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【 遙かな尾瀬 その7 】 [新潟県]

【 遙かな尾瀬 その7 】 

奥只見湖(銀山湖)の遊覧船の中で考えました。遊覧船の解説でダム建設はどのように解説されているのか・・。

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当たり前ですが、遊覧船の解説では、奥只見ダムを高く評価しています。奥只見ダムとその下流の田子倉ダムは、その貯水量は日本最大級です。発電された電力は275000Vの高圧線を介して、関東地方に送電されます。実際、この2つのダムのプロジェクトは、戦後の日本の経済復興に不可欠のものでした。高度成長に入る直前、或いは高度成長期の入り口において水力発電所は非常に重要です。建設には反対派もいたでしょうが、現代と違って、ある政治的背景をもった反対派はいなかったようです。水没した集落の住民は新たにできた人造湖の観光需要で生計をたて、自治体には莫大な税収が入り、地域社会は潤いました。 全ての人々はダムの建設によって、利益を得ました。

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経済開発の初期段階は、ダム建設によって、治水を整備することと安価で豊富な電力を得る事に始まる・・というのはある意味で常識です。20世紀の大恐慌から脱出しようと、米国ではTVA(テネシー川開発計画)やフーバーダム建設を行いました。 インドの経済成長もダモダル川開発計画から始まったと・・オヒョウは考えています。 今アジアで経済開発が遅れているバングラディシュは治水事業が全くできていませんが、これから急速に発展する見込みです。 世界で最も遅れているアフリカのサハラ以南の地域は、豊富な開発水力がありながら、ダムも水力発電所もない世界です。

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しかし、今の日本ではダム開発に批判的な人々が発言力をもっています。田中康夫は長野県知事時代に脱ダム宣言を行いましたし、鳩山由紀夫もコンクリートへの出費を嫌い、首相就任後に最初に行ったのは、群馬県のダム建設の中止でした。 もっとも、彼らは小沢一郎の地元である岩手県のダム建設には反対しませんでしたし、世界最大の中国の山峡ダム建設には反対していません。ダム建設反対は単にムードというかイメージだけに基づくもので、技術的、科学的な検証をしたものではないようです。

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彼らが嫌悪するのはダムそのものよりも、ダム建設に従事する土建業の世界でしょう。 土建屋とは下品で無教養でがさつな人々だと、軽蔑する思いが、都会出身のインテリ政治家にはあるのかも知れません。その土建屋が談合体質で不当な利益を得ているとの思い込みが(小沢一郎を除く)民主党の都会派政治家に共通してあるのかも知れません。

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では本当に今ではダムは不要なのか?ダム建設を進める人たちは悪意の人なのか? オヒョウにはおおいに異論があります。

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日本の主要河川の開発水力はほぼ100%に近づき、もはや新しい水力発電所は考えられません( 低落差の超小型水力発電所は除く )。しかし、治山治水の方法としてのダムは重要で、それに代わる適切な方法はありません。田中康夫は脱ダム宣言の中で、ダムに代わる治水方法を導入すると言いましたが、実際には何も提案していません。幸いにして彼の在任中に長野県では大規模水害は発生しませんでしたが。

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脱ダム宣言は、普天間移設と同じで、本案も腹案も無しに発表された空手形です。 そしてもう一つ重要なのは揚水発電所です。これは主にダム式ではなく水路式発電所ですが、電力需要の短時間の増減に対応するためには重要な設備です。

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日本の電力供給に占める原子力の比率はこれから更に高くなります。しかし原発は、電力使用量の細かい増減に対応して発電量を調節する事ができません。最もきめの細かい調節ができるのは水力発電であり、原子力の比率増大とともに、揚水発電所の需要は増加します。

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しかし、その事にマスコミは触れません。そういえば、脱ダムを唱え、ダム建設に反対する人は、原子力発電に反対する人と重なります。もっとも、反対するのは日本の原発と日本のダムだけであり、中国のダムや中国の原発には賛成しているようですが・・・。

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それ以上に重要なのは、日本にはダムや水力発電所の建設に関して、世界に誇る技術があるという事です。ダム自体の設計・建設に関する技術もそうですが、それ以上にペンストックと呼ばれる水圧鉄管に用いる厚鋼板の製造技術、振動抑制の設計技術、カプラン水車やフランシス水車の設計・製造技術、発電機の効率や、超高圧の送電技術などは、世界一です。オヒョウがロンドン駐在だった時に、スイスの世界最大級の揚水発電所に日本のペンストックが採用されました。欧州にも厚板を製造する製鉄所はたくさんありますが、彼らにはペンストック(特にシクルプレートという仕切り板)を作る事はできなかったのです。

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それらの要素技術を総合した水力発電所の建設ノウハウは、今はJパワー(電源開発)に集まっています。でも前述の通り、日本の主要河川の開発水力は100%に近づき、日本ではその技術を活かす機会がありません。 海外のプロジェクトでそれを活かすしかありませんが、技術の伝承が難しいのです。

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高度成長期の前に、奥只見ダム、田子倉ダム、御母衣ダム、佐久間ダム、黒四ダムを建設した技術者達はとうに引退しています。鬼籍に入った人も多いはずです。

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だから若い人材を集める必要があるのですが難しいようです。その中で、ダム建設を悪事のごとく貶める政治家やマスコミが多いというのは、どういう事でしょう。 オヒョウはダムサイトへの往路の船の中で漢詩を考え、復路の船の中では、日本のダム行政を案じました。案じてもしようがない事ですが。


【 遥かな尾瀬 その6 】 [新潟県]

【 遥かな尾瀬 その6 】 

翌朝、目が覚めると、Mさんがいません。 天候は晴れですが、朝もやの中、屋外の共同浴場の露天風呂にでかけたみたいです。 オヒョウは宿の露天風呂に入って部屋に戻ると、Mさんがまもなく現れ、外のお風呂は今ひとつだったとの事。 中国人らしい湯治客が中から鍵をかけて、浴場を独占してしまい、入るのに待たされたらしいのです。 

