたが、乗客には不便この上なく、なるべく避けたいところです。

・・・・・・

FGTの開発はその問題を克服し、改軌プロジェクトを円滑に進めるための有力な技術だったのに・・・挫折してしまいました。

 

2. 分割民営化の是非の問題。

歴史的にみると、巨大になり過ぎたものを分割して制御しやすくすることはままあります。古くは、東西ローマ帝国、日本では東西の本願寺、そして国鉄や電電公社の分割です。しかし、民営化はともかく分割の是非については、さまざまな検証が必要です。

特に新幹線行政についてはです。FGTの開発にあたって熱心だったのはJR九州です。それに対し冷淡だったのはJR西日本で、むしろ足を引っ張ったとも言えます。そして、鉄道技術の開発にあたって重要な役割を果たしていた鉄道総研がFGTの技術開発にはほとんど関与していません。

http://www.rtri.or.jp/rd/

もう一方の旗振り役である国土交通省は、軌間可変技術評価委員会なるものを作って関与していますが、このメンバーは学者であり、言葉は悪いですが評論家としてしか機能しません。

http://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_fr1_000015.html

これでは本来開発可能なFGTもものになりません。

JR九州は、九州新幹線の車両を独自に作りましたが、本来事業規模が小さく、FGTのようなプロジェクトを単独で行うには適しません。一部のお金持ちを相手にした超豪華観光列車を作るぐらいしかできないのです。JR九州以外は最初から乗り気ではないのに、むりやりやろうとしたから失敗したとも言えますが、旧国鉄のように一体の組織だったらFGTもものになったのに・・と思います。

3. 地域エゴと道州制の問題
今回、なぜリレー方式だのFGTだのという話になったかと言えば、佐賀県がフル規格の新幹線の建設費の負担を渋るからです。長崎ルートの新幹線は、長崎県にはメリットがありますが、佐賀県にはメリットがほとんどありません。それなのに建設費を負担させられるのはかなわないとばかり、難色を示したので、FGTが検討されました。
・・・・・・
長崎県内は既にフル規格の線路の建設が始まっており、中間の佐賀県だけ狭軌という訳にはいかないのです。
・・・・・・
いわゆる、整備新幹線では、その路線が通過する自治体が、建設費の一定比率を負担する仕組みであり、それが物議をかもします。話が飛躍しますが、茨城県は新幹線が通過する県で唯一駅がありません。つまり、新幹線のメリットを全く受けません。
しかし、東北新幹線は国が全額を負担するプロジェクトだったからそれでも良かったのです。これからはそうはいきません。
・・・・・・
北陸新幹線の工事では新潟県が費用負担を拒否し、工事が遅れました、挙句に新潟県内の上越の駅に全列車を停車させろとか、言いたい放題のわがままを言いました。自分の県の負担を軽くするためなら、富山県や石川県の迷惑や損害などお構いなしということです。
・・・・・・
これからも同じ事態は続くでしょう。それらの問題を防ぐ一手段がFGTだったのですが、がっかりです。県単位の地域エゴがまかり通るなら、道州制への移行も現実味を帯びてきます。今回、明治維新の時の雄藩だった佐賀県がとった見苦しい対応について、佐賀県出身の大隈重信がどう思うか聞きたいものです。
おっと、いけない。 大隈重信は日本に狭軌の鉄道を導入した張本人の一人であり、禍根を残したその人なのですからコメントはできないでしょうね。
・・・・・・
しかし、FGTの問題は、九州新幹線長崎ルートの問題だけにとどまりません。
それについては次号で申し上げます。

【 フリーゲージトレインの挫折 その1 】 [鉄道]

【 フリーゲージトレインの挫折 その1 】

 

九州新幹線長崎ルートに採用を予定していたフリーゲージトレイン(以下FGT)が、開業に間に合わず不採用になる模様です。多くのマスコミが報道していますが、何が問題なのかはっきりせず、今一つ要領を得ません。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170728-00010004-nagasaki-l42

