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【 ヴの無い世界 】 [雑学]

【 ヴの無い世界 】

 

いささか旧聞ですが、外国の国名表記から「ヴ」の字がなくなったそうです。

何でも外務省が法案を提出して国会で決めたとのことですが、外国の名前の呼び方が法律で決まっていたとは、寡聞にして知りませんでした・

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しかし、その決め方というのが、よく理解できません。普通、法律というのは、お上(おかみ)が最初に決定して、国民に知らしめ、国民がそれに従う・・・という仕組みになっています。

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しかし、今回は巷間で使われる庶民の言葉の頻度を調べ、もう使われないから・・ということで、法律がそれを追認するというものです。一体何のための法律か?と思います。それ以前に行政の主体性の無さというか、国民への迎合は何だ?とさえ思います。

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マスコミにはその法案作成に尽力した若い課長補佐が登場します。

https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/15156.html

彼は目の前に膨大な書籍を置き、それらを読んで、誰も知らないような小国の名前がどのように表記されるかを解析したとのことです。全く分かりません。

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今は、パブリッシュされる文章が、純粋に活字にとどまることはあまりなく、多くはデジタル化されます。それなら手作業で調べなくても、外国の天才達が開発した検索エンジンを使えば、一瞬で検索できます。彼が手作業で何カ月もかける作業がほんの一瞬の作業になります。彼は一体何のためにそんな労力をかけたのか?

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それにしても暇な役所です。「セントクリストファー・ネーヴィス」が、「セントクリストファー・ネービス」になったところで、何の意味があるのか?そんなことに時間を費やすくらいなら、もっと他にすることはないのかい?

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外務・防衛・警察・公安といった治安に関わる役所が暇を持て余すというなら、これは大変結構なことですが、実は今、外務省は問題山積で多忙を極めている筈です。

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北朝鮮問題、それに輪をかけて頭痛の種である韓国問題、日本にすり寄り始めた中国との関係、四島を返さないロシアの問題、通商問題で無理難題をふっかける米国、EUを離れる英国の問題、外国人労働者の受け入れの問題、数は多いが質が伴わない留学生や研修生の問題・・・。戦後かって無かったほど、外務省は多くの問題を抱えています。そもそもソウルの日本大使館の新築工事の案件も宙ぶらりんです。

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来年の東京オリンピックも一大イベントですが、それより目前に迫った即位の礼こそ、日本最大の慶事で、各国からVIPが集まります。その出迎え、応接、警備その他で、外務省はてんてこ舞いだそうです。外務省始まって以来だそうですが、他の省庁から応援部隊を受け入れ、急場をしのぐことになっています。

それなのに、ひたすら書物を調べ、ヴの文字を探す・・というのは、有為な若い課長補佐のやることか?

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話題を変えましょう。

かつて明治から昭和の時代、日本語の仮名では表現しにくい発音をなんとか表記するために、人々は苦労しました。ウィスキーだって、昔は無理やりウヰスキーと書いたりしました。VBの違いにこだわる人は、Vの発音にはヴを用いたのです。

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とりわけイデオロギーにこだわる人達には、ヴは大切な文字でした。 ソ連はソビエトではなくソヴィエトでしたし、「東方」と言う意味を持つ宇宙船はボストークではなくヴォストークでした。ウォッカは確か・・ヴォトカだったような(あまり自信はありません)。

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しかし1991年にソ連が崩壊し、マルクスレーニン主義者は心の故郷を失いました。もうソヴィエトだろうがソビエトだろうがどうでもよくなったのです。そしてその後四半世紀以上を経て、ついに若い課長補佐の手によって、ヴは葬り去られるのです。合掌。

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しかし、国名以外の名詞で、ヴに愛着を持つ人はたくさん残っています。イデオロギー関係なしです。お金持ちは、ルイ・ヴィトンはやはりルイ・ヴィトンでなくちゃ・・と思うでしょうし、お金持ちでないオヒョウもやはりヴにこだわります。

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ポール・ヴェルレーヌの「秋の歌」を上田敏が翻訳し、「海潮音」に「落葉」として納めています。「秋の日のヰ“オロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し」。

