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【 Notre- Dame de Paris 】 [フランス]

【 Notre- Dame de Paris

 

今は昔、昭和の時代、私が北陸のある町の高校生だった頃です。英語の樫本先生が夏休みに行かれた欧州旅行の話を授業中にされていました。英国、フランスが主ですが、中でもパリの話題が多かったのです。中年の男性教師が初めての海外旅行の話をするあたり、「チップス先生さようなら」を彷彿とさせますが、樫本先生は、ちょっとイメージが違います。背筋をピンと伸ばして、ロボットの様に教室を歩かれる先生です。

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樫本先生は、訪れたノートルダム寺院の荘厳さに感心されたようで、その感想を熱く語られた後、最後に奇妙な事を言われました。

「でも、僕はカシモトであってね、背むしではないのですよ」と言って、ただでさえまっすぐな背をさらにピンとされました。

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このダジャレを咄嗟に理解できた生徒はほとんどいないようでした。

ただ一人、学年一の美少女と噂されたNさんだけが、クスリと笑ったのを私は見落としませんでした。彼女にはこのダジャレが分かったのかな?

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その後、Nさんは筑波大学の仏文科に進学し、そこで知り合った男性と結婚しました。新婚旅行はパリだったとのこと。

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私は、その後、ビクトル・ユーゴーにはまった時期があり、学校の勉強もせず、幾つかの作品を読み漁りました。「1793年」「レ・ミゼラブル」「ノートルダムドパリ」。一連の作品を読んで、これはやっぱりパリに行かなくては、とても本当の事は分からないな・・と思いました。私は無性にパリに行きたくなったのです。

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余談ですが、外国の小説を読んでその舞台の国に行きたいと思ったことは、そう多くありません。アーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」を読んで、英国の湖水地方に行きたいと思ったぐらいです。

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話が脱線しましたが、「ノートルダムドパリ」を読んで、やっと樫本先生のダジャレが分かりました。主人公はせむし男「カジモド」で名前が似ていたのです。分かってみれば単純なダジャレでした。そうか、Nさんはあの小説を読んでいたのかな?

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私がパリで実物のノートルダム寺院を見ることができたのは、それからずっと後の平成の時代です。そして、その欧州時代、私はドイツのブレーメンにある鉄鋼会社を訪問しました。クレックナー(Klöckner)という会社です。この会社は川鉄(当時)と関係が深く、Q-BOP式転炉も導入しています。だからライバル会社の私の訪問は歓迎されるかな?と心配したのですが、それは杞憂で歓待されました。仕事を終え、会食会場に移動するために町を歩いていると、Klöcknerという単語を書いたポスターを見かけました。ポスターには「Der Klöckner von Notre-Dame」とあります。

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「これは御社と関係があるのですか?」とくだらない質問をすると、Klöcknerの担当者は一瞬キョトンとして、それから大笑いしました。

「これは今、映画館で上映しているディズニーアニメの題名ですよ。Klöcknerとは鐘撞男(Bell Man)つまり「背むし男」のカジモドの事です」。彼は言いませんでしたが、「背むし」という身体的特徴をあげつらうような題名は、ディスニー映画にはふさわしくなく、「ノートルダムの背むし男」から「ノートルダムの鐘撞男」と名前を変えたみたいです。

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「では貴社は鐘撞男が始めた会社なのですか?」と私が再びくだらない質問をすると、彼はあまり上手でない英語で、「創始者の名前がKlöcknerだったのです。先祖は確かに鐘撞男だったのかも知れませんが、今ドイツではKlöcknerは一般的な姓です。たまたま、ディズニーアニメの名前と重なりましたが無関係です」と面白そうに語りました。

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しかし、私は名作「Notre Dame de Paris」がディズニーアニメ(つまり子供向けの作品)になる事に強い違和感を持ちました。そしてちょっと暗い気持ちになりました。アニメを見る子供たちに、この小説が本当に理解できるのだろうか? 下手をしたら、醜いけれど心の美しい男性が、美少女に憧れる・・という平板なストーリー展開になりはしないか・・・?

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世の中の小説には、映画化に適した作品とそうでない作品があります。概ね長編小説は映画に向きませんが、ビクトル・ユーゴーの作品はその最たるものかも知れません。

日本では内田吐夢監督がレ・ミゼラブルを元に「ああ無情」を制作し、高い評価を受けていますが、あの重厚で複雑で奥行きのある作品を短時間の映画にするというのは、私には冒涜にさえ思えます。映画でそうなら、ミュージカル「レ・ミゼラブル」などなおさらです。

もっとも、観てもいないのに、貶す資格は私にはありませんが・・・・。

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私の母が生前に言っていましたが、作品が映画になり、映像を見るとイメージが固定されてしまいます。活字で小説を読み、自分でイメージを膨らませた方が、より自由で豊かな世界を想像できて、感動するし、感情移入もできる・・というのです。私などは作品のヒロインの顔は、全て当時憧れていた女生徒の顔に置き換えてイメージしていました。(断っておきますが、Nさんではありません)。

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実際、パリに行った事の無かった頃の私が、ユーゴーの小説を読んでイメージしていた世界は、本物のパリとはかなり違ったのですが、それはそれで良かったような気がします。残念ながら、私がノートルダム寺院を見た時、樫本先生ほどの感動は覚えませんでした。

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実際に目で見るパリの街並みやノートルダム寺院、一方、小説を読み、空想でイメージするパリの街並みやノートルダム寺院、どちらが私にとって存在感があるか?

 

ああ、しかしそんな比較をしようにも、実物のノートルダム寺院は火事で焼け落ちてしまい、もはや皆さんの記憶の中に存在するだけになってしまいました。がっかりです。

 

形あるものは何時かは壊れる・・と言いますが、あの荘厳な寺院がなくなるとは・・・。

私に言わせれば、「ああ無情!」ならぬ「ああ無常!」です。

しかし、このくだらないダジャレは、樫本先生のダジャレには到底かなわないなぁ。

 

おそらくNさんも、クスリとも笑わないでしょう。

 

(今回は、他人のプライバシーにも触れましたが、まあ、昭和の時代の話なのでお許しください)。


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【 移民 難民 ダンケルク 】 [フランス]

【 移民 難民 ダンケルク 】

 

最近、世界中で自国第一主義を掲げる政治家が人気を集めています。米国のトランプ大統領はその筆頭ですし、EU離脱を進める英国のメイ首相、落選しましたがフランス大統領選のルペン候補もその一人です。

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一国の元首や首相が自国と自国民のことを第一番に考えるのは、ある意味当然ですが、その結果の、保護貿易主義の台頭や、移民・難民拒否の広がりは憂慮すべきことです。ここで留意すべきは何等かの理由で母国にとどまれず、仕方なく外国へ逃れる難民と、自由意志で新天地を目指す移民では立場が違い、分けて考える必要があることです。

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難民受け入れ拒否が、最近、欧米の国民に支持される理由は様々にありますが、私はこう考えます。自分達が難民になった経験の無い国の人は、難民に冷淡なのではないか?

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米国は一部のネイティブアメリカンを除いて、全ての人が移民を先祖に持つ国ですが、難民も幾らか受け入れています。ベトナム戦争などの結果、インドシナ半島からの難民を受け入れています。またロシア革命の後、相当数の白系ロシア人を受け入れています。一方、アメリカ人が難民になって外国に逃れた例は殆どないはずです。ベトナム戦争当時、徴兵拒否でカナダに逃れた人はいますが、それを難民とは認めていません。

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一方、英国やフランスも、難民を国外に送り出した例はありません。英国もフランスも新大陸に多くの移民を送り出していますが、難民を送り出した経験は殆どないはずです。しかし、フランスについては、一時期、難民が発生しそうになりました。

それは第二次世界大戦で、フランスがナチスドイツに侵攻された時です。

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映画「カサブランカ」では、ドイツに占領されたフランスのビシー政権を逃れて、米国への脱出を試みた人達がカサブランカに集まっている・・という舞台設定でした。彼らは難民でしたが、これは映画のフィクションの世界です。

そして実際には、多くのフランス人が外国へ脱出しようとして果たせませんでした。それはダンケルクでの苦い記憶として残っています。

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製鉄会社アルセロール・ミッタルは北フランスのダンケルクに大きな一貫製鉄所を持っています。満潮と干潮の差が大きい、日本でいえば有明海のような海岸に臨海製鉄所を設けるのは難しく、岸壁の船は水門の中に入る形です。