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中国の人にとって、日本の温泉に入る事はひとつの憧れです。そして上海から新潟空港経由で奥只見の温泉に来る手間は、伊丹空港から来たMさんの場合と同じです。 これからは外国人が日本の山間の温泉に来る事も多くなるでしょうが、習慣の違いをどうしたものか・・・。互いに不愉快になったりトラブルにならない方法を探さなくてはならないでしょう。

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朝食を食べると、すぐに出発するのがMさんのスタイルですが、今日はノンビリしています。 なぜなら、今日の予定はゆったりしており、湖の観光船の出発は10時だからです。 既に我々は、尾瀬行きを諦め、今日は奥只見の湖を遊覧して帰る事にしたのです。

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宿のロビーや食堂には、巨大イワナの魚拓や剥製が置いてあります。ヤマメのもありますが、どちらもオヒョウの常識を外れた大きさで、キングサーモンではないか?と思ったほどです。Mさんはご子息がルアーフィッシングをされるそうで、彼に見せる為に、盛んに写真を撮っています。

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ちょっと遅いチェックアウトをして、湖岸に歩いて行くと、船着場の近くに立派な鉄骨構造の建物があります。 中を覗いて「おや、これはナックルフォアだな」とMさん。 Mさんは大学時代、ボート部で活躍した御仁で、今でもOBとして、ボートを時々漕ぐのだそうです。この建物は、新潟大学のボート部の艇庫でした。

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「 なんと立派な艇庫を持っているのだ。それになんと恵まれた練習場だろう」と透き通った湖水を眺めてMさんは語ります。名古屋大学のボート部が練習する川は、瀬戸の陶土が流れこんで濁った水なのです。 大自然の冷涼な空気の中、透明な湖水の上で練習できる新潟大学は幸せだ・・。

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実際、大学のボート部が練習するコースとして有名なのは、関東であれば、戸田のボートコース、関西であれば瀬田川の唐橋の付近ですが、どちらも、奥只見湖にはかないません。

「しかし、冬は奥只見では練習できませんよ」

「いや、都会の大学も冬は陸上練習が主体ですよ」

「それにしても立派な艇庫ですね」

「これは、どうやら造船所の跡を利用しているのですね」

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各地の湖には、かなり大型の遊覧船が浮かんでいます。 さて、この船をどこから持ってきたのか?と考えると、夜も眠れなくなりますが、答えは簡単です。普通は、湖岸に造船所を建設して船を作り、その後造船所を撤去するのです。しかし、奥只見では建物を残し、大学の艇庫に流用しているようです。

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「実に恵まれた環境だ。 湖は誰のものでもないから、名古屋大学がこの湖を利用してもいいのだ。夏合宿をここで行うのもいいかも知れないな。しかし、ボートは分解できないし、トレーラーで運ぶというのは大変でお金もかかる。実際には難しいかも・・」

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しかし、その日は、結局朝から午後に至るまで、新潟大学のボート部員は姿を現さず、練習風景を見る事はできませんでした。

「夏休み中だし、こんなに天気の良い日に練習しないなんて、どういう事なのだ?」とやや不満そうですが、オヒョウは

「ひょっとしたら、彼等は下界でスーツを着て会社訪問をしているのかも知れませんね」 実際、昨今の就職難は、オヒョウの学生時代とは比べ物にならないくらい厳しいのです。

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時計はやっと10時になり、銀山平からダムサイトへ行く遊覧船の出発時刻になりました。 その直前に観光バスが何台か到着し、閑散としていた船着場は、人でごった返しています。 船も満員になりました。船の喫水線が下がっているのは、体重の大きいオヒョウが乗っているからだけではありません。

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船から見る銀山湖は、鏡のような水面で、湖岸の景色が映っています。風は涼しく、8月であることを忘れさせます。感じた事を漢詩にまとめたい・・と思いましたが、40分の船の旅ではとてもまとまりません。

絶句にも律詩にも揃える時間はないので、排律という、はなはだ長ったらしい詩にするしかありません。平仄については、下界に戻ってから調べるにしても、例によってでたらめな韻と平仄で漢字を並べます。

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しかし、オヒョウは愚かでした。平仄字典も漢詩名句辞典も引越し荷物の中です。しかも、全ての漢字の平仄を調べるには、はなはだ時間がかかり、引越しと新職場で忙しいオヒョウには、修正する時間がないのです。だから、原案をそのまま記します。 恥をしのんで。 

以下 次号 

    晩夏遊奥只見    晩夏、奥只見に遊ぶ 

朱夏灼灼客子来   朱夏灼灼として客子来たり

求涼風到奥只見   涼を求めて奥只見に至る

夜来驟雨招荷風   夜来の驟雨は荷風を招き

早朝遊銀山湖上   早朝に遊ぶ銀山湖の上

碧水漣少映緑樹   碧水はさざなみ少なくして緑樹を映し

紅鳥未飛海東雲   紅鳥いまだ飛ばず海東の雲

遥看連山南空下   遥かに見る連山は南空の下

多少残雪北陵白   いくばくの残雪は北陵を白くす

君不見漕艇子過   君見ずや漕艇子のすぎるを

孤舟夫子釣魚閑   孤舟の夫子は釣魚して長閑なり

非恨白秋到来遅   白秋の到来の遅きを恨むにあらず

唯嘆今日別離多   ただ嘆く、こんにち別離の多きを


【 遥かな尾瀬 その5 】 [新潟県]

【 遥かな尾瀬 その5 】 

ようやく尾瀬の入り口 御池にたどり着いた時、時刻は午後3時を過ぎていました。そして、そこにあったのは、鉄筋コンクリート製の大きくて豪華なホテルです。そしてアスファルトで舗装された広い駐車場。

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御池から尾瀬沼の方へ続く道には、遮断機があり、一般車の進入を止めています。 その遮断機の向こうから大型バスが現れ、レストハウスの前に停まりました。つまり、尾瀬に行きたい人はそこで有料駐車場に車を停め、とにかくバスに乗りなさい・・・。ということです。

駐車場料金は1回1000円、御池から沼山峠までのバスは片道一人530円です。 沼山峠から尾瀬沼まではさらに徒歩のコースが続くのです。バスに乗りたくない人はどうすればいいのですか?と尋ねれば、「タクシーでも中に入れますよ。でもマイカーはダメです」との事です。

