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【 お客様の中にどなたか・・ その2 】 [航空]

【 お客様の中にどなたか・・ その2 】

 

飛行機の中で具合が悪くなるのは、人間だけではありません。むしろペットの動物の方が強いストレスを受けます。 昔、学校にいた頃、生体の振動について学んだのですが、胃袋の固有振動数と乗り物酔いに関係がある・・という論文を読みました。

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食道などにぶら下がる形の胃袋は固有振動数を持ちますが、外部から加わる振動の振動数と合致すれば、一種の共振(自励振動)が発生し、乗り物酔いが起こります。

一般に乗り物の振動は大人の胃袋の固有振動数より高周波なので、大人はそれほど酔いませんが、それでも、低周波の波に揺れる船では酔います。胃袋が小さく固有振動数が高い子供はバスでも乗用車でも酔います。私の次男などは、幼児の頃、飛行機に乗るたびに嘔吐していました。

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人間の子供ですらそうなのですから、もっと胃袋の小さいペット(小型犬)にとって、乗り物の乗ることは、さらに強いストレスです。そしてペットの多くは飛行機では与圧された貨物室に入れられます。

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しかも人間の場合は、飛行機に乗る目的、予想される環境や搭乗時間が明らかになった上での経験ですが、ペットの場合、訳も分からず、飼い主から離され、暗く狭い空間に閉じ込められ、運ばれるのです。 騒音・振動はありますし、与圧するといっても、地上より減圧してしかも乾燥した大気の中に置かれるのです。

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貨物室のドアが閉まるまでずっと鳴き続けていた犬もいましたし、ストレスのために機内で死んでしまう犬もいるそうです。

http://matome.naver.jp/odai/2137665792959431201

これではいけない・・とばかり、最近は各エアラインが競争で、ペットを客室に持ち込めるようにするサービスを開始しました。 私自身が試した訳ではないので、確たる証拠はありませんが、この種のサービスが最も進んでいるペットに優しいエアラインはエアカナダだそうです。

http://www.aircanada.com/jp/travelinfo/airport/baggage/pets-in-cabin.html

http://continental-ps-jp.jimdo.com/%E3%83%9A%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E6%A9%9F%E5%86%85%E6%8C%81%E3%81%A1%E8%BE%BC%E3%81%BF/

エアラインがペットの機内持ち込みに寛容になり始めたのは、下記の2つの理由からです。

(1) リゾート地などに出かけるお客に、(家族の一員である)ペットの同伴・同席を求める声が高くなったこと。

(2) 国際線の場合、ペットにとって、さらに苦痛でストレスだった動物検疫所での長期間の検疫保管がマイクロチップの埋め込みなどで、簡略化されてストレスがなくなり、ペットの飛行機での移送が増えると同時に、相対的に機内のストレスの方がクローズアップされたこと。

http://world.relocation.jp/navi/guide/post-28.html

 

ペットを粗略に扱って、お客の印象を悪くすると、エアラインにとっては大変です。お犬様には客室で座席に座っていただくのが適切です・・・・そうかな?

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しかし、これはこれで問題があります。 盲導犬や介助犬のように適切な訓練を受けた犬ならともかく、普通の犬なら慣れない環境に不安を覚えてパニックになる可能性もあります。飛行機酔いでそそうをする可能性もあります。ケージに入れたとして、荷物棚には入れたくありませんし、足元にも置けません。 人間と同じように、座席を占領することになるでしょうが、混雑する便では、「お犬様に、一席分確保するのか?」ということになります。

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それにいくら客室に入れたとしても、振動・揺れは貨物室と同じです。気分が悪くなるペットがでてきます。気圧も低いし乾燥しますから、犬の鼻も乾燥します。 具合が悪くなる犬は、貨物室にいても客室にいても、悪くなるのです。

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そのうち、スチュワーデスが通路を小走りに走り、「お客様の中に誰か、獣医さんはいらっしゃいませんか?」と呼びかける日がきっと来ます。


【 お客様の中にどなたか・・ その1 】 [航空]

【 お客様の中にどなたか・・ その1 】

 

映画などで、時々お目にかかるシーンですが、飛行機で急病人が出た場合に乗客の中に医師を探すことがあるそうです。私自身は経験したことがありませんが、客室乗務員が、通路を歩きながら医師を探す訳で、映画やTVドラマなら、そこでスーパーマンのように医師がすっくと立ち上がり、命の危険にさらされている患者に適切な治療を施し、危機を脱する形となります。現実にはそんなにうまくいくとは思えないのですが・・・。NHKの番組「ドクターG」にも飛行機内の急患に対応する救命医の話が複数回登場します。

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外国の場合ですが、飛行機の搭乗手続きやホテルの宿泊名簿に記入する際、署名欄の上に肩書きを選択する欄があり、Mr. Mrs. Miss  Ms. と並んでDr.とあります。

これは、医者が必要な時に探すための登録だ・・という都市伝説がありますが、それは嘘でしょう。単に欧米的な教養主義の発想で、高い学識を備えた人にはそれなりに尊称をつけて呼び、礼を尽くす必要がある・・というものだと思います。

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実際、Dr.といったって、医師ばかりとは限りません。私の周囲には工学博士、理学博士、PhD. 文学博士もいます。急患が発生して緊急医療が必要になっても文学博士が役に立つとは到底思えません。でも彼らもDr.です。それに医学博士だって医師とは限りません。医師でない医学博士も大勢います。

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その逆で、博士論文が通る前の医師なら、厳密には博士と呼ません。医師国家試験を通れば医師ですが、博士とは限らないのです。少しややこしいのですが、医師をドクターと呼ぶのは、紛らわしくてかないません。

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そのドタバタを避けるためか、JALANAが医師登録制度を始めました。予め医師の登録しておけば、機内で急患が発生した際に、すぐ対応できるというものです。

既に医師の登録は進みつつあり、制度の運用は9月からとのことです。多くの人がこの制度を歓迎しています。しかし、そう簡単にいくとは思えません。問題はたくさんあります。

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1.医師の資格と権限、責任は?

医師なら誰でもいいというものではありません。生理学や病理学を研究し、臨床から遠ざかっている医師が、救急医療の現場ですぐ対応可能かは不明です。むしろ、ベテランの助産師や看護師の方が処置能力に優れる場合もあります。

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国際線なら、多くの国の医師が乗っていますが、国ごとに医師免許は違い、専門知識のレベルも違います。最近は減りましたが、かつて中国には「裸足の医者」が存在しました。小学校を卒業しただけで、人民に奉仕したいという思いから医師を営んでいるのですが、彼ら/彼女らにできるのは、赤チンを塗って包帯を巻くぐらいです。 アフリカではブゥードゥー教の祈祷師が医師を兼業しています。もっぱら祈って、薬草や煙を体にあてることで悪霊を追い出し、病を治すのだそうです。仮に飛行機の中で病気になってもそれらの医師のお世話にはなりたくないものです。

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なるだけやりたくないのは医師の方も同様でしょう。機材が不十分な機内で難しい医療行為が必要になる場合があります。 万一不幸な結果になった場合、責任問題が生じ、訴えられる可能性もあります。 地上の病院であれば手術への同意書への署名を求めることができますが、空の上ではそれもできません。

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2. 医療費の請求は?

