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【 青山の夜 】 [ポップス]

【 青山の夜 】

私の勤務先の本社が企業合併によって大手町から青山に移ることになりました。これはちょっと困った問題です。東京駅から遠くなり、成田空港へも羽田空港へもアクセスが不便になります。これからは出張に行くのがちょっと大変です。それになにより、我々の最大の顧客である、N製鉄の本社に歩いていけなくなります。

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職場では、本社移転の話で盛り上がります。では街の雰囲気はどうなのでしょうか?

「大手町の街と青山の街で何が違うか?」いろいろ違いはあるけれど、その一つはビルの地下1階です。大手町なら、地下1階はレストランか居酒屋、あるいは駐車場です。でも青山なら、ライブハウスがお似合いです。

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だからという訳ではありませんが、同僚のTさんと私は、夕暮れの青山の街を歩き、ライブハウス「プラッサ・オンゼ」に入りました。「PRAÇA 11」とはポルトガル語で11番広場という意味でしょうか?ブラジル音楽とブラジル料理の店です。

ここで聴くのは、笹子重治さんと吉田慶子さんのブラジル音楽です。

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吉田慶子のライブについては、以前にもブログを書きました。

http://halibut.blog.so-net.ne.jp/2013-02-24

しかし、前回の日暮里ポルトでのライブは、彼女一人の弾き語りだったのに対し、今回は笹子氏が加わり、彼の繊細なギターと吉田さんの囁くような歌声が、どう絡み合うかがポイントです。

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私はラム酒を、Tさんはジントニックを飲みながら、歌姫の登場を待ちます。

暗い店内に集うお客は、若い人はまばらで、どちらかというと60代、私より少し歳上の人が目立ちます。皆さん昭和を引きずっている人々です。

「僕がイメージするライブとはだいぶ雰囲気が違いますね」とTさん。これは仕方ないことです。 おやっ?と気づいたのですが、斜め前にはスーツを着た中年の男女が肩を寄せて座っています。 仕事帰りでしょうか?

店内はすっかりブラジルの雰囲気ですが、「Tさん、実は私はブラジルに行った事がないのですよ。一度は行きたいのですがね」と私は白状します。

Tさんは、「N製鉄の中堅の技術者にはブラジルで仕事をした人がたくさんいますね。話しをすると、皆さんウジミナスプロジェクトに参加した日々の事をとても懐かしく語ります。ブラジルはすてきな国みたいですね」

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このブログにしばしば登場するTさんは中国留学も経験し、海外経験豊富な青年です。しかし、そのTさんでも、まだ行ったことのない国は数多く、憧れる国は数多いようです。 

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そして外国の音楽を楽しむには二通りの方法があります。

ひとつは、まだ行った事のない憧れの国をイメージしながらその国の音楽を聴くこと。

そして、もうひとつはかつて暮らした国、訪問した国の風景とそこで出会った人々を懐かしく思い出しながら、その国の音楽を聴くこと。どちらも私は大好きです。

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もっとも音楽の鑑賞に2種類あるのは、外国の音楽に限りません。恋愛の歌だってそうです。ひとつは失った恋、去っていった恋人を、ほろ苦く切なく、思い出しながら聴くこと。もうひとつは、今目の前にいる最愛の人と一緒に愛の音楽を聴くこと。どちらも素敵でしょうが・・・、どうも私には縁がありませんがね。

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今回は、まだ見ぬ地球の裏側の国、ブラジルを想って音楽を聴きます。そして今日は薄命だったブラジルの女性歌手ナラ・レオンを偲んで、そのオマージュを意識した音楽会です。 吉田慶子さんは、ナラ・レオンに心酔しているのか、髪型まで彼女に似せています。 音楽家はしばしば、影響を受けた先輩に近づこうと外見まで似せたりします。 かつてペギー・リーに憧れたペギー葉山、サンタナに憧れた野口五郎がそうでした(・・・はは、年齢がバレますね)。

