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【 農業のメタモルフェス その2 】 [政治]

【 農業のメタモルフェス その2 】

 

完全にコンピューター制御されたオランダの農園は、しばしばTVに登場しますが、コンピューターシステムは、単に作物の栽培環境を最適に制御するだけではありません。各作物の需要動向を随時把握・予測し、市場で必要とされるものを、最も価格が高い時期に出荷し、利益の極大化をもたらすのも、コンピューターシステムです。農業が一番遅れていたマーケッティングにおいて、優れた成果を出しているのです。

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残念ながら、この分野では日本は遅れています。その理由はこれまで稲作に極度に依存した日本の農業構造にあると思います。柳田國男の時代、コメは絶対的に足りず、コメを作れば売れました。そして戦後の日本で長く続いた食管制度は、営農家が本来持つ顧客志向のマーケッティングの感覚を鈍麻させました。無理もありません。とにかく、国との契約で作った分だけ自動的に決められた価格で買ってもらえるのですから。

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しかし、本来的に農業経営とは先物市場を睨んだビジネスでなければなりません。種を播いてから収穫までに数カ月あるいは半年を要する農業では常に先を見越す必要があります。POS(販売時点管理)で、その瞬間に市場が求めているものを把握し、手配すればいい小売業とは違い、より高度な判断が求められます。

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天候に左右される農業では、先のことは誰も分からないよ・・と考える人もいますが、それは違います。今は長期の天気予報もかなり正確です。世界中の農地の直近の作柄状況も人工衛星の情報等でかなり正確に把握できます。各作物の収穫高あるいは供給量は月単位でかなり正確に予測できます。 問題は需要家動向です。都市近郊型の農業では、今、どのような野菜が売れるのか?どの料理が流行しているのか?といった事情を把握して、タイムリーに市場に投入する必要があるのです。

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以前に見たTVニュースでは、北海道で搾ったばかりの牛乳をこれみよがしに捨てていました。牛乳の消費が伸びず、せっかく搾った牛乳を廃棄せざるを得なくなったのです。消費量が伸びないのなら、搾らなければいいではないか?と思いましたが、そうもいかず、乳牛の場合、適切に搾乳してやらなければ、健康を害するのだそうです。だから仕方なく搾り、そして捨てていたのです。

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そういえば、製鉄所の高炉も似たところがあります。景気が悪く「鉄冷え」の状態になっても、高炉は安定操業のために、一定量の銑鉄を生産し続ける必要があります。近年は減風や短期休風という技術で出銑を抑えることもできますが、下手をすれば、高炉が冷え込み、大トラブルとなります。仕方なしに銑鉄を作り続け、それらは型銑やスラブといった鋼の中間製品で、ヤードに積まれることになります。

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私などは、捨てられる牛乳を見ると、もったいなくてたまりません。日本は大陸の諸外国に比べ、乳製品の消費量がまだまだ少なく、しかも高価です。乳製品の輸入に関税をかけて制限し、国内の価格を高く維持する一方で、牛乳を捨てるなんて! 一体、誰が得をするのだ? 新鮮な牛乳は確かに日持ちがしませんが、バターやヨーグルト、生クリームやスキムミルク(脱脂粉乳)、チーズに加工すればいいではないか?

実際にはバターやスキムミルクの供給量は、行政がコントロールしていて、常にバランスを考える必要があるのだそうですが、それでも私には理解できません。「捨てるくらいなら、僕にくれ!僕はチーズもバターも大好きなのだ!・・脱脂粉乳はそれほど好きではないが・・・」と言いたいところです。

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同じようなことは、野菜でもあります。キャベツの市場価格が暴落して、出荷しても輸送費も出ないと嘆く農家はこれみよがしに、トラクターで畑のキャベツを踏み潰します。

どうしてそんなことをするのか?これは食べ物に対する冒涜ではないか?

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TVニュースでは、農産物の価格は天候などで左右される訳で、豊作貧乏を避けるために、価格の暴落時には行政からの支援が必要だ・・と訴えています。

農業の強い国も弱い国も、自国の農業を保護するために、大なり小なり補助金を出しています。 これを否定することはできません。しかし、本来補助金は一時的な緊急避難処置であるべきです。自由化で輸入品が急増した場合の対策としては有効ですが、長期的に用いるものではありません(これは麻薬と同じです)。

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ではどうするべきか?

補助金の代わりに、農業のIT化あるいはAIの導入にお金を回すべきです。計画的でロスがない生産管理と、価格の安定をもたらす出荷管理を、AIを使って実現するのです。その投資は、日本農業を強靭化するのに役立つ訳で、単なる損失補填の補助金より有用です。

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先物相場の予測へのAIの応用は、すでに金融業界で実現しており、農産物の価格予想は、その派生型で対応できます。さらに現場作業の省力化にも役立ちます。

例えば機械化・自動化が進むジャガイモの生産現場では、選別作業だけが人手による作業として残り、ネックになっていました。しかし、この選別作業は、AIの得意とするところです。農業に応用した事例はすでにあります。

例えば、キュウリの選別作業には、すでにAIが用いられています。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/221102/051100577/?n_cid=nbpnbo_mlpum

囲碁で驚異的な強さを誇るアルファ碁のアルゴリズムの応用だそうです。これを使えば、多くの作物で面倒だった収穫物の選別作業が自動化できそうです。

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第二次産業の製造業は、過去50年以上、合理化と効率化、品質確保に心血を注いできました。これからは農業で改革が進む番です。AIを使えば、牛乳を捨てることも、キャベツをトラクターで踏みつぶすこともなくなります。天候不順の時期に高騰した八百屋の野菜を前にため息をつくこともなくなります。

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TPPの議論の以前から、日本の農業は言い訳の産業でした。 コメも、畜産も、小麦やトウモロコシ、大豆でも、所詮、広大な作付面積を誇る米国やカナダ、オーストラリアに敵わないのは当たり前さ・・・と。しかし日本より稠密な人口密度を持ち、国土も広くないオランダの農業に、日本が敵わないとすれば、言い訳はできません。オランダはハイテクを駆使して規模で勝負する大陸国家の農業に伍しています。ロボット技術に優れた日本も同じ対応ができるはずです。TPPは太平の眠りを貪っていた日本の農業を目覚めさせる黒船だと、理解すべきです。

