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【 三々九度はシャンペンで 】 [ベトナム]


【 三々九度はシャンペンで 】

 

今日は、やけに結婚式が多いみたいだ・・。 16日、フーミィからホーチミン市へ向かうタクシーは国道51号線を飛ばします。その途中で何台もの結婚式の車とすれ違います。ピンクの造花とリボンで飾り立てたセダンは、一目で新郎新婦の為の自動車だと分かります。

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ベトナムにも大安吉日というのがあるのかな?

媒酌人は「本日はお日柄も良く・・」なんてスピーチをするのかな?ベトナム語で・・。

実は私も、ベトナム人の友達の披露宴に出席するためにホーチミン市に向かっているのです。

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その国に住む人達の心情に触れたければ、喜びの儀式と悲しみの儀式に出席するとよい・・というのが私の考えです。ベトナムの人を理解するためには、結婚式とお葬式に出席するのが適当だ・・と私は考えた訳です。残念ながら、今回はキリスト教の教会で行われる結婚式には出席できず、披露宴だけの出席となります。

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そもそも、ハレの日にベトナムの人はどんな晴れ着を着るのだろうか?

考えてみれば、この国に来てから私は作業服の人々しか見ていないような気がします。工場の作業服だけでなく、ホテルの人もレストランの人も制服です。そうでない人も普段の仕事用の服の人ばかりです。

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やはり、ベトナムの人の正装はアオザイなのかな? もし洋服だとすれば、この暑いホーチミンでどんな服を着るのかな?・・といろいろ興味があります。

やがてタクシーは、ホーチミンの都心にある公園近くの大きなレストランに到着しました。 披露宴は3階の大広間で行われます。

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会場に入ると、出席者には、ベトナム人だけでなく多くの外国人がいます。実に国際的です。大学で日本語と中国語と韓国語を学んだ新郎、同じく大学で日本語と英語を学び、それらを自在に操る新婦という組み合わせで、彼らの友達関係というか人脈は世界中のようです。

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会場では、ベトナム語に日本語、英語に中国語が加わり、さらに韓国語も聞こえます。ちょっと気後れしますが、「なあに、僕だってたくさんの言葉を話せるぞ。茨城弁に金沢弁に、標準語に、横浜弁だって理解するのだ・・」と、人混みの中に入っていきます。 出席者は、普通の洋服のドレスの人もいれば、きらびやかなアオザイをまとった女性もいます。新郎のおばあさんの着る服は、青地の絹に金の刺繍をした上品なものです。 

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困ったのは日本から駆けつけた新郎の友人の日本人達です。ベトナムは暑いから・・と上着なしの半袖シャツで現れたのですが、会場はガンガンに冷房を利かせています。それはそうでしょう。ベトナム人だって、正装のスーツを着こめば暑い訳で、室内の温度は、20度台の前半です。

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東南アジアは、ながく欧米の植民地でしたから、建物の空調の温度は西洋人に快適な温度に設定される事があるのです。 シンガポールのホテルも、外は炎天下でも、室内は英国の気温に合わせてありました。

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中国もベトナムも披露宴は、始まりと終了がはっきりしません。三々五々にテーブルに着いて、勝手に飲み食いを始めます。 終わりの方も、正式の合図はなく、コースの料理が出尽くしたな・・という頃合いを見計らって退席しますが、慣れないうちは、どうもしっくりきません。

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飲み物を飲み始めて暫くすると、新郎新婦が登場し、拍手が湧きます。その後は、日本の披露宴と似ています。三三九度の様に、お酒を飲み、ウェディングケーキにナイフを入れますが、三三九度は、ちょっとスタイルが違います。新郎新婦、そしてその両親の合計6人がステージにあがり、シャンペングラスで乾杯するのです。

ベトナムの女性は、普段お酒を飲みませんが、この時ばかりは例外です。

それに欧米風の考えを持つ新婦は、お酒も普通に飲むみたいです。

こころなしか、新婦の父親だけが元気が無いように見えますが、それは私の気のせいかな?