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笹子/吉田のコンビの息はぴったり合っていて、声とギターのハーモニーは絶妙です。無関係な観客である私が軽い嫉妬を感じるほどです。 吉田さんには悪いけれど、ギターはやはり笹子さんの方が上手だね。 そして絶妙なのは、二人の会話です。どんなライブでも、ドキッとしたりハッとする発言がありますが、今回もありました。

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「ナラ・レオンは大御所のセルジオ・メンデスから、アメリカに来るように誘われて断ったんですってね。 それが、「英語で『イパネマの娘』を歌わされるくらいなら、行かない・・」って言って筋を通したの。気骨のある女性だったのね」

会場は、ナラ・レオンのエピソードに感銘を受けたのか、ちょっとどよめきました。

ある音楽を極めようとするミュージシャンは、しばしば、商業主義とぶつかり、妥協を求められたりします。例えば一般受けするスタンダードナンバーの演奏を強いられる場合です。

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私のように音楽に詳しくない者にとって、ブラジル音楽と言えば、どうしても、イパネマの娘、 おいしい水、マシュ・ケ・ナダ、黒いオルフェといったスタンダードしか思い浮かびません。

しかし、より深くサンバ・カンソンの世界に入った音楽家にとって、それらの一般ピープルのためにスタンダードを演奏することは、商業主義に堕落することでもあり、密かに抵抗を感じる訳です。ナラ・レオンは「イパネマの娘」を歌いたくなかったのか?

そして、吉田慶子も「イパネマの娘」が大嫌いなのか?

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私がそういぶかった瞬間、なんと彼女は「イパネマの娘」を歌い出しました。 これは

大変化球です。 前回の彼女の日暮里ポルトでの弾き語りは、全て直球勝負でした。

私のリクエスト「ラジオの歌い手」もちゃんと歌ってくれました。 しかし今日のライブは違います。笹子さんというキャッチャーを受けて、見事に変化球を決め、観客の私は空振りです。 そして彼女の「イパネマの娘」は素晴らしい出来でした。

吉田慶子の欠点を言うなら、彼女の声が全くコケティッシュでないことを挙げたいと思います。しかし、「イパネマ」を歌う彼女は十分にキュートであり、申し分ありません。 

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「なんだ、『イパネマの娘』も素晴らしいじゃないか・・・」カクテルを飲み干して私がそう思った時、笹子氏が「しかし彼女の『マシュ・ケ・ナダ』はお薦めできませんね」。再び変化球です。 私も彼女が「マシュ・ケ・ナダ」を歌う場面を想像して思わず苦笑いをします。 更に彼女は、切ない恋の歌や恨みの歌の後に、コミカルな「パンダの歌」を歌ったりします。自称パンダ研究所研究員だそうですが・・ どうも今日は変化球が多いな。 

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そして、私はもう一つの事を考えていました。

ナラ・レオンは英語で『イパネマ』を歌うことを拒否したが、歌とは、作曲された国の言語で歌うべきものなのだろうか? ボサノバはポルトガル語でなければ表現できないのだろうか? これは大問題です。むしろ音楽によっては外国語に翻訳された歌詞の方がしっくりすることもあると私は思います。 これは本当だろうか?

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唐突ですが、その時、私が頭のなかでイメージしたのは、大貫妙子の名曲「若き日の望楼」です。これは大貫妙子作詞作曲の完全なメイドインジャパンの曲です。(ただし、そのモチーフは、シャルル・アズナブールの「帰り来ぬ青春」にそっくりですが)。しかし、この曲は日本語の歌詞よりもフランス語の歌詞の方が似合います。歌うのはどちらも大貫妙子ですが、フランス語バージョンの方が優れています。日本の歌でもフランス語の方が似合うのです。

英語の「イパネマの娘」を嫌うのは、本当に正しいのだろうか?