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日本の農業に競争力がよみがえり、魅力ある産業になれば、多くの人が集まるようになります。都市に人口が集中し、農村が過疎状態になるいびつな人口分布も改善されます。

きっと若くて優秀な営農家が、野良仕事に出る時、90年前の宮沢賢治と同じく、「下の畑におります」と書くでしょう。 ただし、それは黒板に書くのではなく、多分LINEか何かに書くのでしょうが。


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【 農業のメタモルフェス その1 】 [政治]

【 農業のメタモルフェス その1 】

 

畏友Y君からもらった東北地域農政懇談会作成の報告書を読むと、いろいろなことを考えさせられます。 

食と農の復権1s.png 食と農の復権2s.png

この冊子が編集されたのは平成14年とありますから、15年ほど前ですが、内容は今でも通用します。中国の経済力の台頭やカロリーベースで考える食料自給率の問題点等、現在クローズアップされている問題がこの報告書ではすでに言及されています。ということはこれを書いた人はそれだけ先見性があったということか・・・。あるいは当時最先端の話題を取り上げたコンテンポラリーな報告書だったということか・・・。

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最初にひっかかるのは、題名と副題です。題名は、「産業としての食と農の復権」、副題は「東北の食と農の再生」です。

そうか、「復権」とか「再生」というからには、やはり東北地方の「農」は衰えていたのか・・・。

この資料が仙台で編纂されたのは、前述のとおり、東日本大震災の前です。つまり大震災の前から、東北の農業は衰えていて、「復活」すべきものだったのです。

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20世紀の時代、近代化の過程あるいは社会や国が豊かになる過程とは、産業が第一次産業から第二次産業、第二次産業から第三次産業へとシフトする過程でした。跡継ぎになれない農家の次男、三男は、都会に出て、第二次産業や第三次産業に従事した訳ですが、結果的に国家と産業を近代化し、国を富ませる結果につながりました。

現在、世界が、先進国と途上国、豊かな国と貧しい国に分かれているのは、この産業構造のシフトに国によって時間差があったからとも言えます。

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当時、第一次産業より第二次産業、第二次産業より第三次産業の方が、生産性が高く、だから就労者も社会も豊かになれると思われました。学校を卒業して就職する時も、人気があるのは第三次産業です。大自然を相手にする第一次産業は3Kの典型ですし、収入も第三次産業より少ないとなると、人気がなく希望者は少なくなります。その仕事を志す人が少なくなり、優秀な人が集まらなくなると、一定の時間差で、その産業は衰退します。

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1990年代の米国の製鉄産業がまさにそうでした。産業に魅力がなくなり、優秀な人が来なくなると、ますます産業は衰退するという悪循環が進行しました。

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では日本の第一次産業 つまり農業はどうだったか?と考えます。

失礼ながら、東北地方の農業は長い間、魅力ある産業とは言えませんでした。「復活」と「再生」が必要な存在でした。

かつて農学校の教員をしていた宮沢賢治はそれに悩みました。教え子たちが卒業後に従事する農業は苦しみと悩みの多い仕事であり、宮沢賢治はその彼らに農業の喜びと楽しさを教えようとしましたが限界がありました。自分だけ教員というホワイトカラーを続けていていいのか?と悩んだ結果、彼は職を辞し、みずから農民となり畑を耕しました。そうして、彼の住まいの玄関には、「下ノ畑ニオリマス」という札が下がった訳です。

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しかし、今は違う観点から、農業を魅力あるものにする試みが進んでいます。

一つは技術革新の観点から、そしてもう一つは経営者の観点からです。Y君からもらった報告書に登場する話は主に経営者の観点から農業を変革するものです。

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経営の近代化とは、ビジネスモデルの変革であり、情報を有効活用する経営への転換です。そこにはIT技術がふんだんに使われ、マーケティングの良し悪しが経営の浮沈を握ることになります。それはもはや素朴な第一次産業とは言えない訳で、第三次や第四次産業と言われる情報産業と融合した存在です。東大教授だった今村奈良臣氏は、その新しい産業形態を、第一次と第二次と第三次を掛け合わせた新産業として第六次産業と呼んでいます。

(このネーミングにはなんとも首を傾げますが・・)。

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21世紀の現代、昔と同じように、産業を第一次、第二次、第三次と分類するのはナンセンスかも知れません。そして、それらの垣根を取り払い、融合させた産業の形態に新たな成長の可能性がある・・と識者は説きます。

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最初に変革を遂げ、そして現在も進行中なのは、第二次産業の工業です。オートメーションによる大量生産が脚光を浴びたのは1980年代までです。それだけでは、労働コストの安い中進国に負けます。IT化によって、在庫を持たないリーンな生産方式を実現し、製造時間の短縮や歩留まりロスの極少化を実現し、さらに多品種小ロットに対応した顧客志向の生産システムでなければ、メーカーは生き残れません。その世界は、従来の製造技術の世界とは全く違う、システム工学の世界です。

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日本では最近、全てがインターネットにつながった「IoT」を盛んに宣伝していますが、この分野の先駆けとなったのはドイツです。ドイツが提唱する「インダストリー4.0」は、成果を挙げていますが、現在も進行中でもあり、ドイツ製造業を復活させるだけでなく、世界の第二次産業を全く違ったものにする可能性があります。もはやその時点では、第二次産業と呼ぶべきではありませんが、新しい名前はまだありません。

知識集約型で、高度な専門技術を用いて付加価値を高める製造業を、第五次産業と呼ぶ場合もありますが、まだ認知されていません。

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工業がそうなら、農業はどうだ?と言いたくなります。同じような変革は農業でも起きています。今村奈良臣先生が語る第六次産業はまさにそれを意味しています。

Y君の資料に登場する何人かの意欲的な営農家や大学の研究者が目指す新しい農業もまさにその方向にあります。

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ではそのお手本はどこにあるか?