患者が健康保険証を携帯しているか否かにもよりますが、恐らくは時間外診療でそれなりに費用が発生します。医師は機内でカルテと診療報酬請求の書類を作成するのでしょうか? もし、患者が国民皆保険ではない国の人で、旅行保険にも加入せず、医師も自由診療を前提とする米国人医師だったら高額の診療になります。米国人同士ならともかく、患者が低所得国の貧しい人だったら払えない・・という問題がでてきます。 逆に英国のように、基礎的な医療費が無料の国の人だったら・・さらに事態は複雑です。 航空会社が肩代わりするというのが現実的ですが、エアラインにそこまでの責任はあるのか?ということになります。

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3. 医師にどう報いるか?

機内での医療活動をボランティアとみなせば、医療費発生の問題はなくなりますが、責任重大な医療行為を求められる医師に報酬なしという訳にはいきません。かといって登録するだけで金銭的な報酬を渡す訳にもいきません。ボーナスマイレージを付けるという方法もありますが、高額所得者が多い医師がマイレージを貰って喜ぶかは疑問です。ファーストクラスのラウンジを医師に開放するという方法もありますが、これも問題です。 医師の出張は学会への参加が多いのですが、ある都市で大きな医学会が開かれたら、その時期の飛行機は医者だらけになります。 医者だけでラウンジがパンクし、他の乗客が締め出されます。

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4. 限られた医療器具でどう対応する?

昔の映画「カサンドラクロス」では国際特急列車の中で、猛烈な伝染病が発生し、列車ごと隔離されるという事態が発生します。 たまたま乗り合わせた主人公の医師が、「持ち合わせたアスピリンとティッシュペーパーだけで、一体どうしろというのだ」と嘆く場面が登場します。 飛行機の中も同じようなものです。 救急箱に聴診器、血圧計、体温計、AEDぐらいは装備されているでしょうが、これは医師にとってははなはだ不十分な装備でしょう。 しかし、多くの薬品や輸血用の血液を常備するとなると、保管期限の問題もあり、飛行機に積むのは現実的ではありません。

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では、問題山積の中、どうするか? 私の提案は医師に頼らずに、客室乗務員に救命措置の技術を学んでもらい、緊急時に対応してもらうことです。

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近年、大衆化が進むというか、レベルが下がったというか、お給料もさがりつつあるのがスチュワーデスと呼ばれた客室乗務員です。昔のような高級感溢れる職業に戻すには、何らかのレベルアップが必要です。単なる客室乗務員であれば、業務内容の高付加価値化には限界がありますが、看護師、救急救命士、助産師の資格を持てば

業務内容の幅が広がり、高度な専門職としての位置づけができます。飛行機の乗客もより高度なサービスを受けられます。

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そもそも、日本では医師が自分達の縄張りを守るために、医師法で医師以外の人ができる医療行為を厳しく規制してきました。以前は救急車の運転手には点滴の針を抜くことも許されず、患者を搬送できない・・という馬鹿げた事態もありました。 痰が詰まって苦しむ患者をみても医師でない家族には痰の吸引作業もできませんでした。

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最近は、パラメディックとかパラメディカルスタッフと呼ばれる医師以外のスタッフに、かなりの医療行為が許されるようになり、事態は改善しています。救急救命士には最低限の医療行為が認められています。

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そこで客室乗務員に、救急救命士の資格を取ってもらえばいいのです。飛行機が着陸し、救急車やドクターカーに移すまでの時間稼ぎができればいいのですから、それだけでも大きな効果があります。 欲を言えば、助産師や看護師の資格も欲しいところですがそれには長期間の専門機関での教育が必要になります。

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健康な人が突然昏倒するような病気(つまり卒中発作)は、脳、膵臓、心臓等、原因となる臓器はある程度限定されるそうです。学ぶべき医学知識は、ある程度限られます。そう考えると機内で突然倒れた人を着陸するまでの一定時間延命させるだけの処置を客室乗務員に求めることは決して非現実的なことだとは思えません。

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私は、ある意味で個人情報にも関わる医師登録制度よりも、客室乗務員に緊急医療行為を委ねる方が現実的ではないか?と思います。

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そして、飛行機のサービスには、それ以外の問題もあるのです。

 

それについては次号で管見を述べたいと思います。

 

以上


【 幣原喜重郎と芦田均 その2 】 [政治]

【 幣原喜重郎と芦田均 その2 】

そしてもう一つ、法律論の素人である私が不可解に思うのは、現行憲法が硬性憲法であるということです。

しかし、その制定にあたっては、帝国議会の審議だけで、国民の総意がありません。 制定した時の手続きは簡単なのに、それを改正する際のハードルは非常に高いのです。 全く民主的でなく、国民の意見をないがしろにした存在だと言えます。これを国民の総意に基づいたものだとするのは欺瞞です。 民主主義を高らかに謳う憲法なのに、その制定手続きは民主的ではないのです。

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明治憲法は欽定憲法でしたから、天皇の裁可のもと、停止や廃止が可能です。しかし、その後を硬性憲法にするのなら、制定手続きも厳密に行うべきだと私は思うのです。

改変手続きが難しい硬性憲法と、比較的容易な軟性憲法のどちらがよいかはここでは議論しません。

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しかし、common lawではなくconstitutionである、米国の憲法が200年以上も続いているのは、軟性憲法であり、時代時代に応じて変化できたからだ・・と語る米国人がいます。 裏返せば、硬性憲法でありながら、70年も存続している日本の憲法は奇跡だ(もしくは、時代に合わない旧式の法を今でも戴いている日本人は愚かだ)と思われています。

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自らの改変は難しい日本憲法ですが、外圧に弱いのが日本だと言われます。

不磨の大典「憲法第九条」ですが、もし尖閣で中国から砲弾が飛んで来れば、或いは北朝鮮からのミサイルが国土に着弾すれば、たちどころに改憲派が勢いづき、非戦の戒めは破られるでしょう。

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そのことの是非については言えませんが、憲法を変えざるを得ない圧力が国家にかかるというのは、甚だ不幸なことであり、歓迎すべきことではないと思います。