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私がこの製鉄所を訪問した時、有名なダンケルクの戦い・・というよりダンケルクの脱出劇の話がでました。英国では「ダンカークの脱出」と呼ばれるこの事件を、名誉ある誇るべき成功例としてとらえています。日本でいえば、ちょうどアリューシャン列島のキスカ島からの奇跡の脱出みたいなもので、迫りくる敵を前に勇敢に行動し撤退に成功した美談なのです。

しかし、フランス人にその話をすると、複雑な表情をします。彼らは言います。

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「我々にとってダンケルクの脱出は、取り残された屈辱の歴史の日ですよ。オヒョウさんは、フランス人も英国に脱出したというが、一体幾人が英国に渡れたというのかね?英国に脱出できたのは、ドゴール将軍など軍や政府の一部の要人・幹部だけで、一般のフランス人は海岸に取り残されたのですよ。ドイツ軍が目の前に迫っていたのに」

「英国は英国軍将兵だけを自国に連れ帰り、フランス人を置き去りにしたのです。だから我々にとっては不愉快な記憶なのです」

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海を挟んで英国側とフランス側で、こうも評価が分かれるのは珍しいことです。これ以外で、私が実際の会話で経験したものとしては、ロンドンとパリを結ぶ特急ユーロスターの英国側ターミナル駅がウォータールー駅(ベルギーの発音ではワーテルロー)になった時の評価ぐらいです(ロンドンのターミナル駅はその後変更になりました)。

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先日、TVを見ていたらNHK-BSのドラマ「刑事フォイル」で、そのダンケルクの脱出劇が背景となる回がありました。面白いと思うのは、英国側でもこれを単なる美談とはせず、苦い記憶とする考え方があることです。英国がこのダンケルクで払った代償も大きく、フランス人が「自分達だけ逃げ帰った」と誹謗するのはあたらないのです。

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問題は、もしダンケルクで一般のフランス人も英国に脱出していたらどうなったか?です。

英国内に大量のフランス人難民が発生していたはずです。戦時下で窮乏生活を強いられていた英国で、かなり肩身の狭い思いをしたでしょう。そして彼らは戦後、フランスに戻り、難民の立場を理解するフランス人になったかも知れません。でもそうはなりませんでした。

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話はかわりますが、昔見た映画で、ドーバー海峡を挟んだ英国(ドーバー)とフランス(カレー)の漁師の友情を描いたコメディがありました。ドイツ軍の占領で、やむなくフランスの漁師が英国の漁師の家に間借りするのですが、二人はことごとく衝突します。例えば朝食の飲み物で、フランス人はコーヒーを希望しますが、英国人は紅茶を希望します。でもぶつかってばかりなのに、やがて奇妙な友情が芽生えるという話です。

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考えてみれば、コーヒーと紅茶の問題ならまだましです。

今、中東やアフリカからヨーロッパに殺到する難民は、宗教・文化・価値観がヨーロッパのそれと全く違います。それが難民受け入れを困難にします。特に宗教が絡むと、「郷に入れば郷に従え」とばかりに、ヨーロッパの生活習慣に合わせろ・・とも言いにくくなります。

受け入れる側も態度を硬化させ、フランスでは女子生徒のスカーフ着用を法律で禁止したりしています。

http://www.diplo.jp/articles04/0402.html

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日本ではあまり議論されませんが、今世紀の世界では、難民問題が特に大きな問題になる見込みです。 欧米で自国第一主義がクローズアップされ始めたのは、この問題の深刻化を敏感に感じ取っているからにほかなりません。

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難民に寛容なドイツや北欧諸国と、難民に非寛容な英国・フランス等の対立は、今後さらに際立ってくるはずで、最悪の場合、EUを維持できなくなります。もしヨーロッパの分裂を避けたければ、難民拒否側の意見にまとめる必要があります。しかし、その場合は、ヨーロッパ自体が世界で孤立する懸念もあります。

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実は日本も難民を出したことはありません。(秀吉の時代のキリシタン弾圧でマカオに逃げたキリスト教徒の難民を除けば)。一方難民を受け入れたことはあります。それは朝鮮戦争の際、戦火を逃れて半島から日本に来た人たちで、多くの“在日”の方達のルーツです。その多くは日本にとどまり、日本社会を構成する重要な一員になっています。しかし、日本政府は彼らへの対処が非常にまずかったのです。 人権問題、差別意識、多くの点で日本の政策は後手に回り、社会に禍根を残しました。私はその理由の一つは、かつて日本から難民を国外に出したことが無く、政府が難民の立場を理解できなかったことだと思います。

だから欧米社会の難民問題に日本はアドバイスする資格がないのです。

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今また、朝鮮半島の情勢は不安定です。文大統領の登場で勃発は遠のいたとする観測もありますが、第二次朝鮮戦争の可能性は残っています。 もし戦争が始まれば対馬海峡がダンケルクになります。日本中の船を釜山に向かわせ、数万人いる在留邦人を救出する必要があります。それだけでなく、避難を求める韓国人を日本に移送する必要があります。日本は英国と違い、自国民だけを救出する国ではないのです。

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それだけではありません。北朝鮮側からも日本を目指す難民が大勢来るでしょう。

http://www.asahi.com/articles/ASK5F3PTHK5FUTFK001.html?iref=comtop_8_06

でも、難民の扱いは難しいでしょうね。前回と同じ失敗をする訳にはいきません。

日本という国と日本社会が試されます。

さしあたり、韓国や北朝鮮からの難民を迎えた場合、飲み物はコーヒーと紅茶のどちらを出せばいいのでしょうか・・と、古い映画のことをまた思い出します。


【 もう森へは行かない 再び 】 [フランス]

【 もう森へは行かない 再び 】

 

何か、引っかかっていて、解けなかった疑問が、ある日突然、解けることがあります。先日、私はある曲の題名と歌詞についての疑問が解けました。

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私は、フランス語が全く分からないのですが、そのためにシャンソンの歌詞に疑問を感じてもそれを解明する術がありません。 それに、別段急ぐ話でも重大な問題でもないので、そのままにしておいて・・・20年が経ちました。

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一体何の話かと言えば、フランソワーズ・アルディが歌う「もう森へは行かない」という曲の題名と歌詞についての疑問です。

原題は、”Ma jeunesse fout l’camp” で、文字通り訳せば、「私の青春は逃げていく」となります。なんだか、シャルル・アズナブールが歌った「帰り来ぬ青春」に似ています。 しかし、なぜかこの歌の邦題は「もう森へは行かない」です。

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そこでインターネットで、フランスの歌の「もう森へは行かない」 “Nous n’irons plus au bois”という曲を探してみると、一種のわらべ歌として存在する・・と書かれています。グレゴリオ聖歌の一部にもあるそうです。しかし哀愁を含んだこの曲のイメージはとてもわらべ歌のイメージとも聖歌のイメージとも合いません。これは一体どういうことか?

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わらべ歌はともかく、「私の青春が逃げていく」と「もう森へは行かない」の間には、フランスの人には理解できる、何等かのつながりがあるのでしょう。おそらくは、若き日に森へ行き、何かを経験したために、森へ行くことを止め、そしてそれを機に青春は終わったと実感する・・というようなエピソードでもあるのかな? と思わせる内容です。

多分、森とはパリ郊外のブーローニュかバンセンヌの森だろうな・・。パリっ子は郊外の森の中でいろいろな事を経験するのかも知れない。

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この曲をフランソワーズが歌ったのは1967年ですが、日本では1979年に、TBSの「沿線地図」というドラマの主題歌または挿入歌として用いられ、広く知られたのだそうです。山田太一のドラマで「岸辺のアルバム」の焼き直し・・という感じの作品だったそうですが、当時、私はTVを持たず、そしてTVを観る時間も無かったので、このドラマを見ていません。そして全く別の機会にこの歌を知りました。

そして、原題と邦題の不一致、題名と歌詞の関係について疑問を持ちました。

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その疑問が氷解したのは、朝倉ノニー氏のホームページ、「朝倉ノニーの<歌物語>2」を見た時です。

http://chantefable2.blog.fc2.com/blog-entry-39.html

朝倉氏は数多くのシャンソンの歌詞を正確に日本語に訳しておられます。

フランソワーズ・アルディの歌と前述しましたが、このTVドラマで流れたのが、たまたま彼女の歌だっただけで、他の歌手もいろいろと歌っています。 そして歌の中には、

Ma jeunesse fout l’camp”という歌詞が頻繁に登場します。そして「森へは行かない」“Nous n’irons plus au bois”という歌詞は2題目以降に登場します。