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そう思った時、2杯めのジントニックを飲み干したTさんが、「オヒョウさん、ボサノバって、ちょっとシャンソンに似ていません?」 うーむ。私が日本語のシャンソンについて考えていたのを見破ったようなタイミングです。私はちょっと焦りました。

そして、やがて演奏会は終わり、アンコールの曲に、なんと吉田さんは「煙が目に染みる」を選びました。 

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私オヒョウにとって、この曲は英語で歌う以外にありません。それをポルトガル語で歌うなんて・・。 しかし、ポルトガル語で彼女が歌う「煙が目に染みる」は、実に心に染みました。ああ、最後にまた変化球を投げられて、三振してしまった。

しかし、それにしても歌は母国語で歌うべき・・というのがナラ・レオンではないのか?

IMG_0557s.jpg

Yoshida Keicoさんとオヒョウ(笹子氏ではありません)

 

IMG_0554s.jpgこちらも太っているのが私です。

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ライブが終わり、私達は既に暗くなった外に出て、表参道へ歩き出しました。

ふと見ると、我々の斜め前に座っていたスーツ姿のカップルが並んで歩いています。同じ駅にむかっているようです。外に出てもやっぱり肩を寄せ合っています。なんだかちあきなおみの「黄昏のビギン」が聞こえてきそうです。

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私は、ふと、唐突に「青山の勤務先に通うのも悪くないかも・・。特にアフター5は」と思いました。 同僚のTさんがどう思ったのかはわかりません。


【 吉田慶子とSamba Canção 】 [ポップス]

【 吉田慶子とSamba Canção

フランスのシャンソン(Chanson)とイタリアのカンツォーネ(Canzone)は、綴りこそ違うものの、元の言葉は同じで、単に「歌」という意味です。 だから同じか?と言えば、ご承知の通り、全く違うものです。 中学校時代の音楽の針谷先生はこうおっしゃいました。

「カンツォーネが、朗々と歌い上げ、その声量と音域、正確な発声技法で勝負するのに対して、シャンソンはそうではない。シャンソンは演技力というか台詞のような語り口で勝負するもので、声が嗄れていても、音域が狭くても許される。だから正統派の声楽家は、オペラやカンツォーネで力量を示すことになる」。

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全くそのとおりなのですが、なんとなくシャンソンを軽蔑するようにも理解でき、そのために私はながらく、シャンソンを色眼鏡で見ることになりました。 今はシャンソンも大好きですが・・。

欧米の歌は、大別すると、朗々と声を出して歌い上げるグループと、小さな声量でもその歌いまわしの技巧で聞き手を感動させるものの、2種類になるかも知れません。

前者の代表はカンツォーネ、後者の代表はシャンソンかも知れません。 ポルトガルのファドは多分前者でしょう。では、小さな声量の歌の極北にあるのは何か?それはブラジルの「囁く芸術」ボサノバであろうと、私は考えます。

「あれっ? ブラジルは旧ポルトガル領、ボサノバがポルトガルのファドとは反対の音楽というのも、面白いな」 なんて事を考えながら、私は2/23の夜、日暮里のポルトに出かけました。吉田慶子のライブを聞きに行くためです。

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20人も入ると立錐の余地もない狭い店で開かれるライブは、予約のタイミングが少しでも遅れるとチケット売り切れで入れません。彼女のライブを聞くのはちょっと大変なのです。

店内の最前列の席に腰を下ろし、甘いダイキリを舐めていると、かつて「歌うOL」とか「歌う銀行員」と言われた、歌姫吉田慶子さんが登場します。 ちなみに「歌う銀行員」の元祖は小椋佳です。

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彼女は意外な話題から切り出しました。

「今、アントニオ・カルロス・ジョビン(トム・ジョビン)のドキュメンタリー映画を東京で上映しています。ですから、今日は彼の特集というか、彼の曲のメドレーで進めます」 そんな事を知らなかった私はちょっと驚きましたが、20人弱の他の客は、当然のことと首を縦に振ります。 どうやら今日の観客はかなり濃いボサノバファンで、トム・ジョビンの映画を上映していることなど先刻承知なのです。