FGTが失敗したとして、それには3種類の形があります。

  1. 技術的に難しく開発に失敗した。

  2. 技術的に開発するめどは立ったが、新幹線開業には間に合わない。

  3. 技術的には開発に成功したが、運営費が高く、採算が合わず断念した。

・・・・・・

また、誰が失敗と判断したかも重要です。報道では

  1. JR九州は匙を投げた。

  2. 長崎県は、FGTがダメなら、全線フル規格を・・と主張しだした。

  3. 国土交通省はまだFGTに未練がある模様。

という感じです。

・・・・・・

いずれ鉄道ジャーナルなどの雑誌がこの問題を総括するでしょうが、この問題は単に長崎県や佐賀県だけの問題ではありません。いろいろな意味で日本にとって重要な問題です。

以下にその点について述べたいと思います。

・・・・・・

FGTは単に鉄道だけの問題ではありません。機械要素技術の根本に関わる技術課題です。

新幹線区間では時速270Km、在来線区間では時速130kmで走行し、60kmを走行して、無傷で故障や不具合が無いこと・・という目標で開発が始まりましたが、これは機械工学的に非常にハードルが高いものです。実際、小倉工場で製造された試験列車は60kmどころか、3km試験走行した時点で金属疲労による細かい疵や車軸とすべり軸受けの損耗が確認されています。もっとも、車軸の異常損耗といっても直径が0.3mm減ったというものですが、許容できるものではありません。

http://newswitch.jp/p/9777

・・・・・・

しかし高いハードルといっても、この機械要素技術の課題は解決可能なものです。よる高強度で高硬度の材料を用い、高周波焼き入れ等の表面処理を適切に行い、表面粗さを適切に管理し、表面の潤滑を適切に行えば克服可能です。航空機用のガスタービンエンジンの要素技術より易しいもので、金属材料と、表面処理、機械加工と潤滑の分野の専門家が集まれば、日本でなら解決可能です。事実、直近では、この課題は解決したと聞いています。

・・・・・・

しかし、本質的な問題は残ります。

ひとつは重たい・・という事情です。FGTはその複雑な構造で台車が重くなります。

電車も自動車と同様、バネ下荷重は小さい方がよいのですが、ただでさえ重い新幹線の台車がFGT化でさらに重くなります。

さらに、問題があります。もはや山陽新幹線では時速300kmが標準であり、それより遅い時速270kmの新幹線が入ることはダイヤを混乱させ、全体の輸送能力を損なうことになるので嫌います。在来線の時速130kmも今となっては遅いのです。

車両価格もメンテナンスコストも非常に割高になります。コストは当初の3.1倍から1.9倍程度に下がったとされますが、もともと採算の厳しい盲腸新幹線(失礼!)の長崎ルートには大きな問題です。

・・・・・・

それらの理由で、運行者側のJRや自治体がNOを突きつければ、たとえ技術的には課題をクリアーしても、やはり開発に失敗したと言わざるを得ません。そしてこれは大げさでなく、日本の機械工学全体の敗北なのです。

・・・・・・

これについてスペインのタルゴ社では、半世紀も前にFGTの実用化に成功しており、スペイン版の新幹線がFGTなのに、日本がその実用化に苦しむのは可笑しいではないか?という意見がありますが、両者は全く違う技術です。その違いについて総合的に解説した資料は少ないのですが、杉山淳一氏の記事が比較的にまとまっています。

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1707/28/news025.html

スペインの場合は、機関車+客車(不随車)の動力集中方式であり、問題は動力伝達を行う機関車の台車に限られます。そしてタルゴの場合、車軸は左右連結していません。そして、スペインとフランスのゲージの差はわずかで、標準軌に近い範囲でのFGTなのです。圧倒的に日本の新幹線より有利です。

・・・・・・

そういえば、二十年も前に、今はN新製鋼の社長を務めるYさんと欧州を旅行した際、タルゴ式鉄道について誤った説明をして、やんわりとYさんに修正されたことがあります。私に恥じをかかせず、しかし正しい内容を確認する話し方に感心したと同時に、薄板とステンレスが専門だったYさんが鉄道について深い知識を持っているのに驚きました。

・・・・・・

その後20年近く経過し、私はある電炉メーカーに勤務し、スペインの車両メーカーへの車輪素材の売り込みを検討したことがあります。しかし、鉄道の重要保安部品に鋼材が採用されることを過度に危惧する経営者の判断でそのビジネスはうまくいきませんでした。

N新製鋼のY社長と比べたら、あの経営者はスペインの鉄道について何も知らない人だったなぁ・・と思い出します。

・・・・・・

話が脱線しましたが、高速電気鉄道には幾つかの対立する設計方針があります。

ひとつは、電動車を並べて走る動力分散方式と、前後(または前だけ)に機関車を置いて客車(不随車)を牽引する動力集中方式の違いです。両者には多くの派生型があり、分類は難しいのですが、

