【 ボンクラの勝利 再び その2 】 [アメリカ]
【 ボンクラの勝利 再び その2 】
イリノイ州の中央部、スプリングフィールドの近くに、アラバナ・シャンペーンという小さな町があります。シカゴからセントルイスへ走る高速道路からちょっと外れた場所にある閑静な学園都市です。そこにはイリノイ大学の本部があります。
イリノイ州といえば、ノーベル賞受賞者だけで野球が6チームできるというシカゴ大学、自然科学の分野で特異な業績を挙げているノースウエスタン大学、神学部と医学部が有名なロヨラ大学などが思い浮かびますが、それ以外にも一流の研究者が集う名門大学がキラ星の如く存在します。残念ながら、オヒョウには全く関係ありませんでしたが・・・。
・・・・・・
その中で「イリノイ大学を忘れてもらっては困る」と私に語ったのは鉄の凝固を研究するブライアン・トーマス准教授です。確かにイリノイ大学からも優れた研究が多く報告されています。 その中でも1976年に発表された研究は世界中の話題になりました。
それは四色問題(four color theorem)を証明・解決した論文です。
・・・・・・
ご存知でない方に申し上げれば、この問題は「地図を国別に色で塗り分けるには、最低何色必要か?」という単純な問題ですが、古来多くの数学者を苦しめてきました。
単純に考えれば4色あれば十分なのですが、その証明ができません。
3次元以上の場合は、比較的に早く、4色でいいという結論がでましたが、2次元(つまり普通の地図)の場合で、人々は苦しみました。
・・・・・・
その難問を1976年にイリノイ大学アラバナ・シャンペーン校のハーケン教授が解き、証明しました。しかし、その証明は、それまでの数学の証明とは全く異なる方法でなされたのです。 膨大な数の場合分けについて、それをコンピューターで処理して、5色以上を必要とする場合は無い・・という結論の形で、四色問題を解決したのです。
これはある意味でつまらない証明です。数学者が尊ぶエレガントさがありません。
機械的で単純な作業をするコンピューターにひたすら調べさせたのですから。
それに、この問題が解けたからどうなの?という冷ややかな意見もあります。その後の数学の発展を見通せる展望が開けない論文だったようです。
・・・・・・
しかしこれは、別の意味でエポックメーキングでした。 機械的な単純作業だけでなく論理的な考察、理論の構築にもコンピューターが使える事が証明されたのですから、その意味で新しい研究手法の確立とも言えます。 その後コンピューターを使って数学の証明をする研究分野が確立しました(Automated Theorem Proving)。ポイントはコンピューターの演算結果を以て証明とみなせるように、アルゴリズムのお膳立てをすることです。四色問題では、それに膨大な時間と頭脳が必要でした。
一部の数学者からは異端として冷淡な目で見られている分野ですが、着実に成果を挙げているようです。 門外漢の私には、数学界の中での位置づけがどうなのか、わかりませんが。
・・・・・・
コンピューターが膨大な手続きが必要な数学の証明に使えるのなら、将棋の完全解析にも使えるのではないか? 私はそう思います。 そして将棋が先手必勝であることが、近い将来証明されるのではないか?と予想します。
その場合、その証明で活躍するのはコンピュータープログラマーであり、将棋の高段者ではないでしょう。
・・・・・・
歴史を見ると、しばしば画期的な発見や発明が、専門家でない人によってなされます。 ノーベル化学賞の田中さんは、化学者ではありませんでしたし、 岩宿で旧石器時代の石器を発見した相沢さんもアマチュアでした。独特の知識や技術を持ち、しかし先入観を持たない人によって、発見や発明はされます。 コンピューターの登場は専門家ではない素人に活躍の場を与えます。 多分、将棋の先手必勝も将棋の専門家ではない人によってなされるでしょう。
一方、高段者や将棋を愛する人達は、密かに将棋の先手必勝が証明される事を嫌がるでしょう。
・・・・・・
ところで、数学者(位相幾何学者)からは冷淡に扱われた四色問題の証明は、イリノイ大学の学生やアラバナ・シャンペーンの住民からは熱狂的に支持されたそうです。大学では” Four Color Is Enough ! ”と書いたTシャツが売られ、多くの人が買い求めたそうです。 今でこそ、時の話題にちなんだメッセージを大書したTシャツやトレーナーは、ほうぼうで売られていて珍しくありませんが、70年代の四色問題証明を喜ぶこのTシャツは、その先駆けだったのではないか?と私は考えます。
・・・・・・
残念ながら、オヒョウはその” Four Color Is Enough ! “と書いたTシャツを買い求める事はできませんでした。 しかし、大学を訪れた際、同行した男が奇妙な事を言ったのを記憶しています。
「あれぇ? “Four Color Is Enough !” じゃなくて、”Four Colors Are Enough ! “じゃないのかなぁ?」
アホな事を得意げにしゃべっていましたが、彼は、極度に肥満し、アゴの尖った不愉快な男で、たしか赤井とか言ったかなぁ? そう言えば、彼は将棋も下手くそで9級くらいだし、コンピューターのプログラミングもできないはずです。 四色問題とも将棋の完全解析とも無縁な男だな・・と彼の事を思い出します。
【 ボンクラの勝利 再び 】 [雑学]
【 ボンクラの勝利 再び 】
いささか旧聞ですが、日本将棋連盟の会長である米長永世棋聖が、再びコンピューターソフト「ボンクラーズ」と対戦して敗北したそうです。 前回の手合わせは前哨戦だったとのこと・・。
このあとも、現役のプロの棋士とコンピューターの対戦は続くようですが、巷の興味は「人間とコンピューターのどちらが強いか」から別の事に移りつつあるようです。
以下はネット情報からの受け売りです。
コンピューターソフトの棋力はここ数年、めざましい勢いで向上してきましたが、直近は伸び悩んでいるそうです。もっとも、既にプロの高段棋士と同じレベルに達しているので、もはや棋力を定量的に測る適切な方法がありません。 将棋倶楽部24のレーティングがR3000以上はプロの世界だからです。
・・・・・・
今を遡ること十数年前に、チェスの世界ではコンピューターに人間が勝てなくなりましたが、そのコンピューターチェスの思考ルーチンを参考にして、将棋ソフトボナンザができました。これによって初めてプロの棋士と対等に対局できる将棋ソフトが完成し、その延長上にボンクラーズがあります。 ボナンザは将棋ソフトの一つのエポックメーキングでした。
・・・・・・
ボナンザの特徴は2点です。
1. すべての候補となる手をシラミ潰しに調べる全幅検索と、有力な候補の手を特に深く調べる選択検索の両方を併用する仕組みであること。
2. 局面の良し悪しや駒の価値を決める評価関数を、プログラムを作る人間がするのではなく、コンピューター自身が作る仕組みであること。
・・・・・・
将棋の指し手には、天文学的な組み合わせがありますが、その大半は意味が無いものです。それらをシラミ潰しによんだところで、徒労に終わります。将棋の強い人とは、無意味な手を削ぎ落して、有力な手順のみを残して深く読む人です。つまり全幅検索をせず選択検索を行う人です。
・・・・・・
だから、普通の将棋ソフトも選択検索を行います。 プログラム作成者は、大抵自分も将棋を指しますから、選択検索のロジックの改善につとめ、全幅検索など検討対象としません。