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なんだ、尾瀬というのは随分商業主義ではないか・・。 美しい自然は人間が作ったものではないのに、それをダシにしてチャッカリ儲けてやがる・・とちょっと不愉快になりました。 歩かなければ尾瀬に行けないという事で、足の不自由な人は尾瀬を見る資格がないのかと思いましたが、実はお金のない人も尾瀬には来るな・・という事のようです。

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そして、気になるのは、豪華なホテルです。尾瀬御池ロッジと・・名前はロッジですが、ホテルです。 こんな山の中に随分立派なホテルがあるではないか? ひょっとしたらフロントには蝶ネクタイのコンシェルジェがいて、フランス語で話しかけてくるのではないか?などと思うくらいです。 どうも福島県のど田舎には不釣合いです。

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山や高原の観光地に高級ホテルがあるのは、今に始まった事ではありません。 しかし、昔からのホテルは、それなりに環境に調和しています。例えば、上高地の帝国ホテルは日比谷の帝国ホテルと同じサービスが受けられる訳ではありませんが、上品で高級感があり、それでいて周囲に調和しています。 しかし、バブル期以降、その調和が怪しくなりました。 本来、登山客やハイカーが訪れる場所にシティホテルは不要です。まったくそぐわないのです。

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しかし、贅沢ならば、高級ならば、お客は喜ぶ・・という錯覚がどこかにあるようです。最初はスキー場に豪華なホテルができ、そして高山にもホテルが建ち始めました。 立山の室堂は標高2500mですが、そこにも立派なホテルがあります。 私が立山に登った頃は本当に山小屋しか無かったのですが・・。

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観光立国スイスの場合も、自然の中の観光地に高級ホテルがあります。しかし、鉄筋コンクリートの高層建築ではなく、木造のこじんまりとした建物が多く、景観を壊さないようになっています。日本の山岳ホテルもそれにならえばいいのに・・・。ホテルの場合、豪華にしても上品にはならず、高級感が出せない場合があります。 まあ、それは人間の場合も同じですが。

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そして、もうひとつ、山岳地帯にシティホテル(まがい)があることは、観光客や登山者に誤解を与え、遭難を招く可能性もあるのでは?と余計な事を考えます。

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よく、呆れた登山者の例として、ハイヒールやサンダル履きで、富士山に登ろうとしたとか、街中と同じ軽装で3000m峰に登ろうとした人がいる・・と聞きますが、もし山岳地帯を都市空間の延長と間違える人がいるとしたら、山の観光地にあるホテルにも、責任の一端はあるのではないか?と思ったりします。

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ちょうど、その時、ポツリポツリと雨が降り出しました。もう時間的に尾瀬を目指しても、今日中に帰ってこれません。私達は、再び銀山平を目指して、山道を戻りました。

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宿はホテルではありません。普通の山荘です。それでも露天風呂に浸かり、地元で取れた食材を使った晩ご飯を食べて、ビールを飲めば極楽です。しかし、その夜、大変な雷雨となったのです。稲光は絶え間なく、雷鳴もひっきりなしに聞こえます。

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さて、涼しいのは結構だけれど、こんな天気で明日の予定はどうしたらいいだろうか?と布団の中で考えます。 これでは到底尾瀬には行けないな・・しかし、もともと明日の予定など決めていなかったではないか?と思いながら、オヒョウは眠りにつきました。 

次号に続く

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【 遥かな尾瀬 その4 】 [新潟県]

【 遥かな尾瀬 その4 】 

Mさんと私は、透き通る湖水を左に見ながら、山道を東に進みました。 途中落石注意の看板は数多く、路面上を湧き水が流れている場所も数多くあります。時々湖が見渡せる場所にさしかかると、車を停めて撮影タイムです。 対向車はほとんどなく、人も見かけない、静かな山の中です。

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オヒョウは幾つかの事が気になっていました。

1.尾瀬に辿りつけるだろうか?行けなければMさんに申し訳ないし、かといって、辿りついても困るのです。服は軽装だし、靴だってスニーカーだし、本来、とても尾瀬を歩く服装ではないのです。そして私が尾瀬を歩いたのは遥か昔、もっと若く、今ほど太っていなかった時代です。今、急に尾瀬を歩けと言われて、すぐにギブアップしたら、実に恥ずかしいことです。Mさんは既に60代ですがスポーツマンで、ボートを漕ぎ、テニスをし、ゴルフも上手です。Mさんの前では特に無様な姿は見せたくない。・・・果たして尾瀬に向かってこのまま走るべきか?

2.雪渓はどこへいったのだ?

奥只見や田子倉は、真夏でも万年雪の雪渓が間近に迫り涼しい場所です。しかし、さすがに8月下旬、しかも今年の夏は異常に暑いですから、雪は見えません。遥か遠くの荒沢岳には申し訳程度に小さな雪渓が見えますが、なんら涼しさをもたらす風景ではありません。私はMさんに思いっきり涼しい場所へ行きましょう・・と言って出発したのに、万年雪が近くになければ興ざめではないか・・。実際には下界よりかなり涼しかったのですが、見た目の涼味がなければ面白くありません。 

3.まさか・・熊はいないだろうな?

山中で、まわりに人がいないということは、野生の動物が近くにいるということかもしれません。以前、田子倉ダムに行った時は、帰路にニホンザルの群れに取り囲まれました。サルやカモシカならまだしも、今度はツキノワグマが登場したらどうしようか・・とあたりをキョロキョロします。

Mさんから「どうしたの?」と尋ねられ、「いやまあ、このあたりはニホンカモシカもいるみたいですね」と答えると、「それは面白い。野生のカモシカを見られたらいいね」と気楽な返事です。

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やがて、湖の終点の船着場である尾瀬口に着きましたが、その日の船は既に終了しており、船も人影もありません。辺りには公衆トイレがポツンとあるだけで建物すらありません。 銀山の坑道入口跡を横に見て、そこからは福島県の山道を走る事になります。道路は依然として細く、急なカーブで勾配はきつく、周囲は鬱蒼とした木立という中を進んでいくと、突然、視界が開け、道路の両側の原っぱには白い花が一面に咲いています。