工業ではインダストリー4.0を推進するドイツですが、農業ではその近隣にあるオランダやデンマークを挙げるべきでしょう。

 

以下 次号


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【 フェイクニュースについて考える その2 】 [政治]

【 フェイクニュースについて考える その2 】

 

実際には、ポル・ポトによる大虐殺は犠牲者200250万人とされ、カンボジアの人口800万人が一挙に3/4以下に減った大事件です。犠牲者となったのは一般の国民で、敵対する軍隊でも政治勢力でもなく、単にインテリだから・・という理由でした。人口比で考えるとアウシュビッツのナチスドイツも真っ青になって逃げだす大虐殺が行われた訳ですが、和田記者はそれを根拠もなく否定しました。

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しかし、全く不思議なことに前プノンペン特派員だった和田俊記者は、ポル・ポト勢力がプノンペンに入ったその日にはカンボジアにおらず東京にいました。その事実は朝日新聞の関係者は皆知っています。それなのに、彼は兵士が抱擁しただの、敵兵に「逃げろ」とアドバイスしただの・・その場にいなければ知りえないようなことを長文の記事にしたのです。

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「講釈師見てきたような嘘をつき」と古川柳にありますが、和田記者は現場にいなかったのに、どうしてこんな記事を書けたのでしょうか? 外国にいて、情報収集をしようとしても、どうしても一次情報(自らが取材し入手する情報)には限界があり二次情報(他のメディアで報道された情報のコピー)に頼らざるを得ない場合があります。

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東京にいながらプノンペンの記事を書こうとすれば、どうしても二次情報に頼ることになりますが、その場合、記事を検証しようとすれば、必ず一次情報に辿り着けるものです。元記事を確認して裏付けにできます。しかし和田記者の作文についてはそれを報じる一次情報は全くありませんでした。

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そもそも一次情報にしても二次情報にしても、クメール語はおろかフランス語もできなかった和田記者が、どうしてあんな具体的表現でプノンペンの有様を表現できたのか?理解できません。

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和田記者の捏造記事(つまりフェイクニュース)は、評論家の徳岡孝夫氏らによって、早くから指摘されていましたが、数年後に週刊誌が取り上げ、世間の知るところとなりました。

当時、TV朝日のコメンテーターとしてマスコミに露出していた和田俊記者は、突然理由を明らかにせずに朝日を退社し、山梨県の私大の教授になりました。

しかし、捏造記事に対する世間の指弾がストレスになったのか、しばらくしてガンで亡くなっています。

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問題はこの記事が和田記者だけの個人的犯罪ではないことです。プノンペンにいなかった和田記者が現場に居合わせたような嘘を記事にする段階で、多くの人が気づいたはずですが、それを黙認しました。当時の朝日新聞には本多勝一や井上一久といったポル・ポトや毛沢東の思想を礼賛する記者がいました。このフェイクニュースは朝日新聞が確信犯として流したものです。

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当時はインターネットがなく、和田記者の捏造を見破れたのは、海外のメディアにアクセスできた少数の人達だけでした。今は違います。

従軍慰安婦の記事を捏造した、植村隆記者の場合、その指弾は主にインターネット上でなされました。彼が、女子挺身隊と従軍慰安婦を意図的に混同してフェイクニュースを作ったことは明らかで、さすがの朝日新聞も彼をかばいきれず、記事を誤りと認め、彼を解雇しました。かれは北海道の大学の教員になりましたが、そこでも追及され、その後韓国に移っています。

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和田記者の場合と植村記者の場合で違うのは、インターネットの有無です。現代は情報リテラシーを持つ多くの国民が多くの情報に接して、何が真実かを見抜けるようになったのです。

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スターリン礼賛の記事を捏造し、文化大革命を称賛し、林彪は健在だと嘘をつき、カンボジアの記事を捏造し、慰安婦の記事を捏造し、サンゴ事件を捏造し、教科書の侵略書き換え事件を捏造してきた朝日新聞としては、フェイク記事を暴くインターネットは煙たい存在に違いありません。

しかし、自分たちのフェイクを暴くインターネット情報をフェイクだと指摘する報道こそ最大のフェイクニュースです。

 

朝日新聞がフェイクニュースを批判するとは、「いったいどの口でそれを言うか?」と言いたくなります。

フェイク報道の問題を特集記事にした、田玉恵美氏や菅野俊秀氏にしてみれば、30年も前のカンボジア報道の事件など知らない・・というかも知れませんが、他を非難するなら、その前に自社の歴史を再検証したまえ・・と私は言いたい。

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フェイク報道に惑わされない情報リテラシーを獲得するには、自分のことも、過去のことも知るべきです。

古代の賢者も「汝自身を知れ」と言っています。これはフェイクではなく本当ですよ。


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【 フェイクニュースについて考える その1 】 [政治]

【 フェイクニュースについて考える その1 】

 

最近、フェイクニュースがしばしば話題になります。トランプ大統領は自分に批判的な記事を指して「それらはフェイクニュースだ!」と一蹴しています。その記事が真実であるなら、マスコミに対する大変な侮辱であり、名誉棄損となります。ワシントンポストやニューヨークタイムス、CNNなどが法的手段に訴えるか、私は注目しています。

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日本では、朝日新聞やNHKなどがインターネット上に溢れるフェイクニュースを問題視し、その延長上でインターネット情報全体を否定しようとしています。

https://www.asahi.com/articles/ASL4R62RNL4RUPQJ00D.html

しかし、そこには実に巧妙で狡猾なトリックがあります。

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例えば、朝日新聞は沖縄県の翁長県知事とのインタビュー記事で、インターネット情報を批判しています。県知事に、「私をあたかも中国の手先のように思わせるために虚偽の情報がインターネットに流れています。例えば、私が普天間飛行場移設の問題で東京の政府と対立した後、すぐに中国へ行ったとか、娘二人が中国人と結婚し、相手の一人は人民解放軍に属しているといったニュースがインターネット上に流れました。確かに私には娘がいますが、中国に行ったこともなければ、中国人と結婚もしていません。すぐ調べれば分かるデマを平気で流すのが、インターネットなのです」と語らせています。

これは2チャンネルなどの無責任な記事を指したものでしょうが、この朝日の記事には重大なウソが潜んでいます。

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確かに翁長知事の娘は中国人と結婚していません。そんな事は少しでも情報リテラシーを意識する人ならすぐに確認して理解できることです。しかし、もうひとつの官房長官や防衛大臣との会談後ただちに知事が中国を訪問したことは事実です。そこで中国政府の関係者とどういう話をしたかは不明ですが、彼が上海に行ったことは、事実です。しかし、巧妙な朝日の記事の書き方では、彼が中国を訪問したという情報もウソだと錯覚される表現になっています。翁長知事と中国の関係には不明点が多いのですが、それを隠蔽したい意図がうかがえます。私はそれをもってフェイクニュースと呼びます。