一方、フランス文学の泰斗 堀口大學の訳では、「秋の日のヴィオロンの・・・」になり、

金子光晴の訳では、「秋のヴィオロンが・・」になり、窪田般弥の訳では「秋風のヴァイオリンの・・」になります。 誰一人として「ビオロン」や「バイオリン」と表記する人はいません。 実際のところ、「秋の日のビオロンの・・」では全く興ざめです。

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私は、国名は仕方ないとしても、文学の世界だけはヴを無くさないで欲しい・・と思います。

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再び話題を転じます。中央省庁では、若いキャリア官僚を他省庁に出向させて武者修行させることが多くあるそうです。つまらないセクショナリズムに陥らないよう、また他省庁の人と交流することで刺激を受けると同時に、視野を広げますし、人脈を作るうえでもいい機会です。前述の通り、外務省も他省庁から人を受け入れるそうです。

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さて、多くの書籍を調べて、ヴを抹殺する方案を作成した、くだんの課長補佐ですが、彼も孤独な作業から解放され、視野を広げるために他省庁に出向する機会があるかも知れません。それは結構なことですが、文科省だけは勘弁してください。言葉狩りや文字狩りをされては困ります。泉下の上田敏や堀口大學が「ひたぶるにうら悲しく」思う事でしょう。


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【 Notre- Dame de Paris 】 [フランス]

【 Notre- Dame de Paris

 

今は昔、昭和の時代、私が北陸のある町の高校生だった頃です。英語の樫本先生が夏休みに行かれた欧州旅行の話を授業中にされていました。英国、フランスが主ですが、中でもパリの話題が多かったのです。中年の男性教師が初めての海外旅行の話をするあたり、「チップス先生さようなら」を彷彿とさせますが、樫本先生は、ちょっとイメージが違います。背筋をピンと伸ばして、ロボットの様に教室を歩かれる先生です。

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樫本先生は、訪れたノートルダム寺院の荘厳さに感心されたようで、その感想を熱く語られた後、最後に奇妙な事を言われました。

「でも、僕はカシモトであってね、背むしではないのですよ」と言って、ただでさえまっすぐな背をさらにピンとされました。

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このダジャレを咄嗟に理解できた生徒はほとんどいないようでした。

ただ一人、学年一の美少女と噂されたNさんだけが、クスリと笑ったのを私は見落としませんでした。彼女にはこのダジャレが分かったのかな?

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その後、Nさんは筑波大学の仏文科に進学し、そこで知り合った男性と結婚しました。新婚旅行はパリだったとのこと。

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私は、その後、ビクトル・ユーゴーにはまった時期があり、学校の勉強もせず、幾つかの作品を読み漁りました。「1793年」「レ・ミゼラブル」「ノートルダムドパリ」。一連の作品を読んで、これはやっぱりパリに行かなくては、とても本当の事は分からないな・・と思いました。私は無性にパリに行きたくなったのです。

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余談ですが、外国の小説を読んでその舞台の国に行きたいと思ったことは、そう多くありません。アーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」を読んで、英国の湖水地方に行きたいと思ったぐらいです。

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話が脱線しましたが、「ノートルダムドパリ」を読んで、やっと樫本先生のダジャレが分かりました。主人公はせむし男「カジモド」で名前が似ていたのです。分かってみれば単純なダジャレでした。そうか、Nさんはあの小説を読んでいたのかな?

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私がパリで実物のノートルダム寺院を見ることができたのは、それからずっと後の平成の時代です。そして、その欧州時代、私はドイツのブレーメンにある鉄鋼会社を訪問しました。クレックナー(Klöckner)という会社です。この会社は川鉄(当時)と関係が深く、Q-BOP式転炉も導入しています。だからライバル会社の私の訪問は歓迎されるかな?と心配したのですが、それは杞憂で歓待されました。仕事を終え、会食会場に移動するために町を歩いていると、Klöcknerという単語を書いたポスターを見かけました。ポスターには「Der Klöckner von Notre-Dame」とあります。

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「これは御社と関係があるのですか?」とくだらない質問をすると、Klöcknerの担当者は一瞬キョトンとして、それから大笑いしました。

「これは今、映画館で上映しているディズニーアニメの題名ですよ。Klöcknerとは鐘撞男(Bell Man)つまり「背むし男」のカジモドの事です」。彼は言いませんでしたが、「背むし」という身体的特徴をあげつらうような題名は、ディスニー映画にはふさわしくなく、「ノートルダムの背むし男」から「ノートルダムの鐘撞男」と名前を変えたみたいです。