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その乾杯も日本とは少し違います。

日本だと飲む前に、杯を掲げて、発声するのですが、ベトナムの場合は、飲む瞬間あるいは、飲んだ直後に発声するのです。その声は「なんとかヨー」と言っているように聞こえます。 「なんとか」の部分には、その都度違う単語が入ります。

例えば、あなたの健康を祈ってとか、結婚を祝してとか、プロジェクトの成功を期して・・という具合に変化するので、私には聞き取れません。

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やがて、多くのテーブルで「✕✕ヨー」といって乾杯が始まります。

ステージでは芸能人の歌や楽器演奏が始まり、新郎の父親も飛び入りでカラオケで歌い始めます。ラ・ノビアとか、私にも分かる曲がありますが、ベトナムの歌になると全く分かりません。多分、ベトナムのおめでたい歌なのでしょう。

「皆さんご一緒に」と言われても、私はとても舞台に立つ勇気はありません。

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その間にお色直しをした新郎新婦は、各テーブルを回って挨拶です。私は料理を食べる事に余念がありません。

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「この中華料理のコースはとても美味しいですね。広東料理ですか?」と尋ねると、同じテーブルに座った、新郎の大学の後輩だというベトナム人男性が、

「これは典型的なベトナム料理です。ベトナム料理はタイ料理と似ていますからタイ料理と間違える人はたくさんいます。でも中華料理とは随分違いますよ」と流暢な日本語で説明してくれます。

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同じテーブルに着いた岡山からの日本人は、それを聞いて、笑いをこらえているのか、私から視線をそらしています。 そう言えば、暫くベトナムに暮らしているけれど、本格的なベトナム料理なんて食べていないなぁ。 ホウといううどんや、ニョクマムという発酵食品、細身の春巻きぐらいしか知りません。 本格的なベトナム料理は初めてです。 魚介類、特にエビやカニを美味しく料理し、そして甘味に多くのバリエーションがあるようです。

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自分が食べたごちそうの写真を見せびらかすのは、「笑うオヒョウ」の趣旨ではありませんが、今回はコースの一部を写真でお載せします。

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付け合せのパンはかつての宗主国 フランスのパンの味です。

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果物(ライチーのような味)をコップに入れてシロップと一緒に口にします。

その後、チョコレート・クッキーを頬張るデザートです。

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やがて宴は、終わりに近づき、日本からの出席者がポツリとささやきました。

「新郎も秀才だけど、新婦はそれに輪をかけた才色兼備だ。それにあの眼差しを見ると、気も強そうだ。こりゃきっと、Ngo Thai Danh君は尻に敷かれるぞ」

それについては、私も同感です。日本語の実力をみても、花嫁の方が上ですし、頭の回転も速そうです。 前回、会った時には、未来の夫をたてていましたが、ひょっとしたら結婚後の新家庭の主導権は奥さんが握るかも知れません。 それにもともとベトナムには、かかあ天下が多いそうですから・・。

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そして、私は別の事を考えていました。新郎新婦だけでなく、披露宴に出席した若い人々を私は眺めていたのです。 ベトナム全体をみるとまだまだ貧しいけれど、都会には裕福な若い人々が増えてきている。彼らには高い能力があり、ベトナムの経済を発展させていくに違いない。

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ちょうど、10年くらい前の中国のようだ。 中国はその後、めざましい経済発展を遂げたけれど、貧富の差はさらに拡大し、社会の歪は増大してしまった。 それどころか、中国はこれまで労働対象年齢となる若年層の人口が増え続けるという「労働人口のボーナス」を享受してきたけれど、今年をピークに労働人口は減少に転じる。多くの社会矛盾を解消できないまま、高度成長にはブレーキがかかるのだ。

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しかし、ベトナムの若年人口は増え続け「労働人口のボーナス」はなお当分享受できる。 国はまだ貧しく経済発展の余地は多くある。 この国のジニ係数がどれくらいか知らないけれど、中国ほどではないだろう。 貧富の差が増大しないようにコントロールし、かつ政治の腐敗・汚職を防止出来れば、この国の未来は明るいに違いない。できれば、またこの国に来てみたい・・・20年後くらいに。

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フーミィに帰るタクシーの中で、私はそんな事を考えました。