しかし、ボナンザの開発者は、全く畑違いの化学者で、将棋の棋力も弱く(自称アマ11級とか)、選択検索にこだわらなかったそうです。 そこで、全幅検索と選択検索を組み合わせ、しかも評価関数も恣意的に決めるのではなく、コンピューター自身にまかせるという、「コンピューターまかせ」のプログラムにしました。
・・・・・・
参考にしたチェスのプログラムは、持ち駒を打ちませんから、将棋よりはるかに候補手の数が少なく、かつ手数が進むほど場合分けが減っていきますから、全幅検索が使えます。それをボナンザはヒントにしたのです。
ハードウェアの性能が貧弱な時代なら、その手法は通用しませんでしたが、近年のパソコンの性能はめざましく、ボナンザの能力を発揮する事ができました。
・・・・・・
その延長上にあるボンクラーズの場合も、強さの秘訣はそこにありそうです。
近年、コンピューターソフトの強さが伸び悩んでいるのは、人間の最高レベルに棋力が近づいた事もありますが、ボナンザを超える革命的なアルゴリズムが登場しない事も理由の一つと思われます。
・・・・・・
またコンピューター将棋は、ハードウェアの向上でさらに強くなりますが、こちらはブレークスルーというわけにはいきません。 もちろんコンピューターはどんどん高性能化しますが、機械が変わってケタ違いに将棋が強くなるというわけでもなさそうです。
・・・・・・
コンピューター将棋の世界は、ハードよりもソフトがものを言う世界のようです。
ボンクラーズはブレードサーバー6台を連結した条件下で、1秒間に1800万手先を読むそうですが、その数字自体にあまり意味はなさそうです。
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/news/20120116/1040348/
例えば、円周率の計算では、どれだけ速く、かつどれだけ多く計算できるかの勝負ですが、将棋やチェスはそう簡単ではありません。どれだけ早く正解に近づくかという問題で、さまざまなアルゴリズムが考えられます。
・・・・・・
将来、将棋でも、コンピューターの方が人間より強いという時代が来たら、より強いソフトを開発するという意欲は低下し、コンピューター将棋が強くなる速度は低下するでしょう。 人間の存在できない世界で機械どうしで競っても仕方ないからです。
かつて、コンピューターチェスの世界がそうでした。
・・・・・・
では、それからどうなるか?ですが、将棋の完全解析が何時できるかに興味が移ると思われます。 完全解析とは、必勝手順を発見、証明することです。 でも、これには時間がかかるでしょう。チェスでも実現していません。
・・・・・・
大昔ですが、慶応大学の数理工学科の中西先生は、雑談の中で語っておられます。
「多分、将棋というゲームは先手必勝でしょう。 でもその証明は大変です。 ごく一部の可能性として後手必勝の可能性も考えられます。 これは、将棋を始める前の駒の配置が完全であり、先手が仕方なしに初手で駒を動かす事でスキが生じ、そこを後手が攻めれば必ず勝てるという可能性ですが、それは非常に小さい。
勿論、それ以外に千日手とか、持将棋(双方入玉した時点で、所定の駒数を持っている場合に成立)という可能性もありますが、それも小さい。
だから、多分、先手必勝なのですが、証明には膨大な手間がかかるのです」
・・・・・・
実際、江戸時代以来、天才とも言えるプロの将棋指しが膨大な棋譜を残していますが、それで先手必勝の証明に近づいたとは思えません。 もし完全解析(つまり先手必勝の証明)に近づくなら、先手の勝率が高くなるはずですが、そういう傾向もありません。統計を取ると、先手の勝率がわずかに高いのですが、大きな差ではありません。
・・・・・・
むしろ「ゴキゲン中飛車」のような、有力な後手定跡が登場すると、後手の勝率が高くなったりします。完全解析への道は遠いのです。
・・・・・・
かつて朝日新聞のアマ名人だった、小林純夫博士は住友金属の社内誌の中で、将棋の手順の場合分けが天文学的な数にのぼることを示して、いかにコンピューターが発達しても、完全解析は無理である・・との持論を展開しました。
・・・・・・
でも完全解析は本当に夢物語なのでしょうか? 天文学的な場合分けの全てのケースについて、コンピューターでシラミ潰しに確認する事は不可能なのでしょうか?
私はそうは思いません。 そう考える根拠となる出来事が1970年代にアメリカであったからです。
以下、次号
【 カテナリー その2 】 [雑学]
【 カテナリー その2 】
私の部屋から見える山の稜線を見ながら、連なる山の曲線に、何らかの数学的な意味はないだろうか?と 暇な時に考えます。
(最近はあまり暇ではありませんが)。
・・・・・・
曲線を見ると、すぐにやりたくなるのはフーリエ解析です。大学の学部の初年級で習うフーリエ解析は、学生には新鮮で、ある意味で自然現象を見る目を変えるほどです。 何と言っても、全ての曲線は、無限の正弦波(サインカーブ)の級数で表され、波長毎の振幅の分布で曲線が規定できるのですから、ちょっと驚きです。 しかもパソコンがあれば、そう複雑でないプログラムで計算できます。
・・・・・・
稜線の曲線もフーリエ解析すれば、山脈の老若もわかります。
これは小学校で習う事ですが、山脈/山地は、幼年期、壮年期、老年期に分かれます。 幼年期は隆起した平原に、川の浸食が始まり、深い谷を形成した時期です。
よく例として登場するのは、アメリカのグランドキャニオンです。
・・・・・・
山の壮年期は、浸食が進み、高くて峻険な峰々がそびえ立つ状況で、日本の飛騨山脈やヒマラヤ、アルプスの西半分などが該当します。
・・・・・・
山の老年期は、さらに浸食が進み、高い峰は低く丸くなり、ゆるい丘陵になったものです。日本なら北海道の礼文島、欧州ならアイルランドやウェールズが該当します。
山の険しさを、稜線のフーリエ解析によって周波数分布の形で示せば、山脈の年齢が分かります。 例えば、ヨーロッパのアルプスはオーストリア辺りの東部と、フランスにさしかかる西部ではかなり険しさが違いますが、フーリエ解析によって、山の年齢差で示す事ができるはずです。 まだ実際に試みた人はいないと思いますが。
・・・・・・
次に考えるのは、山の形をフラクタル図形ととらえて、そのフラクタル次元で表す事です。 よく知られている事ですが、自然界の多くの物体の形状がフラクタル図形として解析できます。 シダの葉脈も、立木の枝分かれも、雲の形も山の形もフラクタル図形として人工的に表すことができます。コンピューターでフラクタル図形を計算して、実在しないけれど、いかにもありそうな山の絵を描く事もできます。
・・・・・・
しかし、フラクタル次元が分かったところで何の役に立つのか・・という問題があります。 もう20年以上前ですが、フラクタル理論がカオス理論と同時に登場した頃、それを自然現象の説明に応用しようとした科学者が大勢いましたが、ほとんど失敗しました。
山の形を見て、フラクタル次元を考える事は無意味ではありませんが、それで論文がまとまる可能性はありません。
・・・・・・
どうも、山の形を見て、数学的考察をするのは不毛だ・・と思っていたところ、あるTV番組に山の数学的な形が写りました。
それは南アルプスを縦走する登山者の映像でした。白根山北岳(最近は単に北岳と言う場合が多いようですが)から間ノ岳へ向かう、稜線の道で、典型的なカテナリー(懸垂線)の形状をしていました。数式で表すこともできそうです。
・・・・・・
なるほど、双耳峰の間の稜線なら、カテナリーになるはずだ!と気づいた訳ですが、
そう簡単ではないようです。