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フェイクは、ただの誤謬ではありません。相手を欺きたいという意思のもとに行う行為や品物です。

かつて朝日新聞で大騒ぎになったサンゴ事件を思い出します。これはカメラマンが自分でサンゴに疵をつけ、「KYって誰だ?」と落書犯人を非難した記事を新聞に載せたものです。この問題の本質はサンゴを傷つけたことではありません。それを元に執拗にかつ徹底的に日本人という民族を貶す記事を捏造したことです。

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「日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、80年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の……。 にしても、一体「KY」ってだれだ」

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この記者は、毀損されたサンゴを報道したかった訳ではなく、とにかく日本人を誹謗する記事が書きたくて、それにサンゴを利用しただけです。つまり、ある意図のための捏造であり、これが典型的なフェイクです。あの事件に憤った人達は、その意図に怒った訳ですが、社内の処分は単なる捏造として処理されました。

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朝日新聞のフェイクニュースを探すと、実に枚挙にいとまない訳ですが、最悪のフェイクニュースは何か?と言えば、和田記者が捏造した、カンボジアのプノンペンの記事でしょう。ポル・ポト勢力を「アジア的優しさをもった共産主義」と讃えた、全編捏造の記事です。

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カンボジアのロン・ノル政権が敗北し、中国共産党の支援を受けたポル・ポト勢力が首都プノンペンを制圧した日のルポを前プノンペン特派員だった和田記者は、署名記事で書いています。

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カンボジア解放勢力のブノンペン制圧は、武力解放のわりには、流血の惨がほとんどみられなかった。 入城する解放軍兵士とロン・ノル政府軍兵士は手を取り合って抱擁。平穏のうちに行われたようだ。しかも、解放勢力の指導者がブノンペンの"裏切り者"たちに対し、「身の安全のために、早く逃げろと繰り返し忠告した。これを裏返せば「君たちが残っていると、われわれは逮捕、ひいては処刑も考慮しなければならない。それよりも目の前から消えてくれた方がいい」という意味であり、敵を遇するうえで、きわめてアジア的な優しさに あふれているようにみえる。解放勢力指導者のこうした態度とカンボジア人が天性持っている楽天性を考えると、 新生カンボジアは、いわば「明るい社会主義国」として、人々の期待にこたえるかもしれない。
カンボジアは内戦中も、秘密警察的な暗さがなかった。ロン・ノル政府側の要人も、警備にはさして関心を払っていなかった。 政府主催の公式レセプションでも検問所はなく、招待状なしでも要人にやすやすと近づくことができた。 これでよく事件が起きないものだと不思議に思ったが、南国的明るさとは暗殺とはそぐわないのかもしれない。

ロン・ノル政府は七三年春、王族やその関係者を逮捕したことがあった。彼らの自宅には監視のため憲兵が派遣されたが、 外来者を呼びとがめるわけでもなく、暇をもてあまして昼寝ばかりしていた。
そして、しばらくするうち、憲兵はいつの間にか現れなくなった。逮捕された人たちは起訴もされず、罪状不明のまま釈放された。 拘留中も差し入れ、面会自由。酒も飲み放題だったという。

ハン・ツク・ハク首相(当時)の命を受けて、解放勢力側と接触をはかろうとした人物をたずねたときも、 あまりに開放的なのでびっくりした。秘密的なにおいはまったくなく、こうままにどんどん資料を見せてくれた。 その素朴さと明るさは類がない。

カンボジア王国民族連合政府は自力で解放を達成した数少ない国の一つとなった。
民族運動戦線(赤いクメール)を中心とする指導者たちは、徐々に社会主義の道を歩むであろう。
しかし、カンボジア人の融通自在の行動様式からみて、革命の後につきものの陰険な粛清は起こらないのではあるまいか。(和田前ブノンペン特派員)

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さらに別の記事では、和田記者は、「ポル・ポト政権が虐殺を行っているらしいという噂が流布されている。主としてアメリカから流されているが、「らしい」という憶測の情報である。もし真実なら偵察衛星で鵜の目鷹の目で監視しているアメリカが憶測の形で情報を流すはずがない。これはポル・ポト政権を貶すためのアメリカの陰謀だろう」と語っています。

こちらの記事は正確な署名記事ではありませんが、()と記されています。

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以下 次号


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【 今治脱獄事件についてのレ・ミゼラブル的考察 】 [広島]

【 今治脱獄事件についてのレ・ミゼラブル的考察 】

 

最近は脱獄囚とは言わないみたいです。ようやく身柄を拘束された平尾龍磨容疑者は、「逃走中の受刑者」という奇妙な呼び名で呼ばれ、囚人という呼び方をされません。

「あれっ?受刑者は分かるけれど、刑が確定して服役しているのに、どうして容疑者なの?」と私などは思いますが、これは今回の脱走(もしくは脱獄)という新たな犯罪についての容疑なので、もともと服役した原因の犯罪・刑罰とは別の話なのだそうです。やれやれ複雑です。

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それにしても、彼が脱走した事実は明らかなのに、犯人とは言わずにあくまで容疑者と呼ぶのは不可解です。判決が確定するまでは推定無罪・・とする考えが、マスコミに周知されているからでしょうが、これでは犯人という言葉が無意味になり死語となります。

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それにしてもものは言いようです。昔は、犯人や容疑者は呼び捨てにされていましたが、昨今は犯人の人格もあるので、呼び捨てはできません。今の時代、マスコミが呼び捨てにするのは、スポーツ選手だけです。かといって犯罪者に尊称も使えません。それで困った時は、稲垣メンバーだったり山口メンバーだったり、します。

しかし、犯人がグループに属していなければ、メンバーとも呼べません。さてどうするのか?