そこで、朝倉ノニー氏は、「私の青春は逃げていく」を題名、「もう森へは行かない」を副題として扱っています。

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なるほど・・と思うと同時に、やはりフランス人には、「森へ行くこと」そして「森へ行くのを止めること」には、特別な意味があるのだ・・気づきます。しかし、問題はそれからです。 朝倉氏の翻訳は逐語訳的で正確ですが、そのままでは日本語に翻訳した歌詞にはなりません。 シャンソンですから七五調とか五七調などにこだわる必要はありませんが、旋律や音符に対応した日本語の歌詞が必要になります。

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そこでいろいろな人が歌うこの曲を聞いたのですが、皆さん、それぞれに違う歌詞をもちいています。どうやら、シャンソン歌手が自分で翻訳して歌っているみたいです。日本人でこの曲を歌った歌手は、クミコ、しまひとみ、斉藤ひろ子、嵯峨美子、他大勢いますが、それぞれの訳詞を歌っています。

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その中で、誰の訳が最もいいか?というと難しいところですが、私は西島三重子がアルバム「想いのとどく日」に収録している、「もう森へは行かない」の歌詞が一番優れているように思えます。

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著作権の関係から、歌詞の全部をここに記載することはできませんが、

今日、季節が変わるように・・とか、夏の草を刈り取るように・・とか、夜、とばりが降りるように・・・、密やかにヴェールをかけて・・という歌詞は、青春が過ぎ去っていく有様を表すのに最適の表現に思えます。

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この歌詞の全部をご覧になりたい方は、有名なブログ「エムズの片割れ」をご覧ください。

http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-f897.html

多分、「エムズの片割れ」さんも、私と同じ思いで、西島三重子の翻訳が最良と思われたのだと思います。

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さて、「青春が逃げ去ってしまった」と語る、この曲ですが、青春の終わりを歌った曲は世の中にたくさんあります。 森田童子は「センチメンタル通り」の中で、古い映画館のある街を去る時に「青春の終わり」を語ります。「イチゴ白書をもう一度」では、就職が決まって髪を切った時に「もう若くない」と弁解します。

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でも、歌の中だけでなく、人生を振り返って、「ああ青春は終わった」と感じた一瞬を、記憶している人は多いようです。

その多くは、失恋したり、学校を卒業したりして環境が変わった時、あるいは若い時の夢を達成したり、逆に夢破れた時、家庭を持ち、社会に対して責任が生じた時などと重なるものでしょう。

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ところで、パリの森へは行っていない私ですが、「ではお前が『青春の終わり』を感じた時は何時だったか?」と訊かれると、返答に窮します。 抱いていた夢を諦めた時、独身時代が終わった時、 老眼鏡を便利だと初めて感じた時・・等、候補はたくさんありますが、どれもピンときません。 ということは、ひょっとして、私は年甲斐もなく、青春時代を引きづっているのか? 

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実は、過ぎ去ってしまった青春を懐かしむ歌は、青春時代が過ぎてしまった人の共感を得るだけではありません。 現在進行形で青春を謳歌している人からも支持されます。 懐旧の歌は、若い人にもなにがしかの感慨を与えるものです。 これは多分、シャンソンでも日本の歌謡曲でも同じでしょう。 そこが不思議ですが面白いところです。

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私が「もう森へは行かない」を聞いたのは、たしか青春真っ只中の頃でした。 自分自身が若かったのに、なぜか青春を懐かしむ歌が、心に響いたのです。 今の私は、もはや、それらのことを懐かしむ年齢になりましたが、その不思議な感情をうまく説明できません。

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歌の題名と歌詞の秘密は、何十年ぶりかに解けたのですが、本当の問題はまだ全く解けていないのだ・・と、歌を聴きながら考えます。


【 ドイツになれなかったアルザスロレーヌ 】 [フランス]

【 ドイツになれなかったアルザスロレーヌ 】

 

ご承知の方も多いでしょうが、欧州の西側各国には、概ね11社以上の自動車会社があります。

「しかしノルウェーやデンマーク、スイス等には自動車工場はありません・・」と同僚が説明するので、

「いや、スイスにはあったはずだ。ダイムラーと時計会社が合弁でsmartという会社を作ったではないか?」と私が答えると、同僚は「あれっ?smartは確かにスイスの会社だけれど工場はスイスにありましたっけ?」と怪訝な顔をしインターネットで検索します。 

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調べてみると、確かにスイスにはありません。ドイツとフランスの国境近く、あのアルザスロレーヌ地方に工場があります。 あの「最後の授業」に登場する国境地帯は、戦争の結果によって、ドイツに属したり、フランスに属したりします。まさにドイツとフランスの中間地帯にsmartの自動車工場はあるのです。今はフランスに属しますが、地域の住民はドイツ語もフランス語も話すバイリンガルで、どちらの国に属しても生きていけるたくましさがあります。

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全く余談ですが、将来北方領土の四島が返還された暁には、日本語もロシア語も通用する、類似した社会が成立するのかな?と思います。 かつて米国がアラスカをロシアから720万ドルで買い取った時、ジュノーなどの町ではロシア語と英語が並行して使われたようですが、20世紀の末に私が行った時は英語だけでした。

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環境規制に厳しい観光立国スイスに自動車工場は難しいだろう・・という点は理解できるのですが、なぜ敢えてドイツとフランスの国境に工場を置いたのかは不明です。

強いて考えれば、ドイツの技術力とフランスの労働コストのいいとこ取りをした結果ではないか?と思います。 しかし、そのsmart社の工場で激震が起きています。

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO92891100W5A011C1000000/

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働く人達にとって、ドイツがいいのかフランスがいいのか・・・・は実は難しい問題です。 ドイツとフランスでは事情が違うからです。

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既にEUが統合されてかなりの年月が経ちますが、実は、仏独で労働条件は違うのです。一言で言えば、ドイツの方が恵まれています。

例えばフランスの失業保険の給付期間は12ヶ月、ドイツの方は12カ月の期間終了後、更新可能な扶助制度があります。 年金も違います。 ドイツの大手鉄鋼会社であるThyssen-Kruppは、退職後、終身で現役最後の頃の年収の80%が保証されます。

私は日本の某製鉄会社を退職する時に思いました。「しまった、S友金属ではなく、Thyssenの方に入社しておけばよかった」

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1週間の勤務時間は、ドイツもフランスもほぼ同じで、週35時間です。 週35時間というのは、日本の週40時間(あるいは38時間45分)より少し短いだけで、あまり違いはありません。 でも、ドイツとフランスでは日本ほど残業はありませんし、法律で決められた長い休暇があります。 だから全体の労働時間は日本よりかなり短いのが実情です。

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その恵まれたドイツとフランスで差がつきそうです。 フランスのsmartでは、勤労時間の見直しを行い、週35時間の勤労時間を延ばす考えです。一般の作業員は、勤務時間が延び、残業していたホワイトカラーは、残業手当が減ることになります。

当然ながら猛反発するのは、労働組合です。 ストライキになるかも知れません。

でも、一般の労働者は冷めていて、労働時間の延長もやむなしか・・と考えています。

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それは雇用の確保の方が大事だからです。フォルクスワーゲンにしても、ダイムラーにしても、生産拠点は、ドイツだけでなく、欧州各国に広がっていますし、中国など欧州以外でも生産量が伸びています。そしてこの不景気の中、生産能力には余剰感があります。 アルザスロレーヌ地方の工場を閉じて、よりコストの低い東欧やEU域外の国にsmartの生産拠点を動かしてもいいのです。

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そうなれば、週35時間労働に固執した結果、雇用そのものを失う・・と分かっているので、一般労働者は諦めているのです。グローバル化の経済の中、フランスが競争力を持つためには、多少の勤労時間の増加もやむを得ない・・・・。

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「でもドイツのダイムラーはどうなんだい? ドイツの方は週35時間労働を維持するなら、不公平じゃないか? こんなことなら、アルザスロレーヌ地方はドイツに属しておけば、良かった」と考える輩は当然いるでしょう。