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新郎新婦の横に立っている、邪魔な大男が私です。


【 ベトナムの義経 】 [ベトナム]

【 ベトナムの義経 】

 

去年から年明けにかけて、私がおじゃましているベトナムの工場の設備には、こんな標語がかかっています。

「 Tái nguyên có han, Trí tué vô han. 」

(資源有限、智慧無限)という意味で、智慧の合理化を進めよ・・という当たり前の言葉ですが、nguyenという単語が気になります。 これは資源とか源という意味なのだそうですが、人の姓としても、もっとも普通の名前です。発音はグエンです。

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ベトナム戦争の当時、南ベトナムのリーダーだったのは、グエン・バン・チュー、グエン・カ・オ・キといった「グエンさん」ばかりです。この工場の設備担当で、優秀かつ幹部候補の青年もnguyen(グエン)君です。

「すると、君の名前の元の意味は、源という意味かね?」と尋ねると「そうです」とのこと。 そう言えば、日本語の源の発音 ゲン“とnguyen君の発音”グエン“は、ちょっと似ているように思います。

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ひょっとして、nguyen君の名前を漢字で表すと「源」になるのかな?

「実は、ベトナムも昔は日本と同じように漢字文化圏だったようです。ですから単語の多くには対応する漢字があるはずなのですが、よくわかりません。フランスの植民地だった時代にアルファベットの使用を強制され、アジアの文字はベトナムから姿を消したようです。気の毒なことです。」と語るのはベトナムに駐在するMさんです。

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一緒にベトナムに滞在する中国人は、ベトナム語のいろいろな単語に対応する漢字を知っているようで、それを元に中国語で発音しますが、うまく通じません。これは日本の漢文や漢詩を現代中国語で発音して、日本人に話しかけるようなもので、うまくいくはずもありません。しかし、ベトナムがかつて漢字文化圏であったことは疑いないみたいです。

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ひとつの民族が、文化が持つ言語を取り上げて禁止することは、犯罪です。それと同様に文字を取り上げることも犯罪です。 かつてフランスは文字を持たなかったアフリカを征服した時と同じように、豊かな文化を既にもっていたインドシナ半島を植民地にする際、文字を取り上げたのです。 漢字を失ったベトナムは、元の意味と発音は残ったのに、表意文字がなくなりちょっと不思議なことになっています。

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では一体、グエンとは何者か? そこで私は、妄想をたくましくします。

かつて、源頼朝に追い詰められ、衣川の戦いに敗れた義経は、本当にそこで死んだのか? ご存知、とんでも学説には、義経は大陸に渡り、ジンギスカンになったというものがあります。 慶応大学の文化人類学の佐藤仁先生は「モンゴルに行って見たパオという住居の上に翻っていたのは、まさに源氏の白旗だった」と語ります。

また源義経という漢字を当時の大陸の発音で読むと、ゲンギギャンとなりそれが訛れば、ジンギスカンになるという説もあります。 本当かね?

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私は、全く別の仮設を立てます。源義経はジンギスカンになったのではなく、逆にジンギスカンに対峙する方に立ったのではないか? 衣川の戦いに敗れた義経は、船に乗って、武蔵坊弁慶や伊勢の三郎義盛、常陸坊海尊らと共に、漢字文化のあったベトナムに渡ったのではないか・・というトンデモ推理です。

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日本の衣川の戦いの後、やがてジンギスカンによって築かれたモンゴル帝国はユーラシア大陸を席捲します。しかし、アジアの国々の中でモンゴル帝国に征服されなかった国が2つあります。ひとつは日本、ひとつはベトナムです。日本については言うまでもなく、鎌倉武士の活躍と神風の到来で、蒙古軍は全滅したのですが、ベトナムがモンゴルの脅威に超然としていられた理由が分かりません。

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一説には、越南を攻撃しようとした蒙古軍は、熱帯の伝染病に苦しんだとされます。猖獗を極めた流行病で、戦力を失った蒙古は、東京(トンキン)、越南を征服することを諦め、退却したとの事です。

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そうでなくても、乾燥したステップ気候の草原で縦横無尽に動く騎馬軍団が、モンスーン気候の森林を超えて、ベトナム中部の首都にたどり着くのは一苦労です。モンゴルがベトナムを侵略できなかった理由は、確かにあります。 

でもそれだけでしょうか? ひょっとしたら、ベトナムには騎馬戦に強い侍大将がいて、蒙古軍を撃退したのではないか?・・・と私は想像します。 それは日本を脱出した源義経ではなかったか? そして、それがグエンさん達の先祖ではないか?