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塀の中にいる同じ存在でも、服役囚というと、なんとなく犯罪者=悪人ですが、受刑者というと、なんとなく受難に堪えている求道者のイメージが湧くのは私だけでしょうか? キリストもジャンヌダルクも吉田松陰も獄につながれました。刑務所にいるだけなら、必ずしも悪人ではないのでは?・・・という倒錯した思いに駆られるのが、受刑者という言葉です。

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それだけではありません。古来、脱獄者を善玉にした文学や映画はたくさんあります。

「巌窟王(モンテクリスト伯)」、「レ・ミゼラブル」、「大脱走」、「逃亡者」、「パピヨン」、「ショーシャンクの空に」・・・。比較的最近ではTVドラマシリーズの「プリズンブレーク」がヒットしました。どれも主人公はハンサムで善玉です。 脱獄囚にシンパシーを感じてしまうのは、ある種の閉塞感の中で暮らしている我々にとって、痛快な脱獄劇はひとつのカタルシスだからでしょう。だから脱走した受刑者のニュースを聞くと「そんなに悪い奴かい?」と思ってしまいます。しかしそこに陥穽があります。

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ディズニーアニメに登場するライオンやトラ、クマは人を襲いませんが、実際のライオンやトラ、クマは甚だ危険です。同じように小説や映画の脱獄囚は善玉でも、本物の脱獄囚は獰悪な存在と考えねばなりません。

今回の騒動で、尾道市の向島では、年に一度のサイクリングイベントも中止に追い込まれました。大げさなようですが、脱獄囚が付近に潜むというのはそういうことです。

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今回、脱獄した理由が気になるところですが、当初、病が篤い妹に一目会うため・・という憶測が語られましたが、実際はさにあらず、看守にいじめられ、人間関係に堪えられなかったから脱獄したのだとか。なんとまぁ、気の弱い意気地のない囚人です。そもそも監獄には、一定の厳しさや辛さがあって当然です。それに人間関係の軋轢など、塀の外の娑婆だって、大なり小なりあるものです。そんなにひ弱でどうする。

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今回の平尾龍磨のもともとの罪状をみると、窃盗です。人を殺めたり、傷つけた訳ではありません。それでも懲役・・というのは、ちと厳しいようですが、累犯が重なったからのようです。すると、最初のきっかけは、小さな犯罪だったのだな?しかし、立ち直りのきっかけをつかめず、次々と悪事を重ねていったのか・・。

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なんだか、レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンのようです。そう言えば、レ・ミゼラブルでも、造船所の船のマストから海に飛び込んで脱獄する場面がありました。今治の造船所を抜け出し、さらに尾道水道を泳いで渡った平尾龍磨に通じるところがあります。

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ご承知の方がほとんどでしょうが、レ・ミゼラブルは、非常に重厚なストーリーです。ここであらすじを述べるのも野暮の極みですが、あえて ごく簡単に言いますと・・・・、

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青年ジャン・バルジャンはひもじい思いをしている妹の子供のために、一斤のパンを盗みます。それがきっかけで、逮捕・服役・脱獄・逃走の人生が始まります。ある時、逃げ込んだ司教館で一宿一飯の恩義を受けますが、そこで銀の燭台を盗みます。 しかし、その後で捕まったジャン・バルジャンを、ミリエル司教は嘘をついてかばい、彼に銀の燭台を与えたうえ、銀の皿までを手渡します。衝撃を受けたジャン・バルジャンは、その後、いくつかの曲折を経て、改心し真人間になります。さらに、薄幸の少女コゼットの親代わりとなり、彼女を幸せにすることを生きがいにして、まっとうで充実した人生を送り、やがて人生の最後を迎えます。

コゼットの夫のマリウスが、引導を渡すために司祭を呼ぼうとすると、ジャン・バルジャンは彼を止め「司祭はここにいらっしゃる」と、枕元の銀の燭台を指さします。悲惨だった彼の人生を変えるきっかけは、ミリエル司教が与えてくれたと、ずっとジャン・バルジャンは意識していたのです。

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ロマン主義などと言いますが、レ・ミゼラブルに限らず、ビクトール・ユーゴーの小説は皆、全ての人の人格を肯定するもので人間賛歌とも言えるものです。自身が投獄された経験を持つユーゴーは、囚人に対しても博愛の精神で対応します。

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ところで、平尾龍磨は昔から逃げ出すのがうまかったらしく、そのあだ名はルパンだったそうです。

でもね、僕は君をルパンとは呼ばないよ。いつか四国のジャン・バルジャンと呼んであげよう。しかし、まだ早い。今のままのチンピラじゃあ、その資格はない。真人間になってから、その名前で呼んであげよう。

何時の日か、彼が、彼にとってのミリエル司教に出会えないだろうか。そんな事を考えます。


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【 中国の少子化問題  その2 】 [中国]

【 中国の少子化問題  その2 】

 

私の持論は、世の中の考え方とは逆です。我が子に幸せな人生を歩ませるには、とにかく幸せで楽しい子供時代を過ごさせることが重要です。大人になってから、自分の少年時代/少女時代には楽しい思い出がたくさんあったなぁ・・・と思い出せるような、そんな子供時代が必要なのです。

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子供の頃、遊んでばかりいても大丈夫か? 進学競争に負けやしないか?泳げない男の子やピアノも弾けない女の子では、将来困らないか? などとくだらない心配は要りません。お金もかかりません。

毎日、外で暗くなるまで、男の子なら三角ベースの草野球を楽しみ、女の子はゴム跳びでも石蹴りでもして遊べばいいのです。雨が降れば、自宅で遊ぶか、図書館で児童書でも漫画でも読めばいいのです。休みの日には、近くの里山に探検に出かければいいのです。夏休みの宿題なんか放っておきましょう。あんなものは大人の自己満足のためのものです。

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では、私がそれを主張するのはなぜか?