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でもよく考えれば、トム・ジョビンはボサノバの父とも言うべき人で、ボサノバを歌えば、自動的に彼の作品が多くなるのです。彼女のトム・ジョビンへのオマージュは、ある意味で当然なのです。 そして彼女はギターのチューニングを終えると小鳥がさえずるように歌い出しました。

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聴き始めて、すぐに理解できますが、彼女の歌は、小野リサなどのポピュラーなボサノバとは、かなり違います。 表現が難しいのですが、より通好みというか、ブラジル音楽の原点に遡る研究をした歌い手であると思います。 

「これはボサノバの母体とも言うべきサンバ・カンソンを極めた人の声だ・・」。

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シャンソン(Chanson)とカンツォーネ(Canzone)は、同じ「歌」という意味だと、冒頭に申し上げましたが、それがポルトガル語ではカンソン(Canção)となります。そしてブラジルの伝統的な音楽はサンバですから、サンバ・カンソン(Samba Canção)とはサンバの歌という意味になります。ちなみにサンバは、アルゼンチンにもありますが、全く別物です。はるか昔の日本の「てんとう虫のサンバ」も全く別物で、勿論ルンバも全く別物です。なんだかややこしい。

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脱線しましたが、彼女の歌声は、全くブラジル人のそれのようです。私は心に染み入る歌を聴く時は、目を閉じます。歌手の姿が目に入るとイメージが変化するから、それを防ぐためです。目を閉じれば、私の前には吉田慶子ではなく、Yoshida Keicoが座って、歌っているのです。 誤解を避けるために言えば、彼女は愛くるしくて、素晴らしい美人です。

yosidakeiko.jpg 

でも、日本的な東北美人であって、私がイメージするラテン系の女性の対極にある存在です。だから、彼女の容貌と歌声はマッチしないのです。

もっとも、近年日本国内で多く見かける日系ブラジル人は、複雑で国籍不明の容貌ですから、ブラジル人=ラテン系というのも成り立ちません。でもサンバ・カンソンやボサノバはラテン系の音楽です。 やはり、ライブの歌声は目を閉じて聞くべきなのか?

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聞いていて、疑問に思う事が幾つかあります。ボサノバは20世紀に確立した新しい音楽ですが、古典的なラテン音楽の系譜上にあります。なぜ20世紀まで、この音楽の登場を待たねばならなかったのか? トム・ジョビンが20世紀の人だからか?

私は、全く別の事を考えます。 それは音響工学、電子工学の発展を待たねばならなかったからだ・・・という考えです。

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ボサノバも、サンバ・カンソンも、さえずると言うより、まさに「ささやく」音楽です。日暮里ポルトのように狭い空間でも、肉声では客席の最後列までは声が届きません。 高性能のマイクロホン、アンプ、スピーカーと、それをチューニングする技術者が不可欠です。 今回のライブでも国重氏が用意した音響装置のお陰で、雑音もハウリングも全くないハイファイの音声がスピーカーから流れましたが、昔はそうは行かなかったはずです。豊かな声量で、ホール全体に肉声を響かす音楽は19世紀までに確立し、小さな声で語る芸術は20世紀以降に登場した・・と私は考えます。

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実は彼女自身も、仙台のライブでの失敗経験を話しています。

会場に用意された音響装置が貧弱で、声が客席の後ろまで届かなかったのだそうです。自分たちが持参した装置の使用は認められず、挙句は「もっと大きな声で歌って貰えれば問題はない」という暴言というか、トンチンカンな発言をされた・・と苦笑いです。 ボサノバとは何かを理解しない音響技師の発言です。

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そして、もう一つ決定的に悩むことがあります。 それはポルトガル語の問題です。

彼女の歌は、より本格的に、より専門的にボサノバを歌うために、歌詞は全てポルトガル語です。 しかし、私は全くポルトガル語が分かりません。そのために歌の心が分かりません。 ボサノバもサンバ・カンソンも、しっとりとしたメロディーで、恋の切なさや哀しみを訴えるのですが、歌詞が分からないと、その感動も半減です。