日本の新幹線や中国の和諧号の一部、台湾の新幹線は、動力分散方式、

フランスのTGVやドイツのICE,韓国のKTX、スペインのタルゴなどは、後者の動力集中方式です。

もっとも、台湾の新幹線は日本の技術の導入、中国のそれは日本のパクリ(中国は独自開発と主張)ですし、韓国のKTXはフランスのTGVまんまですから、世界の高速鉄道は日本の新幹線、フランスのTGV、ドイツのICE3系統になります。

その中で動力分散方式がよいのか、動力集中方式がよいのかで、喧々諤々の議論が続いた訳ですが。そしてFGTについては、分散方式(特にプッシュプル方式)が、優るという結論が出た訳で、日本の鉄道技術者たちにとっては、実に悔しい話です。

・・・・・・

だからスペインのタルゴで実現したFGTが日本でものにならなかったと言われるのは特につらいのです。

いや、鉄道技師のメンツなどどうでもいいのです。この技術開発の挫折はもっと根本的な問題を含んでいます。それについては次号で


【 図式百番 】 [雑学]

【 図式百番 】

 

以前、プロ棋士の誰かが言った言葉ですが、奨励会3段リーグを突破してプロ棋士になった少年を見て、先輩のプロが「この子は将来名人になる」と思った子は、必ず名人になるのだそうです。「この子」あるいは「少年」と表現しましたが、実際のところ将来名人になる天才は、ほとんど10代、それも中学生でプロになっています。まさに「栴檀は双葉より芳し」ですが、そうなると逆のことも考えます。20代になって奨励会の3段リーグを突破してプロになった人は、所詮名人にはなれないのか・・・ということになります。

・・・・・・

それはともかく、彗星のように現れた天才少年藤井聡太四段は、普通に考えて将来の名人・竜王の最有力候補なのに、誰もそれを口にしません。変なプレッシャーになってもいけませんし、彼以外の若手棋士にとっても愉快なことではありませんから、誰もその予想を口にしないのがマナーなのでしょう。 竜王はともかく、名人に挑戦するには、まだ数年はかかるので、今から名人候補とはやし立てるのも無粋です。

・・・・・・

しかし、私オヒョウは敢えて言います。藤井聡太四段はいずれ名人になるであろうし、それに備えて、一つの準備をして欲しい・・と。その準備とは図式百番の復活です。

・・・・・・

図式百番については、内藤国雄九段の解説書などもあるので、詳しくは触れませんが、将棋が家元制で江戸城のお城将棋があったころに、名人の称号を持つ家元が、畢生の作品として完成させ将軍に献上した長手順の詰将棋100問のことです。単に長手順作品というだけでなく、芸術品ともいうべき高度で難解なパズルになっている必要があります。誰でも作れるというものではありません。それを一生かけて100問作成し、自分の詰め将棋研究の集大成にしたわけですが、歴代の名人全員がそれを完成できた訳ではありません。100番揃う前にこの世を去った名人もいます。

・・・・・・

近世の実力名人制になってからは、図式百番に取り組む名人はいません。長くても10数年で世代交代して名人から陥落する現代の仕組みであれば、名人在位中に図式100番を作ることは不可能です。それに実際、大山名人以降、名人は恐ろしく忙しいらしいのです。現役の名人を下りた後の時間を考えても難しそうです。現在、永世名人の資格を持つ人は数人いますが、彼らが図式百番に挑戦しているという話は聞きません。

・・・・・・

将棋と詰将棋では、微妙に求められるセンスが違うようです。詰将棋の造詣が深く、第一人者とされるのは内藤国雄九段ですが、彼はそもそも将棋名人にはなっていませんから、図式百番を編む資格がありません。

・・・・・・

そうなると図式百番を復活できるのは、将来名人になることが確実視される若い人材で、かつ詰将棋が抜群に強い棋士・・・ですから、藤井聡太四段ということになります。

彼が四段デビューした時に、「彼は将来名人になる!」というだけでなく、「彼は名人になって図式百番を復活させる!」と予言できたら素晴らしかったのですが。

・・・・・・

では、なぜ、図式百番の復活を、私は今主張するのか? それは将棋の芸術性をあきらかにするためです。

天才 羽生3冠も、ヒフミンこと加藤1239段も、「プロの棋士が作る棋譜は一種の芸術作品である」と言っています。(アマチュアの棋譜は芸術作品ではないみたいです)。羽生3冠に至っては、世界的なチェスプレーヤーをモーツァルトに例えています。