ところで、芦田均は兵庫県の旧制柏原中学を卒業しています。その少し後の卒業に、海軍特攻隊の生みの親とされる大西瀧冶郎中将がいます。

リベラルな芦田と、軍人だった大西は正反対の存在ですが、両方に英語を教えたという私の祖父は大西については語らず、芦田については「目立った秀才で、才気煥発、口八丁手八丁の男だった」と回想しています。寡黙で影の薄い首相と揶揄された芦田にもそんな時代があったのです。今、旧制柏原中学の跡を継ぐ柏原高校が、この二人の対照的な卒業生をどのように顕彰しているのか・・ちょっと知りたいなと思います。


【 幣原喜重郎と芦田均 その1 】 [政治]

【 幣原喜重郎と芦田均 その1 】

 

米国のバイデン副大統領が、「日本の憲法は我々が書いたものだ」と発言して問題になっています。これは、大統領選のトランプ候補が「日本は安全保障で米国にただ乗りしている」として日米安保条約の片務性を非難したのに対して、「その理由は日本の平和憲法にあり、その原案を書いたのは米国じゃないか」とトランプ氏をたしなめた時の発言です。

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最近の流行語で言えば「片務条約ができた原因は米国側にあり、その非難はブーメランではないか」という説明です。

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その発言に噛み付いたのは民進党の岡田氏です。彼の意見は、「平和憲法は日本人が自分達で作成したもので、幣原内閣も承認している」というものです。つまり彼は、「現行の日本憲法は日本人自身が発案し作成したものだ」と言うのです。

よく第九条論者などが口にするのは、「戦争の災禍を経て、日本国民がやっと手に入れた貴重な憲法」という表現です。これと岡田氏の説明は符合し、バイデン氏の説明を否定するものです。

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一方、米国側は起草したのは米国で、米国案がそのまま採用されている・・と言います。どちらが正しいのか?その時代を生きていない私には正確なところは分かりませんが、その時代を生きた母の説明では、以下の通りです。ただ私の母も同時代に生きたというだけで勿論現場に居合わせた訳ではありません。伝聞の内容を私に語っただけで、そこは面白おかしく脚色されているに違いありません。

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GHQの民政局から新憲法の草案を作るよう指示を受けた日本政府は、苦心惨憺の上に原案(松本)を作成して、担当官のチャールズLケーディスに提出するも、「この案では駄目だ」と一蹴されました。 GHQに赴いた吉田茂と松本烝治が途方に暮れていると、ケーディスが、「ところで、ここに参考になるメモがあるよ」・・と英語の草案をテーブルに置き、「僕は、用事があるので暫く席を外すから、その間に新しい草案を作るように」と言って、彼は部屋を出たとのことです。仕方なく吉田茂と松本が、そのメモを書き直し、出来上がった頃にケーディスが現れ、「うん、これならいい」と言ってマッカーサーに提出し、それがマッカーサー草案となって、それを幣原喜重郎内閣も了解する形で新憲法ができあがったというのです。

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GHQ側に憲法の専門家がいない中で、ごく短時間の間に日本国憲法の草案が作られたのは事実でしょうが、上記の逸話はにわかに信じることはできません。 どうも芝居がかっています。 ただひとつ言えることは、当時の状況下で、憲法を民主的に国民の総意に基づいて定めることなど、到底できないことで、すべてはGHQの、もっと言えばダグラス・マッカーサーの意に沿った憲法でなければ、通らなかったという事です。

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だから現行の憲法はアメリカに押し付けられたものだ・・という改憲論者の意見は説得力を持ちます。 日本国民が自ら欲し、戦争の結果、やっと勝ち取った平和憲法だ・・という護憲論者の説明は、どうにも都合のいい解釈です。

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しかし、そこで引っかかるのは、その時の総理大臣、幣原喜重郎と彼の後を継いだ芦田均の存在です。 九条の会などの人達は、仮に憲法全体がアメリカの影響下にあって作成されたものだとしても、第九条の戦争の放棄については、日本側の発案であり幣原喜重郎の提案で、盛り込まれたものだ・・と主張します。でもその確たる証拠は無いのですが・・・・。

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幣原は徹底した平和主義者だったようで、戦前、軍縮条約を推進し、中国大陸への日本の干渉にも消極的で、日米開戦に繋がる南方への進出にも反対した男です。証拠はありませんが、非戦を掲げたクェーカー教徒との声もあります。その彼なら、憲法9条の提案を行ったとしても不思議はありません。 彼の後の芦田均も、今風に言えばリベラルとなりますが、多少、左がかった平和論者でした。彼も同様に憲法第九条に賛成したはずです。

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一方、アメリカとしては、日本に戦争放棄を求める理由がありません。降伏後の日本は既に米国の敵でなく、一方、激しくなる東西対立は次の戦争(朝鮮戦争)を予感させました。その時期に、あえて日本に戦争放棄を求め、再軍備の足枷となる憲法を提案するとは考えにくいのです。現に西ドイツには戦争を放棄した憲法を求めていません。

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そうなると、幣原喜重郎が憲法第九条を提案したという説も理解できます。憲法全体はともかく、第九条だけは日本オリジナルの思想であり、押し付けられた訳ではないのだから大切にしたい・・という護憲論者の声が聞こえてきそうです。

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でも本当にそうなのかなぁ?もっともらしいけれど、証拠がありません。そもそも幣原説が正しいか誤りかについて、どちら側に立証責任があるのかはっきりしません。 多くの人が、そして多くの法律の専門家がそのことを検討しておられますが、結論はでません。例えば以下のブログです。

http://kimbara.hatenablog.com/entry/2013/06/06/232105

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そしてここからは、私の少し穿った意見です。幣原内閣が存在したのは70年も昔のことです。 それを最近、TVなどのマスコミが取り上げだしたのは、衆参両院で改憲勢力がそれぞれ2/3に達して、危機感を持った護憲派が、日本オリジナルの憲法であることを強調しようとしたからだと思います。押し付けられたものではないから、改憲すべきではない・・と暗に主張しています。今更、憲法制定の時のエピソードを、証拠も無しにTVが取り上げるその背景を、私は怪しみます。

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そもそも論で言えば、幣原の提案であろうが、マッカーサーの提案であろうが、同じことです。米国の影響抜きで、憲法は1文字だって作成することはできなかったはずです。 平和主義の幣原や穏健派の芦田を首相として選んだのはマッカーサーです。アメリカに任命権があった以上、形は幣原の提案であってもそれはGHQの意向です。

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全ての政治的判断に共通することですが、本当の決定権を持つのは決定権者を決める人事権を持つ者です。脱線しますが、かつて民主党政権下で事業仕分けを行った時、スーパーコンピューターの開発プロジェクトの是非を議論するために、政府は専門家を証人として呼び、説明を求めました。しかし呼ばれた東大教授は以前からスーパーコンピュータープロジェクトに反対していた研究者で、決して公平な人選ではありませんでした。 弁護士でもある枝野氏は「専門家が言うのだから」と言って、責任を転嫁し、プロジェクトの予算を削減しましたが、本当は金田氏を選んだ時点で、政府の立場は中立ではなかったのです。事業仕分けは公平を装ったショーであり、リンチでもありました。