よく知られた双耳峰としては、鹿島槍ヶ岳、谷川岳(オキの耳とトマの耳)、筑波山などが思い浮かびますが、それらの写真を見るかぎりでは、明瞭なカテナリーは見られません。 かなり距離をおいた2つの急峻な峰の間が尾根伝いでつながった特別の場合だけに見られる形状のようです。
・・・・・・
もうひとつ面白いのは、この稜線は、尾根をたどると、下に凸のカテナリーとなりますが、それと直角方向の断面でみると、上に凸の曲線になり、峠の部分は鞍上点になります。 登山用語でいうところのコルです。(ローツェとエベレストの間のサウスコルが有名です)。
しかし尾根に直角の断面で見た場合、上に凸の形状がどういう曲線なのか分かりません。 北岳と間ノ岳の稜線を見たところでは、放物線ではなさそうですが、カテナリーでもなさそうです。 なんらかの二次曲線に近似できると思うのですが、理屈で考えてどの曲線で示すのが合理的なのか、さっぱり見当がつきません。
いつか自分の目で見て、考えて結論を出したいと思います。
・・・・・・
現代は、現地に行かなくても、電子データとして国土地理院の立体地図が手に入りますから、自分のパソコンで簡単に立体的な地図を見る事ができます。 もっとも有料なので、私はまだ入手していませんが。
但し、二万五千分の一の地形図では、山の稜線の細かい形状は再現されないかも知れません。その場合は、別の地図を使用する必要があるかも知れません。
・・・・・・
そして立体地図にするのなら、モニターも3D対応のモニターにした方がいいかも知れません。 私はTVや映画を観る分には3D画面の必要を全く感じませんが、立体地図の画面を見られるなら、3Dモニターもいいかな・・と思います。
・・・・・・
自然界の現象や形状を数式で表せたところで何になるのか?と訊かれれば答えに窮します。 多くの場合は何の役にも立たず、自己満足に終わるでしょう。
でも何の役にも立たない事にこだわり、熱中するのも大人の趣味として許されるのではないか? と私は考えますが・・。
ただ、その趣味にこだわるには、私にはあまりに時間がなく、そしてお金もないのが事実です。
写真の風景は、木曽川の向こうの三重県の山々です。
【 カテナリー その1 】 [雑学]
【 カテナリー その1 】
私が理科系の人間なのか、文化系の人間なのか、時々疑問に思われる方がいます。
「えっ?オヒョウさんって理科系だったのですか?」と驚かれると、喜んでいいのか、がっかりしていいのか、判断に困ります。
・・・・・・
技術系か事務系か・・という区別でしたら、現在行なっている仕事の内容で区別できる事もあります。 しかし、それだって仕事のキャリアが長くなり、管理職業務になってくると、技術系と事務系で分ける事が無意味になる場合もあります。実際、課長から上は技術系も事務系もない・・としている会社もあります。
・・・・・・
まして理科系と文化系という区別は難しいです。それが学校で学んだ専門に基づく分類なら簡単ですが、学校を出て数十年が経てば、もはや無意味です。
勿論、医師だとか研究者だとか、学生時代の専門を引きずって、それを飯の種にしている人たちは別です。 それに専門職ではない普通の人たちでも、雀百まで踊り忘れず・・というか、理科系の思考パターン、文化系の思考パターンというものは、ずっとついて回ることがあります。だから理科系人間、文化系人間という分け方はありますが、私の場合、その思考パターンがはっきりしないから、理科系か文化系か、どっちなんだ?と疑われる訳でしょう。 私は、そういう時は黙ってポケットの電卓を見せます。
・・・・・・
理科系か文化系か、あるいは技術系か事務系かは、電卓を見れば分かります。
理科系・技術系の人は関数電卓というのを持っており、複雑な関数キーがたくさん付いています。 文化系・事務系の人の電卓は、桁数は大きいものの、機能は至ってシンプルで四則演算と平方根ぐらいです。 だから簡単に見分ける事ができるのです。
・・・・・・
でも理科系の関数電卓は、ひとつのコケオドシというかステータスシンボル的な意味があって、いつもその関数機能を使っている訳ではありません。 無論、複雑な関数キーを叩いている人もいるでしょうが、私の場合、パソコンの表計算を使った方が便利です。 多くの人がエクセルを使うようになって、関数電卓をあまり使わなくなったのではないか?と考えています。
・・・・・・
その関数キーの中でも、一番使わないのが、HYPと書いたキーです。これは双曲線関数を計算するものです。 私は、関数電卓を30年前に購入してから、一度もこのキーを押していません。
双曲線関数は、三角関数の延長上にあるもので、指数関数の和で表されます。オヒョウの時代は、これを高校で習いました。 息子達に訊くと、現在は普通の高校では習わないそうです。 でも私には、この双曲線関数は非常に懐かしい存在です。それは、双曲線関数のうち、coshで示される、懸垂線(カテナリー)に思い出があるからです。
・・・・・・
Y=coshX=(ex+e-x)/2で示される関数は、懸垂線です。 高校時代、教育実習の先生が、この式を示し 「 これは放物線ではない。一様な質量密度を持つ細長いヒモを両端固定で水平に張った時に描く曲線である・・ 」と説明されました。
(厳密には非線形ですが、線形に近似した場合です)。
・・・・・・
私は拙い数学の知識と、頼りない頭脳で考え、実際に懸垂線がその数式で示されるか検証してみました。 結果はそのとおりで、微分方程式の計算の実社会の現象の符合を確認できて非常に嬉しかったのを記憶しています。
・・・・・・
物体を投げた時の放物線、惑星の運行を表す楕円と並んで、懸垂線は自然界で見られる代表的で単純な数学的図形です。 それらを数学で解析して自分なりに納得できる事は実にありがたいことです。
・・・・・・
世の中には、耳に入る小鳥の歌声も、車のクラクションも全てドレミファソラシドで理解できる人がいるそうです。いわゆる絶対音階を持つ人達ですが、音痴の私には全く想像できない天才の人たちです。
・・・・・・
それと同じように、目に入る物理現象や自然界の形を、全て数学の方程式で理解できる人がいるようです。 敢えて言えば、絶対物理感覚を持つ天才達・・ということになります。 残念ながら、私はそちらの方もさっぱりですが、多少は理解できます。
・・・・・・
海の波の中の粒子の動きを見れば、サイクロイド曲線を考え、高速道路のカーブを見ればクロソイド曲線を考え、川の流れを見ればカルマン渦の周期を考え、木々の枝分かれを見れば、フラクタル次元を考えてしまいます。
・・・・・・
私には理解できないだけで、もっと多くの自然現象が数式で表せるはずですが、私には、その才覚がありません。 現象が非線形だったり、複雑系であれば、簡単に理解できないからです。
・・・・・・
自然界の現象の形状に比べれば、人工物の場合は簡単です。設計者は神ではなく、人間なので、比較的に単純な数式を用いているに違いないからです。
ここで言う人工物とは、人が作る機械や乗り物、建築物の事です。
・・・・・・
その建築物には有名なHPシェル構造があります。
美しくて、強度があり、材料を節約できる優雅な構造です。
ここで言うHPとはハイポネーテドつまり双曲線であり、HPシェルとは双曲線関数を用いたシェル構造です。 電卓のHYPキーと同じ意味です。
・・・・・・
私が尊敬するS前社長と酒を飲んだ時です。 「HPシェル構造で有名な建築物を挙げてみろ 」という質問がでました。 実はSさんが一番好きな建築構造はHPシェル構造なのだそうです。それは美しいからです。