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「では貴社は鐘撞男が始めた会社なのですか?」と私が再びくだらない質問をすると、彼はあまり上手でない英語で、「創始者の名前がKlöcknerだったのです。先祖は確かに鐘撞男だったのかも知れませんが、今ドイツではKlöcknerは一般的な姓です。たまたま、ディズニーアニメの名前と重なりましたが無関係です」と面白そうに語りました。

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しかし、私は名作「Notre Dame de Paris」がディズニーアニメ(つまり子供向けの作品)になる事に強い違和感を持ちました。そしてちょっと暗い気持ちになりました。アニメを見る子供たちに、この小説が本当に理解できるのだろうか? 下手をしたら、醜いけれど心の美しい男性が、美少女に憧れる・・という平板なストーリー展開になりはしないか・・・?

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世の中の小説には、映画化に適した作品とそうでない作品があります。概ね長編小説は映画に向きませんが、ビクトル・ユーゴーの作品はその最たるものかも知れません。

日本では内田吐夢監督がレ・ミゼラブルを元に「ああ無情」を制作し、高い評価を受けていますが、あの重厚で複雑で奥行きのある作品を短時間の映画にするというのは、私には冒涜にさえ思えます。映画でそうなら、ミュージカル「レ・ミゼラブル」などなおさらです。

もっとも、観てもいないのに、貶す資格は私にはありませんが・・・・。

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私の母が生前に言っていましたが、作品が映画になり、映像を見るとイメージが固定されてしまいます。活字で小説を読み、自分でイメージを膨らませた方が、より自由で豊かな世界を想像できて、感動するし、感情移入もできる・・というのです。私などは作品のヒロインの顔は、全て当時憧れていた女生徒の顔に置き換えてイメージしていました。(断っておきますが、Nさんではありません)。

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実際、パリに行った事の無かった頃の私が、ユーゴーの小説を読んでイメージしていた世界は、本物のパリとはかなり違ったのですが、それはそれで良かったような気がします。残念ながら、私がノートルダム寺院を見た時、樫本先生ほどの感動は覚えませんでした。

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実際に目で見るパリの街並みやノートルダム寺院、一方、小説を読み、空想でイメージするパリの街並みやノートルダム寺院、どちらが私にとって存在感があるか?

 

ああ、しかしそんな比較をしようにも、実物のノートルダム寺院は火事で焼け落ちてしまい、もはや皆さんの記憶の中に存在するだけになってしまいました。がっかりです。

 

形あるものは何時かは壊れる・・と言いますが、あの荘厳な寺院がなくなるとは・・・。

私に言わせれば、「ああ無情!」ならぬ「ああ無常!」です。

しかし、このくだらないダジャレは、樫本先生のダジャレには到底かなわないなぁ。

 

おそらくNさんも、クスリとも笑わないでしょう。

 

(今回は、他人のプライバシーにも触れましたが、まあ、昭和の時代の話なのでお許しください)。


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【 後悔などあろうはずもない? 】 [雑学]

【 後悔などあろうはずもない? 】

 

いささか旧聞ですが、平成時代を代表する野球選手であるイチローが引退しました。

もっとも、日本よりも米国での活躍が目立ったイチローとしては、日本の元号で時代を区切られることに違和感があるかも知れませんが・・。

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この偉大な選手について語りたいことは山ほどありますが、今回は彼の引退会見での一言にこだわります。

記者が「後悔はありますか?」と質問したのに対して、「後悔などあろうはずもない」と答えたのです。

https://www.asahi.com/articles/ASM3P7GBXM3PUTQP02M.html

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私が「あれっ?」と思ったのは、質疑応答の齟齬です。記者は「決断に後悔は?」と訊いています。「ここで引退すると決めたことについて後悔は無いのか?」という意味でしょう。一方、イチローは、これまでの野球人生全般について後悔はないか?と質問されたと解釈したようです。

だから「今日の球場の様子を見れば分かる通り、後悔などあろうはずもない」と答えたのでしょう。これは記者の質問の仕方が悪かったと言えます。

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ただ単に「後悔はありません」と言えばいいのに、「後悔などあろうはずもない」という、もってまわった大袈裟な表現を用いたのは、イチローのひとつの癖で、質問者(記者)を小馬鹿にする時に用いるパターンです。