このドイツの事情については少し説明する必要があります。

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ドイツ人、そしてドイツ連邦銀行が、かつて最も恐れたのはインフレです。それは第一次大戦の敗戦後の悪夢のようなハイパーインフレの記憶があるからです。第一次大戦の戦勝国は、ドイツに対して天文学的な賠償金を求め、敗戦国ドイツの通貨マルクは暴落し、紙幣は紙屑になりました。 銀行は倒産し、多くの人が破産し、ド貧乏になりました。 一生の間、真面目に勤務し、慎ましく暮らしてきた女教師が、退職した際、それまで貯蓄して来たお金と退職金全部で、購えたのはたったパン一斤だったという話があります。 ドイツは戦争の災禍に加え、インフレでも叩きのめされたのです。だから平和で民主的なワイマール共和国は崩壊し、ナチスドイツが台頭したのです。

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第二次大戦の敗戦後、西ドイツはその轍を踏むまいとして、極度にインフレを恐れる政策をとりました。通貨は一貫して強く維持されました。 だからユーロ発足前のドイツマルクは日本円と並んで、最強の通貨でした。 インフレへの恐怖心は、ドイツ国民とドイツ連銀の宿阿とも言えます。しかし、インフレを警戒すれば、どうしてもデフレ気味になり、失業者が増える恐れがあります。 そこで旧西ドイツでは、ワークシェアリングの思想を徹底させ、ひとりでも多くの人に雇用の機会を与えるように配慮してきました。限られた人が雇用機会を独占するのではなく、勤労時間を強制的に短くして、勤労者数を増やすようにしたのです。サービス残業など見つかれば処罰されますし、強制的に有給休暇を消化しなければなりません。 

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日本では、代議士秘書の給与を詐取していた人が、「これは一種のワークシェアリングです」と説明しましたが、ドイツ人が聞いたら笑うでしょう。 もっとも日本の社民党にシンパシーを持っていた南ドイツ新聞の駐在員はそれをとりあげませんでしたが。

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短い勤労時間、高い給与と福利厚生、そして強い通貨となれば、ドイツ製品は高コストになり、世界市場での競争力はなく、経済は衰退するはずですが、そうはなりません。その理由を説明するときりがありませんが、一言で言えば、ベンツや、BMW、アウディの自動車は、同じ乗用車なのに、日本車の倍の価格でも売れます。韓国の車の3倍の価格でも売れます。 それが全てを説明します。

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強いマルクがユーロに変わり、ドイツ連銀の機能は欧州中央銀行(フランクフルト)に移りました。 強すぎる通貨の足枷がなくなれば、ドイツの競争力はますます高まります。 EU諸国は仲良く手をつないで、経済を一体化したはずですが、気が付けばドイツの一人勝ちです。(負けたのはギリシャ、ポルトガル、その他です)。そしてドイツの勤労者は優雅な勤労条件を享受できます。フランスとは事情が違うのです。

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そこで前述の通り、「しまった!こんなことなら、我々はドイツの一員になるべきだった!」とフランス語で叫ぶアルザスロレーヌ人がでてくるかも知れません。

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でも、ドイツもそんなに甘くありません。ドイツでもリストラというか人員削減が始まるかも知れません。smart社は競争力を維持するための徹底した合理化策として「インダストリー4.0」を導入しました。これは日本ではあまり知られていませんが、工場の製造プロセスを全てコンピューター情報として取り込み、徹底的に無駄を省くシステムです。日本ではコマツなどが取り組んでいますが・・・、あまり成果は上がっていません。

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自動車産業ではトヨタの合理化対策が最も進んでいるとされ、欧州の各社はまだ合理化の余地があります。Smart社はトヨタ方式を真似する訳にはいきませんから「インダストリー4.0」で無駄を抉り出し、合理化を進めるのです。無駄と言っても、歩留まりやエネルギーの無駄は限られますから、もっぱらメスが入るのは労働生産性の部分です。 その結果、無駄が見つかれば、必要人員は減り、労働者はリストラされます。ドイツもいつまでも楽園ではいられないのです。

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かつて、同僚とこんな冗談を言ったことがあります。

「実業家または経営者として仕事をするなら英国、工場技師または工場労働者として仕事をするならドイツかフランス、老妻と余生を過ごすならスペイン、若い愛人と暮らすならイタリアが最高だね・・」と。しかし、ドイツやフランスが勤労者の楽園であり続けるのは難しいかも知れません。 

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あっ、為念、申し上げますが「若い愛人と・・」の部分は全くの冗談ですので、お間違いのないように。


【 トラック野郎の憂鬱 】 [フランス]

【 トラック野郎の憂鬱 】

1990年代の後半、私が欧州に駐在した頃、マーストリヒト条約が各国で批准され、アムステルダム条約が締結されました。EUの一体化を更に進めるための条約です。EUというと、一度に共同体ができたように思えますが、実際にはシェンゲン協定、マーストリヒト条約、アムステルダム条約、ニーズ条約・・と段階を踏んで、統合を進めていった訳です。

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そのアムステルダム条約の議論が行われている頃です、ロンドン事務所の先輩Mさんが新聞(Financial Times)を読みながら、「なあ、オヒョウよ。フランスとは面白い国だなぁ」と感心しています。

どんな記事かと見れば、フランスのトラック運転手が定年の時期を早くしてくれ・・とデモを起こしたというのです。日本人の感覚で言えば、元気でいる限り、少しでも長く働きたい・・という思いがあり、日本では定年は延期の方向にあったのです。 実際、55歳から60歳に延びました。 現在は年金受給開始年齢の引き上げにより65歳まで働くのが普通です。 

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無論、経済的な理由で働かざるをえないというのも事実ですが、それだけではありません。中年後期あるいは初老の人々に、仕事が生きがい・・と考える人が多いのも事実です。でもフランスでは逆に早くリタイヤしたいというのです。

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フランス人だけでなく、欧米の多くの人にとって、労働は苦役です。だからそれから解放される定年退職は、囚人が刑務所から釈放されるのと同様、喜ばしい事であり、バラ色の余生が待っている、まさにハッピーリタイアメントです。 しかし、今回のデモはそれが目的ではないようです。

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フランスの年金は、リタイヤした時の年収が基本になっていて、それに幾らかの料率を乗じた金額が定期的に支給される仕組みです。 トラック運転手の場合、肉体を使う苛酷な作業であり、年収のピークは壮年期になります。加齢に伴い体力が衰えると、年収も下がります。 だから、少しでも年収の高い内に退職し、年金の額を多くしたいという思いから、定年を早くしたい・・と訴えたというのです。

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Mさんは、「我々サラリーマンだって、年功序列で年をとれば、給料が上がっていくという時代は終わった。 平凡なサラリーマンなら40代で年収のピークが来ることになる。他人事ではないわな」と語ります。 

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実はその話は半分だけ本当です。実際、オヒョウの年収のピークは40代だったのですが、Mさんはその後昇進して、日本を代表する製鉄会社の常務です。彼の収入は年をとっても単調増加で増えていったはずです。

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私は、「なるほど早く引退したい・・という考えも理解できる」と思ったのですが、その後、話は更に変化しました。

ある日、Mさんが再び新聞を読みながら、「オヒョウよ。またフランスのトラック運転手がデモをしている。どうやらマーストリヒト条約に反対しているようだ」

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今度は、スペインのトラックがフランスに入ってきて商売をしている。フランスのトラック業界は商売あがったりだ。なんとか規制してくれ・・というデモです。

マーストリヒト条約では、ヨーロッパ経済を単一の市場にしようとしました。 具体的には単一の通貨ユーロを導入し、人と物とサービスの国家間の移動を自由にして、経済を一つにしようとしました。 アムステルダム条約ではそれをさらに強化しました。

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労働市場が単一になっても、人はすぐに国境を越えて転職する訳にはいきません。人々には家庭があり、暮らしを営むゲマインシャフトがありますから、隣国にいい職があるからといって、引っ越しはできません。だからそう簡単に労働市場が流動化する訳ではありません。 でも最初から、土地を選ばず、移動すること自体が仕事である、運送業は違います。マーストリヒト条約でたちまち市場は単一化して広くなり、そして流動化します。

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ひらたく言えば、それまでフランスのナンバープレートを付けたトラックで、フランス人運転手が、フランス国内で仕事をしていた時は、フランスフランで高い収入が得られました。一方、スペインのトラックは、スペイン国内で仕事をして、ペセタで多くはない収入を得ていましたが、それはそれで平和でした。スペインは物価も安いのです。それが…国境が無くなり、スペインのトラックがフランス国内にやってきて、商売するようになれば、フランス人運転手より安い給料で働きます。給料は同じユーロで支払われます。逆に賃金の高いフランス人のトラックはスペインで商売はできません。