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「オヒョウ君、これは何かな?」「この小さい白い花は蕎麦の花でしょう。ということは蕎麦畑ですね」と言い終わるより前に、「手打ちそばあります」の看板が現れました。そこには普通の民家・・というより鄙びた農家があって、その傍らにバンガローの様な小屋があります。

「ははあ、ここで自家製の蕎麦を食べさせて、宿泊もOKという民宿ですね」 

「オヒョウ君、僕は今回の宿は、こんな感じの鄙びた民宿でよかったのですよ。最近は民宿とかペンションといっても、やたら豪華だったり近代的だったりするけれど、こういう本当の田舎の宿っていうのもいいよね」

「しかしMさん、多分この宿でしたら、インターネットで予約することはできませんよ。あきらめてください」

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泊まる事はあきらめましたが、とにかく車を停めて、Mさんは美しい白い花のそば畑の写真を撮ります。残念ながら、オヒョウは写真を撮り忘れました。 Mさんのデジカメは、オヒョウのカメラと同じメーカーですが、オヒョウのよりかなり新しいタイプです。「オヒョウ君のカメラは、少し旧式ですね。 裏側にある液晶画面が少し小さくて、少しカメラ全体が分厚いですね。だから分かるのですよ」

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Mさんは、最近はデジカメで撮りまくっていますが、以前はフィルム式カメラを愛用していました。 昨年亡くされた奥様と世界中を旅行した時の膨大なフィルムが自宅に残されているそうです。オヒョウと同じ時期にロンドンに駐在されていたのですが、英国全土やアイルランドは勿論、イスタンブールやエジプトにも旅行で行かれました。それ以外に出張で訪問した国も多く、訪問した国の数は、オヒョウなどより遥かに多いのです。それらの記念写真が全て残っているのです。

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これからは時間がたっぷりあるから、膨大なフィルムを整理して、デジタル化してCDRに焼き付けようか・・・などと言っておられますが、ちょっとつまらなそうです。 本当は古い写真の整理などより、新しい風景の写真をもっと撮りたいようです。まだ行った事のない国を幾つか挙げて、それらにも行ってみたいな・・などと語ります。

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それはともかく、福島県の山道は、さらに高度を上げていきます。もう一度美しい蕎麦畑を通過し、人っ子ひとりいない道を走り、車は尾瀬の入り口に近づいていきます。

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平ヶ岳の登山道の入り口を過ぎ、燧ケ岳に近づき、やっと車は尾瀬沼への入り口である、御池に到着しました。

しかし、そこで我々が見たものは・・。

以下 次号

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【 遥かな尾瀬 その3 】 [新潟県]

【 遥かな尾瀬 その3 】 

新潟から奥只見に行くには、高速道路を小出で下り、魚沼を通って、シルバーラインに入る事になります。そこは数年前に中越地震で被害を受けた地域です。しかし、現時点では、既に災害の痕跡はほとんどありません。それでも、注意してみると、建築数年以内の新しい家屋が多い事に気づきます。木造でも3階建てで、1階部分はコンクリート造のベースメントになっています。「随分、立派な家が多いね」「この辺りは豪雪地帯ですから、雪に潰されたり、埋もれたりしないように堅固な家が必要なのでしょう」「それにしても新しい家が多いね。 地震で倒壊した後に建てた家なのだろうか」と鋭い指摘です。 そうです。神戸在住のMさんは、阪神淡路大震災を経験しており、震災の被災地には敏感なのです。

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辺りは、一面の水田です。

「他の地方に比べると、稲の発育が少し遅いようだけれど・・、これも豪雪地帯だから種まきや田植えが、他の地方より遅いからかね?」とMさん。 

「魚沼産コシヒカリは最高級ブランドですから、急いで収穫する必要がありません。晩稲でも、商品価値は高いのです。 ブランド価値が乏しい一般の品種は早場米としてコメの端境期に出荷して、少しでも市場価値を高める必要がありますが、魚沼産コシヒカリはその必要がありません。だから遅く実り、遅く収穫するのだと、私は思います」とオヒョウは答えます。

( ひょっとしたら、人間も同じかも知れない・・・。でも人間のブランドなんて嫌だな )

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なぜか、オヒョウの車の助手席に座ると、皆さん、観察眼が鋭くなり、そして少し理屈っぽくなります。 ああ、でも理屈っぽいのは、運転席のオヒョウの方かも知れません。

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道路はどんどん山間に入り、シルバーラインの入り口に着きました。そこからは、長大トンネルを通って一挙に奥只見ダムに行きます。オヒョウは奥只見の魅力の幾らかは、コースの入り口にある長い長いトンネルであると思います。 

物語の入り口でトンネルの存在は重要です。暗く細く長い道の先が突然開けて、明るい別世界が広がるというドラマチックな展開に、最初に着目したのは、川端康成かも知れません。

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オヒョウはそれほど傑作とは思いませんが・・・「雪国」の冒頭の「国境の長いトンネルと抜けると雪国であった」は名文です。誰もが、その短い文章を経て、物語の世界にすぅっと入っていけます。

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しかし、今同じ体験をするなら、短時間に通過する新幹線の大清水トンネルよりも、奥只見シルバーラインと、その先の奥只見丸山スキー場の方をお勧めします。 この恐ろしく長大なトンネルとその先にある銀世界のコントラストは、日本の奇観というべきものかも知れません。ちなみに奥只見丸山スキー場はあまりに雪が多く、真冬の期間は閉鎖されるという奇妙なスキー場です。

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今回は、真夏ですから銀世界とは無縁ですが、それでもトンネルを出たら、オヒョウ達を別世界が待っていました。 気温はすっと下がって涼しく、ダム湖に注ぐ渓流の水は透き通っていて、水浴びをしたくなるほどでした。実際、岸辺には夏休みの最後を楽しむ親子連れがいて、子供は水に入って遊んでいました。 それでも観光地だというのに人影はまばらで、静まり返っています。平日ということもあるのでしょうが、晩夏の寂しさをちょっと感じます。