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このことと同様に幣原や芦田を首相に選んだ時点で、GHQの考えは決まっていたのです。

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前述のアメリカが戦争放棄を求める理由が無い・・という説明と矛盾しますが、やはり憲法九条を求め実現させたのはアメリカだと考えるべきです。

 

以下 次号


【 リストラの大地 その2 】 [鉄鋼]

【 リストラの大地 その2 】

日本の製鉄所でも一部が空洞化したり、スクラップ化されたりします。

高炉を失った製鉄所では、その喪失感は、製鉄所内部だけでなく、企業城下町であるその町全体に広がります。 釜石、堺、広畑などで発生したことは、今小倉の町で進行しつつあります。

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高炉以外でも、企業のリストラの一環で一部の工場が無くなることがあります。W製鉄所では、大径鋼管工場と厚板工場が無くなり、設備はそれぞれ外国に売却されました。厚板工場がなくなり、がらんとした建物だけが残る・・というのは、寂しい風景です。

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残された巨大空間を利用して、社員の気持ちをなんとか盛り上げ、元気づけようと考えたのは、後で社長になるT野さんです。 彼は厚板工場の跡地を利用して人力飛行機を組み立て、毎年琵琶湖で開かれる鳥人間コンテストに参加することを提案し、実現させました。

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作られた飛行機自体は、かなり劣悪なもので、成績もさんざん・・つまり、飛び出した後、すぐに自由落下して終了・・・したそうですが、ひとつのお祭りとしてW製鉄所の社員を元気づけたのは事実です。

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しかし、今回リストラされる、中国の製鉄所が皆人力飛行機の組み立てをする訳にはいきません。 空き家となる工場の一部は電炉工場に作り替えるとしても、膨大な余剰人員をどうするか? 中国政府の鼎の軽重を問われる問題です。

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一般論として、マクロ的な産業構造の転換を語る場合、第一次産業から第二次産業へ、第二次産業から第三次産業へと、移動を促す訳ですが、これは容易ではありません。それができるような器用な人、あるいは優秀な人は、自分で転職していきます。

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昨日まで溶鉱炉の炉前でヘルメットと耐熱服を着て作業していた人が、いきなり小売店の販売係をしたり、保険の外交員をしてもうまくいくはずがありません。

日本でも産業構造の変化に伴う、雇用の需要と供給のミスマッチが問題化していますが、これは中国でも全く同じです(多分韓国も)。どこの国でも同じなのですが、リストラ断行の前に、職業教育の機会を充実させ、また社員の意識改革をする必要があります。 

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そして何よりも重要なのは、国家経済の余裕です。 そこが問題なのです。

中国の場合、目の前に超高齢化社会が迫っています。 長年の一人っ子政策のツケで、高齢者の占める人口比率は、まもなく日本を追い越します。 少子化の中、夫婦共働きが当然の中国の家庭では、自宅での介護は非現実的です。社会全体にとって老人福祉・老人介護は喫緊の課題になり、そして福祉産業は非常に重要な産業になります。

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鉄鋼業で大量の余剰人員がでれば、介護・福祉の産業が受け皿となって、引き取ればいいではないか?とは誰もが思う事ですが、そう簡単ではありません。

介護・福祉といったサービス業は、製造業のようにさらに経済を豊かにする循環機能はありません。サービスを受ける人は利益を得ますが、そこで終わります。

社会はコストを負担しますが、メリットを享受できません。 だから老人福祉の充実には、その負担に堪えられるよう、社会に富が蓄積していることが必要です。 北欧が福祉の先進国でありうるのは、富が蓄積した社会だからです。

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経済成長著しく、世界第二位の経済大国になった中国ですが、その点は弱いのです。

一部の資料では、中国の国家としての借金はGDP2.5倍とのことで、これは借金大国の日本の上を行きます。 日本と同じように、債権者のほとんどは国内なので、対外債務にはなっていない点はいいのですが、本当に豊かな国家を築くには甚だ心もとない状況です。

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どうせ私達の世代は、年をとっても年金など貰えないだろう・・と中国の若者は予測し、それならば・・と有意の人材は海外に流出します。 困った事態です。

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その中で、旧態依然の産業をリストラし、産業構造の転換を図らなければいけないのですが、まだ高度成長の余韻が残り、バブルが弾ける前の今しかチャンスはありません。田舎の小さな製鉄所は潰し、そこの従業員には、職業教育を施し、中国全土に新たな「青山」を見つけてもらうしかありません。

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そう考えると、中国経済には余裕は無いはずです。それなのに、中国政府がしていることと言えば・・・、お大尽よろしくアジア・アフリカの貧しい国々へのお金のバラマキ、そしてアメリカに対抗すべく分不相応に注ぎ込む軍事予算、誰も乗らない僻地への高速鉄道の建設、ゴーストタウン化が見えている中の大規模住宅建設、それに宇宙開発です。 一言で言えば成金趣味です。 他にお金を使うべきところはたくさんあるのに。

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鉄鋼だけではありませんが、一部の工業製品は、全世界的に供給過剰の状態です。その結果、近く始まるのは、厳しい過当競争です。そこで生き残るには、他の追随を許さない高品質化・高付加価値化、または他に負けないコスト競争力のどちらかが必要です。中国はこれまで他国に比べて圧倒的に優れたコスト競争力を持っていましたが、もうそんな時代ではありません。

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中国の人件費は急上昇し優位性を失っていますし、装置産業では設備の生産性がコストを決定します。 スクラップアンドビルドができない産業は滅びます。

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中国の製鉄所が経営破たんした後どうするのか?その展望が見えず、その準備もできていないようです。 どうしようもなければ、製鉄所の跡地をハリウッドの映画会社に貸して、廃墟の撮影に利用してもらうか、・・・あるいは人力飛行機を組み立てるか・・でしょうね。


【 リストラの大地 その1 】 [鉄鋼]

【 リストラの大地 その1 】

中国製鉄業のリストラが厳しく断行されています。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM17H5L_X10C16A8FF2000/?dg=1

でもその割には、同国の鉄鋼生産量は減少せず、輸出量も減っていません、少し不思議ですが、生産量・出荷量を維持しながら、人員と設備の削減を実行でるなら、本当の意味でのリストラと言えます。 まあ、元々、中国の鉄鋼業は人が多すぎたので、経済合理性から考えれば人員削減は避けられない事だったのですが、これによって地方都市の製鉄所に勤めていた多くの人が「鉄椀飯」を失うことになります。

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「鉄椀飯」とは国営企業や大企業に勤める人が一生食いっぱぐれが無いことを、民間企業に勤める人が、少しやっかみを込めて語る時の表現です。

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もともと、中国ではお上(中央政府)からの通達をいかにうまくすり抜けるかが、下々(地方政府から庶民まで)の知恵とされていました。