そこにプロ棋士の矜持というかプライドを感じますが、素人には棋譜の価値はよくわかりません。むしろ詰将棋の方が「作品」としてその価値が分かりやすいのです。

・・・・・・

A級のプロ棋士が激闘するA級順位戦の棋譜よりも、「煙」のように盤面から駒が姿を消していって、最後に詰みあがる詰将棋の方が、その芸術性を理解しやすいのです。まさにアートです。(といってもオヒョウには図式百番は解けませんし、その芸術的価値は分かりませんが・・・)。

・・・・・・

だから、棋譜を芸術作品というのなら、難解な詰将棋作品で、芸術を作成してくださいと、天才棋士集団に申し上げたい。

・・・・・・

でもね、藤井少年が一生をかけて、図式百番をこしらえても、コンピューターのポナンザは一瞬で解いてしまうのでしょうね。 詰将棋のプログラムのアルゴリズムは、通常の将棋ソフトとは違います。すべての手順をシラミツブシで追いかけることが可能なので、人よりはるかに高速で正解にたどり着いてしまうのです。それどころか、瞬きする間に、「図式千番」を作り上げてしまうかも知れません。

・・・・・・

コンピューターの世界には似たエピソードがあります。かつて数学者ルドルフなどが一生をかけて計算した円周率の桁数を、コンピューターは一瞬で計算してしまいました。円周率を手計算で追究していた研究者の努力は全く無になってしまいました。

・・・・・・

せっかく人間が詰将棋を研究して製作しても、その努力はコンピューターによって無になってしまいます。だから、コンピューターがでしゃばる前に、人間によって数学的芸術である図式百番を完成させて欲しい・・と私は思います。

・・・・・・

人間の棋士が天才的能力を発揮できる期間は限られています。しかし、棋譜や詰将棋は長期間残ります。 図式百番は歴史に残ります。

まさに “Art is long, Life is short.”です。

・・・・・・

もっとも、この諺の解釈には複数あります。 

奥深い芸術を極めるには人生はあまりに短いという解釈もあります。

「将棋の神様、囲碁の神様の足元にも、我々は及ばない・・」と藤沢秀行は語っています。天才棋士が頑張っても、一生の期間ではその研究は完了しないのです。しかし高性能なコンピューターを使えば、将棋の神様に近づけます。遠い将来、将棋が先手必勝のゲームでその必勝手順が判明するかも知れません。その時は新しい諺の誕生です。

“Art is long for human life, but it is not so long for Artificial Intelligence.”

その前に、藤井少年、どうか頑張ってください。

 

そして、もうひとつ、藤井システムの創始者である藤井猛九段のこともたまには思い出してあげてください。


【 めしいの国 】 [雑学]

【 めしいの国 】

 

ソフトバンクの孫氏が講演で“めくら”という言葉を用いたために、訂正と謝罪に追われています。

http://www.asahi.com/articles/ASK7N5J41K7NULFA01M.html?iref=comtop_8_06

不倫事件でも交通事故でも、相手が有名人なら、なにかことあるごとに謝罪を求めるという社会の風潮には、なにかひっかかるものがありますが、“めくら”という単語を口にしただけで謝らねばならないのでしょうか?

・・・・・・

話は脱線しますが、20世紀の終わりにソ連が崩壊して共産主義が否定され、日本の左翼たちは精神的支柱を失いました。その後、彼らは環境保護論者と人権論者に分かれて生き延びています。どちらも理想論を掲げて、既成の権力を糾弾し、弱者の味方を装えるという点で似ており、昔のスタイルを踏襲できるから居心地がいいのでしょう。

・・・・・・

そして人権論者たちは言葉狩りを始めました。多くの単語が、差別的ニュアンスがあるという理由でやり玉にあがり、消されました。困ったことに、“言葉狩り”は一種の過去法で、昔の文学や映画にも遡って適用されます。昔の映画をみていると、音声が消されてピー音だったりします。しかもその判断は一方的です。

・・・・・・

人権論者の“言葉狩り”の奇妙なところは、外国語あるいは外来語には適用されないということです。悪いのは日本と日本の文化であり、それだけを否定するという思想です。

だから、支邦(シナ)という単語は差別用語で使えないけど、中国というのは外国に阿る(おもねる)ようで嫌だ・・という場合はチャイナと言ったりします。チャイナもシナも同じなのに・・(笑い)。尾形大作の「無錫旅情」では唐突に「チャイナの旅路を行く俺さ」という歌詞が登場します。