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橋を渡ったところには、食堂と土産物店を兼ねた建物が1軒ポツンと建っています。とりあえず、昼食を食べる事にしましたが、適当なメニューがありません。ニジマスの塩焼きというのもありましたが、ちょっと遠慮して下界でも食べられるカレーを注文しました。 全くかわり映えのしないありふれたカレーライスを前にして 「なんだか社員食堂か大学の学食のカレーみたいですね」と言いながら、パンフレットの中身を確認します。

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よく見ると、地図には、銀山平から尾瀬口まで奥只見湖の東側に、くねくねとした道路が書かれています。 すでに午後になり、船の便は無いようですが、これなら自動車で行けます。 「では行けるところまで行ってみましょう」と食事を終えた我々は再び車に乗りました。 

その前にトイレに寄り 「はて、このオシッコは、日本海へ流れるのか、太平洋に流れるのか?」と例によってくだらない事を考えながら、出発です。

道路沿いには既にススキの穂がなびいていて、飛んでいる赤とんぼもアキアカネです。咲く花も秋の花です。しかし、哀しいかな、オヒョウにはその花の名前が分かりません。

そこで、ちょっと古い旧制高校の寮歌を口ずさみます。

「みよ、ソロモンの栄耀も、野の白百合に及かざるを。 路傍の花にゆき暮れて、はてなき夢の姿かな 」

助手席のMさんは、ニヤリと笑います。 彼は旧制八高のあとを継ぐ名古屋大学の卒業なのです。 

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【 遙かな尾瀬 その2 】 [新潟県]

【 遙かな尾瀬 その2 】 

Mさんが到着する新潟空港はちょっと不思議な空港です。 日本海側の地方都市空港ですが、滑走路は複数あります(1本は佐渡島へ飛ぶアイランダー用の短距離滑走路)。 そして環日本海交流というのか、早くから大陸(特に共産圏)からの飛行機が飛来しています。その昔、エア・コリョという北朝鮮の旅客機が飛来していた時期もあります。 

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国内線を見ると、さらに面白い事に気付きます。日本の多くのローカル空港は、東京(羽田)をハブとしたスポークの路線を持ちます。しかし新潟空港には東京行きの便がありません。(中越地震の後、暫く東京行きが飛びましたが)。

その代わりに韓国のソウル(仁川)や上海(浦東)行きの国際線があります。つまり北東アジア地域のハブ空港へ連絡するスポーク路線を持ちます。

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これは言うまでもなく、上越新幹線が便利なので、航空機の路線が成立しないからです。日本では、北東アジアの中心となるハブ空港が無い事、仁川や浦東にその座を取られている事を由々しき問題として考える人がいます。特に一部のマスコミや国土交通大臣など・・・。

彼等は成田と羽田の主導権争いや、長大な滑走路やターミナルビルが足りない事が原因であるとしていますが、実はそれらは瑣末な問題です。航空・鉄道・道路など全ての交通機関を総括した上での、交通行政に関する基本方針が政府にない事が問題なのです。

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新幹線などの地上交通機関の充実で、地方空港から東京への航空路線が成り立たないようにしたのは、政府であり、そのために、存在理由を失った日本海側のローカル空港は、外国のハブと連絡する事で国際線のスポークとして生き残りをかけているのです。その結果、仁川や浦東のハブ空港としての地位を確たるものにしているのです。

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羽田と成田の摩擦を面白おかしく扱ったり、仁川や浦東と比較して危機感を煽るマスコミの報道は、空港整備予算を確保するための演出だったのかも知れません。しかし実際は、羽田空港をハブたらしめていない原因は新幹線や高速道路なのです。

なに、新潟だけではありません。新幹線網が整備されれば、東京行きの国内線を失い、中国、韓国に連絡したがる空港は他にもでてきます。新幹線は関係ありませんが、松本だって静岡だって、その内、中国・韓国線に生き残りをかけるでしょう。茨城空港も同じです。

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新潟空港の場合、ライバルの小松空港より有利な面があります。小松空港は航空自衛隊小松基地と同居しており、共産圏(具体的には中国)の旅客機を受け入れるには、制約があります。 しかし新潟にはそれがありません。環日本海のいろいろな国から飛行機が来ます。

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ウラジオストクからの客はロシア語をしゃべり、上海へ帰る人達は中国語を話し、韓国からの観光客は韓国語を話す、ちょっと不思議なロビーが新潟空港にはあります。

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そして、新潟空港が生き残っているもうひとつの理由は、日本海側には新幹線が無い事です。だから、新潟=大阪便は今でもドル箱です。新潟=福岡、新潟=広島、新潟=札幌便も健在です。 ついにギブアップするのは、新潟=名古屋便だけです。

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その大阪(伊丹)=新潟便に乗って、Mさんはやって来るのですが、彼にはこだわりがあります。

・ボンバルディアのダッシュ8(プロペラ機)は不愉快だから乗らない。

 (同じボンバルディアでも、ジェット機のCRJは構いません)。

・老朽化したMDのジェット機にも乗りたくない。

JALよりANAがいい。

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これはMさんが長年、航空機産業で仕事をしてきた事や、ご家族の事情などから、特別な思いがあった上でのこだわりです。しかし、不思議な事に最近、Mさんの好みに合わせる様に、マスコミはボンバルディアのダッシュ8を叩いています。 高知空港での胴体着陸以降、ボンバルディアのプロペラ機は欠陥機だと言わんばかりですし、経営破綻したJALについても非難轟々です。

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実は経営内容を見る限り、ANAも決していい訳ではなく、営業損益は赤字です。但し、昨年はホテルを売却したりして、表面化しないようにしているだけです。 でもそれはともかく、世の中のマスコミはMさんの好みを肯定するように報道しています。

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しかし、それだけ注文が多いと、大阪から新潟へ飛ぶ飛行機も選ばないといけません。 結局、Mさんは10:40着のANAの飛行機で到着しました。飛行機はボーイングのB737-700です。

そして、我々はポンコツ車に乗り、はるか地平線近くの南の山脈を目指して走り出しました。

以下 次号

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【 遥かな尾瀬 その1 】 [新潟県]

【 遥かな尾瀬 その1 】 

いささか、旧聞ですが・・、この夏、オヒョウは10日間だけ、無職の日々を過ごしました。8月20日に前勤務先を退職し、9月1日に新勤務先に入社したからです。そして、オヒョウの他に、もう一人長い夏休みを過ごした人がいます。