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しかし、私が考えるのは「後悔は無い」というその発言です。

同じように、かつて「我事に於いて後悔せず」と記した人物がいます。あの宮本武蔵です。勝負師としての在り方、求道者としての生き方を考えると、何となくイチローに重なります。武蔵は、晩年に著した「独行道」でそう語っています。

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この一文については、多くの解釈がなされているようです。

https://view.cafe/monopoly/a-new-day/6480

勿論、自分はこれまでの人生で、一度も失敗や判断ミスをしなかったという浅薄な自慢話ではないでしょう。しかし、同じく武蔵が著した「五輪書」では、「我生涯に六十余度戦いて一度も負けず」と自慢話を書いていますから、やっぱり単なる自慢話かも知れません。

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これを「倨傲ではないか?」と、噛みついたのは、昭和の天才棋士の一人、升田幸三九段です。升田九段がまだ存命だったころ、NHKの歴史番組で、「宮本武蔵は本当は弱い人物だったのではないか?」と語っています。

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即ち、本当に強い人物だったら、武蔵は自分の人生を振り返り「いつ、どこどこで、辛き(からき)目に遭いけり」と、自分の失敗談や不名誉な記憶を正直に語ったはずだというのです。それができなかったのは、彼の弱さであり、強がりであろうと升田九段は語りました。 本物の勝負師だった升田九段だからこそ言える話です。

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実際の宮本武蔵の人生には、失敗と後悔が溢れています。関ケ原では負け組の西軍に付いた(真偽は不明)し、島原の乱では老骨を鞭打って参戦するも、負傷・気絶するという不名誉を体験しています。あまり出世もしていません。巌流島の決闘だって自慢できる勝ち方ではなかったという話もあります。それなのに、武蔵は、「生涯負けなし」と書き、「我、事に於いて後悔せず」と書きます。嘘つけ。

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だから、私は「後悔は無いです」という人の言葉を素直には信じません。

イチローの長い野球人生は、栄光に満ちていて、余人にはまねのできない素晴らしいものです。しかし、そこに失敗は何もなかったのか?後悔すべきことは何も無かったのか?と彼に尋ねたい思いにかられます。

イチローは本当は弱い人物だったのではないか?

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むしろ、「自分は、過去の事にくよくよしたり振り返ったりせず、常にこれからの未来を考える前向きな人間なので、だから後悔はしない」と答えた方が、よっぽどイチローらしく返答として適切だったのではないか・・と私は思います。

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言うまでもないことですが、引退会見は、それまでの野球人生に幕を下ろす宣言であると同時に、新しい人生を始める宣言でもあるからです。

これからのイチローの長い第二の人生で、彼が何をしようとしているのか、まだ発表はないのです。 ひょっとして「野球五輪の書」でも書くのかな?

 

東京オリンピックで野球も復活することだし。


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【 LとR 】 [政治]

【 LR 】

 

私は英語の発音のLRの使い分けが苦手です。時々、聞き間違えるし、自分が話す時もLRの発音がゴッチャになります。でもそれは私だけでなく、日本人の多くが苦手とするようです。

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映画「チャイナタウン」には、日本人の発音をからかう場面があります。

水不足のカリフォルニアで、各家庭の庭の池には淡水でなく海水を引いていますが、これが芝生には良くない訳です。日系移民の庭師が「海水はgrass=草(芝生)には良くない」とぼやく訳ですが、それを聞いた主人公の探偵(ジャック・ニコルソン)は、「海水は眼鏡(glass)に良くないのか?」と言いながら、海水の池をのぞき込み、底に沈む殺人の被害者の眼鏡を発見し「ああ、海水は眼鏡に良くないのだね」ともう一度言います。

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また、私は知りませんが、日本人をからかうギャグでは、わざとLRを逆にして発音するそうです。ちょっと不愉快です。しかし英語の発音でLRを混同してしまうのは、日本人だけではないようです。中国人も韓国人も少し苦手にしているようです。

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そんなことを思い出したのは、新しい元号が「令和」と決まったからです。アルファベットの頭文字で表すとRになるそうで、令和18年はR18だ・・と外国人を代表してデーブ・スペクターが言っています。成人向けの映画のコードに掛けて揶揄しているようで、ちょっと不愉快です。