これは建築の専門家ではない部下には辛い問題ですが、私はなんとか「文京区にある東京カテドラルが最も典型的なHPシェル構造だと思います」と答えました。
私は丹下健三をあまり好きではないのですが、東京カテドラルの聖マリア大聖堂だけは好きなのです。
・・・・・・
Sさんは、その回答を予想していなかったらしく、一瞬返事に詰まりましたが、「俺が考える最も典型的なHPシェル構造は、神戸のポートタワーだ。その美しさと強さは見事だ 」と言って、建築構造の話はそこで終わりました。
・・・・・・
私は焼酎を飲みながら考えました。 ( Sさんが言う通り、HPシェルは優れた構造だ。もっと応用していいのに、あまり使われていない。 懸垂線(カテナリー)はもっと多く利用されていいはずだ・・ )。
・・・・・・
私がその時考えていたのは、天井クレーンのガーダー(桁)の構造です。
ガーダーは、直線ではなく、上方向にわずかに湾曲しており、その反りのことをキャンバーと言います。
・・・・・・
このキャンバー形状は、カテナリーが理想ではないか? 一様分布荷重とみなせる、クレーンの自重だけを考えれば多分カテナリーと考えて問題ないでしょう。
しかし実際には、クレーンにかかる荷重は一様ではありません。クラブと呼ぶ装置が吊り荷の集中荷重を受け、それをガーダーの局所に伝達する形となります。
集中荷重がガーダースパンのどこにかかるかは、その都度変化しますから、便宜的に中央に集中荷重がかかると考えます。
その場合、梁(ガーダー)の撓みは、パラボラ(放物線)になります。
・・・・・・
そうすると、ガーダーのキャンバー形状は、定格荷重を中央に集中させた場合のパラボラと、ガーダーの自重から考えたカテナリーの和にするのが理想です。
実際には、カテナリーは中央付近でパラボラに近似できますから、二種類の曲線に分けて考える事は、あまり意味があるとは思えませんが・・。
・・・・・・
私のカテナリーに関するもうひとつの興味は、クレーンではなく、自然界での形状です。 それについては、次号で申し上げます。
【 沖縄県知事がするべき事 】 [政治]
【 沖縄県知事がするべき事 】
少し前まで、全国の成人式で乱暴狼藉を働く若者がいて、荒れる成人式などと言われましたが、今年はかなり穏やかになったそうです。 大震災の復興で大変な日本でふざけている訳にはいかない・・とか、甘えを許さない厳しい経済状況の中で、若者が殊勝になったという事かも知れませんが、もしそうなら怪我の功名です。
・・・・・・
その中で、沖縄県だけは、相変わらず荒れる成人式だったとか・・・。
http://www.asahi.com/national/update/0108/SEB201201080046.html
それはなぜか?と考えてみます。 沖縄の新成人達は米軍基地の存在や日本政府の対応に怒って暴れたのではないでしょう。
・・・・・・
今、私の手元には都道府県別のいろいろなデータがあります。
県民所得の順位・・・ダントツで沖縄県が最下位。
高校進学率・・・ダントツで沖縄県が最下位。
大学進学率・・・ダントツで沖縄県が最下位。
失業率・・・ダントツで沖縄県が最高(最悪というべきか)。
・・・・・・
面白いことに平均寿命をみると、女性については沖縄県が最高です。これは気候温暖な風土の影響もあるでしょう。でも男性の平均寿命は日本の平均値くらいです。
この理由は明らかです。 今、日本で亡くなる人は80代、90代が多いのですが、本来その年齢層になるべき沖縄の男性達は、太平洋戦争で多くが亡くなっているから、数が少ないのです。
・・・・・・
脱線しますが、40年ほど前に、世界各国の人口ピラミッドの図を見た事があります。日本と西ドイツ、ソ連(当時)の人口ピラミッドでは、中年男性の部分に大きな凹みがあるのを見て粛然としたのを覚えています。 ちなみに戦争の最大の被害国であると主張し、南京で数えきれない多くの人が殺されたという中国では人口ピラミッドに切欠きはありません。もっとも、国勢調査もなく、戸籍も怪しい中国では、人口ピラミッドも正確ではないのでしょうが。
・・・・・・
あと、沖縄県のデータで最下位でないものには、人口あたりの医師の数があります。
これは、本土の国立大学医学部がずっと沖縄県人枠を確保して、医師の養成に協力してきたからです。そして埼玉県のように人口が多く医学部が足りない県に比べれば、人口が少ない分、ましなだけです。 琉球大学に医学部ができたのは全国で一番遅く、今でも医師の需要を完全に満たしてはいません。そして医師のいない離島が沖縄には幾つかあります。 行政は沖縄県の医療に関しては怠慢というしかありません。
・・・・・・
ここまで考えて、沖縄県の成人式が荒れる理由がなんとなく分かります。
最悪の失業率、最低の県民所得・・・。実はン十年前ですが、オヒョウの新婚旅行は沖縄と石垣島でした。その時、ガイドの若い男性から「沖縄で高校を出た後、就職するにしても進学するにしても本土に行くしかないのですよ」と聞かされたのを思い出します。 若い人達に将来が無い島、未来の展望が開けない島・・それが沖縄です。
・・・・・・
私は外国で経験しました。若者の失業率の高い国は、壁に落書きが多いのです。
若者が活躍できない国、夢が持てない国では、夜の治安が悪く、麻薬や暴力に走る若者が多いのです。 具体的には、ドイツやオランダがそうです。それらの国に成人式があるかないかは知りませんが、あるとしたら、おそらく荒れるでしょうね。
・・・・・・
いわゆる「荒れる成人式」で、来賓の首長は、乱暴な若者に驚き、怒り、おののきます。 しかし、その原因や責任が自分にあるとは全く思わないでしょう。
でも、実際には、行政の長にも関係がある事なのです。
・・・・・・
この都道府県別のデータは、言葉を変えれば、都道府県知事の通信簿とも言うべきものです。 多くの項目で沖縄県は最低であり、県知事は落第点なのです。
沖縄は基地負担の代償として、国から多くの財政面での優遇措置を受けています。しかし、データを見るかぎり、それらのお金で沖縄の経済が豊かになったとはとても思えません。 沖縄県と沖縄県知事はこれまで何をしていたのか?
・・・・・・
マスコミに登場する仲井真知事は、常に不機嫌で怒っています。 それは仕方ない事で、民主党政権はあまりに沖縄を愚弄してきました。 何の根拠も理由もなく「普天間基地移転は最低でも県外」というデタラメを言った後で、結局「辺野古にしたい」と言ってみたり、 沖縄を強姦される女性に例えたりするセンスは、まともな人間とも思えません。 このままでは、普天間基地はどこにも行けず、固定化されるでしょう。
だから沖縄県民が皆怒るのは当然で、県知事はそれを代表する存在として怒らなければならないのですが、それにしても怒るばっかりです。
・・・・・・
彼は、政府に対して、苦言を言う事と、拒絶する事と、要求する事しかしていません。
県の行政のトップとして彼はどんな実績をあげたのか?彼は県民を幸福にするためにこれまで何をしたのか? 政府に要求しただけではないのか?
・・・・・・
辛くて苦しいのは沖縄だけではありません。大震災と津波、原発事故からの復興に喘ぐ福島、宮城、岩手の各県も同じです。東北各県は政府に要求/要望をする一方で、粛々と作業を続けています(あまり迅速とは言えませんが・・)。決して被害者ヅラをしていれば解決する問題ではないからです。
翻って、沖縄県はどうか? 仲井真知事は被害者ヅラしかしていないのではないか?
彼は県民を富ませるアイデアを一つでも持っているのか?