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以前なら、国境で仕事の縄張りが区切られ、物価や賃金の差は、通貨の為替相場によって修正することもできたのですが・・それもできません。フランスのトラック野郎の悲鳴が聞こえます。だから、スペインのトラックを規制してくれ!と言ったのですが、これはマーストリヒト条約の趣旨に反しますから通りません。

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そこで私は気づきました。 その前の定年を早くしてくれ!という訴えは、EUの統合強化で労働条件が悪化することを見込んだトラック業界がその前に引退したい・・と訴えたのだ・・と。

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でも、これは面白いぞ・・と私は思いました。欧州でいろいろなサービスの価格が同じになれば、物流の世界は大きく変わります。 国境の無いトラックは当然として、港湾荷役の費用なども、EU域内で統一されるのだろうか? それなら同じ輸出品でもアントワープ揚げとマルセイユ揚げ、ロッテルダム、ハンブルク・・・皆、同じ金額になる。陸上輸送コストも距離に比例するとなると、最適の経路が自動的に決まる・・・。実際にはそうはなりませんでしたが。

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EU域内で、経済を統合すると、最初は物価や賃金の安い方に価格帯が収斂し、一種のデフレに似た状況になりますが、その後、市場の拡大により、経済規模自体が大きくなり、皆が豊になる・・・とヨーロッパの人達は青写真を描きました。その過程で、貧しい国ほど経済が盛んになり、国家間格差は是正されると期待されました。

実際はどうかというと、全く逆です。貧しかったギリシャはますます困窮し、もともと豊かで経済力があったドイツは、さらに強大になり、まさにEUの盟主です。あのフリードリヒ大王もアドルフ・ヒトラーもなしえなかったことを、メルケル婆さんはなしえたのです。

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皆に公平に機会と富を与えると言いながら、実は一部の人が得をする・・というのは、よくあることですが、EUは構想時の理念から遠ざかっていくようです。

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実は、この問題はEUだけの話ではありません。 島国日本でも事態は変化しつつあります。 今、日本のトラックは日本のナンバープレートのまま、フェリーボートでプサンに上陸し、韓国内で品物を輸送できます。 一方、韓国のトラックは日本国内を走ることはできません。 一種の不平等条約の状態が続いていますが、これは過渡的なものであると私は考えます。やがて事態は変化するでしょう。

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ああ、今フランスのトラック野郎はどうしているだろうか? 日本は平和だ・・・。(TPPが成立するまでは・・)。

そんなことを菅原文太追悼の「トラック野郎一番星」のビデオを観ながら考えます。


【 ジャーナリストの死 Je suis CHARLIE 】 [フランス]

【 ジャーナリストの死 Je suis CHARLIE

パリにある雑誌編集部がイスラム過激派のテロリストに襲われ、雑誌編集者やイラストレーター、警官などが死亡するという事件が起こりました。さらに郊外では、翌日以降も逃走する犯人と警官隊の銃撃戦があり、最終的に犯人が射殺されるという劇的な幕切れになりました。

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実は、フランスでは時々テロ行為があります。地下鉄の駅が爆破されたこともありますし、TGVの列車の中で爆弾が炸裂したこともあります。日常的とまで言うと言いすぎですが、さほど珍しくなく、日本での報道もベタ記事です。

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しかし、今回のテロでは、日本のTV局は、ニュース速報を流し、連日、9時台、10時台のニュース番組のトップで報道しました。その理由は幾つかあるでしょう。

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12人という多くの犠牲者が一度に出たこと。

.今話題のイスラム国からみである可能性があること。

.雑誌社が襲撃され、編集長以下、多くのジャーナリストが殺害されたということ。

.パリの市街地で銃撃戦を行い、犯人が逃走して人質をとって立て籠もるという、映画もどきの派手な展開だったこと。

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マスコミは、当然ながら、同業のジャーナリストが襲われた訳ですから、言論と表現の自由に対する脅威という扱いで、他のテロ事件と区別して大々的に報道する必要があったと思われます。

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しかし、よく考えるとこの事件は単純ではありません。

日本での報道も、少し混乱しています。 TV朝日の報道ステーションなどは、このテロで、フランスのイスラム教徒が迫害されるのを懸念する・・という、いつもの加害者側が実は被害者になるという倒錯した思考で報道しています。

従来、反権力を旗印にする日本のマスコミは、テロリストに対して幾分同情的でした。

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表向きはテロ活動に反対すると言いながら、パレスチナゲリラのハイジャック犯の肩を持ったり、西側諸国に対するテロ活動については「盗人にも3分の理がある」という考えを紹介しました。イスラム過激派についても、彼らの行為は歴とした犯罪であるにもかかわらず、控えめな客観報道にとどまります。

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だから言論機関への襲撃だというのに、イスラム過激派と思しき犯人をなかなか非難できないのです。

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言論機関・・マスコミへの襲撃というと、日本国内で思い出されるのは、朝日新聞阪神支局を赤報隊と称する右翼ゲリラが襲撃した事件、そしてビートたけし率いる「たけし軍団」が講談社へ殴り込みをかけた「フライデー事件」です。どちらもマスコミを武力で攻撃する卑劣な行為です。

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無論、両者では犯罪の重さが全く異なりますが、言論と表現の自由への暴力的な挑戦という意味では同列です。しかし、マスコミの対応は、かなり違いました。

阪神支局の事件では、新聞社は正義の存在であり、犠牲となった小尻記者は英雄となりました。彼の遺児であるお嬢さんが成人するまで、かつての同僚やマスコミ人は、遺族を温かく見守り、それを美談として、TVで報道しています。

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一方「フライデー事件」は講談社の非を挙げる報道が多く、「フライデー」を廃刊に追い込もうとする意見や写真週刊誌そのものを否定する意見が、同業のマスコミ、特にTV番組で語られたのです。

私などは「ちょっと待て。そりゃ確かに『フライデー』は下品でお粗末、ちっぽけな雑誌かも知れない。だけど、戦前、言論が弾圧された時代に、潰されそうになった雑誌や新聞を守ろうと、先人がどれだけ苦労したかを考えると、簡単に廃刊にすべきだ・・などとは到底言えまいに」と思いました。

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TV局は、売れっ子で実力者だったビートたけしにおもねろうという考えで、講談社の方を非難したのです。 活字メディアの方も、当の講談社以外は、犯人であるたけし側に付きました。 マスコミの良心も言論の自由もへったくれもあったものではありません。本来なら、マスコミはどちらの事件でも犯人を非難すべきだったのです。

そのことを考えると、今回の事件でも、日本のマスコミは、毅然と犯人を非難すべきなのです。

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フランスでは、マスコミは勿論、一般市民もこのテロに対して明確にNOを突きつけています。プラカードには、“Je suis CHARLIE”と書かれています。「僕もシャルリーと同じだ、攻撃するなら僕を襲え」ということです。 イスラム過激派に対して挑発的だったこの雑誌と同じように挑発的なメッセージで犠牲者と雑誌社への共感を示しているのです。 どうでもいいことですが、フランス語を知らない私は、どうしてもシャルリーではなく、英語風にチャーリーと呼びたくなります。

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でも、そう言いながらも、私も困惑します。 襲われたマスコミを応援すべきなのか?卑劣で凶暴なテロリストの言い分にも耳を傾けるべきなのか?

襲われた雑誌社とそこの週刊誌「シャルリー・エブト誌」は、本当に守るべき「言論と表現の自由」の対象だったのか? シャルリー・エブト誌の元の名前は「アラキリ」つまり日本の切腹を茶化した名前です。ハラキリをするクレージーな日本人と同じようにエキセントリックな思想だよ・・と言いたいのでしょうが、日本人の私としては、「切腹する人の精神も理解していないくせに勝手に茶化すな」と言いたい気持ちです。

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仄聞するところでは、この雑誌は、イスラム教の預言者ムハンマドを侮辱しただけでなく、カトリックもプロテスタントも、風刺画の形で攻撃しています。なんらかの思想性があるなら、むやみやたらと四方八方に噛み付くのでなく、ある方向にのみ批判を加えるはずですが、そうではありません。 

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例えばイスラム原理主義を批判・非難するなら、西欧式の人権論や、民主主義(まあ、フランスなら自由・平等・博愛の精神)から、それと相容れないイスラム原理主義を非難すべきでしょう。

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女性の人権を認めず、女性が教育を受ける権利を認めず、民主主義を否定し、不条理な戒律を設け、異教徒の命はこれを奪ってもよく、異教徒を攻撃することは聖戦だ・・とするイスラム原理主義が、西欧民主主義と鋭く対立する点を、論理的に衝けばいいのです。

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しかし、この雑誌は下品な風刺画(カリカチュア)を載せるだけです。そこが浅いというか、ひょっとして、文字の読めない読者のための雑誌なのでしょうか?