・・・・・・

その延長で、メクラ、メシイという言葉が差別用語で使ってはいけないというのなら、ブラインドと言えばいいではないか?という、これまた奇妙な理屈があります。どうにも外国人には説明できない理屈です。

・・・・・・

先日、私が大腸の内視鏡検査を受けた際、私はC医師に「ここが盲腸ですか?」とは言わず、「ここがブラインドガットですか?」と尋ねました。まさか「目の不自由な腸ですか?」とは言えませんからね。

・・・・・・

それにしても、“めくら”とか“めしい”という言葉は、それほどまでに忌み嫌われなければならないのか?

昔、TVで放映していたドラマ「逃亡者」(ハリソン・フォードではなく、デビッド・ジャンセンが主役だった作品)では、冒頭で矢島正明のナレーションが流れます。「正しかるべき正義も時として、めしいることがある。この男リチャード・キンブルは・・」という名調子でしたが、今ならまず認められない表現です。

かといって、「正しくあるべき正義も、時として目が不自由になることがある・・・」ではさっぱりです。はてさて困ったことです。

・・・・・・

ジャニス・イアンの名曲に“Lobe is Blind”があります。日本語に訳せば「恋は盲目」となりますが、この日本語は今はもう使えないでしょう。

「恋が盲目」なのは、経験者として頷けるのですが、では最初に“Love is blind”と話したのは誰でしょうか? 私の記憶が正しければ、シェークスピアで、彼の作品「ベニスの商人」の中に、”Love is blind“という表現が登場します。

シェークスピアには早すぎる結婚を戒める言葉もあります。「ヘンリー六世」に登場する、“Yet hasty marriage, seldom proveth well” で、他の作品でも同趣旨のことを言っています。彼自身が自分の結婚を後悔したかは分かりませんが、シェークスピアに言わせれば、独身時代、男はみんな盲目だった時期があるということかも知れません。シェークスピアにとって、盲目はしばしば愚かさの象徴ですが、愛すべき性質であるともいえます。

このシェークスピア作品も、原文の”blind“はOKで、邦訳の「盲目」はダメになるのでしょうか?

・・・・・・

一方、日本での「盲目」は、必ずしも能力の欠如を強調するものではありません。

古川柳に、「番町で 目明きめくらに 道を聞き」という作品があります。

これは、江戸時代、麹町番町に暮らした盲目の国学者である塙保己一に、多くの人がものの道理を訊いたという話で、当然ながら盲目の人を軽蔑するものではありません。めくらの人に尋ねる意外性を考えるなら、めくらを“情報弱者”として差別するとも言えますが、それはうがち過ぎです。

・・・・・・

バカげた「言葉狩り」で、シェークスピアの日本語訳が制約を受けたり、古川柳が失われるとしたら、愚かなことです。そのように一方的で「盲目的」な行動がなされるのは、いわゆる人権論者には、ものが見えないからです

・・・・・・。

外国の諺に、「めしいの国では片目の者が王様である」というものがありますが、人権論者は全員が盲目であり、盲目的に言葉狩りを進めるこの国では、このような諺も禁止されてしまうでしょう。

・・・・・・

やれやれ、今の気持ちを言えば、若山牧水の歌になります。

「海底に眼の無き魚の棲むといふ、眼の無き魚の恋しかりけり」

 

おっと、いけない。メクラウナギもイザリウオも、不適切な名前として消されてしまいました。


【 The grapes of wrath わが心のルート66 その2 】 [アメリカ]

【 The grapes of wrath わが心のルート66 その2 】

 

今、廃れつつあるルート66はハイウェイパトロールのドル箱になっています。米国にはダブルニッケル(つまり時速55マイル)という速度制限があるのですが、ルート66を訪れる観光客はしばしばスピード違反をしてつかまります。懐かしのTVドラマをイメージして走っていると、とんでもない災難に会うのです。 そして日本人旅行者も例外ではないようです。

・・・・・・

そう言えば、“ルート66”と同じ頃に、“ハイウェイパトロール”というドラマもTVで放映していました。 このドラマに登場する警官は格好良くて正義漢で、ネズミ捕りなんかしなかったけれどなぁ・・。