・・・・・・
もし本当の県知事であるなら、米軍基地を沖縄から追い出した後に、どういう方法で県を活性化するか、どういう方法で若者を惹きつけるかを、県民に、あるいは国民に語るべきです。 そこに説得力があるなら、多くの国民が普天間基地移転に賛意を示すでしょう。 今のままでは、米軍基地を追い出した後に、沖縄はさらに貧しくなるしかありません。 貧しくても軍事基地が無い方がましだ・・というのもひとつの見識ですが、それでは、若者は島に残れません。 成人式は荒れるばかりです。
・・・・・・
仲井真知事よ、仏頂面のままでいいから、一つでも沖縄が最下位でない指標を作ってみろよ。失業率でも県民所得でもいいから。 そして、若者が沖縄を離れなくても暮らしていける社会を作ってみろよ。そうしたら、沖縄の成人式も荒れなくなると思うよ。
断言できるのは、単に普天間基地を追い出しただけでは、成人式はまともにならないだろうという事。
・・・・・・
えっ?政府に文句を言うのに忙しくて、若者の将来や県民の福祉や経済には頭が回らないって? うーむ。沖縄は成人式をやめたら?
【 分裂国家の運命と経営統合企業の運命 】 [鉄鋼]
【 分裂国家の運命と経営統合企業の運命 】
南スーダンの政情が安定せず、大勢の人が殺される事態が続いています。そこで治安維持のために日本の自衛隊も派遣される事になりました。もともと、日本と日本に暮らす人を守るために自衛隊に入った人たちも、今の時代、日本と関係ない地球の裏側で平和に貢献することになりました。 憲法九条による制限よりも、国連からの要請や国際貢献が優先するという考えが、定着しつつあるみたいです。
・・・・・・
ところで「南スーダンって何?」と考える人は、20世紀を引きずっている人たちです。
昨年、鳴り物入りでスーダンから分離独立し、これでこの地域の人たちは平和に暮らせる・・と世界中から祝福された独立国です。 しかし、最近の報道を見るかぎり、物騒な環境と人々の貧困は、改善されていないようです。
・・・・・・
そもそも南スーダンは、なぜスーダンから分離したのか? 同じ民族、或いは同じ文化を持つ人々が、複数の国に分かれて暮らすとはどういう事か?
・・・・・・
オヒョウが子供の頃(東西冷戦の時代)、東西や南北に分かれた国は今よりも多くありました。 東西ドイツ、南北朝鮮、南北ベトナム、東西パキスタン。 それらは第二次大戦の後遺症として分裂国家になったとも言えましたし、東西対立の最前線の地域が分裂国家になったとも言えます。 パキスタンだけは東西対立とは違ったのですが、第二次大戦後の英国植民地独立の過程でできた分裂国家と言えます。
しかし、東西パキスタンはそもそも一つの国家ではありませんでしたから、分裂国家と言うのも無理があります。
・・・・・・
英国領インドを独立国家とする際、ヒンズー教徒の多くいる地域をインド、イスラム教徒が多い地域をパキスタン、仏教徒が多い地域をセイロン(スリランカ)と大雑把に分けた訳ですが、大変な無理があります。インドにもイスラム教徒はたくさんいますし、そもそも、インドには随分多くの宗教があります。イスラム教の影響を受けたシーク教はかなり過激で、今もインドではシーク教徒のテロが続いています。
・・・・・・
だから、インドとパキスタンの線引きには無理があり、今でも国境紛争が続いています。 国境線の争いというだけなら、世界中にありますが、インド/パキスタンの場合は、その争いのために、両国とも核兵器保有にいたりました。罪深い事です。
ちなみに、スリランカにも宗教上の対立があり、しばしばテロが起こっているのはご承知の通りです。
・・・・・・
中東でもアフリカでも、紛争地域の過去を遡ると、英国が植民地を手放すにあたって、適切な対応を取らずに、無責任に放り出した事が禍根になっている例が複数あります。半世紀以上前の失策で今も悲劇が続いています。
・・・・・・
昭和の時代、東西パキスタンの場合、最初は同じ国でしたが、地理的に離れており、民族も違いましたから、早くから問題がでました。 国力的にまさる西パキスタンが実質的に東パキスタンを植民地のように扱いました。 人口が稠密で、毎年のように大洪水に見まわれ、アジアの最貧国であった東パキスタンから更に搾取しようとしたのです。 それに反発した東パキスタンは、アワミ連盟のラーマン党首が立ち上がり、ついに独立しました。バングラデシュの誕生です。 その後、東パキスタンは政治的には概ね安定していますが、アジアの最貧国の状態からはまだ脱していません。しかし、経済成長の条件は整いつつあり、今後高度成長が見込める国であると、私は思います。
・・・・・・
同じ国なのに、ある地域が差別され、植民地のように扱われ、放り出される形で泣く泣く独立した国は、他にもあります。 シンガポールがマレーシアから独立した時も同様で、リー・クアンユーは、不安と情けなさで涙が止まらなかったそうです。
インドネシアから東チモールが独立した時も同様です。
そしてスーダンから南スーダンが独立した時も同様です。
・・・・・・
奇妙なのは、日本のマスコミの評価です。 日本のマスコミにとっては、アメリカにとって都合の悪い事は善であり、中国にとって都合の悪い事は不善です。
ですから、ベトナムの統一を喜び、また東チモールの独立を喜びます。しかし、私の目には、東チモールの独立はどう見てもよい事ではなく、禍根を残しただけだと思うのですが・・・。
・・・・・・
東西対立でできた分裂国家は、その後減っていきます。ベトナムはベトナム戦争終結によって統合され、ドイツは冷戦終結後に統一されました。 残るは南北朝鮮ですが、いつか統一されるでしょう。一方で東チモール、南スーダンという具合に新しい分裂国家ができますから、全体として東西南北が国名に付く国家はあまり減りません。
そして国際紛争の原因は減りません。
・・・・・・
統合したり分裂したりするのは、国家だけではありません。 企業の経営統合や分離売却はどんどん盛んになります。 例えば、住友金属工業は、小倉製鉄所と直江津製造所を約10年前に分離独立させましたが、再び吸収統合し、今年は会社本体が新日鉄と経営統合します。
・・・・・・
住金は伝統的に会社の吸収統合が上手な会社です。 これは吸収される側の社員が不利益を被らないように、待遇面やポスト面でも優遇してバランスを取る事に心を砕いてきたからです。しかし今年の経営統合はそううまく行くか分かりません。
住金は吸収合併される側だからです。
相手となる新日鉄は、合併の下手な会社です。いまだに旧八幡と旧富士の派閥が残っており、不毛な対立があります。 新日鉄になった後に入社した世代なのに「俺は富士製鉄派だ」と言って得意になっている人を見ると、その愚かさに呆れてしまいます。
・・・・・・
住金と新日鉄の合併は、表向きは対等合併となっていますが、会社の規模からみても、株式の価値からみても、住金が劣り、新日鉄による吸収合併の色彩があります。
製鉄業界はグローバルな競争をする上で、規模が非常に重要であり、住金の規模では多くの困難があります。 つまり住金が単独では生き残れないから、それを新日鉄が救済するのが今度の合併とも言えます。
欧州では、この20年の間に合併が進み、製鉄会社の数が数分の一に減りました。
中国の製鉄会社の合併はなかなか進みませんが、それでも会社の数は今後の数年間で半分以下になるでしょう。日本も鉄鋼大手4社体制は維持できません。
・・・・・・
約10年前のNKKと川鉄の合併の場合は、規模がほぼ同じだったうえ、それぞれが瀬戸内海沿岸と東京湾沿岸に製鉄所を持ち、製鉄所自体の統合が容易だったという事情があります。 エンジニアリングや造船に強いNKK、製鉄に強い川鉄という性格の違いから、補完効果もありました。