ロマンというより妄想を思わずたくましくする訳ですが。

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ベトナムは戦争に強い国です。アメリカと戦争して唯一、負けなかった国です。その直後に勃発した、中国との「ベトナム懲罰戦争」では、鎧袖一触、中国の人民解放軍を蹴散らしました。ひょっとして古代の名戦略家の伝統が息づいているのか?

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「グエン君、君のご先祖は、ひょっとしたら、日本の高名な侍大将だったのかも知れないね」

「いや、まさか、そんなことはありませんよ」と、ちょっと出っ歯のグエン君は笑います。そう言えば、源義経も反っ歯だったと、物の本には書いてあります。

019s.jpgホーチミンで一番高いビル

 

004s.jpg泊まっている宿の玄関


【 褐色の道路 】 [ベトナム]

【 褐色の道路 】

 

飛行機はベトナム中部のダナンのあたりから陸地の上空に入り、緑の森の上を飛びます。熱帯の大地の上には、積雲がところどころに浮かび、地上にはサーマル(熱上昇気流)が随所に発生していることが伺えます。グライダー乗りがみたら、喜びそうな風景です。

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そこに時々、緑の大地を引っ掻いたように、建設中の高速道路が現れます。

上空からだと、縮尺が正確ではないのですが、概ね片側2車線から3車線の幅の、草木の無い空間が一直線に森を切り裂いています。色は熱帯固有の明るい赤褐色のラテライト系の土壌の色(早い話が赤土の色)です。・・・ということは、未舗装なのであり、まだ建設中なのだ・・と思っていると、土埃をあげて自動車も走っています。ということは、既に供用区間なのかな?とも思え、だんだんわからなくなってきました。それと同時にこれは面白いぞ・・と思えてきました。

ベトナムには未舗装の道路が残っている。これをどう舗装していくのか?

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今、世界の開発途上国には、中国の資金がばら撒かれています。特に資源があると思われる国には集中的に援助し、その採掘権をわがものにしようとします。また資源の無い国に対しても、彼らの盟主が誰で、国連総会ではどの国の意見に賛成票を投じるべきかを分からせるために、資金援助を惜しみません。

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これは、最近中国が経済的に豊かになったからですが、実は大昔からのスタイルです。冊封体制下、中華の中心にあるシナは周囲の国からの貢物を上回るおみやげを与えて、自らの権威を保っていました。 だから柵封の国も朝貢する国も、シナを讃えて自らのプライドを捨てる代わりに実利を得ていました。 それが近代になって廃れていたのは、単に中国が貧しく、周囲にお金をばら撒けなかっただけのことです。

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しかし、中国にまつろわなかった国が2つあります。日本とベトナムです。ベトナムと中国の恩讐の歴史については、語るときりがないので、ここでは触れませんが、ベトナムと中国の国家関係は現在最悪です。

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中国からの援助が無いなら、ベトナムの道路建設は日本がODAで援助して行うのかな?と考えますが、よくわかりません。 そして私は、誰がお金を出すかではなく、どんな道路にするのかな?と考えてみました。

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実は道路舗装・・といっても単純ではありません。その時代の背景、その国の固有の事情が反映されます。

昭和30年代、日本の国道の多くはコンクリート舗装でした。しかし今は多くの区間がアスファルト舗装で、コンクリート舗装は一部の区間です。この切り替えは昭和40年代に進行しました。

コンクリートとアスファルト、それぞれに性能上の長所・短所がありますが、日本の場合は、それとは関係なく、モータリゼーションの進行にともなってアスファルト舗装が増えていったのです。自動車の普及、ガソリンや石油の消費量の増加にともなってアスファルト舗装が増えて行きました。