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Mさんは、今年、S財閥のある企業の常務取締役を退任し、毎日が日曜日の日々を過ごしています。  

オヒョウはMさんに大変お世話になったことがあり「一度、新潟に遊びに来て下さい・・」とかねてから、お願いしていました。 

そのMさんに時間ができた一方、私は新潟を去る事になったので、一緒に新潟を旅行するとしたら、8月下旬しかありません。

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オヒョウは、新潟県への観光客には、まず佐渡島の旅行をお薦めしますが、Mさんは既に佐渡島を訪問した事があります。 ではどこをご案内しようか?とうだるような暑さの中で考えました。

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これは新潟県で一番涼しいところへご案内するのがよろしかろう・・と考えたオヒョウは、奥只見を提案する事にしました。新潟県と福島県の県境にある奥只見ダムとその人造湖は、万年雪の雪渓が近くにある、夏でも涼しい場所だと聞いていたからです。 そして、もう一つの理由は、オヒョウ自身も、奥只見をよく知らないので、行ってみたかったからです。

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そこで、Eメールで、奥只見などはいかがでしょうか?とMさんにお尋ねしたのですが、返事は意外なものでした。

「奥只見は尾瀬に近いですね。 尾瀬には行けますか?」

これはオヒョウが思いつかなかった事です。ご存知の様に、本州で最も奥深い場所にある尾瀬沼と尾瀬ヶ原は、福島県、群馬県、新潟県の3県からアプローチできます。そして多くの人が一度は行ってみたいと思う、憧れの高層湿原です。

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オヒョウは昔、群馬県から入り、鳩待峠経由で尾瀬ヶ原に行った事があります。確かにすばらしい景色で、しばらく下界の事を忘れました。ああ、やっぱり尾瀬は素晴らしい・・という印象でした。その分、日常の日々に戻る帰路が憂鬱でしたが・・・。 

だからMさんが「尾瀬に行きたい」と言われたのは、全く無理からぬことで、よく理解できるのですが・・・。

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私の経験から、尾瀬とは群馬県から入るものとばかり思っていたのですが、それは迂闊な思い込みでした。確かに、地図を見ると新潟県経由で、奥只見から尾瀬沼に行くルートもあります。

しかし、手元の地図には、奥只見湖の湖岸の道路は書かれておらず、奥只見から尾瀬に向かうルートは複雑です。

銀山平から尾瀬口まで船で奥只見湖を渡り、その後、バスか徒歩で峠を越えて御池まで行き、さらに東北地方一の高峰、燧ケ岳をまく形で沼山峠まで行き、最後の沼山峠から尾瀬沼までは徒歩・・というかなり複雑なコースが示されています。

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Mさんを朝、新潟空港へ迎え、そして翌日の夕方に新潟空港へ送る1泊2日の小旅行では、ちょっと無理ではないか・・・? 何かいい方法はないだろうか?

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暫く考えましたが、名案は浮かびませんでした。なぜなら、尾瀬沼もしくは尾瀬ヶ原へのアプローチは、どのルートも最後は徒歩の区間が入ります。車を降りたらすぐに尾瀬という訳ではありません。つまり登山やトレッキングの用意なしで気軽に行ける訳ではありません。

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車で直接尾瀬に入れないというのは、自然保護上、やむを得ない措置です。しかし、そこには、山登りやトレッキングをたしなむ人達の「安易な気持ちの一般の観光客には、尾瀬の自然を愛でる資格はない。それなりの対価を支払った者だけが、美しい景色を見る資格があるのだ」という優越感もうかがえて、オヒョウはすなおに頷けません。

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歩くのを億劫に思うのは確かにほめられた事ではありませんが、世の中には足の不自由な人もいれば、時間の無い人もいます。彼等に尾瀬に行く資格はないのか?  それはいいとして、さて困ったな・・。

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私自身は、このうだるような暑さから逃避できれば、尾瀬でも奥只見でも南極でもいいや・・というのが本音です。 尾瀬でなく奥只見湖のような人造湖であっても、大自然の中で、1日ノンビリできれば、上等な夏休みだという考えです。

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では、とりあえず、自動車で近づけるところまで近づき、尾瀬までたどり着けなければ、残りはまた次回・・という事にしようか・・という甚だ行き当たりばったりの計画で、奥只見行きを決行する事にしました。

尾瀬に期待するMさんには、その旨を了解していただき、8月25日の朝、オヒョウは新潟空港へ向かいました。 

以下、次号

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【 信越本線の行方 】 [新潟県]

【 信越本線の行方 】

北陸新幹線開業後の並行在来線の経営問題が、揉めています。信越線は、歴史のある重要な鉄道です。 明治時代、清水トンネルができる以前、東京から新潟への鉄道交通は、長野経由しかありませんでした。だから、新潟県で最初に鉄道が通じた都市は直江津だったのです。 それとて、技術的に困難な急勾配の線路となり、横川=軽井沢間の碓氷峠では、アブト式の線路が導入されましたし、長野=直江津間には、スイッチバックが導入されました。

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その歴史ある鉄道が北陸新幹線の開業で存廃の危機にあります。既に、新幹線が開業している軽井沢=長野間は、しなの鉄道に変身しましたが、経営は厳しいようです。長野=直江津間は、単線で、かつスイッチバックもあり、輸送能力は乏しい訳ですから、経営の困難は、長野以南以上でしょう。

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そして、もうひとつ問題があります。北陸新幹線の開業で、苦境に立つのは、信越線だけではないことです。具体的には、越後湯沢と直江津(六日町=犀潟)を結ぶ、北越急行のほくほく線の経営が厳しくなります。収入の多くを上越新幹線の連絡特急はくたかの、利用客に頼っていたからです。

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北陸本線の直江津=金沢間も並行在来線となり、利用客と収入の減少が予想されます。 いやそれだけではありません。上越新幹線の高崎=越後湯沢間の乗客も減り、乗換駅として賑わっていた越後湯沢駅も寂れます。 新幹線が通らず、乗り換え客も減るであろう直江津駅も同様です。