・・・・・・
しかし、新日鉄と住金はそうではありません。
対等合併は嘘であり、住金の社員の8割が合併に賛成というのも嘘です。
市場はそれを見破っており、新日鉄も住金も合併発表後、株価を下げ続けています。
私が心配するのは、新日鉄が西パキスタンになり、住金が東パキスタンになるケースです。旧住金を子会社にする事は考えられませんが、新日鉄の植民地にする可能性はあります。
・・・・・・
その場合、住金の友野社長の次の世代のリーダーが、アワミ連盟のラーマン党首になり、独立運動をする・・というシナリオもありますが、まずありえません。 合併後の旧住金の生殺与奪の半分以上は旧新日鉄に握られるからです。
それに独立後のバングラデッシュが必ずしも幸せになった訳でなく、相変わらずの最貧国だからです。 住金が卑屈な東パキスタンにもならず、貧しいバングラデシュにもならない事をいのります。
【 テレント 】 [アニメ]
【 テレント 】
随分昔ですが、雑誌「将棋世界」の載っていた話です。
赤丸急上昇中の有望若手棋士がTVドラマに出演したというので、「いよいよテレビタレントですか?」と訊かれて「いや、僕は手の指先だけしか出演していません。いわばテレントですよ」と、ウィットのある返答をしたというのです。 つまり本物の役者が演じる将棋指しの吹き替えタレントとして登場したのです。
・・・・・・
将棋の高段者ともなると、将棋の駒を操作する時の指先の挙動も違います。
実に器用に駒を持ち上げ、指をしならせて盤上にパチリと置いて、寸分の狂いも
ありません。相手の駒を取る時もすばやく取り去ります。
だから、将棋の経験の無い役者が盤上の駒を不器用にいじると、それだけで嘘と分かるのです。 だから、その部分だけ、本物のプロに指してもらうという考えです。
・・・・・・
専門家でなければ、その動作は演じることができない・・・、普通の役者ではできないから、その部分だけ演じてもらおう・・ということは、TVドラマではよくあります。
例えば、魚をさばく板前の場面、手術をする外科医の指先、そして楽器を演奏する音楽家の指先(特に鍵盤を叩くピアニストの指先)、これらは専門家が代わりに演じます。顔が写らないようにして手だけを登場させる一種のスタントマンです。
・・・・・・
私は、この方法をドラマだけでなくアニメにも応用して欲しいと思います。
具体的には、アニメ「のだめカンタービレ」の楽器演奏シーンへの応用を提案します。
このアニメをご覧になった方はお分かりでしょうが、なぜか楽器演奏の場面になると、絵が静止してしまいます。観ている立場から言えば、著しく興を削ぐことになり、なんと安っぽいアニメーションなのだろう・・と思ってしまいます。
・・・・・・
しかし現実には、音楽に合わせて鍵盤上を動く指先を、正確に手書きのアニメで表現することは至難です。ましてこの物語はコンクールに出場する一流のピアニストを目指す学生の話です。ここの部分で手抜きする事はできません。
・・・・・・
私が提案する方法とは実写フィルムで、男性ならブーニン、女性なら中村紘子あたりの指先を撮影し、その絵をトレースする形でアニメ化する方法です。この方法なら、ショパンの幻想即興曲だろうが、チャイコフスキーの交響曲4番だろうが、簡単です。
以前は実写フィルムから動きを抽出してデジタイズする事は面倒でしたが、今はパソコンがあるので簡単です。
・・・・・・
そこで、問題となるのは、実写の映像から絵をトレースする事が、漫画もしくはアニメーションの原則に照らしあわせて、許されるのか否か・・という事です。
この問題は、近年いろいろな場面で議論され、アニメの手法の多様化と共に、実写の絵を使用する事も許されるようになってきた・・というのが私の理解です。
・・・・・・
もともと、カートゥーンだとかアニメーションと呼ばれるものは、二種類に分類されると私は考えます。
ウォルト・ディズニーの作品を例にとれば、ミッキーマウスの映画に代表される作品で、シンプルで捨象化した絵で構成され、絵の美しさよりは物語や動きの面白さを重視したものと、白雪姫に代表される、美しくて精密な絵で観客を魅了するものの二種類です。
もし手塚治虫の作品で例えるなら、前者は鉄腕アトム型、後者はジャングル大帝型とも言えます。
・・・・・・
もともと漫画とは、具象的な絵ではなく、ある種の記号化と捨象化、デフォルメを前提としたものですが、それが動画になる過程で二種類に分かれたというのが私の理解です。
そして近年はコンピューターグラフィックスの多用や、システム化されたアニメーターの能率的な作業によって、多くの手間を要する緻密な絵をアニメに用いる事が可能になってきました。 その過程で実写の写真をアニメに利用する事もなされるようになりました。
・・・・・・
最も端的な例は、新海誠の一連の作品です。彼のアニメーションは風景(例えば、鉄道の線路、踏切、社内の様子)をカメラで撮影し、その写真に独特の色彩を与えて、アニメーションの絵にするという手法を用いています。
特に、彩度をより鮮やかにし、コントラストを強くする事で、現実より美しい風景を作り出し、彼のアニメーションの印象を強くしているのです。
・・・・・・
新海誠の作品、あるいはスタヂオジブリの作品で、実写の絵が下敷きに用いられるのは、ほとんどが背景用であり、スチールの画像です。
この手法を、動画用、あるいはキャラクター用に用いれば、多くの動作がより正確に表現され、アニメーションの質が上がります。
・・・・・・
スタヂオジブリは「ルパン三世」や「未来少年コナン」の頃と、最近の「コクリコ坂から」とでは作画手法がかなり変わっています。 自然現象や登場人物の動きをよりリアルに正確に表現しようという変化です。 これはスタヂオジブリだけでなく、日本で制作される多くのアニメがその傾向にあります。
その中で「のだめカンタービレ」の安直で安っぽい静止画像の多用は「みっともない」の一言に尽きます。
1960年代、安物のアニメが粗製乱造された時期があります。
例えば、アニメ「8マン」では、主人公が高速で走る場面では、下半身が静止画像になってしまいました。 世界的に高い評価を受ける日本のアニメがその時代に遡ってはなりません。
・・・・・・
もっとも、実写フィルムを下敷きにする手法にも限界があります。 その方法では描き切れない場面もあります。 具体的には「柔道一直線」の一場面で、白鳥という柔道家が足の指でピアノを弾き「猫踏んじゃった」を演奏する場面です。 実写のTVドラマで近藤正臣がその場面を演じた時は、そのあまりの不自然さとバカバカしさに言葉を失いました。 もし、日本のアニメが、コンピューターグラフィックスなどを用いて、その場面を不自然でなく納得できる動作で表現できたら、これは本物だな・・と思います。 その時はテレントが不要になる時代です。
【 序破急 その3 】 [雑学]
四日市の能の感想をどうまとめようか・・と思っていました。「鉢の木」のストーリーは良く知られています。 最初の口上では、かつて学校の修身の教科書に登場したので年配の方はよくご存知です・・という説明があって会場を沸かせました。
・・・・・・