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でもそこで待てよ?と言いたくなります。令和のアルファベットの頭文字はRなのか?日本のローマ字ならRしかありえませんが、漢字の故郷である中国語のピンインでは、令はlingとなります。だから、国際的にはLが妥当なのではないか? でも漢字の故郷だからといって、敢えて中国語に合わせる必要は無いかな? そもそも、中国でもLRの識別はあまり厳密ではないから・・・と、私は混乱するばかりです。

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ここで、LRの話題から離れて、別の観点から「令和」を考えます。

もともと、日本の元号に反対の朝日新聞は、系列の週刊朝日やAERAを使って、令和を貶す記事を出しています。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190409-00000016-sasahi-pol

ダイヤモンド誌もそれらの意見を取り上げています。

https://diamond.jp/articles/-/198757

しかし、内容は実に幼稚で、教養人の発言とは思えないものばかりです。もっとも、発言しているのは、教養人や文化人というより芸能人と呼ぶべき人が多いようですが・・。

いわく、令は命令の令だから、権力が上から押さえつける時代を象徴するというのです。

また、令は零につながり、令和は、ゼロをいくら足してもゼロだと、中国人が嗤っているというのです。これはおそらく嘘というより捏造でしょう。

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簡体字を用いる中国では多くの字が簡略化されていますが、零と令は明確に区別されます。

中国語の「零」には、少ないもの、小さいもの、ちっぽけなものというネガティブな意味があります。部品は中国では零件となります。そして勿論、数字のゼロも零です。一方、令には整ったもの、しっかりしたものというポジティブな意味があります。令夫人や令弟という単語にも表れています。だから令と零を混同することは、繁体字の台湾だけでなく、簡体字の大陸中国でもありえないのです。だからこれは日本人の捏造でしょう。

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そういえば、昔、朝日新聞の投書欄に、小学生(?)の投稿で、「中国を支邦と呼ぶのは失礼。「日本」には本があるから本店、「支邦」に支があるから支店みたいで、日本が中心に見えるから」という噴飯ものの文章がのりました。しかも、それを読んだらしい、王毅駐日大使(当時)までが同じ発言をして、支邦呼称問題をけん制しました。

しかし、中国語で本店は総公司、支店は分公司です。本店、支店という呼び方は普通しません。朝日新聞の捏造と言うべき、幼稚な言説でした。

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令和を以て、「ゼロをいくら足してもゼロになる」と、中国人が語ったという話には同じ臭いがします。

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庶民が、上から示される元号を揶揄するのは、結構だと思います。しかし、そこには何等かのユーモアというか、頓智がなければつまりません。

有名な戯れ歌に、「明治明治と上から言うが、治まるめいと下からは読む」というものがありますが、それくらいのウィットは無いものか? 

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「命令の令だ!」と騒いでいる社民党のレベルでは、後世の令和の人々に軽蔑されるだけです。


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【 アルツハイマー病の特効薬 】 [医学]

【 アルツハイマー病の特効薬 】

 

いささか旧聞ですが、325日、製薬会社のエーザイの株がストップ安になったと、お昼のニュースが伝えています。

https://stocks.finance.yahoo.co.jp/stocks/detail/?code=4523.T&d=1m

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42787030S9A320C1TJC000/?n_cid=DSREA001

どうして?と調べると、321日に同社が発表したアデュカヌマブのPhaseⅢの試験を中止したというニュースが発端のようです。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-03-21/POPUR3SYF01S01

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42751620R20C19A3TJC000/

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20190409-OYTET50017/

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そうか・・・、皆さんが期待していたのにやはりだめだったか!という落胆の思いが株価に反映したものです。

エーザイはアルツハイマー病治療薬では、日本で先駆者的な存在です。アリセプト(ドネベジル)を世に出して以来、研究の先端を走っていたと聞きますが、ここで大きな蹉跌を味わうことになりました。

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アデュカヌマブとは、ヒトモノクローナル抗体を用いた治験薬で、軽度のアルツハイマー病に有効ではないか・・と期待された薬品です。 期待された効果とは、脳内に沈着するアミロイドβ(ベータ)を洗い流す効果です。治験薬番号ban2401ですが、banとは禁止するという意味ですから、そもそも名前が悪かった。

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実は少し前に、同じくアルツハイマー病の薬として期待されたソラネズマブもPhaseⅢの段階で要求項目を満たせず、途中で開発が断念されました。