「上に政策あれば、下に対策あり」なんて言葉がまるで諺のように語られています。

だから、これまで中央政府が非効率で儲からない企業や公害企業を潰せ・・と号令をだしても、地方政府はなかなか従いませんでした。

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中央政府から見れば、生産過剰で価格下落を招き、公害を出して諸外国から非難される企業はまっぴらですが、地方政府からみれば、それらもありがたいドル箱であり、雇用の受け皿にもなっているので、おいそれとは潰せません。それに企業からも地方政府の幹部に多額の献金が流れているはずです。

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しかしこのまま地方政府の勝手にさせておいては、中央政府の指導力が問われます。習近平氏と李国強氏の微妙なライバル関係にも影響します。そして、国家を代表するような基礎産業をリストラする際には、それなりの準備が必要です。でも失業者がいない建前の共産主義国家としてスタートし、高度経済成長を遂げてきた中国には、その経験とノウハウがありません。 いや中国だけではありません。日本だって、バブル崩壊後の経済低迷期には、本当の意味のリストラがうまくいかず、人々は狼狽したのです。

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私が鹿島製鉄所にいた頃、たいして多くもなかった私の部下をリストラせよとの指示が下りました。 私は、本来業務をしながら、茨城県、千葉県、東京と、歩き回り、社員の引き取り先を探しましたが、ずっと製鉄所に勤務してきた中高年の社員を引き取ってくれる企業はごくまれでした。他の業界も不景気だったのです。

そうこうするうちに、自分も辞めることになり、自分で再就職先を探すことになりました。こちらは、何とかなりましたが、会社側で私を引き取る企業を用意することはできませんでした。「ある産業を合理化する際は、受け皿となる雇用機会を前もって確保しなければならない」 これは2000年代に私が経験した事に基づく考えです。

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中国は国家規模での産業構造の転換を求められているのに、その準備ができていません。そしてその中で鉄鋼だけを取り上げてリストラせよ・・といっても難しいのです。

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鉄鋼産業のリストラと産業構造の転換には2つのポイントがあります。

(1)  製鉄産業/鉄鋼産業をどの様に改革し、とのように近代化していくか。

(2)  第二次産業から第三次産業、第四次産業への転換、動脈型産業から静脈型産業への転換をどう進めていくのか。

この視点がなければうまくいきません。

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(1)  については、ある程度明白です。

中国は、全国に散らばる、小規模で生産性の悪い高炉を潰し、電気炉に転換すべきなのです。中国は、世界中から鉄鉱石と良質な原料炭を買いあさり、原料相場の変動をきたしていますが、郷鎮企業と呼ばれる小規模な製鉄所であれば、高炉ではなく電炉の方が適しています。 中国ではかつて毛沢東が土法高炉というとんでもない製鉄方法を提案して、国家経済を破壊しかかった事がありますが、そこに決定的に欠落していたのは、高炉法は規模が大きいほど効率的で、小規模な高炉はナンセンスであるという常識です。電炉も規模が大きい方が生産性はいいのですが、高炉ほどではなく、小規模でも小回りの利く経営が可能です。

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そして、電炉法は何といっても鉄鉱石も原料炭もいりません(少しは使います)。さらに重要なのは、原料となるスクラップの供給事情です。 中国では大規模な自動車の普及(モータリゼーション)が始まって、10年以上経ちます。 世界を見渡すと、爆発的なモータリゼーションが始まって20年程度経過してから、スクラップの供給が潤沢になります。 スクラップが潤沢に供給される社会というのは電炉法による製鉄経営が成り立つ社会です。 中国の人は、一台の自動車に長く乗りますから、20年というタイムラグはもう少し長くなりますが、もうそろそろ、電炉法への転換が始まる頃です。

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米国では、前世紀のうちに、製鉄業の主役が高炉から電炉に切り替わりました。日本はまだ高炉の方が優位ですが、これは日本の高炉産業が高価格の高級品に特化しているから生き残っているのです。

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中国で消費される多くの鋼材、および中国から出荷される多くの鋼材は、日本の高炉メーカーが製造するような高級品ではありません。 つまり、中国もそろそろ電炉に切り替えるべきタイミングなのです。 そうすれば公害対策の負担も軽くなり、PM 2.5も減り、北京の秋には青空が戻ります。単に従業員を減らすのではなく、同時に設備やビジネスモデルも刷新しなければ、リストラされる人も浮かばれません。

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つまりスクラップアンドビルトでなければ、装置産業の改革はできないのですが・・・、中国も日本もそれが苦手です。

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アメリカのアクション映画やSF映画を見ると、廃墟となった工場の中で乱闘するシーンがあったりします。よく見ると、ペンシルバニア州の製鉄所跡が撮影に利用されていたりして、少し心が痛みます。

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五大湖の周辺にあった古い製鉄所の多くは廃墟になりました。 ピッツバーグのようにハイテク産業の発展で経済を活性化し雇用を維持できた例は希で、多くの都市はラスティゾーン(錆びついた地域)になってしまいました。

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その代わりに新しく登場したミニミルは、電炉法を採用し、最小限の人員で操業しますが、その多くは米国の南部(サンベルト地域)に建設されています。 製鉄所への勤務にこだわる技術者や技能者は、北部から南部へ移住すれば仕事を続けられますが、自分の故郷にこだわる人は葛藤を強いられることになります。

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彼らもまた、廃墟となった製鉄所が背景に登場する映画を見て、複雑な思いに駆られるかも知れません。

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勤務する製鉄所がお取り潰しになり、転職や転居を強いられた人々の困難は、米国でも日本でも大変です。 でも居住地の変更が容易でなく、省を越えての人の移動が少ない中国の場合はなおさらでしょう。

それについては、次回、管見を述べます。


【 晩夏 】 [雑学]

【 晩夏 】

毎年、ペルセウス座の流星群が終わった頃、つまりお盆の頃、無性に聞きたくなる曲が一つあります。荒井由美の「晩夏」です。これは、私が高校生だった頃、NHKTVの夜の連続ドラマのテーマ曲になった歌です。ドラマのストーリーは殆ど忘れましたが、農村に暮らす一家の兄妹が都会への憧れと、故郷に留まりたい思いに、葛藤するというものです。お盆で里帰りした友達から聞く都会の華やかな生活と、故郷で自分達を慈しんだ自然や人々への思いの間で揺れ動くというドラマでした。結局 夏八木勲演じる兄は、都会から傷ついて戻った元恋人を受け入れる形で田舎に残り、竹下景子演じる妹もパリで活躍する友人を見送って自分は田舎に残る決心をします。美大出身の荒井由美がいろいろな色の名前を散りばめた歌詞は、夏の終わりの寂しさを表すのにピッタリで、心に残る曲だったのです。