吉田慶子さんは、一曲ごとに簡単な解説をしますが、それだけでは不十分です。

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見渡すと、他の観客はボサノバの通なのか、皆さん歌詞を全て理解しているようです。或いは、全員東京外大の葡萄牙語学科の卒業なのか? 後ろを振り向くと、中年後期か初老の域の方が多く、ボサノバ歴も私よりずっと長いようです。話される会話も専門的で私の知らない曲や歌い手の名前が多く登場します。これは何ともマニアックなライブに来てしまった。

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外国音楽と外国語の問題は、他の音楽にもあります。シャンソンは戦後日本人歌手が日本語の歌詞で歌い始めたことで、急速に普及しました。 そしてより本格的なシャンソンを求める人がフランス語の歌を愛するようになっていきました。 ボサノバもそうすべきかも知れませんが、どうも日本語がうまくのる旋律ではないようです。やはりポルトガル語しかないのか・・。

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日本でのポルトガル語熱は、ひところ程ではないようです。 私が暮らした茨城県鹿嶋では、Jリーグの鹿島アントラーズが出来た頃、多くのブラジル人選手が来日し、ブラジルブームに沸きました。ジーコ、サントス、アルシンド・・。その頃はブラジル料理店が流行り、ポルトガル語の会話学校もできたそうです。 しかし、今はありません。

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群馬県太田市など多くの都市には、多くの日系ブラジル人が暮らし、ポルトガル語が話されます。しかし、それはブラジル人の中にとどまり、日本人には浸透しません。

ボサノバを日本語で歌うか、あるいは日本人がポルトガル語を理解しなければ、ブラジル音楽は普及しません。「マツケンサンバ」のような偽物ではだめです。

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ところで、どうでも言い事ですが、私がパソコンで「サンバ・カンソン」と入力すると、最初に「三馬鹿の損」と変換されます。これはなぜか? 直前まで、中国、北朝鮮、韓国に関する駄文を書いていたからかな?


【 裸足の歌姫 】 [ポップス]

【 裸足の歌姫 】

いささか旧聞ですが、先日、一青窈のコンサートに行ってきました。私はコンサートに行くと、必ず開演前の客席を見渡し、どういう年齢層の人達が来ているのだろうか?と見渡してしまいます。

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かつてポップス系の音楽を聞く人はもっぱら青少年でした。

クラシックやジャズ、シャンソンならば、大人も聞きますが、コンサートに集まるのはどちらかというと時間に余裕のある若い人が多かったのです。

ジャズシンガーの阿川泰子が登場した時は、ビジネスマンのファンが現れ、ネクタイ族のアイドルなどと言われました。その後次第にコンサートに集まる年齢層は広がっていったのですが、でも田舎暮らしもあって音楽を聞く機会がなかった私には最近の事情がわからなかったのです。

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一青拗の歌を聞きに来た人達は、中学生と思える人から、白髪の老夫婦まで実に多彩でした。彼女の音楽は、聞く人の年齢層を問わないものなのか?

それともJポップの歌とはそういうものなのか?

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私が彼女の歌に興味を持つのは、その特徴的な歌声だけでなく、そのアイデンティティというか出自が気になるからです。

日本では、中国、台湾、香港出身の女性歌手が多く活躍しています(なぜか男性歌手はほとんど見かけませんが)。

しかし、欧陽菲菲、テレサテン、アグネス・チャン、一青窈を比べてみると、それぞれが全く違う存在だとわかります。

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台湾人(外省人も含む)を親に持つ欧陽菲菲とテレサテンは、上手な日本語を話し、親日的です。今は中国大陸でも受け入れられていますが、かつては彼女達の歌は精神汚染として、禁止されていました。

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一方、香港出身のアグネス・チャンはかなり違います。その考え方は大陸中国のそれで、基本的には反日で、日本に溶け込むことを拒絶してきました。