そのあらすじを申し上げるのも無粋ですが・・、ある雪の日に旅の僧が、上野の国、佐野源左衛門常世の茅屋に一夜の宿を求めます。 零落した佐野源左衛門は何のもてなしもできない・・といいながら由緒ありそうな松、梅、桜の鉢の木を切って、火にくべ、僧侶に暖をとらせます。旅の僧が彼の過去を尋ねると、だまされて領地を掠め取られたことや、落ちぶれたりとはいえ御家人のはしくれ、いざ鎌倉のさいには、馳せ参じる覚悟であることを述べます。その後、暫らくして、鎌倉幕府から関東一円の御家人に対して、鎌倉に集合するよう大号令がかかり、佐野も駆けつけます。 そこに現れたのはくだんの旅の僧、実は先の執権である北条時頼であり、佐野の忠義を誉めて、奪い取られた土地を返し、それに加えて、もてなしの礼として、松井田、桜井、梅田の3箇所の土地を領地として与えた・・というものです。
・・・・・・
人口に膾炙した物語ですが、私はこれは、「水戸黄門」の話の原型ではないか?と 思います。 地方に理不尽な仕打ちにあって困窮している人がいる。 そこに諸国を漫遊する謎の人物が現れて、もてなしを受ける。 事情を知ったその人物は、実は権力者・・というかスーパーマンで、正体を明らかにすると、たちどころに問題を解決し、正義の人たちは救われる。・・・というストーリーで、これは外国にもあるパターンです。・・・・・・
能のストーリーとしては、やや通俗に過ぎるのではないか?とか、台詞がやたらに多く、舞がほとんど無いではないか? とか思いますが、分かり易いという点ではありがたい謡曲です。
・・・・・・
私がこの時の能で特に感心した・・というか特に印象に残るのは、ワキである旅僧(北条時頼)を演じている、福王和幸です。 彼は常に朗々としたハリのある声を出し、常に姿勢は真っ直ぐで堂々とし、かつ顔はハンサムです。今風に言えばイケメンです。私より若い世代の能役者で、こんなに格好いい人物がいるとは知りませんでした。
・・・・・・
かつて、江戸時代の武家社会では、能役者というのは人気を競うアイドルタレントみたいな存在だったようです。 しかし、現代でも福王和幸のような能役者であれば、ファンクラブがあってもおかしくないな・・・・なんてことを考えていたら、既にありました。現実は私の想像をはるかに超えています。http://benio418.fc2web.com/
桜花抄というのだそうです。なんだか競馬みたいな名前のファンクラブサイトですが。
・・・・・・
そんなことを書きかけていたら、1月2日の夜、NHKのEテレで厳島の観月能の放送がありました。 これは昨年の10月10日に演じられたものです。演目は「融(とおる)」です。 そこに登場するワキの旅僧が、四日市での演目「鉢の木」のワキである北条時頼(旅僧)と実に良く似ています。 同じように、小袖に角帽子の僧形で、面はありません。 でも福王和幸よりは、少し老けています。 これは誰か?とインターネットで調べたら、福王茂十郎とあります。 福王和幸の父親でした。 こちらも名演です。うーむ、能を古臭い、お年寄りの趣味人が好む芸能とするのは間違いのようです。
・・・・・・
そこでもういちど、能と、現代の演劇の違いを考えて見ます。私が考える能の特徴とは、下記の2点です。ひとつは、ストーリーが最初から分かっているということです。能や歌舞伎はサスペンスドラマではありません。 観客は次の展開がどうなるかに興味を持って舞台を見る訳ではなく、既に知っている物語、既に暗記している台詞を聞いて楽しむのです。 これは、能だけではありません。歌舞伎もそうですし、古典落語だってそうです。 それでなお楽しめるのは、既に良さをしっているファンだからです。 逆に言えば、そうでない人、つまり初めての観客にはとっつきにくいのが古典芸能です。 これは、欧米の古典演劇、オペラなどでも同じでしょう。一度、見てしまったら興味が半減する映画やTVドラマとはそこが違うと私は考えます。
・・・・・・
もうひとつの点は、観客と演じ手に共通する世界があるということです。通常の演劇・芸能では演じ手と観客は、隔絶された世界にいます。しかし、能の場合、自ら能を演じたり謡うことを趣味にする能楽ファンがいます。 囃子方や舞は難しくても、地謡の部分を口ずさむ人は観客の中に少なからずいます。これは多分、能楽だけの特徴ではないでしょうか?落語が好きで、古典落語をそらんじているファンでも自分で落語を語る人は希です。歌舞伎が好きで、台詞を覚えている人でも、自分で歌舞伎を演じようという人も希です。 歌舞伎は、他の芸能と違い、かなり濃いエンスージエストによって支えられていると思います。
・・・・・・
それはともかく、伝統を墨守するだけでは、能楽は今後衰退していくかも知れません。これから、能楽をさらに盛んにするにはどうすべきか? どちらかというととっつきにくい難解さを持つ能を、若い世代に理解してもらうには、福王和幸のような若手に、能だけでなく現代演劇にも出演してもらい、広く能楽を知ってもらう必要があります。以前、狂言役者がNHKの大河ドラマに出演したりして、ちょっとした狂言ブームが起きましたが、すぐに忘れられました。 能や狂言をポピュラーなものにするには、もっと息の長い活躍が必要です。 過去に能役者(というより能楽家)で現代演劇に登場した人といえば、観世栄夫を思い出しますが、彼の後が思い浮かびません。だから、若いイケメン役者に頑張ってもらうしかありません。
・・・・・・
もうひとつの方法は、現代劇や外国の演劇を取り入れた新作を作ることですが、これは非常に難しいでしょう。 例えばシェークスピアのマクベスを能にすることはできるかも知れませんが、失敗すれば、非常に見苦しいものになります。東洋の古典ならともかく、西欧の物語を下手に導入すれば、能楽自体を破壊します。私の知る限り、西欧の話を日本の古典芸能に取り入れて成功したのは、三遊亭円朝の落語ぐらいです。
・・・・・・
あとは、これも能文化の破壊になるかも知れませんが、まじめくさった演劇である能に、ユーモアというか、可笑しみを与えることも重要かも知れません。演目「鉢の木」では、源左衛門常世の瘠せた馬やみすぼらしい具足がひとつのポイントになっており、ユーモアをもたらすポイントは随所にあります。 演出方法に変革があって然るべき・・・と私は思います。
佐野の馬、戸塚の坂で、二度転び
謡曲「鉢の木」を思い返す時、私はそんな古川柳を思い出してしまいました。
【 絆とは何か? 】 [雑学]
【 絆とは何か? 】
民主党から何人かの国会議員が離党し、「新党きずな」を結成したそうです。日本を憂い、そして既存の政党にはあきたらなくて、同志を募って新党を結成したのなら評価できますが、どうもそうではなさそうです。民主党の選挙公約(マニフェスト)はとうの昔に破綻しており、さらに消費税まで上げるとなれば、次回の選挙での民主党代議士の当選はとてもおぼつきません。
・・・・・・
「少なくとも自分だけは増税に反対だったのだよ」と有権者に訴えるパフォーマンスの為に、離党したというのが本音でしょう。 沈むであろうボロ船からネズミが逃げ出すように・・。 さらにうがった考えを示せば、無所属でいるよりも、年内に新党結成を届け出れば、政党助成金にありつける・・というあざとさもうかがえます。
・・・・・・
政界の合従連衡があって、新しい政党が結成された時、それが本物か、便宜上作られた偽の政党かは、政党名に明確な政治思想が含まれているか否かで判断できると、オヒョウは考えます。さらに言えば、それらを英訳してみた時に、意味のある名前になるか否かで判断できると私は考えます。
・・・・・・
過去には、それがさっぱりないというか、英訳した時に無意味になってしまう政党が多くありました。例えば、「日本新党」・・・Japan New Partyとでも訳すのでしょうが、政治思想は全く含まれません。 そもそも結党から何十年も経過した後でも、やっぱり新党を名乗るつもりだったのでしょうか? 最初から短命を予想した党名です。「新党さきがけ」とか「新党大地」というのも、さっぱり分かりません。 英訳自体が困難です。 さきがけ・・はheraldとかinitiativeとかforefrontという単語に訳せますが、heraldでは新聞の名前ですし、イニシアチブというのも、政党名としてはしっくりきません。