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そして私は、夏の終わりから初秋にかけての頃が好きです。高校時代の恩師、松田章一先生は、ある短歌の説明で、「人は自分に無いものを好きになり、自分と対照的なものに憧れる」と言われました。

つまり、四季で考えると、青春を謳歌する若者は秋を好み、人生の晩秋にさしかかった人は春の暖かさを好むという訳です。その考えに拠れば、人生の春にいた高校生が秋を好きなのは当然で、当時のオヒョウが、晩夏から初秋にかけての季節が好きで、また「晩夏」という曲が好きなのも、ある意味納得できます。

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余談ながら、その歌とは正岡子規の

いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす  

です。つまり初夏の歌です。まだ、若い子規が春を惜しむというのは、松田先生の説に矛盾しますが、結核(脊髄カリエス)の悪化で死期を悟った子規が、もはや来年春を迎えることはあるまい・・と思った訳で、これはある意味では既に人生の老境です。だから精神的には玄冬または晩秋にいた子規が、惜春の情を歌にしても当然かも知れません。

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無論、反論もあります。惜春の情は、老境の人達だけのものではない・・という意見もあります。かつては青年も壮年も惜春の思いを歌や句にしました。

芭蕉には「行く春」で始まる名句が幾つかありますが、

有名な 「行く春を近江の人と惜しみける」は47歳の作です。

「行く春や、鳥啼き魚の目は泪」はもっと若い時の作品です。 しかし江戸時代の平均寿命を考えると、現代より若い年齢で、人々は惜春の情に駆られたのかも知れません。

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ところで、私が晩夏と初秋を好きだったのは青年時代だけではありません。60歳になった現在もそうです。さらに言えば、晩秋から初冬にかけての季節も好きです。これはいかなることか? 松田先生の説とは矛盾するではないか?

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もし矛盾しないとすれば、私自身が未だ老成せず、子供のままの部分が残っていることになりますが、これは喜ぶべきことか、恥じるべきことか? 少し悩みます。

或いは情緒的な理由ではなく、単に物理的に夏を嫌っているだけかも知れません。

秋の到来、即ち、夏の暑さの終焉を喜ぶ気持ちは間違いなく私の本音です。

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ところで、冬が終わり、春が来ることを歓迎するのは、老若男女を問わず、万人の気持ちだと思うのですが、実はそうでもないようです。

私の友達は、学生時代、春になって雪が溶け、スキーシーズンが終わるのを、毎年嘆いていました。

そして、来春社会人となる私の長男も、春が来るのが憂鬱だといいます。 それはなぜか?というと、ひどい花粉症に悩む彼は、春先に花粉が飛び始めるのがなによりもつらいとのことです

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俳句の季語に花粉症という言葉があるかどうかは知りませんが、あったとしても、全く風流ではなく、とても俳句には使えないでしょう。花粉症のために春を憂うというのも、全く無粋で、詩にも歌にもなりません。

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やっぱり春を歓迎する歌でなくてはなりません。「晩夏」を歌った松任谷由美は「春よ、来い」も歌っています。私はこちらの歌も大好きです。花粉症とは無縁な私は、最近、春を待つ気持ちも少し分かるようになったのです。 年齢のせいかは不明ですが。


【 オリンポスの果実 】 [雑学]

【 オリンポスの果実 】

 

柔道の山下泰裕が「銅メダルで謝る必要ない」と吼えたとのことです。

リオオリンピックで金メダルを期待されながら本戦トーナメントで敗北し、敗者復活戦で勝ちあがって銅メダルを獲得した選手達を讃え、慰めた言葉で、全くその通りです。でもオヒョウが同じことを言っても全く説得力がありません。日本の柔道界を背負い、金メダルを獲得し、世界一であった彼が語って初めて重みが増します。よくぞ言ってくれました。

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心技体とも充実し世界随一の実力と思われる選手がしばしば金メダルを取れないのが、オリンピックです。相手となる世界の強豪は、試合に勝つため、ありとあらゆる手練手管を考え、策を弄します。本来の柔道の美学を追及する日本の柔道家はナイーブなるがゆえに敗退し、金メダルを逃します。

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柔道は日本のお家芸ですから、日本代表は金メダルを取って当然と思われます。その日本の代表選手が金メダルを逃したとなると、本人は自分の無念さ以上に、無用の責任を感じます。応援する国民の方は、意外な結果にがっかりすると同時に、選手のふがいなさを嘆きます。 山下の発言は、それに応える強烈な一言です。

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しかし、柔道以外の種目も含めて獲得メダル数を数えてみると、やたら銅メダルが多いことに気付きます。本来なら、確率的に金銀銅のメダル数は同じはずです。 何ゆえ、日本では銅メダルの数が多いのか?

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これはひとえに金メダルを期待される重圧によるものだと思います。日本に限らない話ですが、マスコミは金メダルの可能性のある選手に対しては過剰に期待します。筆が跳ねて、まるで「金メダルを取って当たり前」のように書かれる時もあります。その期待は選手にとっては大変な重圧です。

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本戦のトーナメントでは一つも負ける訳にはいかず、そのプレッシャーのために本来の実力を出せずに、途中で敗退してしまうのです。その結果、敗者復活戦に回りますが、こちらは全勝しても金メダルの可能性はありません。 それで重圧から開放された選手達はのびのびと競技に臨み、そして全勝して銅メダルを獲得します。 日本選手が本来の実力を発揮するのは本戦ではなく、実は敗者復活戦なのです。或いは準決勝で敗退した結果、3位決定戦に回って、実力を発揮した選手たちなのです。

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金メダルを期待されながらそれを逸した選手達が、敗北を抱きしめて帰る必要は全くありません。全ての選手は正々堂々と、帰国すればいいのです。そのようなことは、大なり小なり多くの人々が経験していますし、今に始まったことではありません。大昔からあるのです。

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祖国と周囲の人々から期待され、それに応えられなかった選手達が屈託を抱えて帰国する様子を描いた小説が一つあります。 自分自身がオリンピック選手だった田中英光の「オリンポスの果実」です。

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ロサンゼルスオリンピック(戦前の方です)に参加しながら、芳しい結果をだせなかった選手達が帰国する、その船の中が舞台の小説で、恋愛感情の描写も含めて青春群像を生き生きと描いている・・とされています。 しかし、小説としては・・あまり出来が良くない・・と私は思うのですが。 今回、リオデジャネイロで期待した結果をだせなかった選手達は、帰路の飛行機の中で「オリンポスの果実」でも読んでみてはいかがでしょうか?

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それにしても、本戦では緊張とプレッシャーで実力が発揮できず、敗者復活戦では実力を存分に発揮できるというのは、ありがちだけれど、残念なことです。その責任は本人よりも、応援する周囲の人々、マスコミ、そして日本の社会全体にあるように思います。

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ここで鈴木大地スポーツ庁長官にお願いがあります。敗者復活戦で活躍した選手や3位決定戦で奮闘した選手達に、銅メダル以外にも、日本政府から賞を出してはいかがでしょうか? 国民や周囲からのプレッシャーに堪えて頑張ったことを讃える意味での賞です。

そうですね。名前は「円谷幸吉賞」なんて、どうでしょうか?