彼女がカナダの大学に入る時の言葉を記憶しています。

「日本のファンの皆さんごめんなさい。日本の大学では大学をでたことにならないから、カナダの大学に行きます」

彼女が、カナダの大学で学んだという保育学の分野で、日本がそれほど遅れているのか・・私には理解できませんが・・・。

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そして彼女は、嫌いな日本人とは結婚しない・・と言っていましたが、結局日本人と結婚しました。それでも、日本をある意味で見下す姿勢は、その後も変わっていません。自分では気づかないでしょうが、いつまでたっても上手にならない日本語にそれが現れています。彼女は一生日本人にはなれないでしょう。

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一方、一青窈はそのどちらとも全く違います。台湾人と日本人の間に生まれた彼女は、本当の意味で日本と中国(台湾)の架け橋になる歌い手です。

欧陽菲菲もテレサテンもアグネス・チャンも、日本で歌う時は歌詞に中国語は登場しません。しかし一青窈の歌には日本語と中国語が混じって登場し、それに違和感はありません。

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私の偏見かも知れませんが、日本の歌に英語やフランス語、スペイン語の歌詞が登場しても、違和感はありません。韓国語が混じっても問題ありません。

でも中国語が混じると、どこか奇妙なのです。

しかし、一青窈が歌う「月天心」の場合は、すんなりと耳に入ります。

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それは彼女が本当の意味で、日本と中国(台湾)の両方を理解しているからでしょう。彼女は、日本の大学を軽蔑したアグネス・チャンと違い、慶応大学を卒業しています。あえて歌の歌詞には奇妙な発音を混ぜますが、日本語の発音は正確です。

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外国と外国人を理解しようとして果たせず、日本と日本人を客観的に観ようとして果たせない私には、気になるちょっとうらやましい存在です。

でも、今回のコンサートでは、彼女の中国(台湾)的な部分は全く登場しませんでした。「月天心」も歌われませんでした。

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観客の年齢層を考えてアレンジしたのか、コンサートは昭和時代の日本へのノスタルジィをテーマとした構成でした。彼女が知るはずもない昭和30年代の日本に流行った歌をカバーします。

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他の一流の歌手が歌って大ヒットした曲をカバーするのは、実力のある人だけに許される事です。彼女にその力があるのは自明ですが、なぜ彼女は日本の歌にこだわるのか? それも自分が生まれる前のナツメロに・・?

おそらくは、本当の日本人として認知して欲しい何かがあるのでしょう。

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ところで実力のある歌手と実力の無い歌手の違いは、どこに現れるでしょうか? 

私はCDとコンサートで、その歌の質に違いがないのが、実力派だと思います。

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今はレコーディング技術の発達で、歌の下手な人でもCDにすると、それなりに上手に聞こえます。 それはつまり、何度も何度も歌って、上手に歌えた部分だけをつなぎ合わせてCDを作るからです。でもその様な歌手がコンサートで歌った場合、CDとは程遠い、下手くそな歌しか歌えません。

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だから、その分、舞台装置や演出に凝ったり、豪華なステージ衣装で観客を驚かせたりします。しかし、それらの演出に加えて、生演奏の迫力や臨場感を上乗せしても、自室で聴いたCDの音楽にかなわない事がしばしばあります。

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これを逆説で考えると、上手な歌手は演出や衣装にこだわらない・・という事になります。 一青窈が最初にステージに現れた時、彼女は風呂上りでバスタオルをまとっているのか・・という服装でした。およそあれぐらい簡素で安上がりなステージ衣装はないでしょう。しかも裸足です。

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彼女の説明では、歌う時は束縛されない自由な状態がいいから、あえて裸足なのだ・・・との事です。観客には彼女の衣装に注目せず、耳から聞こえる音楽だけを相手にして欲しい・・という事でしょう。

ルックスで勝負する歌手やビジュアル系のタレントが聞いたら赤面するような話です。

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容姿で勝負するタレントはやがて年齢を取り、容貌の衰えとともに人気を失います。声も衰えますが、心掛け次第で若さを保てます。