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しかし、新幹線開業によるマイナス面については新潟県は無頓着です。県知事は新幹線建設工事費用の県の分担金については、いろいろ文句を言いますが、今後継続するであろう旧来のインフラの経営問題については、深く考えていないようです。

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現時点で議論されているのは、第三セクターとして分離独立する信越線は赤字経営が予想されることから、新幹線の営業収入からお金を徴収し、赤字を補填するという案です。 しかし、それで帳簿上の数字はつくろえますが、本質的な改善にならないのは、言うまでも無いことです。

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例によって、奇妙な例えですが、タクシーの登場で人力車の商売があがったりになるから、タクシーの売り上げから一定額を差し引いて人力車夫に支払おうという提案に似ていて、これは後ろ向きの対策です。根本の解決にはなりません。 本当の対策とは人力車夫に、自動車免許を取らせることだとオヒョウは思います。

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では、並行在来線問題について、抜本的な対策、攻めの対策はないか?と言えば、難しいのも事実です。 しかし、やるべきことはあります。

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1.北部 しなの鉄道と北越急行の合併合体。

鉄道事業は典型的なインフラ産業で、ヘッドをできるだけ小さくする必要があります。 本社機能や本社経費を極限まで切り詰めれば経営が効率化します。 それには合併して経営規模を大きくする事が適切です。信越線の長野=直江津間とほくほく線は、どちらも単線・電化区間であり、直江津駅で連絡しています。だから、経営統合する上での条件が揃っています(それでも、問題点が多いのは事実ですが)。

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北越急行ほくほく線の普通電車の車両は、最初から過疎地用として、運行コストを安くするように設計されています。一両または二両の連結で、ワンマン運転が前提です。 一方、現在の信越線は、三両以上の連結が前提で空気を多く運んでいます。ワンマン運転はできず、運転士と車掌が乗務します。

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それなら北越急行の電車を直江津終点とせず、長野まで延長運行すれば合理的です。たしか、ATSの方式も同じだったはずです。

2.民間から広く、浅く資金提供を募る。

地方ローカル線の最大の利用者は、通学する高校生です。田舎では、大人は自家用車を使い、小中学生は、徒歩かバスで移動する距離しか行動しません。 だから鉄道の最大のお客様は高校生です。その彼らから出資を募る訳ですが、簡単ではありません。

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入学時に、学校債と同じ様に、生徒の父母に鉄道債を購入して貰い、卒業時に償還する方法で、資金を集めるのです。生徒や父母は本当に必要な鉄道なら、債権購入に応じるでしょう。 彼らが買わないなら・・・本当に要らない鉄道なのですから・・これは仕方ありません。

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同様に鉄道輸送を活用している周辺企業・事業所にも、奉加帳を回して、鉄道債を購入してもらうのです。妙高高原なら中央電工、二本木なら日本ソーダ、黒井なら信越化学、直江津なら、住金直江津、他にも青海の電気化学工業など、多くの企業があります。 そうして集めたお金をうまく運用すれば、運賃収入の不足を補填できます。

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さらに、信濃川の水力発電所でJRが不正に取水していた問題の罰として、JRが発電した電力の一部を、無償で北越急行に与えるという方法もあります。法律的に問題がないかは不明ですが、県レベルの行政の判断で対応できるのではないか?と思います。

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地方には、存廃を危ぶまれる零細な私鉄が多くあります。濡れせんべいを売って電車の定期点検費用を捻出したり、鉄オタを電車の運転士にしてあげる代わりに授業料をとったり、イベント列車を数多く運行したり、およそ、公共交通機関とは思えないビジネスでお金を集めている会社も多くあります。 それに比べれば、はるかに恵まれている信越線とほくほく線ですが、今のうちから将来予想される経営危機の対策を検討すべきです。しかし、現時点で真剣にその事を考える人はいないようです。

そして問題が表面化する頃には、オヒョウはもう新潟県にはいません。


【 妙高関山の火祭り その2 】 [新潟県]

【 妙高関山の火祭り その2 】 

関山神社の火祭りのハイライトは、松引です。2本の大きな柱松(松明というより、切り倒した木の幹に小枝をくくりつけたもの)に火打石で火をつけ、早く燃え上がった方が勝ちという競争です。勝った方の集落は、その年は豊年満作だという占いになっています。

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しかし、待てよ?と思う事がいくつかあります。一つは、何を燃やすかです。柱松の上に大型の紙製の扇を置くのですが、それには日の丸が描かれています。火を点けるのはその下ですが、当然日の丸も燃え上がります。なんだか国旗を焼くなんて愉快ではないな。どこかの国の反日活動家みたいだ・・・。

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そして、もう一つは火打石です。火打石での着火は難しく時間が掛かる訳で、それが競争になる訳ですが・・・、何ゆえ火打ち石なのか?

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実は妙高連山の中央に火打山があります。田植えの季節を過ぎても山頂部に雪が残る美しい山です。そして連山の中で、両端の焼山と妙高山は火山なのに、中央の火打山は火山ではありません。

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火打ちという名前が付いているのに火山でないとすれば、この山で良質な火打ち石が取れるのかな?とオヒョウは考えます。ちなみに、尾瀬の燧ケ岳では火打石はとれませんが、火山なのでヒウチの名前が付いたのでは?とオヒョウは理解します。

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妙高連山の火打山で火打石が取れるのなら、当然、関山の火祭りではそれが用いられると思うのですが、その紹介がありません。いったい、どんな石を使っているのか?ひょっとしたら、姫川の河原で採れる翡翠を使っているのか?まさかね・・。

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火打ち石の組み合わせとしては、硬い花崗岩やチャートと、鉄(火打ち金)の組み合わせが一番だとオヒョウは考えます。火花がよく飛ぶからです。しかも火打ち金には、炭素や硫黄をふんだんに含んだ鉄が適しています。だから鋼鉄よりも銑鉄の方が火花が多く飛び好都合なのですが、銑鉄や鋳鉄は強度的に脆いのと、火花温度が低いのが問題です。そこで火打ち金にはもっぱら鋼鉄が使われるようです。ちなみに百円ライターの発火石の鉄にはセリウムが含まれているそうです。