人は自分が楽しい子供時代を過ごせば、子供を産んで子供たちにも楽しい経験をさせようと思うからです。

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昔のブログにも紹介しましたが、小児科医で児童心理学者だった松田道雄博士は、その著書「私は二歳」の中で、人は幸福な子供時代を過ごすために生まれてきたのかも知れない・・と述べています。私は、子供時代が幸せなら、大人になってからも心豊かな人生を送れるのではないか?と考えます。 物質的に恵まれるかは分かりませんが、それは人生の良し悪しを決める本質ではありません。

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エッセイストで社会学者である木村治美氏はロンドン時代に、子育てについて面白いことを語っています。

「子育ての醍醐味は、自分の子供時代の楽しい記憶を、子供との暮らしを通して追体験できることである」

このエッセイを書いた頃の彼女の年齢については、良く知りませんが、中高年に達した人の、日々の思考のある部分は、若かった頃の思い出を反芻することで占められます。 楽しい思い出、懐かしい記憶が多くあるほど、幸福な日々を過ごせるのです。

残念ながら、それらの記憶はどんどん忘れ去られますが、日々成長していく我が子の生活を通して、それが追体験できれば、素晴らしいことです。

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子育ては苦痛ではなく、楽しみになります。 子育てが、人生に新たな幸福の日々をもたらしてくれる・・となれば、自然に子供を産む人は増えます。

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残念ながら、私が見た中国の子供も、韓国の子供も幸せそうではありませんでした。

中国の場合、都市の裕福な家庭では、子供は塾通いと受験勉強の日々です。農村部の貧しい家庭の子や民工の子供は、早くから労働者となります。

韓国の子供も受験勉強の日々です。受験に失敗すれば、人生の落伍者のように言われ、それまでの勉強の日々が無意味だったように言われます。

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これでは楽しい思い出もできません。 どうか、世の中の父親・母親は、子供を遊ばせ、そして、自分達も子供の遊びに加わって、自分の子供時代の楽しい記憶を反芻してください。それが最良の子育てだと思います。

 

もっとも、我が家の場合、二人の息子が成人するまで、その子育てをほとんど妻にまかせっきりだったオヒョウは、偉そうなことは何も言えないのですが・・。

 

幼きは、幼きどちのものがたり、葡萄のかげに月かたぶきぬ


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【 中国の少子化問題 】 [中国]

【 中国の少子化問題 】

 

中国の出生率が低いままです。有名な「一人っ子政策」を見直し、2人以上子供を産めるようになったのに、今度はなかなか子供を産む夫婦が増えないのです。

直近の出生率は、少子高齢化が問題になっている日本よりさらに低い値で、近い将来、日本以上の少子高齢化が進み、2030年以降は人口の急激な減少が始まるかもしれません。

https://forbesjapan.com/articles/detail/20511

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大きな国で人口が急激に減少するという事態は、ペストなどの疫病や大戦争を除けば、過去に例がありません。

そして、人口の急激な自然減は、単に国家規模の縮小という問題だけではありません。減少の過程で深刻な社会問題をもたらします。年齢別の人口構成を示す人口ピラミッドが逆三角形になりますが、これは社会福祉の破綻を意味します。

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中国の「一人っ子政策」の初期の段階では、一人の子供は6つの財布を持つと言われました。つまり両親、両祖父母が、かわいい孫や子供にお金を注ぎ込んだのです。一人っ子は大切にされ、甘やかされた子供たちは「小皇帝」と呼ばれました。

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しかし一転、その子達が大人の勤労世代になった頃、今度は一人で6人の老人の福祉負担を背負わねばならないのです。中国は儒教文化のもと、伝統的に老人を敬う国ですが、この状態が続けば、年金も破綻し、老人医療も高齢者福祉も頓挫します。中国の富裕層には様々な事情により、海外移住(というより脱出)を目指す人がいます。その脱出の理由の一つは早晩予想される、中国の老人福祉政策の破綻でしょう。

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私が中国の昆山にいたころ、週末に2人以上の子供を連れた家族が街を歩いていると、周囲の人が羨望の目で見ていたのを思い出します。訳を聞くと、2人以上の子供を連れた家族というのは台湾人だとのこと(昆山には台湾企業が多くありました)。台湾人は一人っ子政策の対象外で、何人でも子供を持てたのです。

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それをうらやむ中国人夫婦がいたことを覚えています。だから、中国政府が一人っ子政策を廃止した・・と聞いて、私は思いました。「これは良かった。これで男の子が欲しい夫婦も、女の子が欲しい夫婦もチャンスが増えるし、台湾人をうらやましく思う必要もない・・。出生率はあがり、生まれる子供の数は増えるだろう・・・」。

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しかし、現実は違いました。冒頭で言いましたように、一人っ子政策を止めてからも、子供の数は増えません。それはなぜか? 私は一つの理由は、中国が中途半端に豊かになってしまったからだと思います。

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20世紀の終わりの頃、先進国で出生率の低下が問題になり始めました。調べてみると、出生率が低いのは、日本、ドイツ、スェーデン、オーストリア、イタリアなどで、世の中では「第二次大戦の枢軸国だった国で出生率が低下している。これはなぜか?」という議論になったのですが、はっきりとした理由はわかりませんでした。

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今、考えると、先進国の豊かな生活をしている民族では、おおむね出生率が低下しています。人口増が続く米国だって白人だけをみれば、出生率は高くなく、高いのは黒人やヒスパニックです。フランスもアフリカ系の出生率が高くなっています。枢軸国も連合国も関係なかったのです。

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なぜ、豊かな国では出生率が低く、そうでない国や民族では出生率が高いのか?

理由は主に経済的な事情です。

前のブログにも書きましたが、貧しい家庭や社会では、子供はベネフィットです。子供が生まれれば働き手が増えることになり、家計は楽になるのです。子供は幼い内から、労働して収入を得ます。働けない子も妹や弟の子守はできます。そして親の負担を軽くするのです

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一方、豊かな家庭や社会では、子供はコストです。教育費はかかりますし、就労するまでの期間(つまり就学期間)は、貧しい家庭や社会より長くなり、親の負担は増加します。

貧しい社会では少しでも楽になるために子供を産みます。豊かな社会ではそうではありません。

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しかし貧しい社会では、子供は早くに就労しますが、教育を受けていないため、専門性の高い職業や、高い生産性をあげる仕事には就けません。つまり、高賃金の仕事にはありつけません。長い目で見れば生涯所得は少なく、低所得の生活が世代交代しても続きます。

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一方、豊かな社会では、女性の社会進出が進み、勤労世代の女性にとって母親や専業主婦以外のオプションも増加します。子育て以外にも自己実現や生き甲斐を見出せます。つまり子供を産まないというオプションも出てくるのです。