PhaseⅢとは、薬の研究開発の最終段階で、ここをクリアーすれば、承認・市販の段階に進めたのに・・。

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ご記憶の方は少ないでしょうが、私はちょうど3年前に、この2つの薬品について、ブログで取り上げていました。差別用語として今は使われない言葉を題名にした【バカに付ける薬】です。

https://halibut.blog.so-net.ne.jp/2016-04-11-2

私の駄文では、アルツハイマー病の研究にアミロイドβ蓄積原因説とτ(タウ)タンパク質原因説の2つがあり、どちらが正しいか一種の競争になっている・・と、新薬開発の現状を面白がった書き方をしたのです。アミロイドβ説を裏付ける有力な2つの新薬が脱落したことで、τタンパク質説が優勢になったかというと、そうでもないようです。

https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/mag/btomail/17/10/30/00322/

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今回の中止は必ずしも、アミロイドβ蓄積説を否定するものではないようです。

ではそもそも、なぜPhaseⅢまでいきながら、プロジェクトは断念されたのか?

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アルツハイマー病の新薬開発が急速に進んだのは、脳内に蓄積するアミロイドβを定量的に把握できるようになったからだそうです。その定量したアミロイドβがアルツハイマー病のアミロイドβと異なる種類だったのか?それとも定量する方法が間違っていたのか?外野席にいる私は想像するしかありません。

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新薬の効果は、アミロイドβの数値で議論されます。一方、臨床的にアルツハイマー病の治癒効果や進行抑制効果を判断するのは、定量的な、つまり数字で表せる事象ではないようです。ここに問題があります。

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理工系の学問では、結論は主に数字で議論されます。客観性、再現性、蓋然性、多くの性質を担保するのに数字での議論は好都合です。

一方、医学には違う面もあります。精神科などの診断では、数字では表しにくい部分もあります。同じ患者について、医師によって診断が異なり、処方する薬が正反対だったりすることもあるそうです。どうやら、普通の自然科学とは少し違うのかな?

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だから、PhaseⅢで有効性を確認するには、PhaseⅡまでとは異なる手法が必要だったのかも知れません。だいたいアデュカヌマブが狙っていたのは、アルツハイマー病の初期の段階での薬効です。認知症が進行した状態や神経細胞のネットワークが破壊された段階なら確認することも容易でしょうが、初期段階では効果があるのかどうか、簡単には判断できないはずです。認知症と言ったって、病的なものもあれば、老化に伴って普通に現れる病気とは言えないものもあります。認知能力は、中年後期あるいは老年期に入れば、個人差も大きくなってきます。

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余談ですが、最近は、後期高齢者には、運転免許の更新の際に、認知症か否かを調べるテストがありますが、すこぶる評判が悪いそうです。「俺が耄碌したと言うのか?」とばかりに、自尊心を傷つけられて怒ることもありますが、こんないい加減なテストで自分の脳みその能力を推し量られてたまるか!という憤りもあります。どうせ、テストをするなら、大学入試のレベルの問題を出せよ!と言いたい人もいるでしょう。

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誰だって、自分が衰えたとは思いたくありません。初期のアルツハイマー病か否かを調べると言われれば、痛くもない腹を探られたくはありませんし、「自分は正常で認知能力に衰えはない!」と訴えたくなります。

そう思うであろう多くの被験者を対象にしたPhaseⅢの試験は難しいはずです。

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多くの被験者のデータを集めても、従来の統計解析の手法では、果たしてアルツハイマー病の治療や進行抑制に効果があったのか、判断に苦しむはずです。

私見ですが、このような数値化の難しい現象の解析手法は多くあります。従来の因子分析の理論に、ファジイ推論の手法を融合させた新しい解析手法を用いれば、この問題はクリアーできると私は思います。

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もし私が仕事に忙殺される身の上でなく、修士課程の学生だったら、ぜひトライしてみたいテーマです。でも63歳の私の脳みそでは、もう無理かな? 

ああ、早く頭を良くする薬に登場して貰いたいものです。

 

「遅かりし由良之助!」ならぬ、「遅かりしアデュカヌマブ!」になってしまうかも知れません。 でもゆっくりと老いて、認知能力の衰えを噛みしめなら穏やかに生きていくのもまた幸せかも知れません。 私にはよくわかりませんが。


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