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いうまでもありませんが、瀝青(アスファルト)は石油を精製する際に取り出される一種の残渣です。石油の輸入量が増え、国内で精製される量が増えれば副産物のアスファルトの発生量も増え、そこで道路舗装が高価なコンクリート舗装から安価なアスファルト舗装に切り替わります。つまり、自動車が増えてから道路はアスファルトになるのです。中国ではこの切り替わりは2000年代に一斉に進行しました。

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しかし、東南アジアの、もともと道路の無かった国、或いは未舗装だった国では、最初からアスファルトで舗装されます。モータリゼーションが道路建設より先に来た国です。今のベトナムはそのスタイルです。でもこのスタイルが変化するかも知れません。

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世界的に化石燃料の消費量は増加傾向です。同時に原油価格も高値に張り付いたままです。当然アスファルトの生産も増えると思われましたが、ここにきて化石燃料の世界に劇的な変化が起きています。それは頁岩層から採取される天然ガスの1種(シェールガス)の台頭です。それ以外にも、油頁岩から採取されるシェールオイルや、砂まじり層から採取されるタールサンド、燃える氷として知られるメタンハイドレードといった、新顔が多く登場しています。 特にシェールガスの将来はバラ色で、米国はエネルギー輸入国からエネルギー輸出国に転換する見込みで、経済も好調です。

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もう20年も前ですが、川崎のご隠居が「アメリカは原油価格の高騰を意図的に行なっているのかも知れない。なぜなら原油価格が一定以上になれば、シェールオイルの生産がペイするようになり、米国は一挙にエネルギー輸出国に戻るから・・・」と言っていました。

当時、石油輸入国でオイルショックの度に大打撃を受けていたアメリカが原油価格の上昇を望むなど・・・まさかと思っていたのですが、それが現実になります。

ただ、違うのはシェールオイルではなくシェールガスですが・・。

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天然ガスが化石燃料の主役になれば、多くのことが変化します。

自動車に天然ガス使用車が増えれば、大気汚染は軽減し、CO2の排出量も減ります。火力発電所も同じことです。しかし、燃料はそれでいいのですが、非燃料であるアスファルトの生産が減ってしまうかも知れません。 するとアスファルト舗装からコンクリート舗装に戻るのか?

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シェールガスの登場は既にいろいろな分野に影響を与えています。

古典的な天然ガス井から採取する天然ガスは、コスト的にペイせず、生産が止まってしまいます。そのため天然ガス井から副次的に生産回収されていたヘリウムガスが生産されなくなり、世界の産業界でヘリウムガスの不足がパニックを起こしています。身近なところでは、舞浜駅でも東京駅でもディズニーランドの風船を持った子供たちを見かけなくなりました。ディズニーが風船を売れなくなったからです。

やがて、ヘリウムガスの風船はとても高価なおもちゃになるかも知れません。

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古典的な石油が化石燃料の王座から降りる時、ヘリウムガスと同様にアスファルトの生産も減り、値段が上がるかも知れません。その時、道路舗装は再びコンクリートへ戻るのか?幸いな事にセメント原料に不足はありません。

セメントには石灰石からつくるポルトランドセメントと溶鉱炉のスラグからつくる高炉セメントの2種類があります。世界的にみると、鉄鋼の生産量はうなぎのぼりであり、高炉スラグの発生量も増えています(主に中国で発生していますが・・・)。

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ですからコンクリートは高炉セメントからつくればいいのです。舗装の下の路盤材も、かつては砕石が主体でしたが、これからは高炉スラグや転炉スラグを用いれば、安価で便利です。

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ベトナムには本格的な銑鋼一貫の大型製鉄所はありません。しかし近い将来完成します。今の赤茶けたベトナムの道路はやがてコンクリートの白い道になるのか、それともアスファルトの黒い道になるのか・・・。

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ここでもう一つ考えるべきことがあります。

実は直線の高速道路は、軍用機の滑走路にもなります。高速道路の滑走路への転用を最初に考えたのはヒトラーですが、現在、アウトバーンは立体交差が多く、滑走路になりません。

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日本の場合は、高速道路はクロソイド曲線に沿って湾曲しており、しかも取り外せない中央分離帯があるため、滑走路にはなりえませんが、外国では滑走路に転用可能な高速道路をしばしば見かけます。