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子供はコストだ・・という考え方は、中国や韓国では特別な意味を持ちます。

かつて科挙のシステムを採用したこの2つの国では、難しい試験にパスし、エリートの学校を卒業することが立身出世の早道でした。家柄や出自によらず、試験さえ通れば、偉くなれるし、裕福で幸せになれる・・・(という幻想)の元、閉塞感の漂う庶民階級は子供の教育に熱を入れます。これは昔から現代まで、中国や韓国の、教育に注力できる人々(つまり中産階級)に共通した事情です。

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今後、中国の都市戸籍と農民戸籍の区別は見直されるでしょうが、現在、農民戸籍の人は裕福になれる機会が乏しい極めて厳しい閉塞感の中で暮らしています。その農民戸籍を脱出する数少ない方法が大学を卒業することなのです。社会は急速に豊かになっても、取り残される庶民は、子供に英才教育を施します。親の子供にかける期待は高まり、孟子の母親以来の伝統である教育ママが登場します。しかし、これは子供と両親にとって大変な心理的プレッシャーであり、金銭的な支出も伴います。現代の科挙は、コストを強いるのです。

塾や家庭教師、習い事で子供も大変ですが、親も大変です。

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韓国もおおむね同じです。若年失業率が常に高いこの国では、下手をすれば「大学は出たけれど」仕事にありつけません。あるいは兵役を終えて娑婆に出ても職がありません。一部のエリート大学を卒業しなければ、未来は開けないのです。勢い、受験戦争は激化し、本人と家族の負担は大きくなります。入学試験の時は家族全員で心配し、不合格だったら家族全員で落胆します。自分の時の記憶から、受験戦争の心理的な負担はもうこりごりだという人は子供を産みません。或いは一人だけしか産みません。

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豊かな社会では、子供はコストだと言いましたが、実は本当に豊になりきっていない中途半端な社会で暮らす、特に上昇志向の強い人々にとって、子供は最も大きな負担になるのです。

中国や韓国で暮らす庶民も、子供の世代は今よりも豊かで幸せであって欲しいと願います。その結果、少子化は進みます。

 

ではどうすればいいのか?

 

それについては、私には持論がありますが、次回 申し上げます。


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【 春風と初夏の風 その2 】 [金沢]

 【 春風と初夏の風 その2 】

 

私は、栃木県宇都宮市の英語教師にして版画家だった、川上澄生は、もっと評価されてよい芸術家だと思います。

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彼の版画は独創的ですが、棟方志功の作品ほどのインパクトはありません。彼の詩は心に染み入りますが、朔太郎や白秋、藤村の詩には負けます。海外生活を経験していますが、それをあまり文学作品にはせず、英語を教える、ただの地方の「田舎教師」に甘んじています。

<宇都宮高校卒業のT元副社長、コメンナサイ>。

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ある意味で中途半端な彼の詩と彼の版画ですが、それが一緒になると、彼独特の世界が現れます。この彼だけの芸術品は第一級だと思います。

世の中には、詩と絵画が融合した、俳画や柳画があります。その前段階の禅画も、文字と絵の融合に成功しています。

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彼は水墨画の代わりに版画を用い、和歌や俳句の代わりに詩を用いました。その手法は、川上澄生から強い影響を受けた棟方志功に受け継がれ、版画表現の一般的なものになっています。

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彼の詩には好きなものがたくさんありますが、その中の「はつなつのかぜ」は特に好きです。

既に著作権も切れていますから、絵を下に載せます。

「初夏の風」
 かぜとなりたや はつなつのかぜとなりたや
 かのヒトのまへにはだかり かのヒトのうしろよりふく
 はつなつの はつなつの かぜとなりたや

 hatunatu.gif

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私が、その版画と詩を画集で見たのは、ちょうど高校一年生の初夏の季節です。その日の午後、学校から帰っていく同級生の一人の女生徒の後ろ姿を見ていました。その時、初夏の風が彼女の後ろから吹きました。明るい陽射しの中で、彼女は家庭科の授業で作ったつばの広い帽子を被っていたのですが、それが飛ばされそうになり、慌てて手で押さえた様子が見えました。その彼女のしぐさを見て、なぜか、ああ、素敵だな・・・と私は感じました。同級生に異性を感じたのは、その時が初めてかも知れません。

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版画の絵ではマリリンモンローのようにスカートがめくれそうになっていますが、決してそうではなく、押さえたのは帽子と髪の毛だけです。それ以来、私は川上澄生と彼の版画、ひとりの女生徒、そして初夏の風が好きになりました。

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暖かさをもたらす春の風でもなく、涼しさをもたらす夏の風でもなく、ひたすら凍えさせる冬の風でもなく、女の人の帽子と髪の毛を動かすだけの、はつなつの風が、私は好きです。


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【 春風と初夏の風 その1 】 [金沢]

【 春風と初夏の風 その1 】

 

夕方の電車はなかなか到着しません。駅のアナウンスで「本日、強風の為、常磐線の電車に遅れがでております」と案内されます。関東地方は春の突風が吹いているようです。私の帰宅時間が多少遅れても、どうということはありませんが、強風はクレーン屋にとっては困った問題です(今、私はクレーンの会社に勤務しております)。

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高さ数十メートルから百メートル以上に達する大型の移動式クレーンは、強風で倒れる可能性があり、風速15m以上では作業を中止し、安全な姿勢をとります。しかし、それ以下の風速でも問題はあります。数十メートル先の所定の位置に10t以上の吊り荷をピンポイントで揚げ下げするクレーン運転者は、まさに神技を持っていますが、それとて風が吹いては難しくなります。作業中止には至らないけれど、時に風が吹く状況は実に困ったことなのです(腕のみせどころではありますが)。

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だいたい、春風というのはなんとなく生暖かくて気持ち悪いイメージがあります。埃っぽさも気になります。しばしば花粉を飛ばし、大陸から黄砂を運び、最近はPM2.5なんてのも持ってきます。こんな風を喜ぶのは患者が増える眼医者ぐらいではないか?