私は、下品なマスコミが嫌いです。

かつて、昭和天皇が崩御した際、英国の大衆紙「The SUN」は、1面に「天皇の墓の上で踊れ!」という見出しを掲げ、Hirohitoと書かれた墓の上で乾杯する風刺画を載せました。この新聞は、第二次大戦の被害者で日本を憎む英国人へ迎合するために、この表現を用いたのでしょうが、それが日本人を侮辱するということには無頓着でした

その「The SUN」を所有するのは、マスコミ王マードック氏で、彼は一時期、孫正義と組んで、TV朝日を買収しようとしました。 私は、マードックだけには日本のマスコミを渡したくない・・としみじみ思ったものです。

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第二次大戦の枢軸国側の元首またはリーダーで戦後も地位に残り、平穏な死を迎えたのは、昭和天皇とスペインのフランコ総統の2人だけです。 フランコの死に際しては、全く冷静だった新聞が、昭和天皇の崩御に対して、どうしてああも無礼だったのか?個人的には平和主義者で、親英米思想だった昭和天皇の人格をまるで知らないのは仕方ないとして、天皇を敬愛し、天皇制を大切に思う日本国民全員への非礼・侮辱になるとは思わなかったのか? それとも、「The SUN」は、日本人全体を侮辱したかったのか?

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挑発的な見出しは大衆受けし、売り上げ拡大に寄与するかも知れません。社会の全ての事柄・人物に対して批判的であることこそ、ジャーナリズムの真骨頂だと考える人もいるかも知れません。 でもまじめな言論人はい徒らに過激で挑発的なレトリックは慎むべきです。

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仮に相手が無茶苦茶な人物だったとしても、一国を統べる元首、或いは全世界的な宗教の指導者に対して、マスコミはそれなりの礼を尽くすべきでしょう。それはその背後にいる、多くの国民や信者を愚弄することを避けるためです。

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かつて、日本では「君辱められれば、臣死す」と言いました。イスラムでは、ひょっとしたら「君辱められれば、臣相手を誅す」ということなのでしょうか? アラビア語で何と言うかは知りませんが・・。

殺された、挑発主義のジャーナリストに欠けていたのは、その辺りの、相手への理解だったのでは?と、私は思います。


【 ふらんすへ行きたしと思へども について考える 】 [フランス]

【 ふらんすへ行きたしと思へども について考える 】

会社で仕事をしていると、どこからか男女の雑談が聞こえてきます。何やら高尚な趣味の話をしています。ふむふむ、フランスの印象派の絵画の話か・・。なるほど。 ルーブル美術館とオルセー美術館のどちらが好きかだって? うーむ、鋭い質問だが、難しい質問だな。日本人は、どちらかというとルーブルより印象派の絵画が多いオルセーの方が好きな人が多いようだが・・。 

オイオイ、スーラの「グランド・ジャット島の日曜日」は、フランスじゃなくて、アメリカのシカゴ美術館にあるよ・・。 ふたりはフランスの美術が大好きみたいです。

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日本人は西洋の絵画の中でも、特に印象派が好きみたいです。 それ以前の宗教画の世界となるとキリスト教に詳しくない人には、どうもピンときません。私にはどうも良くわかりません。むしろ明るい風景画や、自然な光線の中の人物画の方が、理解しやすく、好きになれます。

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しかし、考えてみると、印象派の絵が好きなのは、日本人だけではありません。アメリカ人もそうみたいです。 19世紀のアメリカは、言ってみれば新興の財閥というか成金の世紀でした。欧州と比べて、歴史と伝統に劣ることについて、一種のコンプレックスを抱いたアメリカ人は、当時流行だった印象派の絵画を欧州から買い漁りました。 シカゴ美術館には、モネの睡蓮もたくさんあります。先ほど申し上げた「グランド・ジャット島の日曜日」も、印象派が好きなアメリカの好事家が購入したものです。

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ここで20年近く前のパリでの会話を思い出します。

私が初めてパリに行った時のことです。 ああ、もう随分昔ですが、初めてパリに行った時の感動は、生まれて初めて海外出張に行った時の感動と同じく、忘れられません。

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私が尊敬するKさんは、語ります。

「確かに、日本人にはオルセーは人気があるけれど、美術館の格としては、ルーブルとオルセーでは比較にならないよ。 新しいものばかりが並ぶオルセーでは、全くかなわない」 ・・・ちょっと印象派がけなされたような気にもなります。

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「でも、考えてみれば、ルーブルでもオルセーでもいいから、見たい美術品、知りたい事柄というのが、明確にあって、それでパリに旅行に来るのなら、素晴らしいことですね」とKさん。

「以前は、文学や美術を通してフランスに憧れ、パリに来たいと熱望してやって来る日本人が多かったのですが、最近はそうでもないようです。 若い女性に多いようですが、パリについて何の予備知識も無しに、みんなが行くから、あるいはブランド品のお店があるからパリに来た・・という人もいますよ」

「フランスやパリについてろくに知らず、無教養であることを、そしるつもりは全くありません。でも、昭和の時代、パリに憧れ、来たいと思いながら、ついに希望を叶えられなかった多くの日本人のことを思うと、半ば無目的にパリを訪れる観光客を見て、複雑な思いになります」 フランス人以上にフランス語が上手で、パリにながく暮らすKさんならではの言葉です。

「ところで、オヒョウさんはパリに到着してから、最初にどこに行きましたか?」

「実は、最初に行ったのは『ヴィクトル・ユーゴー博物館』です」

「ほう、それは珍しい。観光名所の多いパリの中で、あの博物館に最初に行く人はあまりいませんよ」

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実は、私はユーゴーの小説のファンなのです。 「レ・ミゼラブル」、「ノートルダム・ド・パリ」「1793年」といった小説は、パリを知らなければ話になりません。逆に、それらの小説を読めば、必ずパリに行きたくなります。

「Kさん、実は私はパリの街を歩きながら、どこかに下水道の入口が無いかと探したくらいなのですよ」

「それは・・また、随分とレ・ミゼラブルの影響を受けましたね」とKさんは笑います。

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実は、欧州には下水道が観光名所になっている都市が2つあります。 ひとつはウィーン。映画「第三の男」に登場する有名な下水道があります。 もう一つはパリで、「レ・ミゼラブル」に登場します。市街戦のバリケードの中から、ジャン・バルジャンが辛くもマリウス青年を救い出す時に通ったのが有名なパリの下水道です。 

「第三の男」も「レ・ミゼラブル」も架空の小説ですから、実際にその下水道がある訳ではありません。 しかし「第三の男」は映画ですから、撮影の舞台を訪ねることはできます。 しかし、パリの方は、小説だけですから、「これが、ジャン・バルジャンが通った下水道さ」とガイドが説明すれば、真っ赤な嘘と言えます。しかし、その嘘がジョークとして許されるのが、パリの観光です。

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Kさんと会食した翌日、私は、新凱旋門の近くにある、フランスを代表する製鉄会社の本社を訪れました。 そこで会った副社長のひとりはまだ若く、私とそれほど年齢が違いませんでした。 彼の名前はマリウス。 私は 「あなたの名前は、日本では有名ですよ」と、冗談を言うと、彼は「でも、私の家内の名前はコゼットではありません」と笑いながら答えました。 私がフランス人と交わした数少ない冗談です。

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その後、そのフランスの製鉄会社は、インド人が経営する世界的な鉄鋼メーカーに吸収合併され、そして鉄鋼業界自体も、開放的でなくなり、相互に訪問する機会はなくなりました。 私も業界を離れ、ながくルーブルにもオルセーにも行っていません。

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会社で、フランス美術が好きな男女の会話を聞いて、私は萩原朔太郎を思い出しました。

「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」

ああ、私には沁み入るように彼の気持ちが、理解できるけれど、今の若い女性たちには分からないだろなぁ。


【 パリの大江健三郎 】 [フランス]