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ところで、「オリンポスの果実」を書いた田中英光は、その後、一作も作品を書かず、この世を去っています。彼にとっても、オリンピック参加とその敗北が、人生のハイライトだったのです。


【 凝固現象解析 】 [鉄鋼]

【 凝固現象解析 】

 

今回は、鋼の凝固だけあって、ちょっと硬い話です。

単に溶けた鋼が冷えて固まるだけなのに、この現象がかくも複雑で難しいのは、鉄以外の成分が混じっているからです。ご専門の方には、何をいまさら・・と言われそうですが、鋼は純鉄ではなく、炭素との合金です。

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そして溶質元素は、凝固する過程で偏析を起こします。それが難解で複雑で、そして魅力的な現象なのです。液体の状態と固体の状態では、溶解しうる溶質濃度が異なるからで、固相と液相では濃度が異なります。その比率は平衡分配係数で示されますが、これはあくまで平衡論の世界です。 速度論ではまた違う景色が見えてきます。

K0Cs/CL  ここでK0は平衡分配係数、CSは固相中の濃度、CLは液相中の濃度です。

凝固現象は、一瞬で全体が凍るわけではなく順番に凍っていきます。だから偏析がおこるのです。

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そこで平衡分配係数に基づいて、基本的な偏析の式を示したのはScheilです。

Scheilの式は固液共存相において、溶質がどう分配されるかを示したものです。

CL=C0(1-g)(k0-1) ここで、C0は最初に全部液体だった時の濃度、は固相率です。

CS=K0CL=K0C0(1-g)(K0-1)

凝固が進行しますと固液界面は時々刻々移動していき、gが大きくなって1に近づきますが、この式なら物質バランスもとれて問題なく偏析を説明できます。

ここで重要なのは、液相中の濃度は均一なのに対し、固相中の濃度分布は不均一だという事です。固相中の濃度は、その部位を固液界面が通過した時の固相側の濃度が保存されます。つまり、液相中の溶質拡散速度は無限大で、固相中の溶質拡散速度はゼロという仮定です。

しかし、実際にはそうではありません。実際には、固相中でも溶質原子の拡散は進行します。ではどう考えたらいいのか? そこで解を出したのは、MITFlemings教授です。

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彼が考案したのは、Brody-Flemingsのモデルと呼ばれていますが、下記の前提条件を元に数学的に表したものです。

1. 1次元で考える

2. 液相は完全混合(濃度は均一)

3. 固相では有限な拡散が進行する

4. デンドライトは、放物線形状に成長する X/λ=(t/tf)(1/2)

   実はデンドライトの先端形状については、円形(球形)とするモデルも

可能です

 

それを数式で表すと偏微分方程式になります。

CL(1-k)dX/dt =Ds+(λ―X))dCL/dt at xX

CS=KCL                   at x = X

∂CS∂x0                 at x=0

∂CS∂t=DS2CS∂x2         in the solid

 

これを凝固偏析の厳密解と考えます。さらに、固相内の拡散を溶質拡散層の厚みを用いて近似すると、

CL=C01fs12γk)](k-1)(1-2γk)

ここでγ=Dstfλ2

 

この式を導出したFlemingsSolidification Processingは名著として知られ、凝固を学ぶ人達のバイブルとなっています。その後、さらに進んだモデルをチューリヒ工科大学Kurz教授、あるいは大阪大学の大中教授が考案されていますが、一般的にはBrody-Flemingsの式で凝固偏析の説明ができるようになったとされています。

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しかし、この方程式は容易に解けません。コンピューターで数値計算しようとしても、簡単ではありません。その問題を解決したのは、将棋名人でもあった小林純夫博士です。小林博士はこの計算にKummerの合流型の超幾何関数を用いて計算する方法を考えました。確か1988年頃の事です。

Kummerの合流型超幾何関数とは、F(p,q;z)Σ (p)rZr(q)rr!で示される関数で、液相の溶質濃度は、CL=C0Σξnfns で表されます。

本当は、この関数について詳述したいのですが、このブログの趣旨から外れます。

コンピューターは本来、無限級数で示される計算が得意ですが、この合流型超幾何関数は簡単ではありません。

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当時のワークステーションでも長い計算時間を要しましたし、パソコンでの計算は無理でした。小林博士は、パソコンでも計算できる簡易型の計算式も用意しましたが、Flemingsの厳密解を正確に計算できることがKobayashiの計算式の特長でしたから、簡易式はその特長を損なうものでもありました。

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その後、計算機の性能は飛躍的に向上し、かつてスーパーコンピューターの性能を、パソコンの性能が凌駕するようになりました。もう計算機の性能に悩む必要はなくなり、誰でもKobayashiの計算式を使って、偏析現象の確認と到達溶質濃度を把握できるようになりました。しかし、そこで問題があります。

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偏析の理論解、もしくは計算の解は、最終的に非常に高い値を示します。しかし、実際の鋳片の偏析レベルは確認が難しいのです。一般には、EPMAの線分析、或いはMAPPING ANALYZERが偏析レベルの評価に用いられますが、原子レベルでの偏析を把握できる訳ではありません。

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現場的に実施できる斜角カウントバックやドリルサンプル分析では、サンプルの単位が大きすぎて本来の偏析レベルの評価には不適当です。(それでも用いていますが)。偏析については、理論の方が実際の分析より先を行っているのです。

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Kobayashiの計算式の登場で、Brody-Flemingsの式の計算が可能になり、偏析の理論解析の問題は一段落しました。しかし、研究は進んでいます。イリノイ大学のBrian Thomas教授のグループはデンドライトの先端形状を円錐としたモデルで理論解析しています。横浜国大の戎嘉男博士は、デンドライト先端形状を球形にして、ポロシティの発生もモデルに取り込み、数値解析を3次元のテンソル計算で行う先駆的な研究をしています。

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しかし、1960年代から1980年代にかけて、凝固と偏析に関する理論解析が急速に進んだ頃に比べれば、少し研究がおとなしくなった印象があります。特に2000年以降、新しい理論研究の論文は少ないようです。

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それは多くの問題が解決し、取り組む課題が減ったからでしょうか?私は多分そうではないと思います。おそらく若い有意の研究者が鉄鋼の凝固にあまり魅力を感じず、取り組む人が減ったのが理由でしょう。数値解析の技術は全ての物理現象のシミュレーションに応用でき、何も金属や鉄鋼の凝固にこだわらなくてもいいのです。