・・・・・・
「新党大地」の大地といえば、私にはパール・バックの小説「大地」が思い浮かびます。 原題は“The Good Earth”ですから、「The Good Earth Party」とでも訳すのか?と思いましたが、どう考えても、この小説とこの政党の主張は対応しません。そんなことを考えていたら、鈴木宗男のこの政党は、他の小規模政党と融合・合体して、「大地・真民主党」と名前を変える見込みです。 最初から短命を予想した名前だったのです。要は、英語にしたら意味が無いような情緒的な名前を付けた政党は、存在理由自体もあいまいなのです。
・・・・・・
では「新党きずな」はどうか? インターネット上には、大震災の後、人々が大切にし、昨年(2011年)を代表する言葉にもなった「絆」という単語を利用するなんて、ずうずうしいとか便乗主義だという意見が多くあります。私は「きずな」をどう英訳すればいいのか?と考えます。
・・・・・・
「きずな」を結びつけるもの、結合力と捕らえると、tieだとかbondという名前になりますが、「The Bond Party 」や「The Tie Party」では何のことだか分かりません。私は、もうひとつの言葉、Reunionを考えます。ご承知の方も多いでしょうが、サイモンとガーファンクルの名曲に「母と子の絆」があります。 原題は” Mother and Child Reunion “ですが、私はReunionを絆と訳した人の翻訳能力を高く評価します。
・・・・・・
もし、「新党きずな」が “The Reunion Party”であったら、私はちょっと興味をそそられます。 瑣末な違いで分かれ、ばらばらになった日本の政界を、再結成して困難な課題に立ち向かう政党であるなら評価できます。 もし、単なる”The Bond Party”なら、これは接着剤の意味しかなく、「同じて和せず」の烏合の衆でしょう。
・・・・・・
政党の英語名にこだわるという思いつきは、単なる言葉のあやの議論であり、言葉遊びに過ぎないという意見もあるでしょう。 日本の政党だから外国語での名称などどうでもいいという人もいると思います。 実際、外国の政党名には日本語に訳すことができず、原音をカタカナ表記せざるをえない政党名もあります。しかし「絆」とは何か?を考えるなら、英訳してみるのも、ひとつの方法ではないか?と私は考えるのです。
【 うま肉論 】 [雑学]
【 うま肉論 】
昭和30年代のことです。 馬肉の大和煮の缶詰に「うま肉」と書いてあった事が槍玉にあがり、不当表示ということで表記の是正と現品回収が指示されたことがあります。行政当局が言うには、馬肉なら「ばにく」と書くべきで、「うま肉」では「旨肉」と錯覚され、牛肉と誤解される可能性がある。その錯覚を期待しての表記であれば、犯意は明らか・・・という訳です。でも、私の母などは「そんなことに目くじら立てなくても、ウィットのある表現として認めてあげればいいのに」と言っていました。
・・・・・・
当時は、馬肉の方が牛肉より安価だったのです。 その後、昭和50年代のギャグ漫画「1,2のアッホ」には、牛肉の大和煮に偽装した鯨肉の缶詰を、アメリカの捕鯨反対の団体が見破る場面が登場します。 当時は鯨肉の方が安く牛肉の代用品だったのです。 私も学校給食でたくさん鯨肉を食べた記憶があります。 今では・・一般的に鯨肉の方が高価ですが。
・・・・・・
なぜ、そんな昔の事を書くかといえば、西川修氏の随筆に馬肉と牛肉の問題がでていたからです。 (勝山新聞のコラムが、西川渉氏の航空の現代に転載されています)。
http://members2.jcom.home.ne.jp/nishikawaw/sukiyaki.html
このコラムには、興味深い記述が多く登場します。読者諸兄もご一読されることをお勧めします。それによれば、大和煮の缶詰の材料が馬肉であるのを明記する事に当局がこだわったのは、戦前からであることが分かります。 牛肉と馬肉を識別する方法については、壁に叩きつけて、落ちるか貼りつくかで区別する・・という話を、私も聞いたことがあります。 でも、だから正しいという訳ではなく、どうも疑わしいのですが・・。
・・・・・・
ちょっとひっかかるのは、馬肉をさくら肉、馬肉の鍋を桜鍋と呼ぶ理由です。西川修氏は、「咲いた桜に何故駒つなぐ・・・・」という歌(都都逸?)を挙げておられますが、どうもそれが理由とも思えません。いのしし肉と「ボタン肉」、鹿肉を「もみじ肉」と言うことから、何か風流な植物の名前を付けようと考え、肉の色が最初は鮮やかなピンク色であることから「さくら肉」と名づけたのではないか? と私は考えます。
・・・・・・
無論、イノシシが牡丹であるのは、イノシシには牡丹が付き物だからでしょうし、花札の図柄から取ったのかも知れません。鹿とモミジも同様でしょう。 馬には対応する植物が無いから適当に付けた・・というのが本当のところでしょう。明治時代まで、日本には四足の動物を食べることにやや後ろめたさがあったから、隠語的に、ある符丁で肉の名前を呼んだのでしょう。 どうせ付けるなら、山鯨・・なんて無粋な名前よりは、風流な名前の方がいい訳で、ボタン、モミジ、サクラという名前はグッドアイデアです。
・・・・・・
その考え方でいろいろな肉に名前を付ければ、面白いかも知れません。 トラの肉は笹肉・・となりますが、トラの肉は手に入りませんから、 スズメの肉を笹肉とでも呼びましょうか・・。パンダの肉も笹肉ですが、こちらも実際にはありえません。「猫でない証拠にそばに笹を描き」という古川柳もありますから、「笹肉」と呼べば、猫肉でないことは確認できます。
・・・・・・
中国では、ご承知のとおり、ありとあらゆる動物を食すそうです。昆山の場合、冬の高級食材といえば、蛇だの犬だのといったものです。 昆山の高級レストランのひとつは、その名も「蛇餐館」で蛇尽くしの料理をコースで食べるという趣向の店です。 狗肉も冬に珍重される食べ物で、陳君などは笑いながら「羊頭狗肉と言いますが、あれは現代では逆ですね。 狗肉(犬肉)の方が、羊肉より、ずっと高価で上等ですよ」と言います。
・・・・・・
これは日本での牛肉と鯨肉の関係に似ています。かつては牛肉が上等で鯨肉は下等だったのですが、今は逆転しています。 本当の味の良さや栄養ではなく、単に希少価値が食べ物の価値を決めるという典型です。中国の場合、パンダやトラは別にして、何かの動物を食べることに何のためらいも呵責もありませんから、隠語や符丁で肉の名前を呼び習わす必要はありません。だから、ボタンとかサクラとかモミジという風流な名前は無用ということになります。
・・・・・・
日本の場合、今後、それを食べることを秘密にしたい場合があるとすれば、世界的に非難を浴びているイルカの肉と鯨の肉でしょう。 鯨の肉は、勇魚肉(イサナ肉)とでも言えば、ごまかせるかも知れません。 問いただされれば、「えっ?イサナって、魚じゃないんですか?」と、とぼければOKです。
難しいのはイルカの肉です。 なんと名づけましょうか?イルカは「海豚」と書きますから「うみぶた肉」と表してもいいかも知れません。それでもシーシェパードが因縁を付けてくるなら、「イルカを殺すのは、日本では西暦645年以来の伝統さ・・」と言ってやりましょう。シーシェパードの連中に通じるとは思えませんが。