スェーデンや台湾では、定期的に高速道路での離発着訓練をしていますし、韓国も滑走路に転用可能な区間を持っています。 滑走路に転用される区間は上空の飛行機の窓から眺めれば一目瞭然です。 なぜならジェット機の滑走路はコンクリート舗装である必要があり、高速道路もその区間は「白い舗装」になるからです。勿論、その区間は直線です。

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ベトナムの場合はどうなるのか? もし、将来再び中国と戦争になったとしたら、中国は真っ先にベトナムの空軍基地と飛行場を破壊するでしょう。 そうなると、高速道路の滑走路転用はひとつの選択肢になります。

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次にベトナムの道路を上空から眺めた時、赤土色のままなのか、それとも黒いアスファルト舗装になっているのか、或いは白いコンクリート舗装になっているのか、ちょっと興味があります。


【 戦争を知らない子供たち 】 [ベトナム]

【 戦争を知らない子供たち 】 

タンソニュット国際空港・・とは懐かしい名前です。昭和の子供だったオヒョウはベトナム戦争末期にテレビに映ったタンソニュット空港を覚えています。 サイゴンまで迫った解放勢力に囲まれて、国外に脱出する米国人や南ベトナム人が集まり、米軍の輸送機で離陸していったのがタンソニュット空港です。 

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そして、今そこに着陸すれば・・現代のベトナムを象徴するような風景があります。ベトナム戦争の名残というかモニュメントとして残る米軍の軍用機の残骸。鮮やかな黄色の南ベトナム航空の旅客機が格納庫に残っています。もちろん、今は飛ばないでしょうが。一方、民間空港としての新しいターミナルビルは日本のODAで建てられました。ドイモイ政策でそれなりに経済の活性化を図るも、やはり経済先進国の助けを借りなければ成立しない社会です。

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そして威張る公務員。 出入国管理官の尊大な態度は、この国が社会主義国家で警察国家であることを示します。 ベトナムでの日本人の評判はすこぶるいいのですが、それでも外国人です。 どこから見てもビジネスマンに見えるはずの私も含め、ビザ無しで訪れるのは短期滞在の旅行者ですから、当然帰りの航空券を持っているはずで、それを見せろ・・と要求してきます。

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昔なら、ノンカーボンの薄い紙を綴じた航空券の綴りや、硬い紙の航空券があったのですが、E-チケットの現代は、パソコンからプリントアウトした紙だけです。バーコードの付いたその紙を見せると、係官は「こんなものが航空券か?日本語で書いてあったら読めないじゃないか?」とへたくそな英語で無理難題を言います。「これしかない。ちゃんと帰りのフライトの期日が数字で書いてあるじゃないか」と言っても通じません。

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押し問答をした後、私の後ろを見れば、ずらっと順番待ちの列ができています。その光景を見て、仕方なしに係官は「通ってよし」と私を通します。

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外に出れば、あきらかに雲助タクシーと思しき白タクの群れと、客引き。そしてゼロの数が多すぎて目がくらむ紙幣をやりとりする超インフレの社会。この国は米国との戦争に本当に勝ったのか? 実態はかろうじて負けなかっただけで、社会インフラは破壊され、国家の復興に必要な若い人々はあまりに多く戦争で殺されたために、国家建設が他の東南アジア諸国に比べて大きく遅れてしまった・・ということです。

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そして、そのベトナムの経済を担っているのが、若い世代、つまり20代、30代の人達です。それはすなわち戦後に生まれた人達です。

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今から約40年前に「戦争を知らない子供たち」というフォークソングが流行りました。それを聞いた私の母は、無性に腹がたったと語ります。なんのかのと言っても、戦争を経験した世代は被害者です。その犠牲の上に平和を謳歌する戦後生まれの世代がいます。それなのに、「戦争を知らないというだけで、若いというだけで差別される・・」という被害者意識に近いものを訴えるその歌はけしからん・・という訳です。