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私は1980年代から1990年代にかけて、米国の高炉メーカーが衰退していくのを目で見ていました。産業構造の変化よりも、原料価格や為替の変動よりも重要なのは、人材の枯渇です。斜陽産業にはまず優秀な人が集まらなくなり、そしてあるタイムラグを置いて、産業全体がシュリンクしていきます。基礎的な凝固解析の世界でも、1990年代以降、研究者が集まらなくなっているのかも知れません。そう考えると少し暗澹とした気持ちになります。

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私自身は研究する機会もその能力もなく、研究者の不在を嘆く資格はありません。しかし、かつてBrian Thomas教授やKurz教授にお会いした時、その情熱的で研究心に燃えた姿勢に驚いた記憶があります。ああいう情熱的な研究者は21世紀に入って減りつつあるのかな・・・。寂しい話です。

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このブログを読まれた鉄鋼関係の技術者から「それは違う」と反論が来ることを

お待ちします。


【 スポーツに於ける「道」とは 】 [雑学]

【 スポーツに於ける「道」とは 】

 

かつて外国人を鹿島神宮に案内したことがあります。ここは剣道の聖地でもあると説明しましたが、その外国人は剣道が何かを知らず、その説明に困りました。フェンシングのようなもの・・と説明しても、それがどうして神社と関係するのか?と訊かれます。結局、私は苦笑いして、説明を諦めました。

剣道とは何か?他のスポーツとはどう違うのか?

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柔道、空手道、合気道、弓道等、「道」の付く武芸は多くありますが、「道」が付かないもの・・例えば棒術等もあります。日本の武術には「道」が付くものと付かないものの両方があるのです。

柔道については、かつてやくざ者が喧嘩の道具として用いた柔術を、嘉納治五郎が高い精神性を追究する柔道にアウフヘーベンさせ、そして世界に広めたことが知られています。剣術もどこかの時点で剣道に進化していますが、では「術」と「道」の違いは何か?と訊かれると、返答に窮します。

・・・・・・

武芸に限らず、茶道、書道、華道、その他、江戸期に発達した幾つかのたしなみは、単に技術(テクニック)を極めることを目的としていません。求められるものは高い精神性であり、最終的に得られるものも、一種の悟りの境地です。名前に「道」と付くのは、一種の精神修養であることを意味するのであり、そこには恐らく禅と通じるものがあるはずです。

・・・・・・

しかし、それら日本の「道」が危機に瀕しています。そこに関係するのはオリンピックの存在です。最近のオリンピックは国家と個人の名誉と褒賞を賭け、勝つことを至上の目的とする競技者の集いに堕落しています。それが日本の「道」に影響を与え、混乱をきたしているのです。

・・・・・・

柔道は、1964年の東京オリンピックから正式種目になっていますが、欧州式のルールが導入され、本来の「道」ではなくなっています。体重別に細かくクラス分けされ、細かいポイント制が導入され、肘を掴まれにくい筒袖の柔道着が流行り(これは禁止されました)、有効だろうが指導だろうが、少しでも点数を稼げば、そのまま時間稼ぎをして優勢勝ちを狙うのが当たり前になりました。美しい一本勝ちを狙う日本の柔道家はそれらの勝敗にカライ外国人選手に苦しめられています。

・・・・・・

次回の東京オリンピックでは、空手道が種目に入ります。青い目の観客にはテコンドーと空手の違いが分からないでしょう。さてどう説明したものか?

前回のロンドン五輪では、韓国のフェンシングの女子選手が電気信号による判定に不服を唱え、泣きじゃくった挙句に、その場に座り込み、駄々っ子のように動きませんでした。 「テコンドーとはそういう人達の国のスポーツであり、カラテはあくまで空手道です・・」そう説明するしかないでしょう。

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しかし、日本のスポーツ選手だって褒められたものではありません。試合に勝てば、大袈裟にガッツポーズをとって喜びを露にし、ポイントを一つ上げるたびに雄たけびを上げたり、得意の歓声を上げて相手を威嚇したりします。

ある時、女子バレーボールの試合で、相手のミスで得点した時、選手が集まって喜び囃し立てるのを見て、ある作家が「君達恥ずかしくないのか?」と新聞に寄稿しました。作家の名前は豊田穣です。

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それに対する読者の意見も同じく新聞に掲載されました。 

「自分が選手の頃、コーチからは『相手の失敗でも喜び、歓声を上げろ』と指導されました。それによって味方が元気付けられ、相手が意気消沈するなら、結構なことではないですか?」

・・・・・・

かわいそうに、この投稿者は、自分で考え判断することができないようです。コーチの言うことは、鵜呑みにして絶対に正しいとでも思っているのでしょうか? 或いはスポーツマンシップを全く理解していないのか?確かに試合に勝つためにはその方がいいかも知れません。 しかし相手の失敗を喜び、それを囃し立てることで鼓舞される精神とは何でしょうか? そもそも何のためにスポーツを行っているのでしょうか? スポーツマンシップから遠いところで勝敗を争う単なるゲームに果たして意味があるのでしょうか? ひょっとして選手がそんな風に考えてしまうのはバレーボールが「道」の付かないスポーツだからなのか? それともコーチと選手の人間性によるものなのか・・。

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残念ながら、現在のオリンピック種目は柔道も含めて「道」とは言えないものばかりです。貴族的なアマチュアリズムが失われた今、金儲けのためのスポーツが跋扈しています。かつては東側の国でステートアマと呼ばれるプロ選手が活躍し、ドーピングも盛んでした。今、西側諸国でもメダルを取れば報奨金が貰えます。オリンピックは選手達にとって金儲けの場です。「金銭的な報酬なしで、誰がこんなに辛い練習をするものか」とどうどうと語る選手もいます。

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金のための行為・・となると、卑しいとまでは言えませんが、「道」を付けるわけにいきません。 禅が求める精神とも遠そうです。

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多くの「道」が付く競技では、勝敗が決した後に「得意淡然、失意泰然」であることが求められます。大袈裟に喜ぶことを戒め、そして負けた後にふてくされることを戒めます。

野球選手の張本勲は「勝った後の大袈裟なガッツポーズは駄目。敗者に対する思いやりが無くてはいかん」と言います。

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確かに相手に対する思いやりと礼儀は、スポーツマンシップの根幹ですが、恐らく「得意淡然、失意泰然」が本当に意味するのは、別のことでしょう。それは相手への配慮ではなく、競技者自身の内面への要求でしょう。

かつて何らかのスポーツを極めた人物に会うと、その人格力(オヒョウの造語です)に圧倒される思いがしました。 数多くの得意と失意を経験し成長した人物固有の風格がありました。

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今は、各種目の頂点に立ち、金メダルを取った選手をTVで見ても、なんら風格を感じません。 ただの身体能力に秀でた青年にしか見えません。 少し残念ですが仕方ありません。まあ、ドーピングしていないだけよしとするか・・・。


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