・・・・・・

そして、もうひとつアドバイスを・・。

ルート66を走るのなら、やっぱりスポーツカーに限ります。それもオープンカーがいいです。理想を言えば、コルベットの1964年型が最高です。いくら故障が少なくて米国での評判が良くても、トヨタカムリやニッサンアルティマではダメです。それらは高速道路のドライブに向いており、それなら、日本の高速道路でもいいのです。

・・・・・・

走っている間のBGMは、ナットキングコールのルート 66”です。 松任谷由美の“コルベット1964”もいいかも知れません。

・・・・・・

では、オヒョウもいつか、米国のルート66を旅する事があるのか?と訊かれたらどう答えましょうか? 私にその予定はありません。

・・・・・・

人生には、時間に余裕はあるけれどお金に余裕が無い時期と、お金に余裕はあるけれど時間に余裕が無い時期の両方があると言いますが、人それぞれです。

仕事をリタイアして、人生の収穫の時期を迎えた人には、幸運にしてお金と時間の両方に余裕を持つ人がいて、温めていた計画を実行できます。それはご同慶の至りですが、しかし、オヒョウのごときプロレタリアートには、お金と時間の両方とも余裕が無い時期ばかりが続きます。リタイアした後の旅行を算段することはできません。

・・・・・・

しかし、それでも私がルート66を旅行することをイメージしてみます。 その時は、スポーツカーではなく、壊れかけたオンボロの農業用のピックアップトラックに乗り、破れた麦わら帽子を被り、ヨタヨタと南部の砂漠地帯を走ることになるでしょう。

そして、その時のBGMはナットキングコールのルート66ではなく、リパブリック讃歌の“権兵衛さんの赤ちゃん風邪ひいた”になると思います。

私がイメージするルート66はそういう世界です。


【 The grapes of wrath わが心のルート66 その1 】 [アメリカ]

【 The grapes of wrath わが心のルート66 その1 】

 

<今回のブログは、以前書いたものと少し重複していますがお許しください>

 

現役を退かれた先輩諸氏が、かねてから楽しみにしていた計画を実行されるようです。その計画とは、昔の仲間と車を駆ってアメリカのルート66を走破する旅行だそうです。

ルート66というなら、少しばかり私にも思い入れがあります。

・・・・・・

もうずいぶん昔の話ですが、私の初めての海外出張はアメリカでした。その出張の途中、シカゴからインディアナ州にある製鉄所まで、その製鉄所の品管部長だったO’Neilさんの車に乗せて貰いました。その途中、高速道路を下り一般道を走っていると、国道66号線つまりルート66の看板が見えました。

「ああ、これがルート66ですか、日本でも有名ですよ」と、運転しているO’Neil氏に私が下手な英語で話しかけると、彼は「アメリカでも有名ですよ」と答えます。

・・・・・・

年配の方ならご存知かも知れません。TVドラマで「ルート66」という作品があったのです。二人の青年がルート66を旅するストーリーでした。話の内容は忘れましたが、格好いいスポーツカー、豊かな暮らし、広大な大地・・・どれを取っても日本には無いものばかりで、そのTVドラマを見てアメリカにあこがれました。

・・・・・・

「ドラマもいいですが、ナットキングコールの歌もいいですね」と私。ドラマの主題歌は、シカゴからロサンゼルスへ向かうルート66の道沿いの町を順番に並べています。

O’Neil氏は「でも今は、インターステーツ(高速道路)が発達したので、旧道のルート66は廃れて分断され、全部は繋がっていないはすだよ。昔のようにロサンゼルスまでは行けない」と答えます。

・・・・・・

そこで会話が終わってしまいそうだったので、私は知ったかぶりをして、話を進めました。

「しかし私がルート66を知ったのは、TVドラマではありません。スタインベックの小説「怒りの葡萄」を読んだ時に登場したのです。あの小説に登場するルート66も印象的でした。TVドラマとは全く違うアメリカですね」と私。