私が応援するのは、年齢を重ねても人気が衰えない実力派であり、一青窈は間違いなくその一人だと思います。

10年後、20年後に、彼女が裸足で日本語と中国語の混じった歌をステージで歌っていたら、それは素晴らしい事だと思います。 まあ、ステージ衣装はもう少し凝ったものでもいいかも知れませんが・・。


【 花の名前 】 [ポップス]

【 花の名前 】 

少し前ですが、NHK BSで「世紀を刻んだ歌」として世界一有名な反戦歌「花はどこへ行った」が作られた時のエピソードを紹介していました。 

これはオヒョウの大好きな曲です。あからさまに反戦を唱えるのではなく、素朴で淡々とした表現の中に、反戦の思いが込められています。

これが、もしベトナム反戦という具合に、対象を限定してしまったら、窮屈な歌になります。ベトナム戦争が終結したら、もはや訴える対象がなくなり、唄えなくなります。 アメリカ軍を悪として北ベトナム軍を正義にして歌ってしまうと、ベトナム戦争終結後にベトナム軍がカンボジアに侵攻した事実を前に歌を唄えなくなります。 

対象を限定せず、どの戦争にも通用し、誰もが感情移入できる反戦歌はそれほど多くありませんが「花はどこへ行った」はそれに該当します。 

そして、番組ではオヒョウの知らないエピソードが紹介されていました。ピート・シーガーが一人で作詞したのではなく、ジョー・ヒッカーソンが後半の歌詞を書いており、それで、循環する曲が完成したという事。

そして、シーガーはショーロホフの「静かなるドン」にインスピレーションを受けて、歌詞を書いた事などです。

なるほど・・・、と思いながらTVを見ていてアレッ?と思いました。ヒッカーソンのインタビューで、彼は一回だけ、花と言わずにポピーと言っています。 しかし、字幕スーパーでは花となっています。

これはどういう事か?

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以前のブログに書きましたが、欧州戦線の戦没者に手向ける花はポピーです。ノルマンジーの上陸地点の近くにある戦没者墓地を取り囲み、地平線まで広がるのはポピーのお花畑です。 ロンドンで戦没者記念日に人々が飾るのは、ポピーの造花であり、漫画でスヌーピーが戦争を回顧するのも、ポピーの臭いからです。 だからヒッカーソンが、戦死者の墓を覆う花をポピーと考えたのはある意味で当然です。 

ではNHKはなぜ花としたのか?

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その直後に、画面はショーロホフの「静かなるドン」の風景に飛びます。戦地に赴く少年コサック兵の物語に「花はどこへ行った」の民謡が登場するのだそうです。 そして、ドン川近くの平原には、地平線まで続く、懐かしいひまわり畑が広がっています。「 あれ? ロシアは行った事無いのに、このデジャビュは何だろうか? 」 すぐに思い当たるのは、イタリア映画の傑作「ひまわり」です。マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが、戦争で引き裂かれた男女を演じるこの作品は傑作です。 

子供の頃、この映画を見たオヒョウは、夫婦間の感情の機微など何も判らないのに感動しました。

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余談ですが、子供のオヒョウは広大なひまわり畑は、一体何の為にあるのだろう?と不思議に思いました。 そして後年、中国で暮らす間オヒョウは実にたくさんのひまわりの種を食べ、ひまわり畑が決して鑑賞用ではなく、食用と採油用であった事を理解しました。(勿論、ハムスターの餌にもなるでしょうが・・・)

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つまり、オヒョウは理解していませんでしたが、ロシアのドン川流域では戦争犠牲者を象徴する花はひまわりだったのです。 ショーロホフの時代からマストロヤンニの時代に至るまで・・・・。 

再び、脱線しますが、映画「ひまわり」では、突如丘の上にファンファーレと共に、巨大な赤旗が翻り、イタリアの敗残兵がうろたえて逃げまどう場面があります。 ソ連国内でロケをするために、ソ連のプロパガンダに加担しなければならない・・という事情があったのでしょうが、唐突で滑稽です。