【 パリの大江健三郎 】

日本のことを貶す人が多くいても、それは別に構いません。民主主義であり自由主義ですから、いろんな意見があって当然だし、それを国内で主張するのも結構だと思います。

しかし、日本国内では批判めいたことを言わず、わざわざ外国に行って、ことさらに日本の悪口を言う人を見ると、やはり不愉快です。私などは、外国に行って日本を語る時は、なんとなく日本の代表になった気分で、日本を弁護します。

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外国に行って、自国を卑下する人は、日本人以外にもいますが、日本には特に多いように思われます。 とりわけ昨年の大震災と原発事故以降、外国で日本のことを悪しざまに言う人が増えている印象を持ちます。

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例えば、孫正義は、原発事故後早い時期に韓国へ行き「日本が(放射能漏出という)罪を犯した」といって謝罪し、一方で韓国の科学技術を褒めたたえています。

普通は、外国に対してその支援・応援に感謝すべきところですが、彼はそうではなく日本の犯罪を日本の代表になったがごとく、謝ったのです。

ところで、原発を推進する韓国は電気代が日本の半分です。それだけが理由ではありませんが、孫正義はソフトバンクの業務の相当量を韓国に移管しています。

http://www.wowkorea.jp/news/Korea/2011/0620/10085290.html

彼は露骨には言いませんが、韓国の原発はいい原発、日本の原発は悪い原発・・という明確な区別をしているようです。

そしてその後、韓国の原発で非常電源が途絶える事故がありましたが、彼はそれについてコメントをしません。

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もう一人、大好きなフランスに行って、日本を非難した人物がいます。

大江健三郎です。 彼は北朝鮮に憧れ、フランスに憧れ、そして日本を蛇蝎の如く嫌う男です。

天皇から授かるなど不愉快・・として文化勲章を断る一方、フランスのレジオン・ドヌール勲章は嬉々として貰い、ノーベル文学賞も受け取っています。

どうせなら、サルトルの様に、ノーベル賞も断るだけの気骨を見せればいいのに、それだけの根性もないようです。

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その彼が、日本では原発批判をしないくせに、パリで日本の原発政策を非難しています。

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120319-OYT1T00284.htm

世界一の原発大国はフランスです。 そのフランスの原発を批判せず、そして危なっかしさという点では日本よりはるかに問題の多い北朝鮮の原発に反対せず、日本の原発には反対しています。 不思議です。

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大江健三郎は、過去にも韓国に行って日本を非難したことがあります。 孫正義の場合と微妙に違うのは、二人の立場です。 孫正義の場合は日本人の立場から謝罪しています。 しかし、大江の場合、韓国人の立場・・もっと言えば非日本人の立場から日本を糾弾しています。 これは彼らの出自を考えれば不思議なことです。

在日韓国人の子である孫正義の方が、日本人である事を強く意識し、逆にもともと日本人である、大江の方が日本人であることを拒否しています。 実際、彼は自分が日本人であることがイヤでイヤで堪らないようです。

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孫正義と大江健三郎では立場が逆のようですが、孫正義の方が自分が日本人であると強く意識するのは分からないでもありません。

外国からの移民、あるいは帰化した人の方が、より強くその国籍に愛着を持ち、自己のアイデンティティに拘る・・ということはしばしばあります。 日系アメリカ人には、しばしば自分がアメリカ人である事を強く意識する人がいます。例えば第二次大戦での442部隊などはその例ですし、フィギュアスケートの選手だったクリスティン・ヤマグチは日系4世の自分は完全なアメリカ人なのに、日系という目で見られるのが不思議で仕方ない・・とインタビューに語っていました。

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最近、国籍を日本に変えて、日本人であることを特に強く意識しているのはドナルド・キーン氏かも知れませんが、孫正義もそれに近いのかも知れません。

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それはともかく、大江健三郎という作家は、私にはよくわかりません。

高校生の頃、友人達の間で流行った作家といえば、高橋和巳と大江健三郎、倉橋由美子・・といった人たちです。 その中で大江の作品は、短編小説では「死者の奢り」や「性的人間」など素晴らしいと思えるものが多かったのですが、長編になると、途中で理解不能になることが多かったのです。 「ピンチランナー調書」などは、最初は読めますが、途中で「てにをは」がずれてきたり、関係代名詞が何を指すかが不明になったりして、なんと文章力の低い作家だ!と溜息をつきたくなる存在だったのです。

(てにをはに、狂いがあるのは、「笑うオヒョウ」も同じですが・・・)

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一方で、小説のタイトルの名付け親としては随一です。 奇抜なネーミングで読者を惹きつける、名コピーライターです。 その点は、コラムニストの山本夏彦も褒めていました。 いずれにしても、大江健三郎がノーベル文学賞を受賞できたのは、優れた翻訳家のおかげだと思います。 あの難解(悪く言えば意味不明の悪文)を正確に翻訳できたのなら素晴らしい技術と言えますし、あの日本語の悪文の問題がなくなれば、彼の作品はさらに高い評価を得て当然だからです。

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ところで、脱線しますが、過去のノーベル文学賞の選考時の情報が暴露されました。

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120323-OYT1T00710.htm

安部公房が、あと少しで受賞できたのに、亡くなってしまった・・というエピソードには頷けます。たしかに彼はノーベル賞に一番近いところにいたはずです。 一方、これも有力候補だと思われた三島由紀夫はそれほど高い評価ではなかったようですね。 井上靖の作品は、三島ほど外国で紹介されていませんから、多分彼の評価はもっと低かったはずです

意外というかちょっと残念だったのは、私が、真のノーベル文学賞にふさわしいと思っていた遠藤周作の名前が無かったことです。

いずれにしても、安部公房が亡くなったから大江健三郎にノーベル賞が回ってきたという穿った見方が成り立ちます。

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話を元へ戻しますが、よそへ行って、自分の家の悪口を言うというのは、嫁の悪口を外で言いふらす意地悪姑に似ていて、あまり上品な行為とは言えません。顰蹙をかうべき行為です。 それなのに、日本人が外国で自国の悪口を言う行為は、進歩的文化人やマスコミの間で評価されます。 彼らはマゾなのか?それとも日本人ではないのか?

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いずれにしても、大江健三郎は、フランスへ行き、フランス人に向かって日本の非をならします。 でも本当にそうかな?と思ってTVを見ると、なんと彼はパリの書籍展の会場で日本語でスピーチをしています。 つまり彼はわざわざパリまで行って、そこから日本人に対して日本の悪口を言っているのです。 実に不思議です。

それとも彼はフランス語を話せないのか?

優等生ではなかったと聞いているけれど、一応、大江は東大仏文科のはずです。彼が原子力工学と沖縄戦史について無知なのは知っていたけれど、彼はフランス語にも暗いのか?

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私が、本当にノーベル文学賞にふさわしいと考える遠藤周作は東大卒ではありません。 でも彼はフランス人の聴衆の前でちゃんとフランス語でスピーチしていました。

パリにいる大江が、フランス人の前で、フランス語で、フランスの原発に反対する演説をすれば認めるのですが、そうでないのなら、これはなんとも滑稽な漫才です。


【 エギーユ・サン・ノン Aiguille Sans Nom 】 [フランス]

【 エギーユ・サン・ノン Aiguille Sans Nom  

その昔、ガストン・レビュファの岩登りの映画を見てたまげた事があります。針の様に鋭く屹立した標高4000mの峰の頂上に彼が直立しているのです。世の中には恐ろしいことを平気でする男がいるものだ・・・。その峰の名前はエギーユ・デュ・ドリュです。しかし、その時思ったのです。彼のロッククライミングの様子が、映画になっているということは、彼の近くで映画撮影用のカメラを動かしていた人がいるわけだ。 その人の方がすごいのではないか?