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着火の早さを競うのであれば、オヒョウなら火打石や火打金の材質に凝って、いろいろ試すのですが、そういう事はしないみたいですね・・。

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祭りは、いよいよクライマックスで、柱松(に付けてある紙)に着火する競争になりましたが、なかなか火が点きません。

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理由はいろいろあります。オヒョウが思うのは、梅雨時の高い湿度です。この火祭りは、毎年7月中旬に開かれます。まさに梅雨が明けるか明けないか・・という時期は、高温多湿で、全てがジメジメしています。特に梅雨の末期は集中豪雨型の雨が降りますから、雨の翌日でも、翌々日でも湿っているものはなかなか乾かないのです。だから、必死に火打石を叩いても、火はなかなか点きません。

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ではなぜ7月なのか? それは、祇園祭に合わせる為という理由だそうですが、オヒョウは別の事を考えます。

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6月末から7月にかけては、地元の農家が、ちょうど田植えを終えて、祭りの準備に充てる時間を確保できる時期です。その後の農繁期である稲刈りまでは時間があります。(もっとも夏の間も、田の草刈などでそれなりに忙しいようですが)。

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そして7月は、夏山登山も可能な時期で、山岳修験者が妙高山に登るのに適した季節です。

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だから、この時期に火祭りを行う・・・とオヒョウは考えますが、火が点かないのも困りものです。

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観客は柱松の周囲を取り囲み、至近距離からカメラを向け、火が点くのを今か今かと待ち構えます。点火役の青年は、必死になって、ケッポケッポと火打石を叩きますが、うまくいきません。

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オヒョウは思わず心の中で観客に向かって叫びました。

「 そんなに近づいてはいけない! こっそりチャッカマンを使って火を点けようにも、こんなに監視されていては、それができないじゃないか! 」 

以下 次号


【 妙高関山の火祭り その1 】 [新潟県]

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【 妙高関山の火祭り その1 】

 7/17は妙高関山神社の火祭りの日でした。オヒョウにとって、上越・妙高の夏は今年が最後です。 そこで、以前この火祭りを調査し論文にまとめたY博士と一緒に見学にでかけました。

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火祭りについては、知りたい事が幾つかあります。例えば、世界中の火祭りに共通性はあるのか?という点です。日本には・・或いは世界には、火祭りと呼ばれる行事がたくさんあります。それらに何か共通したものはあるのか?

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Y博士に尋ねると

「山岳修験者が入山修行の行事として行う火祭りと、例えばお盆に先祖の霊を迎えたり送ったりする際の火祭りでは、理由や意味合いが違うので別物と言うべき。昼に行う火祭りと夕方・夜間に行う火祭りで分類する事も可能」との事です。

「では東大寺二月堂のお水取りなどは?」

「東大寺二月堂のお水取りは、上記の2種類には分類できないし・・・、よくわからない」との返事です。

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東大寺のお水取りについては、作家松本清張が、ゾロアスター教が日本に伝わり、お水取りの行事に変化したのではないか?という大胆な仮説を唱えています。しかし専門家は簡単にその仮説に頷きはしません。

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火は古来神秘的なものです。 光を発し、熱を出し、しかし実体として掴む事はできないし、発生と消滅がある・・・だから宗教行事に神秘性を持たせるにはちょうどいいのです。ということは、世界中に火祭りがあってよいということであり、統一的に説明しようというのは無意味かも知れません。

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Y博士に訊くと、関山の火祭りと、その翌日に行われる飯山小菅神社の火祭りの共通点を議論する事は意味がありそうですが、火祭り全体について考えると議論が発散するだけになりそうです。

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もう一つは、仏教と神道との関係です。関山神社は、現在は関山大神ですが、以前は天台宗の寺院であった事が明らかです。そして神仏習合の長い期間、両方が混在した寺院であった訳です。その痕跡はあるか? Y博士によれば、明治期の廃仏毀釈により、仏教寺院の痕跡はなくなっているのですが、今回は社殿の奥の方に、関山権現と書いた大型の提灯を確認しました。sekiyamadaigongen.JPG

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権現・・とは垂迹説に基づき、仏が日本の神の形で現れたものですから、神仏習合の思想の名残とも言えます。関山権現の場合は阿弥陀如来の化身なのか?と思いましたが、仏像は非公開でありオヒョウには確認の術がありません。

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オヒョウたちが神社に着くと、既に祭りは始まっており、行列などは終わっていたようです。そして社殿での祝詞が終わると仮山伏による、棒使いの演技披露です。

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その会場に行くと、周囲は見物客とカメラが並び、大混雑です。Y博士は、以前一緒に仕事をした教育委員会の人と話をしたり、マスコミのインタビューを受けたり、それなりに忙しそうです。

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会場では演技を行う、仮山伏に扮した6人の地元の青年が紹介されます。皆、派出な衣装を着ています。選ばれたのは地元の家の長男で未婚の人です。

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しかし不思議です。普通、多くの宗教儀式では、未婚の女性が穢れなき存在として尊ばれますが、未婚の男性を穢れなき存在とするのはあまり聞きません? 女人を穢れたものとする山岳宗教固有の発想なのでしょうか?

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棒使いは、昔の武術(剣術、棒術、薙刀術)などの技を様式化して、一種の舞にしたものと思いますが、正直なところあまり上手とは思えません。日本の武道は、試合での強さの他に型の美しさを求めます。型の演技の美しさを追求した先に、この火祭りの棒使いがあるのでしょうが、この演技は実際の武術の鍛錬からは隔絶したものになっているな・・・という印象を受けました。かつて宝蔵院での槍術の修行が盛んだった頃は、もっとリアルな舞いが見られたのかも知れません。

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注目のポイントは、仮山伏が最後に行う、印を結ぶ行為です。真言または天台の「九字きり」と思しき動作を行うのですが、あまりに動作が速すぎ、目で追いかける事ができません。ビデオに撮る事もできません。少し残念です。

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棒使いが終わると、祭りのハイライトである「松引き」です。これは、2本の柱松に競争で火を付け、その年の豊凶を占うというもので、ポイントは火打ち石での点火です。

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しかし、オヒョウはその様子を見て、再び「アレッ?」と思う事がありました。 

以下 次号


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