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【 第二次大戦の結果か? その1 】 [政治]

【 第二次大戦の結果か? その1 】

 

いささか旧聞ですが、先日のモスクワでの日ロ首脳会談は空振りだったようです。

日本側は北方四島の返還に向けて何等かの前進を、ロシア側は日ロ平和条約の締結に向けての成果や経済協力を期待した訳ですが、双方の思惑はすれ違いでした。

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ロシア側からは愚痴が聞こえてきます。面白いのはラブロフ外相の発言で「日本は世界で唯一、第二次大戦の結果を受け入れていない国だ」というものです。プーチン大統領も「日本は第二次大戦の結果として、南クリル諸島(北方領土のこと)がロシアに帰属している現実を受け入れねばならない」という言い方をします

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表現は穏やかですが、「敗戦国の日本が、国力が回復したからといって、今更領土を返せと言うのはずうずうしい」ということでしょう。

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では第二次大戦の結果とは何でしょうか?

ロシアの言う戦争の結果とは、ヤルタ会談でソ連が他の連合国から承認を取り付けた、樺太の南半分と千島列島全体のソ連への帰属化です。日本の右翼勢力がその打破を唱える「ヤルタ=ポツダム体制」です。しかし、それは正しいのでしょうか?

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一方、日本側が拠り所とするのは1951年のサンフランシスコ講和会議の結果です。この講和会議で、日本は多くの国と平和条約を結び戦争は終結しました。私に言わせればこれは画期的な会議でした。

普通、多くの戦勝国が集う戦後処理の会議は紛糾し、長引きます。ナポレオンのあとの欧州の会議もそうでしたし、第一次世界大戦のあとのパリ講和会議もそうでした。戦勝各国の思惑が衝突しもめるからです。まさに「会議は踊る。されど進まず」となります。しかし、サンフランシスコ講和会議は非常にスムーズでした。

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それは、敗戦国である日本が非常に殊勝で、戦勝各国がそれに敬意を表し、早く友好関係を回復したいと望んだから・・ではないようです。米ソの冷戦が勃発し、早く日本を西側の一員として取り込んで復活させる必要があったからでしょう。さらに言えば、戦勝国はたくさんあるけれど、本当に勝利したと言えるのは米国だけで、米国のリーダーシップのもとで日本との講和を促されると誰も逆らえなかったということでしょう。

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このサンフランシスコ講和会議で日本は樺太の南半分と千島列島の領有権を放棄しています。ただし、その千島列島はシムシュ島から得撫島までで、国後、択捉、色丹、歯舞は含まないというのが日本政府の見解です。

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スムーズに進んだサンフランシスコ講和会議ですが、禍根を残すこととなります。それは、ソ連が参加しなかったことです。スターリン指揮下のソ連は、もともと樺太はおろか北海道の北半分を手に入れたいと考えていたようです。それなのに北海道を得られないなら署名できない・・と出席を拒否したと言われています。もっともこの点は、私は公的な資料で確認した訳ではなく、本当のところはわかりません。本当は米国主導の講和会議で、西側の枠組みに取り込まれることを嫌がったからかもしれません。

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日本を取り囲む国々で、サンフランシスコ講和会議に参加しなかった国は他にもあります。中華人民共和国がそうですし、韓国と北朝鮮もそうです。それらの国がサンフランシスコ講和会議に参加しなかったことは、その後の半世紀の間、日本外交の禍根となりました。中華人民共和国については、建国の2年後で、当時、世界が相手としたのは中華民国(台湾)だったからです。

今、思えば特アと呼ばれる3カ国はサンフランシスコ講和会議に参加していません。彼らの国家戦略としての反日は、70年前からの筋金入りなのでしょうか?

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そもそも、中華人民共和国は第二次大戦当時、存在せず、日中戦争の相手国とは言えません。韓国はサンフランシスコ講和会議に参加しようとしましたが、米国に拒否されています。

「韓国は、第二次大戦の戦勝国ではない。そもそも韓国は日本と戦争していないのにどうして講和する必要があるのだ?」

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実のところ、韓国は、戦争中は日本の一部であり、枢軸国側だったと言えます。ここで確認したいのは、日韓の多くのマスコミが、「日本は韓国を植民地にした」と言っていることです。日韓併合は、朝鮮を日本の一部としたもので、西欧諸国がアジアとアフリカで設けた植民地とは違います。

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韓国以外にも、第二次大戦の初期の段階では枢軸国側だったのに、戦争が終わった時点では戦勝国に紛れ込んだ蝙蝠のような国はあります。例えばイタリアですが、それらの話は別稿に譲ります。

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サンフランシスコ講和会議に参加しなかった国とも講和する必要があるため、日本は多くの苦労を経験しました。

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韓国とは1965年の日韓基本条約締結まで、本当の意味の国交が復活しませんでした。今また韓国のムンジェイン大統領は、それを否定しちゃぶ台返しをしようとしています。やれやれ。

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中華人民共和国とは1972年の国交正常化まで、待たなければなりませんでした。その際、中華民国の蒋介石にならい、周恩来は日本に賠償を請求しませんでした。しかし、逆にそれが負い目となって、常に日本は弱い立場に置かれています。中国は、都合のいい時に、国内で反日活動を扇動し、自国に有利なように外交を進めます。日本から中国に流れたお金は軽く3兆円を超え、それ以外にも宝山製鉄所への協力など、有形無形の援助が行われました。

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戦後、戦勝国の中で、日本に賠償を求めなかった米国、中華民国、中華人民共和国の3国と、北海道の北半分を要求したソ連は、まったく正反対の対応だった訳ですが、サンフランシスコ講和会議から70年近くが経過して、もう一度そのことを考えてみる必要がありそうです。

 

それについては次号で。


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