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【 Notre- Dame de Paris 】 [フランス]

【 Notre- Dame de Paris

 

今は昔、昭和の時代、私が北陸のある町の高校生だった頃です。英語の樫本先生が夏休みに行かれた欧州旅行の話を授業中にされていました。英国、フランスが主ですが、中でもパリの話題が多かったのです。中年の男性教師が初めての海外旅行の話をするあたり、「チップス先生さようなら」を彷彿とさせますが、樫本先生は、ちょっとイメージが違います。背筋をピンと伸ばして、ロボットの様に教室を歩かれる先生です。

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樫本先生は、訪れたノートルダム寺院の荘厳さに感心されたようで、その感想を熱く語られた後、最後に奇妙な事を言われました。

「でも、僕はカシモトであってね、背むしではないのですよ」と言って、ただでさえまっすぐな背をさらにピンとされました。

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このダジャレを咄嗟に理解できた生徒はほとんどいないようでした。

ただ一人、学年一の美少女と噂されたNさんだけが、クスリと笑ったのを私は見落としませんでした。彼女にはこのダジャレが分かったのかな?

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その後、Nさんは筑波大学の仏文科に進学し、そこで知り合った男性と結婚しました。新婚旅行はパリだったとのこと。

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私は、その後、ビクトル・ユーゴーにはまった時期があり、学校の勉強もせず、幾つかの作品を読み漁りました。「1793年」「レ・ミゼラブル」「ノートルダムドパリ」。一連の作品を読んで、これはやっぱりパリに行かなくては、とても本当の事は分からないな・・と思いました。私は無性にパリに行きたくなったのです。

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余談ですが、外国の小説を読んでその舞台の国に行きたいと思ったことは、そう多くありません。アーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」を読んで、英国の湖水地方に行きたいと思ったぐらいです。

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話が脱線しましたが、「ノートルダムドパリ」を読んで、やっと樫本先生のダジャレが分かりました。主人公はせむし男「カジモド」で名前が似ていたのです。分かってみれば単純なダジャレでした。そうか、Nさんはあの小説を読んでいたのかな?

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私がパリで実物のノートルダム寺院を見ることができたのは、それからずっと後の平成の時代です。そして、その欧州時代、私はドイツのブレーメンにある鉄鋼会社を訪問しました。クレックナー(Klöckner)という会社です。この会社は川鉄(当時)と関係が深く、Q-BOP式転炉も導入しています。だからライバル会社の私の訪問は歓迎されるかな?と心配したのですが、それは杞憂で歓待されました。仕事を終え、会食会場に移動するために町を歩いていると、Klöcknerという単語を書いたポスターを見かけました。ポスターには「Der Klöckner von Notre-Dame」とあります。

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「これは御社と関係があるのですか?」とくだらない質問をすると、Klöcknerの担当者は一瞬キョトンとして、それから大笑いしました。

「これは今、映画館で上映しているディズニーアニメの題名ですよ。Klöcknerとは鐘撞男(Bell Man)つまり「背むし男」のカジモドの事です」。彼は言いませんでしたが、「背むし」という身体的特徴をあげつらうような題名は、ディスニー映画にはふさわしくなく、「ノートルダムの背むし男」から「ノートルダムの鐘撞男」と名前を変えたみたいです。

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「では貴社は鐘撞男が始めた会社なのですか?」と私が再びくだらない質問をすると、彼はあまり上手でない英語で、「創始者の名前がKlöcknerだったのです。先祖は確かに鐘撞男だったのかも知れませんが、今ドイツではKlöcknerは一般的な姓です。たまたま、ディズニーアニメの名前と重なりましたが無関係です」と面白そうに語りました。

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しかし、私は名作「Notre Dame de Paris」がディズニーアニメ(つまり子供向けの作品)になる事に強い違和感を持ちました。そしてちょっと暗い気持ちになりました。アニメを見る子供たちに、この小説が本当に理解できるのだろうか? 下手をしたら、醜いけれど心の美しい男性が、美少女に憧れる・・という平板なストーリー展開になりはしないか・・・?

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世の中の小説には、映画化に適した作品とそうでない作品があります。概ね長編小説は映画に向きませんが、ビクトル・ユーゴーの作品はその最たるものかも知れません。

日本では内田吐夢監督がレ・ミゼラブルを元に「ああ無情」を制作し、高い評価を受けていますが、あの重厚で複雑で奥行きのある作品を短時間の映画にするというのは、私には冒涜にさえ思えます。映画でそうなら、ミュージカル「レ・ミゼラブル」などなおさらです。

もっとも、観てもいないのに、貶す資格は私にはありませんが・・・・。

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私の母が生前に言っていましたが、作品が映画になり、映像を見るとイメージが固定されてしまいます。活字で小説を読み、自分でイメージを膨らませた方が、より自由で豊かな世界を想像できて、感動するし、感情移入もできる・・というのです。私などは作品のヒロインの顔は、全て当時憧れていた女生徒の顔に置き換えてイメージしていました。(断っておきますが、Nさんではありません)。

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実際、パリに行った事の無かった頃の私が、ユーゴーの小説を読んでイメージしていた世界は、本物のパリとはかなり違ったのですが、それはそれで良かったような気がします。残念ながら、私がノートルダム寺院を見た時、樫本先生ほどの感動は覚えませんでした。

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実際に目で見るパリの街並みやノートルダム寺院、一方、小説を読み、空想でイメージするパリの街並みやノートルダム寺院、どちらが私にとって存在感があるか?

 

ああ、しかしそんな比較をしようにも、実物のノートルダム寺院は火事で焼け落ちてしまい、もはや皆さんの記憶の中に存在するだけになってしまいました。がっかりです。

 

形あるものは何時かは壊れる・・と言いますが、あの荘厳な寺院がなくなるとは・・・。

私に言わせれば、「ああ無情!」ならぬ「ああ無常!」です。

しかし、このくだらないダジャレは、樫本先生のダジャレには到底かなわないなぁ。

 

おそらくNさんも、クスリとも笑わないでしょう。

 

(今回は、他人のプライバシーにも触れましたが、まあ、昭和の時代の話なのでお許しください)。


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