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「戦争を知らない子供たち」を歌った、ベビーブーマー達はやがて日本社会の主役になり、政治・経済の面で主導権を握りましたが、彼らがリードした時代とは、日本の衰退を招く時代でした。1969年をピークに盛り上がった学生紛争は、過激な新左翼集団を生み、一方で日本の教育を荒廃させました。経済では拝金主義の極致のようなバブル経済を生み、それが弾けてからは、失われた20年という不景気の時代に突入し、世界の中での日本の存在を矮小化させていきました。 初等教育では「ゆとりの教育」が流行し、高校生段階での平均学力は先進国とは言えないレベルに下がりました。 かつて学力テストをすれば、日本の生徒はイスラエルと並んで世界のトップクラスだったのに・・。

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ベトナムの「戦争を知らない子供たち」は日本より30年遅れて登場しました。しかし、「ベトナムの戦争を知らない子供たち」は日本のそれとちょっと違うようです。髪の毛を伸ばしません。 学生は学園を破壊せず勉強にいそしみます。社会に染み付いた貧困の匂いは消すべくもなく、多くの人が勤勉に働きます。

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ベトナム料理のおいしい店を紹介してくれたJ君は今30歳、日本風に言えばフリーターですが、自分の人生計画も明確で、勉学と仕事に努力を惜しまぬ勤勉家です。大学では日本語を専攻しましたが、調べてみれば、中国語と韓国語の授業も無料で受けられると分かったので、それらもついでに勉強した・・・という具合で、多くの外国語を話します。 私オヒョウなどは、日本語ですら怪しいというのに・・・、彼の才能と努力は見上げたものです。 語学だけではありません。私が切り出す種々雑多な話題にちゃんとついて来ます。ドイモイ政策の長所と短所、ホーチミンの考え方、パリ・コンミューンの話、ニョクマムの話、ハロン湾の美しい風景・・・。どんな話題についても、自分の考えを明確に持っていて、的確に説明します。

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こんな人物がベトナムの「戦争を知らない子供たち」なら、おそるべきことだ。いや、ベトナムだけではありません。 アジア各国には、遅れてきた「戦争を知らない子供たち」がたくさんいます。中国では、戦争よりも愚かで悲惨だった文化大革命を知らない子供たちが、社会の中心になりつつあります。中東諸国では今でも紛争は続いていますが、第四次中東戦争を知らない世代が台頭しています。日本と違うのは、彼らは一様に勤勉で、楽観的で、上昇志向だということです。

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かつて昭和の時代、肥満漢の未来学者だったハーマン・カーンは「19世紀は英国の時代、20世紀は米国の時代、21世紀は日本の時代である」と日本を持ち上げました。残念ながら彼の予想は外れましたが、21世紀がアジアの時代になることは確実かも知れません。

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1960年代、アジア・アフリカに新興国が雨後の筍のように登場したとき、それらの低開発国もしくは開発途上国は、じゅっぱひとからげに、AA諸国と呼ばれました。しかし、それから50年経ち、アジアとアフリカでは大きな差がでました。アジアの戦争は長く続きましたが、その後のASEAN諸国を中心にした経済発展は目覚しく、アフリカに大きな差をつけています。その違いは何に由来するか? それは多分、アジアの「戦争を知らない子供たち」の奮闘です。

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長く経済が低迷し、地盤沈下を免れない米国を中心とした西欧諸国や日本。一方で活況を呈する東南アジア経済。 やはり戦争に勝ったのはアジア側だったのか?

英国のことわざに「戦いに於いて、力で相手を屈服させるのは、たかだか半分勝ったことにしかならない」という言葉があります。 では100%の勝利とは何時訪れるのか?ベトナムの場合、本当の勝利は、戦後生まれの「戦争を知らない子供たち」がもたらすのでしょう。それは経済に於いてアジアが西欧を凌駕する時です。

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「ベトナムが、ベトナム戦争に本当に勝利するのはこれからであり、君たちが勝ち取るのだろうね」とJ君に言おうとして、私は止めにしました。 その代わりに「戦争を知らない子供たち」という表現をどう思うか?と訊こうと考えましたが、それも止めにしました。

日本人が思うベトナム戦争とベトナム人が思うベトナム戦争の違いをもう少し勉強してからでも、その質問は遅くない・・と思ったからです。


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