たしか、60年代~70年代、イタリアでは共産党は非合法だったはずです。 

(その為に、却って左翼が先鋭化して「赤い旅団」などを結成したのですが・・)。

しかし非合法とはいっても、映画界には、それなりに共産主義にシンパシィを感じる人がいたらしく、当時の映画にはそれを伺わせるものがあります。ひまわりはその一つです。

・・・・・・・・

脱線が長くなりましたが、番組ではひまわり畑を特に印象的に映し、「花はどこへ行った」の花はひまわりであるかの様に印象操作しています。 ひょっとしたらディレクターも映画「ひまわり」に影響を受けた世代なのか?

 おそらく、ショーロホフやシーガーは、花としてひまわりを考えていたのでしょう。 一方ヒッカーソンはポピーを考えていたのかも知れません。 

国により、民族により、戦死者を悼む花は異なります。西欧ではポピー、ロシアではひまわり、インドネシアではジャスミン、そして日本では桜でしょう。

もしシーガーがその点を考え、全世界の人が唄える様に、花の名前を規定せず、歌詞を”flower”としたなら、彼は本物の反戦フォークシンガーです。 そしてその事に触れなかったNHKは、この番組製作で画竜点睛を欠いたと・・・・オヒョウは思います。


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【 後衣の朝 】 [ポップス]

【 後衣の朝 】

一青窈のCDを聞いていて、思いついた事を書きます。
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高校時代に学んだ古文の授業には、高校生に理解しろ・・と言っても無理な話も多くありました。

その一つが「後衣の朝」です。
男女が一夜を過ごした後の別れの朝で、別れを厭う思いと、情事の後のけだるさが混じったアンニュイな雰囲気を象徴する言葉ですが、高校生ごときにそれを理解しろ・・という方が無理です。
オヒョウなどは、単に「きぬぎぬのあさ」という漢字の読みが試験問題に出るから・・というだけで記憶しただけです。

高校生に理解できないのは当然として、おとなになっても、あるいは結婚しても、実際問題として「後衣の朝」の雰囲気を味わう事はありません。 
なんとなれば「後衣の朝」が特に意味を持つのは、通い婚あるいは妻問婚が一般的な社会だからです。
日本で言えば源氏物語以前の昔となりますし、現代で探すならインドのドラビダ族の風習ぐらいです(多分。私は世界中調べた訳ではありません)。

今、日本の夫は、朝になったら家を出て、どこかに帰らなくてはいけない事情など無いのです。(まあ、人によるかも知れませんが)。

しかし、夫(またはパートナーの男性が)帰らなくてもいいというなら、
話は別で、現代でも通用します。
「後衣の朝」とはちょっとニュアンスが違いますが、男女が一緒に迎える朝の静かな感動を歌った詩や曲は多くあります。
オヒョウがちょっと思いついたのは下記の3曲です。

 朝陽の中で微笑んで 荒井由美(松任谷由美)
 Sunny Side Up      一青窈
 水曜の朝午前3時に  サイモンとガーファンクル

どれも、穏やかな優しさをテーマにした曲になっています。
ではこれらの曲の原点はどこか・・・と考えると(日本の場合)、
高杉晋作が作った有名な都々逸が、それに該当するかも知れないと思います。
「三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい」という短いものですが、
意味はちょっと複雑です。
子供の頃に、この都々逸を聞き、その意味を母に尋ねましたが、回答はありませんでした。 子供には早いという事もありましたが、三千世界の鴉を殺す意味について、いろいろな解釈があり、単純ではないからかも知れません。
・・・・
高杉晋作の都々逸の解釈は難しいですが、例えば荒井由美の
「朝陽の中で微笑んで」は分かりやすい曲です。そして名曲です。
しかし、この名曲の雰囲気というか良さを高校生が分かるかな?
(高校生というのは、オヒョウの子供の世代です)。
「もし彼等に分かるならば、『後衣の朝』の意味も分かるかも知れない。
でも、それはそれで、またちょっと困るな」
とオヒョウは考えます。

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