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では、オヒョウは何時から春風が嫌いになったか?これははっきりしており、中学1年生の時です。入学した中学校の校歌が、「春風そよろと柏の若葉に・・」という出だしで始まる、実におとなしいというか女々しい感じの曲だったのです。「なにが『春風そろよと』ですか、全然勇ましくないじゃないですか、これじゃ学校対抗の試合の応援に使えないではないですか!」と思った訳ですが、今は亡き母が笑いながら言います。

「この学校ができて校歌ができたのは、戦後すぐの頃でGHQの監視もあり、勇ましい歌など作れなかった時代。だから、しかたなくこんな校歌になった」とのことです。

その後、校歌に代わる応援歌ができたと・・風の便りに聞いています。

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世の中、むやみに勇ましい必要はないのですが、軍艦の名前はそれなりに勇ましい方がいいです。しかし、海上自衛隊の護衛艦には「はるかぜ」という爽やかだけど、強そうに思えない名前の艦がありました。でも調べてみれば、旧日本海軍時代の「春風」からの伝統だとか。

そんな軍艦に乗っても士気はあがらないかも知れないし、戦争にも負ける訳だ・・・。

さらに勇ましくない名前は、「はるさめ」とか「はるゆき」です。「はるさめ」なんて月形半平太に馬鹿にされそうですし、お総菜売り場の匂いがします。「はるゆき」なんて美しいけれど、アワアワアワと溶けてしまいそうです。

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脱線しましたが、とにかく、私は春風が苦手です。

でも今、藤の花が咲いて、いちはつの花が咲けば、季節は春から初夏に変化します。吹く風は春風から、初夏の風に変わります。昔は、5月を、風薫る・・という枕詞で語りましたが、今は地球温暖化で4月から初夏の風です。私は、緑に染まる初夏の風が好きです。

では何時から好きなのか?と言えば、これも答えは決まっていて、高校1年生の時からです。その内容については次号で申し上げます。


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【 大相撲のしきたりは、良き伝統なのか、因循姑息の悪弊なのか その2 】 [雑学]

【 大相撲のしきたりは、良き伝統なのか、因循姑息の悪弊なのか その2 】

 

ギリシャの古代オリンピックは男性だけのもので、裸体で競技されました。女性は観戦することすら許されませんでした。

近代オリンピックの第1回もギリシャのアテネでしたが、こちらも選手は全員男性です。

こちらは着衣で競技しています。女性は観戦することはできましたが、参加は許されませんでした。

今現在、IOCのバッハ会長は男女が平等・均等であることに特にこだわります。

新たな競技種目を選ぶ時、競技人口が偏っていないか?男性だけの競技になっていないかが注目されます。

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それと並行して、かつては男性だけだった競技にどんどん女性が進出しています。 柔道、陸上のマラソン、棒高跳び、スキーのジャンプ、その他もろもろです。オリンピックの男女同権の思想を受け入れる形で、女子種目が増えていったのです。

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この変化は、オリンピックの存在理由というか性格を考えれば、よく理解できます。

古代オリンピックは、戦争のシミュレーションでした。だから参加する人は兵士の代わりであり、男性に限定されました。

近代オリンピックが始まったころのスポーツとは、西欧の貴族階級あるいは有閑階級のたしなみでした。 そしてその頃、過激なスポーツをたしなんだのは、もっぱら男性でした。

現代のオリンピックは、国威発揚目的だの商業化したプロ選手の集まりだのと言われますが、根底には「社会的公平の実現」があります。 当然ながら、肉体的性差はあるものの、男女は同権で等しく参加する権利を持ちます。

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オリンピックがそのように変化していくなら、大相撲だって変化して構わないはずです。既に外国人力士の採用という、大変革を行ったのですから・・。

余談ですが、外国人力士の元祖をハワイから来た高見山だと考えていましたが、よく考えれば横綱大鵬だって白系ロシア人の血が入っています。 相撲協会はかなり前から、人種や民族にはこだわらなかったのです。

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人種民族を問わないのなら、相撲を日本人だけのものと考えるのはナンセンスです。即ち、相撲を神事と考え、日本人のエトスにかかわるものとするのもナンセンスです。

それなら女性を土俵に上げてどこが悪い?という考えに至ります。

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今回、八角理事長は、人命救助という緊急事態なのに、大相撲のタブーを優先したのが誤りであったと謝罪しています。つまり人命はしきたりよりも大事なのに、その判断を間違えたという言い方ですが、これは問題を矮小化するものです。

つまり、土俵に女性をあげてはいけない・・というタブーそのものの是非には言及せずに幕引きを図り、タブーを残そうとしています。これはかなり姑息な対応です。

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やっぱり相撲界のちょん髷頭を叩いてみれば、因循姑息の音がするのです。

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しかし、現役時代から実直な人柄が評価された八角理事長ですが、彼の代になって特に苦労が多いようです。同情を禁じ得ません。その昔は相撲協会の理事長といえば、天覧相撲で両陛下のお相手をするぐらいの優雅な名誉職だったのですが、最近は矢面に立たされ、謝罪する役回りです。相撲協会の積年の問題点が、最近の数年間に一気に噴き出した感があります。 これはやっぱり、八角という名前が良くないのでは?

そもそも八角といえば、雷電為右衛門に突き飛ばされて亡くなった力士です。

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しかし、ここは考え方次第です。暴力事件、貴乃花問題、女性を土俵から降ろそうと放送した問題などを、一挙に解決して、相撲協会の近代化に成功すれば、しめたもので、雨降って地固まるというか、土俵が固まる形になります。

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女性は誰でも土俵に上がれるよう、規則を変更すべきでしょう(ただし、ピンヒールの靴は土俵に穴を開けるのでダメですが)。

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いっそ、相撲協会は、大改革のシンボルとして「平成の断髪令」を出して、ちょん髷や大銀杏を止めてしまう荒療治もありです。因循姑息の音がしないようにするのです。

勿論、反対意見は多いでしょうが、強いちじれっ毛で、ストレートパーマをかけないと髷が結えないポリネシアンやアフリカ系の力士には歓迎されるでしょう。 あと、額がどんどん後退し、髪の毛が少なくなっている力士からも歓迎されるでしょう。

いずれにしても、八角理事長には頭を使って知恵を出してもらわねばなりません。 そうでなければ、「相撲取りの頭は、考えるためでなくちょん髷を結うためにあるのか?」と言われそうです。


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