・・・・・・

O’Neil氏は黙って頷き、「僕も学生時代にスタインベックの「怒りの葡萄」は読んだ」と言いましたが、そこで彼は私の重要な間違いを指摘しました。

”The grapes of anger”ではなく、“The grapes of wrath”だよ。意味は同じだけれどね」

「えっ?wrathという単語があるのですか? Angerとは何が違うのですか?」

O’Neil氏は少し黙っていましたが、「wrathとは、多分、神の怒りなのだろう」とつぶやきました。

・・・・・・

私は混乱しました。「神とは怒るものなのか? 西洋の神様はひたすら優しく許すのじゃないか? 人々は神の怒りを畏れるべきなのか?」

・・・・・・

その少し後、帰国する前の日の夜です。ホテルのTVでは、黒人の合唱団が賛美歌を歌っています。

リパブリック讃歌もその中に入っています。私には歌詞は分からず「権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた・・・」というふざけた替え歌しか、思い浮かびません。ところが突然、その中にgrapes of wrathという言葉が登場しました。その部分は聞き取れました。O’Neil氏と同じ発音です。

・・・・・・

ああ、やっぱり、キリスト教の世界でも、神の怒りを人々は畏れなければいけないのか・・と思う半面wrathとは何だろうか?と思いました。なぜ怒りという単語が2つあるのか? ちょうど、罪という言葉にSinCrimeの2つがあるようなものなのか?

・・・・・・

種あかしをしますと、聖書では、人が持つ7つの原罪(Seven Deadly Sin)の3番目にWrathを挙げています。

・・・・・・

アダムとイブの時代にご先祖様が犯した原罪(Original Sin)とCrimeの違いについて高校時代の英語の恩師である岩城谷先生は、説明されませんでした。おそらくは宗教的な内容に踏み込むことになるからだと思います。

・・・・・・

そこで私は勝手に考えます。Sinは残念ながら生まれた時から備えている罪であり、悪しき性質(vice)にもつながります。そしてその悪しき性質が高じるとcrimeを犯すに至るのではないか・・・。しかし神の目にはsincrimeも同じかも知れません。ちなみに東洋の思想には、Original Sinにあたる概念は無いようです。だからSinを表す適当な漢字は無く、苦し紛れに原罪という単語を創作したのだと思います。

・・・・・・

ではWrathAngerの違いはどうでしょうか? 私には何とも言えませんが、聖書の諺には、wrathangerの両方が登場する文章があります。

箴言の第15章の第一節には

“A soft answer turneth away wrath, but grievous words stir up anger“ とあります。 

日本語の意味を示せば、「怒りを込めた表現で話せば、相手も怒りの感情を持つ」というもので、日本を含め各国の政治家に聞かせたい内容です。日本語でもっと簡潔に言えば「物は言いよう」でしょうか? WrathAngerは似ていますが、微妙に違います。しかし、Wrathに相当する概念も東洋には無いのか、うまくあてはまる漢字がありません。だから、WrathAngerも同じ“怒”という言葉をあてたのかも知れません。

・・・・・・

では“grapes of wrath“の意味は何でしょうか? これはヨハネの黙示録に登場する話で、神に選ばれなかった人間をブドウになぞらえ、神の怒りの元に踏みつぶされる・・というものです。なぜブドウが踏みつぶされるのか? 日本では葡萄と言えば、生食用を思い浮かべますが、西洋では基本的に葡萄酒の原料です。葡萄の実は収穫され、人々の足で踏みつぶされて、果汁となるのが当たり前なのです。

・・・・・・

では、神の怒りを受ける人間ですが、それに相当する言葉が東洋にはあるか?と考えると思い浮かびません。あえて言えば、中国の書経に登場する、孽(ニエ:わざわい)という漢字が相当します。東洋には天罰という発想はあっても、天が意図的に人間を苦しめるという発想が無いのかも知れません。この中国の書経についての検討は別稿で述べたいと思います。

・・・・・・

スタインベックの「怒りの葡萄」では、旱魃で農業を継続できなくなった中西部の農民が、カリフォルニアを目指して、オンボロのトラックで旅をします。苦労してたどり着いた後も、地主や国家権力によって搾取されるという運命が待っており、なかなかハッピーエンドにはなりません。 しかしこれが搾取される農民の苦しみやルサンチマンを扱っただけの小説であれば、実に平板なプロレタリア小説になるのですが、スタインベックの場合はそうではありません。人間社会の不条理も描きますが、天のなせる災いについても平等に描き、翻弄される人間の悲しさを冷静に描きます。独特の宗教観を背景に書かれた彼の作品には深みがあります。 やはり”The grapes of wrath”なのです。

・・・・・・

ここで話をルート66に戻します。

では、せっかくルート66を走るのなら、何に気を付けるべきか? それについては、次号でご案内します。


前の10件 | -
メッセージを送る