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今は、ハイビジョン用のカメラといっても、ずいぶん小型になりましたし、小型カメラはヘルメットに取り付けて、撮影者の負担なしに映画をとれます。しかし、本格的な写真や映画を撮ろうとすれば、やはり大口径のレンズが必要です。それにガストンレビュファが映画を撮った頃は、フィルム式の35mmの撮影機材だったでしょうから、それを背負って、ロッククライミングするのは大変だったでしょう。

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レビュファの映画を撮った超人的カメラマンが無名の英雄であるように、脚光を浴びる存在には、それを支える脇役がいます。

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アルプス山脈の西の方、モンブラン山系の周囲には、針峰群という特異が山があります。モンブランやグランドジョラスといった、巨大な山の周辺に、鋭いまさに針のような峰峰が散らばって存在するのです。シャモニー針峰群、モンブラン針峰群、ヴェルト針峰群やバルトロ針峰群、シャルドネ針峰群・・・といい、それぞれ登山家の登高欲をそそる存在だそうです。

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オヒョウのように登山なんてとてもできない素人でも、シャモニーから展望台までロープウェイで上ると、周囲の針峰群に目を奪われます。「モンブランやグランドジョラスはどうでもいいけど、あの尖った鋭い山は何か?」・・と隣の人に尋ねたくなりますが、残念ながらフランス語を話せません。 とにかく高山病の頭痛が吹っ飛ぶ様な、鋭い峰峰の壮観です。

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痛む頭で考えます。「日本にはあの様な山はないな・・」 強いてあげれば、剣岳の八峰、チンネ、槍ヶ岳の小槍、裏妙義の一部などが相当しますが、規模も鋭さも違います。ヨーロッパアルプスには山岳氷河で削られた鋭さがあるけれど、日本アルプスには氷食地形があまりなく、鋭くないということかな?

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時間のある時に、針峰(Aiguille)の写真をインターネットで眺め、どの針峰が一番格好いいかを考えました。 そしてアルプスのパノラマ写真でそれらを見つけられるかを調べました。 一番、鋭く格好いいのは Aiguille du Midi (エギーユ・デュ・ミディ)でミディ針峰群の主峰です。シャモニーの町から見て、12時の太陽の方角で、時計の長針のようだから(正午の針峰)という意味です。

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見つけ易さで言えば、Aiguille du Dru(エギーユ・デュ・ドリュ)です。この峰自体も大きく格好いいのですが、その背後に、もう一本鋭い峰があって、特徴的なスタイルだから、見つけやすいのです。展望台から見ると、ちょうどドリュの背後に隠れて見えにくい、裏山の針峰の方が実は格好よく、かつ奥ゆかしいように、オヒョウには思えます。

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後ろに隠れたもう1本の鋭い峰の名前は何だろうか?例によってフランス語で尋ねることはできませんが、日本語のネットで検索する事は簡単です。 調べてみると、エギーユ・サンノン (Aiguille Sans Nom)とあり、これは全く不思議な名前です。 Sans Nomとは即ち、名無しです。

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夏目漱石の猫ではありまいし、名前はまだ無い針峰ということになります。19世紀から世界的な観光地だというのに、アルプスにまだ無名峰があるとは驚きです。 勿論、正確には名無しという名前の針峰なので、無名峰ではありません。 はなはだややこしいのですが。実は、エギーユ・サンノンは無名峰どころか、クライマーにはかなり人気のある山のようです。そして面白いことに気付きました。

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インターネットでフランスのサイトを見ると、Aiguille Sans Nom et les Aiguille du Dru ( エギーユ・サンノンとエギーユ・ドリュ)の両方の名前を並べた形で写真が紹介されています。

http://www.massif-mont-blanc.com/photos/aiguilles-verte-sans-nom-drus.php 

一方、日本のサイトでは、エギーユ・デュ・ドリュという表記のみです。

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日本では陰の存在には光を当てないのかな?ジュールベルヌの傑作「海底2万マイル」に登場するノーチラス号の艦長の名前は「ネモ」です。 これも名無しの意味です。 フランス人は実力のある者には、名前など不要だとする考え方もあるのかな?

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一方、日本でも、無名の人は無名のままです。そしてフランスと違って、無名の人に一目置くことはまれです。 今年の明るい話題である惑星探査機「はやぶさ」の帰還も、7年間頑張ったプロジェクトの責任者である川口教授こそ有名になりましたが、教授を囲む(針峰群のような)スタッフの名前はなかなか表にでません。

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深田久弥の日本百名山には、その地域を代表する有名の山だけが登場します(中には、百名山のおかげで有名になった山もありますが)。 なかなか背後の山々や無名の山々は登場しません。将来、フランス版やスイス版の百名山が選ばれたら、Aiguille Sans Nomは登場するのか? 

オヒョウには興味があります。もっともフランス版百名山が出版されても、フランス語だと読めないのが辛いのですが・・。

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写真は飯山浅葉野庵の玄関の手水鉢です。


【 イスラムの侵食、アフリカの浸入 その2 】 [フランス]

【 イスラムの侵食、アフリカの浸入 その2 】 

増え続けるアフリカからの移民や異教徒を、表向きは拒絶できないフランス政府は、そこで姑息な手段・・というか嫌がらせをしてきます。その一つは、ブルカの着用を法律で禁止するというのです。ブルカはアフガニスタンの女性の衣装で、髪の毛だけでなく顔も隠します。それじゃ、前が見えないじゃないか・・と思いますが、目の前は網目になっていて、内側からは見えるそうです。

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フランスの下院は、ブルカの着用を禁止する法案を可決しました。この秋には上院でも可決される可能性があります。http://mainichi.jp/select/world/news/20100715k0000m030042000c.html

法案を提出した議員は、治安上、ブルカの着用は問題がある・・と語ったそうですが、理解に苦しみます。 なぜ顔を隠す事が犯罪につながるのか? むしろ、隠すべきところを隠さない方が犯罪じゃないか・・?

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理由がこじつけなのは明白です。それ以前に、フランスの学校では女生徒がヘジャブを着用する事を禁止しています。 ヘジャブは、髪を隠すスカーフで、ブルカほどハードな“イスラム衣装ではありません。

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スカーフなら映画に登場するフランスの女優だってみんな着けているではないか・・。どうして教室の女生徒がしてはいけないのか? ちなみに女性の帽子はファッションの一部ですから、屋内で被っていてもいいですし、目上の人の前でも取る必要はありません。 スカーフもそれに準じるはずなのですが・・。

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髪の毛を人眼に晒すのが恥ずかしい・・という感覚は理解できませんが、人間の常識は場所と時代で変わります。彼らを非難できません。日本でも、映画やグラビアのヌードに陰毛が写ると、大騒ぎした時代があります。官憲のチェックを免れて、出版した写真集の腰巻にはヘアヌードという和製英語が書かれていました。 これはアメリカ人には理解できない表現でしょうね。 「どうしてヘアーが陰毛の意味なのか?」

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日本では、口に出すのを憚る単語は、しばしば英語にして話すのだ・・と言えば納得するかも知れません。それは英語でも同じです。ちょっとエッチな単語はフランス語にしてごまかしたりします。

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顔を隠したり、髪の毛を隠す事が風紀や秩序を乱すというのは、やや暴論ですが、自分たちの習慣をかたくなに守る態度はしばしば反感を買います。 それが大人数ともなると、攻撃対象になるのかも知れません。

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ところで、フランスの大統領サルコジ自身が、ハンガリーからの移民の二世であり、母方はユダヤ人の家系だそうです。 自らが差別される少数派だから、一種の近親憎悪として北アフリカ系の移民に対して、辛くあたるのでしょうか?

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現代の日本は、他の人種・民族との融和や受け入れが、それほど容易な国ではありませんが、宗教に関しては鈍感というか、寛容です。神仏習合というか神仏混淆の歴史が日本にあり、奇妙な形で外来宗教と土着宗教が融合していた時代があります。(それについては、後日、弊ブログに紹介します。実は昨日と今日、オヒョウはY博士と新潟県と長野県の火祭りを見物しましたが、いろいろ気づいた点があります)

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日本ではイスラム教徒を異端視したり敵視する人は少ないでしょう。それはいいことでしょうが、大陸国家の人は別の意見かも知れません。

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臓器移植をする際、外来の臓器を異物として排除する拒絶反応は、大きな問題です。 しかし拒絶反応は、見方を変えれば、生命を維持する上で極めて重要な免疫反応です。異教徒を排外する事は、忌むべき拒絶反応ですが、民族のアイデンティティを守る為に必要不可欠な免疫反応であるという見方もあるでしょう。しかし、イスラム教徒や北アフリカ系移民を狙い撃ちにして辱めたり、嫌がらせをする事が、文明国のする事とは思えません。

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では、どうするべきか・・?オヒョウならこうします。

1.へジャブ(スカーフ)については、学校での着用を認めるが、フランス製のエルメスとセリーヌのブランドに限る。(そうすれば、フランスへの忠誠心があるものとみなす)。

2.ブルカについては、公共の場所での着用を認めるが、本人が、自分の容姿・美貌が犯罪的と言えるほど素晴らしいと認める場合に限る。それほどの自信がない場合は、着用を認めない。

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うーむ、その結果、パリやマルセイユの街がブルカだらけになったらどうしましょうか・・・。


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